第364話


 カイリの目の前で、書類が紙くずに成り果てていく。

 はらっ、はらっと、床に落ちる紙の花びらを見届けて尚、カイリは図らずも呆然としてしまった。


「――、……おばあさん……」

「はあ。……まったく。ジョシュア以外の男どもがヘタレ過ぎてどうしようかと思っていましたが……、……カイリ。貴方から相続放棄の意志を撤回してくれて、本当に良かったわ。荒療治のためにこの場をわざと設けたのだけれど……結果的にさみしい思いをさせてしまってごめんなさい」

「……そんな……俺が最初に言い出したことです」

「それでもよ。だいたい、相続を放棄しても良いと言わせるなんて、家族として駄目過ぎるわ。もう二度とそんなことは言わないし、言わせない。……そんな駄目な私達だけど、まだ家族と思ってくれる?」

「っ、も、もちろんです! 俺も、……俺も、おばあさん達ともっと仲良くなりたいです!」


 慌て過ぎて子供みたいな叫びになってしまったが、そんなカイリを見てローゼリアはくしゃりと顔を泣きそうに歪ませた。カイリの手を取り、そっと両手で温かく包み込んでくれる。


「ありがとう。……ああ。本当に、ティアナもカーティス殿も、幸せな家庭を築いていたのですね」

「え……」

「貴方を見ればよく分かります。……こんなに立派に育った貴方を、誇りに思っていることでしょう」

「――っ。……そうだと、嬉しいです」


 以前、ルナリアで生死の境を彷徨さまよった時に、両親には色々な思いを伝えてもらった。

 あれから自分を諦めること、否定することはなるべくしない様に努めている。カイリも、もし両親が両親自身を否定する姿を見たら辛くなるとも気付けた。

 それでも、未だに自分が彼らに誇りに思ってもらえる様な人間かは判断が付かない。胸を張ってまた会える様にと考えているからこそ、ローゼリアにこうして言葉にしてもらえて花が咲きほころぶ様に心が満たされていった。



「うんうん。良かったねえ、カイリ君。いやあ、抗い続けた甲斐があったよ」



 ぽんぽんと頭を軽く撫でられ、カイリは声の主を見上げる。


「ジョシュアさん……。本当にありがとうございます」

「いやいや。オレは、自分の心に従ったまでだよー」

「それでも。俺のことを思ってくれてすごく嬉しかったし、心強かったです。……、……でも、……」

「どうして、かい?」

「はい。……今まで一度も会ったことが無かったのに、どうしてここまで信じてくれたのかなって」


 正直、アレックスの反応が普通だろう。突如現れた血のつながりがあるかどうかも怪しいおいを、警戒したり疑ったりする姿は正しい。

 それなのに、ジョシュアは初対面であるカイリを両手を広げて歓迎し、あまつさえ守ろうとしてくれた。嬉しい反面、疑問は拭えない。



「……最初に謝っておくかなあ。ごめんね、カイリ君」

「え?」

「顔は合わせなかったけど、一応ちゃんと調査はしたんだよ。カイリ君の身元とか、どんな性格をしているか、とかはね」



 軽く頬をくジョシュアは、少しバツが悪そうだ。

 しかし、逆に安心した。彼は無条件で掛け値なしに信頼してくれたのではなく、彼の中で確かな根拠があって信じてくれたのだ。


「謝る必要なんてありません。むしろ、当たり前のことだと思います」

「カイリ君……」

「血が繋がっていたって、酷いことをする家族はいますし。俺みたいにいきなり現れた人間を、すぐに家族として認めるなんて難しいでしょう」

「……あーっ。カイリ君は、紛れもなくティアナとカーティス君の子供だよ。あの二人も言いそうっ」


 もう! と両手で顔を覆って叫ぶジョシュアに、カイリは頬が緩んでしまう。

 両親に似ていると言われて喜びが湧き、同時にかつての両親の笑顔が垣間見えて顔がほころんでしまう。


「……カイリ君が聖歌騎士として聖都に来た、って聞いたのはエミルカにいた時だったんだ」

「えっ」

「ちょうど君と入れ違いの時期だね。ケント……殿に『よろしくー』って言われてさあ、出張してたんだ。……最初聞いた時は、へー、久々の聖歌騎士かあくらいにしか思ってなかったんだけど……、部下からティアナに似てるって報告があって」


 驚き過ぎてしばらく石化した、と苦笑しながら話してくれるジョシュアの表情は、やはり母の笑みに似ている。

 しかし、彼はカイリが住んでいた国にいたのか。知って、もどかしい様な、むずむずする様な、何とも不思議な感覚に襲われる。


「年齢的にも二人の子供でおかしくない、ってなって調べてみようと思ってね。……あの二人について隠居様が頑として隠そうとしてるから、家に連絡取ることが出来ないのが面倒だったけど。引き続き信頼出来る部下に調べさせたよ。……貴方の持つそのパイライトが決定打になったってところかな」

「……母さんが持っていた石、ですよね」

「そう。……そして、初代から続くのに、誰も身に着けられなかった石。貴方は、来るべくして聖都に来たんだなって思ったよ」


 そのキッカケが凄惨なものだったことは、ジョシュアも既に聞き及んでいるだろう。トーンが下がった声の響きには、綺麗に感情が隠されていた。


「色々部下から聞いていたけど、自分でもやっぱり確かめたくてね。一週間前に帰って来てから、聞き込みしたんだ」

「え。……そうだったんですか」

「本当は直接会いたかったんだけど、兄である当主様がもたもたしてたみたいだからさあ。それでも一応、顔を立てて先に会うのは当主様が良いかなあって。……というより、顔を見たら絶対オレが我慢出来なくて会うから、わざと避けてた」


 変なところで義理堅い。

 当主である兄よりも先にとは考えないあたり、弟として兄を立てる考えがあるのだ。ジョシュアはアレックスと喧嘩をしている様だったが、それでも彼を尊重しているのだろう。


「しっかし、……カイリ君は、タラシだね」

「え? た、たらし?」

「そうそう。……最初の頃、色々第一位とやり合ったみたいだけど。今ではそこまで険悪じゃないみたいだし」

「え? ……そ、そうでしょうか」


 確かに第一位とは、今ではすれ違ったら挨拶はするが、まだまだ遠巻きにされている気がする。

 ただ、最近ではフランツ達に向かっても挨拶をする様になってきたとは思う。心境の変化があったのだろうかと気にはなっていた。


「試合をしたっていう二人も、カイリ君と食事をしたがっているみたいじゃない?」

「え? そんな話は、……」


 そういえば、前に見舞いに来たケントも、デネブとアルタから伝言で食事に行こうって言ってたよ、と話してくれた。

 本人達とは顔を合わせても仏頂面で頭を下げられるだけなので、とてもそうは思えないのだが、証言が二人目となると否定しにくくなる。

 今度会ったら思い切って聞いてみようか。そんな風に考えていると、続いたジョシュアの言葉に愕然がくぜんとした。



「ついでに、ケント殿にカイリ君のことを聞いたら、生ごみを見る方がマシな目つきをされたよ。あっはっは」

「――、……ケントが、本当に、すみません……っ!」



 何故カイリが謝る事態に陥るのだろう。

 ケント、と心の中で拳を握っていると、くくっとジョシュアがおかしそうに笑った。


「まあ、ケント殿とは割と、普段からそんなやり取りだから。楽しいよ」

「た、楽しい、ですか……」

「うんうん。最初の頃は……、……。そうだなあ。もう壁、壁、壁って感じだったし。無視じゃなくて悪感情を向けられるあたり、進歩してるんじゃないかなあ」

「……。……そう、ですね。進歩していますね、確かに」

「あはは。……ああ。本当にカイリ君とは親友なんだなって。ケント殿と話していても思ったけど、今、カイリ君と話していてもよく分かったよ。……良かったねえ」


 目を細めてしみじみと噛み締めるジョシュアに、カイリは少しだけ表情を改める。

 今のは、カイリに対してはもちろんだが、それだけではなくケントに対して向けた言葉にも思えた。

 それだけで、ジョシュアにとってケントは他人ではなく、逆もそうなのかもしれないと期待してしまう。


「……あの。ケントの命令で動いているってことは、ジョシュアさんは第一位なんですか?」

「いいや? 第二位だよ」

「えっ! 第二位って……じゃあ、レミリアと一緒?」

「そうそう。ついでに副団長」

「ふ、ふくだん、ちょう……!」

「あと、第七位も兼任してる」

「け、兼任⁉ だ、第七位っていうと、……パスカル殿の?」

「そうそう。まあ、外交官として乗り込んで調査する方が都合が良い時があるから、籍を置いてる感じかなあ。本業は第二位だよ」


 軽い口調に反して、衝撃の事実の連続だ。

 第二位の副団長な上に、第七位でもある。むしろ兼任出来るのかと驚いてしまった。

 裏を返せば、それだけジョシュアが優秀ということだ。諜報に外交となると、相当な能力が必要だろう。カイリには無理だ。


「凄いですね……」

「それは違うなあ。凄くなんてないよ」

「そんなことないです! ……俺、考えとか感情とか顔に出やすいタイプで。よくポーカーフェイスを身に着けろって注意されるくらいですし」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、……」


 本気で困った様に微笑む彼に、カイリは首を傾げる。

 しかも微かに悔恨が入り混じった色も垣間見えた。

 ますます疑問符を浮かべていると、ジョシュアは静かに目を伏せる。


「……そもそも第二位に入ろうって決めたのはさ。ティアナとカーティス君のことがあったからなんだ」

「え。……両親、ですか?」

「うん。それまではオレ、第十一位にいたから。……オレは聖歌どころか聖歌語も使えなくてねえ。武術も、父や兄の様に特別秀でてるってわけでもなかったからさ、突出したものが無かったんだ」

「――」



〝弟が何だというのだ! 私が立てた功績だって立派なものだ! 教会騎士だろうが! 聖歌騎士じゃなかろうが! カーティスになど劣らない! お前なんかに! 劣らない!〟



 不意に、ラフィスエム家で伯父のレナルドにぶつけられた罵倒がよみがえる。

 あの言葉で思い知った。聖歌騎士というのはこの国では本当に特別な存在で、代々輩出している家系ほど、周りからはそれが当然と見られるのだと。

 この家族が、そのことでジョシュアをないがしろにしていたとは思わない。兄弟関係も良好だった様に聞いている。

 だが、きっとジョシュアもその件で苦悩や葛藤を抱いていた時期があったのだろう。微かな自嘲が、彼の声に混じっていた。


「カイリ君は、第十一位ってどんなところか知ってる?」

「えっと、確か街の人達の依頼を解決する団だって聞きました」

「そうそう。元々オレ、みんなと話すの好きでさ。よく街に繰り出してやんちゃして、遊び回ってたんだ」

「……そうなんですね」

「うん。だから、どうせだったら、そんな彼らの悩み事を解決する騎士になろうかなあって、そう思って第十一位に入ったんだ。街で起こってる不穏な出来事とかにもいち早く気付けるし、それを父に報告して対策したりとかも出来る可能性があるでしょ。……実際、合ってたし、楽しかったなあ」


 うんうんと頷くジョシュアの姿に、嘘偽りはない。彼にとって第十一位は本当に居心地が良かったのだろう。

 それに、彼は聖歌騎士になれなくとも、自分が出来る範囲で行動して国の治安に力を入れていたのだ。それは、とてもカッコ良いことだとカイリは尊敬する。

 だが。


「でも、……第十一位って、結局は上で起こっていることには何も口出し出来ないし、……気付きにくい場所なんだよね」

「え……」

「……。ある日を境に、カーティス君の様子が変だなっていうの、……本当は気付いてた。でも、……気付いていながら、オレは気付かないフリしてたんだ。オレには上で起きてることは全然降りてこないし。カーティス君も何も言わないし、聞いても笑って流していたからって、……言い訳してさ」


 自嘲気味に片目を歪めるジョシュアに、カイリは何も言えなくなる。声は暗いものではないのに、陰りを潜めていた。


「結局は、教会から目を背けていたんだと思う。聖歌騎士じゃないから。オレは所詮その程度だから。……そうやって己の弱さから、それを強いる教会からも逃げて、逃げて、逃げ続けて。だから、……あんなことになって」


 遠くを見る様な眼差しの先に映るのは、恐らく一つしかない。

 彼にとっても、両親の件は深い傷跡となって長らく抜けない棘となっているのだ。

 両親も、カイリを愛し、幸せに暮らしながらも、聖都での日々を片時も忘れたことはなかっただろう。それが今なら分かる。


「実は、駆け落ちする二人を最後に見送ったの、オレなんだ」

「……、え」

「予感がしてね。案の定、取るものも取り敢えず、って感じだったから。夜道は危ないからって言い含めて、家から抜け出すティアナをカーティス君の元に送った」


 まさかそんな秘話があったとは。

 カイリが目を丸くしているのに少し笑って、ジョシュアは目を細める。


「事前に母さんから預かってたティアナのために貯めたお金とか、オレのお金も半分渡して。オレのは頑なに受け取ろうとしなかったから、半分は強引に渡したよ」

「……っ」

「そうして最後の最後に、……二人に『家族を頼む』って言われてさあ。……ああ。オレも、やるべきことに向き合わなきゃって思ったんだ」



 だから、第二位に入った。



 結論は簡潔だったが、そこに至るまでの過程は想像を絶するものだったはずだ。第二位は諜報を扱う特殊な団である。カイリでさえ、それくらいの予想が付くくらいには厳しい場所に違いない。


「まあ、その時にクリス殿に鍛えてくれーって頼み込んで。そこから、ケント……殿とも付き合いを持つ様になったってわけさ」

「クリスさんに、ですか?」

「そうそう。信頼出来そうな上の立場の騎士なんて、クリス殿くらいしかいなかったし。加えて、絶対家族守るオーラ出してるクリス殿なら、きっと話を聞いてくれるかなあって。強いし。裏にも強いし。……あっちもごたごたしていた時期だから申し訳なかったけど、オレもなりふり構っていられなかったんだよね」


 ケントと実母のことか、とカイリもすぐに思い至った。

 カイリが生まれる一年くらい前まで、ケントは家で大変だったと聞いている。考えてみれば、色んな人にとって様々なことが重なった時期なのだとやりきれなくなった。


「意外にもクリス殿が快く引き受けてくれて良かったよー。ま、手駒が多い方が良いって判断だったんだろうけど」

「……ジョシュアさんって、色々物騒なことを軽く言いますよね」

「まあねえ。だって実際、あそこって物騒だし」


 否定出来ない。


 ジョシュアのからっとした断言に、カイリは苦笑いするしかなかった。

 カイリにとって彼らはとても心強くて、様々なことを厳しくも優しく教えてもらい、導いてくれる温かな人達だ。

 しかし、対外的には彼らがかなり恐れられているのも理解している。彼ら一家は過去の教訓もあってか、敵に容赦はしない。敵ではなくても、遥かに冷徹で非情な判断も下せる覚悟と決断力もある。

 情が無いわけではない。実際、クリスにもケントにも友人と呼ぶ人がいる。カイリもそう呼ばれて嬉しい。

 それでも、カイリがどうしようもない人物に成り下がったら、その時はそれ相応の対処をしてくるだろう。

 だからこそ、彼らは信頼出来る人達だ。そんな人達と友になれたことを、誇りに思う。


「……うーん。カイリ君が彼らに気に入られたの、分かる気がするなあ」

「え?」

「ううん。……まあ、オレにとって第二位に入れたのはクリス殿のおかげで、彼は師匠みたいなものなんだ。ケント殿とは、最初はなかなか会話が成立しなかったけど、今では個人的な依頼も受ける仲ってわけだよ」

「そうなんですね。……エミルカに行ったのも、ケントの依頼なんですよね?」

「そうそう。今回のことといい、ケント殿ってば、いっつも厄介ごと持ち込んでくるんだよねー。自分が第一位団長になった時も、特権でオレのこと第二位の副団長に指名してきてさあ。あの後しばらく色々面倒だったなあ……」

「え、っと……。……それでもケントと仲良くしてくれて、ありがとうございます。嬉しいです」

「……カイリ君が保護者になってるっ」


 あはは、と腹を抱えて笑うジョシュアの顔に陰りは無い。

 だが、後ろで会話を見守ってくれていたアレックスやゼクトールは、少しだけ苦い顔をしていた。恐らく、本当に様々な火の粉が降りかかったのだろう。

 聖歌騎士ではないレミリアが団長になった時も、やっかみや嫌がらせを受けたと聞いた。

 ジョシュアはロードゼルブ家の人間だが、聖歌騎士ではない。加えて、騎士達に妄信されているケントが、直々に期待している人物と見られたのだろう。レミリアほどではないにしても、面倒ごとは避けられなかったはずだ。

 それでも、ケントは彼なら副団長を全う出来ると踏んだのだろう。そう考えると、ケントにしてはかなり彼のことを見込んでいるのかもしれない。


「まあ、紆余曲折があったわけだけど。オレがきちんと色んなものに向き合おうと覚悟を決められたのは、ある意味カイリ君の両親のおかげなんだ。だから、もしいつか、あの二人の子供が来たら絶対に力になろうって思ってた」

「……っ」

「それでも、俺は第二位だから。ちゃんと調査はしなきゃならないっていう気持ちも持ってたよ。だからこそ、貴方を調査した。……そして、貴方のことを色々聞いて、実際に会って。ああ、この子は本当にあの二人の子で……オレの大事な甥っ子なんだなあって。そう思えたし、……思えたことも嬉しかった」

「……ジョシュアさん……」

「これで心置きなくカイリ君のことは何が何でも守るって、味方でいるって決められた。……こんなに優しい子が傷付くなんて嫌だったし、教会に向き合うカイリ君の力になりたいって。そう、誓ったんだ」


 ぽんぽんと頭を撫でてくれる手付きが優しい。母と違って手の平がごつごつしているはずなのに、どこか母を連想させるのは感傷からくるものなのだろうか。


「というわけで! 何かあったらいつでもオレに言ってね。カイリ君の頼み事なら、個人的に引き受けちゃうから!」

「え! でも、それは」

「大丈夫大丈夫。カイリ君ならきっと、的確な範囲での頼み事だろうから。ケント……殿が言ってたよ。カイリ君はもっと我がままになれば良いのにって」


 ね、と人差し指と中指を立ててウィンクしてくるジョシュアに、カイリは自然と笑ってしまう。ケントも裏で色々心配してくれているのだと知って、喜びに満たされた。

 依存は良くないが、カイリに頼れる味方が増えることは、目標を考えてもとても心強い。ジョシュアなら、と期待してしまう自分がいることも否定できなかった。


「……分かりました。もしその時がきたら、お願いします」

「もっちろん! カイリ君ならアフターケアまでやっちゃうよー」

「あはは。……頼りにしています」


 お互いに笑い合って、一息吐く。両親のことやジョシュアのことも聞けて、今日は来て良かったと心から思えた。

 一段落は着いた。

 後は。


「さて! 最後の懸念を片付けようか。……ねえ、イザベラ?」


 ジョシュアが表情を改めて向き直る。

 壁際で一人静かに佇んでいたイザベラは、無言だ。

 しかし、ジョシュアに話しかけられて、気まずそうに目を伏せた。



「オレの方でも、推測は出来る。……でも、それはあくまでオレの推測でしかない」

「……」

「だから、出来ることなら貴方の口から聞きたい。話してくれないかな。……お願いだ」

「……っ」



 ジョシュアの問いかけに、迷う様にイザベラが口を開けた。

 しかし、結局また閉じて更に視線を下げていく。重ね合わせていた両手をぎゅっと掴む姿は、何かに耐える様にも見えた。

 しばらく沈黙が続く。ジョシュアも辛抱強く待っていた。

 それでも一向に口を開こうとしない彼女に、カイリはたまらず一歩進み出る。


「イザベラ殿。教えて下さい。どうして、俺のことを敵視するんですか?」

「……」

「イザベラ殿がここで口を閉じたら、ジョシュアさんが無理矢理口を開かせることになります。それだけは絶対にさせたくありませんし、貴方もそう願っているはずです」

「っ、……貴方、知ったことを……」

「言います。……俺のことを嫌いなままでも構いません。でも、……俺も、何も分からないまま嫌われ続けるのは嫌です。どうせ嫌われるんだったら、理由を知って嫌われたい」


 ウマが合わない。生理的に受け付けない。

 非が無くても、どうしても互いに合わない人間は世の中にはいる。カイリとイザベラがそうだと言うのなら、悲しいがカイリも受け入れるしかない。

 だが、それ以外に理由があるのならば、知って歩み寄ることは出来るはずだ。最終的に駄目だったとしても、何も知らないよりはずっと気持ちに整理が付けられる。

 それだけではない。


「貴方には今、ある容疑がかけられています。無実なのか、それとも真実なのか。それも明らかにする必要があるんです。……家族が知っていることを、第一位団長であるケントが知らないはずがない。ここで話さなければ、恐らく貴方は連行されることになります」

「――」


 ケントが黙っているのは、ゼクトール達の出方を窺っているからだ。

 彼らが彼ら自身で解決するなら、それでも構わないと思っているのだろう。

 しかし、そうではなく、隠蔽する様に動いたならば、ケントは決して容赦はしない。

 呪詛事件は、聖歌騎士であるカイリを狙っただけではなく、国に喧嘩を売る様な内容だった。この前の会議でも好戦的な者が多かった以上、放置するわけがない。


「だからこそ、ジョシュアさんは尚更、無理矢理じゃなくて今ここで、貴方に話して欲しいんです。それが決して保身ではないことは、きっと貴方が一番よく分かっていると思います」

「……」

「お願いします。貴方の態度の理由を教えて下さい。俺はさっきテリサ殿にも言ったように、貴方と……貴方達と仲良くしたい。そのためにこれから何度だって伝え続けます。その上で、貴方が俺を嫌いなままだというのならば、それでも構いません」

「……、……貴方……」

「でも、……大切な人が、大切に思う人と理由も分からないままぎくしゃくする姿は、もうこれ以上見たくないんです。……失ってからは、もう、何も話すことは出来ないから。伝えられるべき時に伝えるべきだと、俺は思います」


 誰が、いつ、どこでいなくなるかなんて誰にも分からない。今日突然、誰か大切な人が亡くなってしまうこともある。

 だからこそ、最後の会話が喧嘩したままとか、ぎくしゃくしたままとか、ろくに会話も出来ないまま出かけてしまったとか、そんな風にはなって欲しくない。

 カイリが頼み込んでから更に数分、沈黙が続いた。

 もう駄目だろうかとカイリ自身挫けそうになった時。


「……、……カイリ、様」

「っ! は、はい」


 静かだが、よく通る声だ。凛とした気概を思わせるその声は、覚悟を決めた様に真っ直ぐだった。


「……貴方に、お聞きしたいことがあります。ファルエラのことについてです」

「……、ファルエラ、ですか?」

「はい」


 核心を突いてくる様な質問だ。

 彼女の生家はブルエリガだが、ファルエラの王族と繋がりがあるかもしれないとアレックスからも聞いている。そうすると、今回の呪詛事件との関わりも出てくるかもしれないと予想はしていた。

 そして、イザベラは両手を重ねたまま胸を張り、貫く様にカイリに向き直る。



「貴方は、ファルエラとどこまで繋がっていますか?」

「……、え?」



 どこまで繋がっている。

 そんな切り返しをされるとは思わなかった。横にいたフランツを見上げてみたが、彼もいぶかし気に眉根を寄せている。

 だが、――ハリエット、という名前の少女とカイリは交友関係を持っている。

 そのハリエットの名前が今回の事件に絡んでいた。そして、女王が本当にカイリの知っている少女だったならば、納得は出来る。


「……。……どうして、そんな聞き方をするんですか?」

「……我が実家はブルエリガにありますが、裏では密かにファルエラの王族と繋がりを持っています。きっと、その点はお調べになっていたかと」

「……、はい」


 アレックス達が何もしていないとはイザベラも考えてはいないだろう。ましてやジョシュアは諜報専門だ。隠し通せるはずがない。

 しかし、次の彼女の言葉に、カイリはそれでも目をみはらざるを得なかった。



「我が実家の派閥は――現在の女王陛下。二週間前、クーデターにより国を追われてしまった側の派閥です」

「――――――――」



 その一言に、辺りの空気が一気に凍り付いた。


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