第306話


 カイリが部屋に戻ると、レインだけではなく何故かフランツまで立っていた。

 しかも、レインの方は制服姿のままである。先程、先に出て行きはしたが、風呂に一緒に入ったのにと首を傾げてしまった。


「レインさん? 何処かへ出かけるんですか?」

「おう。シュリアと一緒に、ちょっとフュリー村付近まで行ってくるわ」

「え?」


 突然の告白に、カイリは目を丸くした。

 そのカイリの顔がおかしかったのか、ぶはっとレインが噴き出す。


「ま、色々と推論が崩れただろ? だからよ、今間者どもがどうなってるか気になってな」

「……そうですか。気を付けて下さいね」

「おう。ま、明日のラフィスエム家に潜り込むまでには、オレかシュリアのどっちかは帰ってくるからよ。安心しな」

「俺としては、無事であればそれで良いです。……色々と不透明なところもあるし、本当に気を付けて下さい」

「――」


 カイリが心配するまでもなく、レインもシュリアも飛び抜けて強い。

 だが、分かっていたとしても心配するなというのは無理な話だ。

 レインが呆れているのか黙り込んでしまったが、無事を祈るのは出かける相手に対しては普通の反応だと開き直る。


「……ったく。お前は本当にくそ真面目だな」

「それがカイリの良いところだ。可愛いだろ?」

「へーへー。……ま、そういうわけだから、今日は団長と一緒に寝てくれ。親子水入らずで話しててくれや」

「はい。……何だか新鮮ですね」

「そうだな。楽しみだ」


 ほくほくとフランツが良い笑顔で頷いてくれるので、カイリとしても安堵する。一緒に寝るのは初めてだが、楽しみだ。

 明日のことで少し不安もあったから、頼もしい。申し訳ないが甘えさせてもらおうと、カイリは秘かに心に決めた。


「じゃ、行ってくるぜ。……これ以上事態がこじれないことを祈るぜ」

「ああ。頼んだぞ」

「行ってらっしゃい。待っています」

「おう」


 ひらっと手を振って、レインが飄々ひょうひょうと出て行く。その身のこなしは軽やかで、足の運び方も改めて綺麗だと感嘆してしまった。剣道をやっていたからというのもあるのだろうかと、カイリはぼんやり思う。


「じゃあ行くか。寝る前に、何か温かいものでも飲むか?」

「……よく眠れるものが良いです」

「分かった。腕によりをかけよう」


 仰々しく請け負い、フランツが鼻歌を歌って部屋を出る。

 彼の上機嫌な横顔には、任務への不安などどこにも見当たらない。恐らく、仲間達を信頼しているからこそ、不測の事態が起こっても何とかなると信じているのだろう。

 彼の落ち着いた態度を見習いたい。

 フランツの頼もしさに寄りかかりながら、カイリも早く大人になりたいと願って彼の部屋を目指す。


 ――その後ろで、レインがちらりとカイリの方を振り向いたが、それにカイリが気付くことはなかった。











「お邪魔します」

「ふ。邪魔などとは言わず、自分の部屋だと思ってくつろいでくれ。親子だろう」

「は、はい」


 無意識に出た言葉に、カイリは苦笑いで口元を押さえる。やはり、まだまだ完全な親子になる日は遠い。

 フランツの部屋に入るのは初めてでは無い。彼は団長というだけあって、他の部屋よりも少し広いし機能的だ。簡易キッチンもカイリの部屋より広いし、机や本棚など、置かれている家具も少しだけ豪華だ。

 だが、彼の優しさが感じられる、良い部屋だ。フランツが茶を用意するのに甘え、カイリは近くにあったベッドに腰を掛けて安心した。


「今日はそのベッドに一緒に寝るとしよう」

「え? ベッド……って、えっと。俺、床で寝ますよ?」

「何を言う。息子をそんな場所で寝かせられるか。……それに、ダブルベッドは一人では広すぎてな。一緒に寝てくれると助かる」


 少しだけ、フランツの横顔に物淋ものさびしさが過ぎった。

 その陰りに、カイリはそういえばと彼の過去を思い出す。

 彼は、前にカイリの前にだけ姿を現したメリッサという女性と結婚したと言っていた。子供も出来て、生まれる予定だったのだと。



 ――ここは、愛する人と共に過ごした『家』なんだ。



 一人では広すぎると言いながらも、未だにこのベッドを使っているのは、妻を大切に思っているからだろう。きっと、子供が出来たらそれこそ『川の字』になって一緒に寝たに違いない。


「……分かりました。じゃあ、遠慮なく」

「ああ、そうしてくれ。……子供と寝るのが夢だったのだ」

「俺、もう大人ですけど」

「何を言う。子供は親にとってはいつまでも子供だ。それに、まだまだカイリには子供でいてもらわなければな。親として威厳を振り撒けん」

「……フランツさんは、結構子供っぽいですけどね」

「そうか? そうかもな」


 口が滑ったとカイリは一瞬後悔したが、フランツは豪快に笑い飛ばしてきた。彼は懐が広いなと、口元が緩んでしまう。

 四ヶ月以上前までは村にいたのに、今はこの第十三位の宿舎が家になっている。出かけてここに戻ってきたら、「ただいま」と帰ってきた様な気持ちになる。

 それは、とても不思議な気分だ。村にいた時は考えられない未来だっただろう。

 そして。


「ほら、昆布茶だ。寝る前には良いぞ」

「ありがとうございます」


 差し出してくれた湯呑を受け取り、カイリはふつに口を近付ける。ふわりと香る匂いが、何とも言えない香ばしさと共に立ち上った。

 カイリは前世の時は昆布茶が苦手だったのだが、このお茶にはあの嫌な生臭い感じの匂いがしない。かなり上等なものではないだろうかと推測していた。

 すすると、微かな塩気ととろみが深く広がっていく。何となく心が緩んでいく様な感覚に陥った。



「美味しい……」

「そうか。それは良かった。……俺は昔、苦手だったのだがな」

「えっ!?」



 とんでもない暴露話をされた。

 カイリが弾かれた様に見上げると、フランツは笑いながら隣に腰掛ける。茶をすすりながら、ふむ、と息を吐いてくつろいでいた。


「昔、店で出された時は、結構生臭くてな。これが昆布茶か。ダシを使った方が上手いと思ったものだ」

「……へえ。そうなんですか」

「ああ。だが、ある日お茶の専門店に行って、試飲させてもらったらな。嘘の様にあの生臭さがせず、味わい深いものだった。色々聞いたら、作り方にそもそも秘訣があるそうだ。……それからは、時々寝る前に飲む様になった。何となくほっとするからな」


 フランツも同じ理由で苦手だったのか。

 共通点を見出して、少し親近感が湧いた。声にせずに笑って、カイリも頷く。


「俺も……フランツさんの昆布茶を飲むまでは、苦手でした」

「うむ? そうなのか? しかし、嫌がっている素振りは無かったが」

「いや、せっかく出してくれているものにケチをつけるなんてと思ったんですけど……飲んでみたら、本当に美味しかったので。昆布茶、フランツさんのは大好きです」

「そうか。……それは嬉しいぞ。同じ様な道を辿っているとはな」

「はい。俺達が、――」



 親子だからかもしれませんね。



 そう口にしかけて、カイリは止める。今、彼にそれを言うのは卑怯な気がしたからだ。

 カイリは、明日のラフィスエム家との決別を控えている。このタイミングで、彼を「父」と呼ぶと、傷の穴を埋める卑怯者に思えて苦しかった。



 ――本当は、「父さん」と呼んでみたい。



 家族になることに喜びを覚えながらも戸惑っていたあの時よりも、今はずっと彼を慕っている。こうして話していくたびに、彼と家族になれたのだなと実感していく。

 時々、「父さん」と呼んでみようか。

 そんな風に思うことも増えてきた。回数的には少ないが、それでも気が抜けた時などは呼びそうになることもあったと思う。

 けれど、今このタイミングは駄目だ。実家と縁を切る演技をするこのタイミングだけは避けたい。



 フランツを父の代わりにしている様で、嫌だから。



 急に黙り込んでしまって、誤魔化す様にカイリはちびちびと昆布茶を啜る。何と言葉を続ければ良いか迷ってしまって、ぐるぐる思考が回ってしまった。

 フランツも何も言わない。

 だが、カイリと違ってどっしりと山の様に構えている気配を感じた。彼は本当に頼もしいなと泣きたくなる。


「……そういえば、カイリはティアナ殿の家の者とは会う気はないのか?」

「――っ」


 いきなり爆弾を放り込まれた様な気分になる。

 まさか、反対側の攻撃をされるとは思いも寄らなかった。ぱくっと、あえぐ様に一度口を開いて閉じる。


「ゼクトール卿が言うには、まあ、家族仲は今は微妙らしいが」

「……後継者問題、あるんですよね」

「……。……とはいえ、確かにティアナ殿の方の家庭は、昔は円満だったぞ。兄弟仲も良くてな、兄二人はティアナ殿のことを本当に可愛がっていた。カーティスのことも弟の様に可愛がっていたぞ。だからこそ、ゼクトール卿が奴を追い出す時に激怒したのだろうがな」

「……そうなんですか……」

「キッカケがあれば、和解は出来る気がするのだがな。息子の方にも何度か会ってはいるが、ラフィスエム家の輩と違って、話が分かる御仁達だ」


 フランツは遠回しに、会ってみないかと言っている。

 カイリが、ラフィスエム家の――父の家系と縁を切りかねない演技をするからだ。せめて、母の家系の方は問題を起こさず、円満にと考えているのかもしれない。

 だが、簡単に頷くのは難しかった。



 正直、ラフィスエム家の人達に会うのも恐い。



 一体、どんな罵詈雑言が飛んでくるのだろうか。

 父を、どんな風に言われてしまうのだろうか。

 そもそも、自分を父の息子と認めてくれるだろうか。



 恐くて恐くて堪らない。

 だからこそ、ゼクトールと縁を結んだとはいえ、彼の家族に会うのはまだ恐怖の方が凌駕りょうがしていた。

 だが。


「あ。……そういえば、アレックスさん」

「うむ? アレックスと言えば、ゼクトール卿の息子で現当主だな。彼がどうかしたのか?」


 カイリが名前を口にしたことで、フランツが不思議そうに見下ろしてくる。

 ホテルに行く間も、支配人のところへ行く時も、ずっと視線を感じていた。

 それが、アレックスだった。


「ケントやレミリアとホテルへ行った時に、アレックスさんを遠目に見かけたんです」

「……ほう?」

「何だか、ずっと食い入る様に俺のことを見ていました。……、……彼、母さんに少し似ていました」

「……そうか」


 フランツが言葉少なに相槌を打ってくる。何と答えるか考えているのかもしれない。

 そういえば、何故彼はずっとカイリを見つめていたのだろうか。彼が今回事件に関与している可能性があるのか。急激に不安が胸に広がっていく。


「あの、フランツさん」

「彼は関係ないだろう。あったら、とっくにゼクトール卿が動いているし、知らせてくれるはずだ」


 カイリの思考を読む様に、フランツが絶妙に否定してくる。

 また顔に出ていたのだろうかと頬をさすれば、フランツがおかしそうに頭を撫でてくれた。


「お前は気持ちが緩んでいると、本当に演技が出来ないな」

「……すみません」

「いや。確かに仕事をする上ではマイナスかもしれんが、俺としてはそのままでいて欲しいという気持ちもある。……無理に自分を飾って心を傷付けるのは、辛いぞ」

「――」


 何気ない言葉だが、フランツの言いたい内容が裏に滑り込んでいるのが伝わってきた。

 明日のことだ。――シュリアもそうだったが、彼もやはりまだ納得はしていないのかもしれない。

 自分の心を傷付ける。きっとカイリは、後悔しないとしても自分をえぐり取られる様な激痛に駆られるだろう。

 演技であったとしても、己の家族を突き放すのは辛い。ましてや、この件で二度と彼らとの溝を永遠に埋められず、敷居をまたぐことすら出来なくなるかもしれない。

 だが、もう決めたことだ。引き返すつもりもない。


「お前は頑固だからな。やめろとは言わん」

「……」

「……ただ、せめてティアナ殿の家系とは、そういう関係にならないことを祈っている。……やはり、演技だろうが何だろうが、縁を切る、というのは……辛いものがあるからな」


 見ている方としても。


 そんな痛みが、はっきり聞こえてきた気がした。

 フランツは、カイリを心配してくれるだけではなく、我が身のことの様に考えてくれている。

 彼の優しさが音を通して伝わってきて、カイリは俯いてしまった。視界が滲みそうになるのを慌てて止める。

 明日、フランツが隣にいてくれる。

 こんなに優しい人が、傍で支えてくれる。



 新しい家族として、カイリと共にいてくれる。



 それだけでカイリは充分だと。

 言い聞かせながら、残りの昆布茶を彼の優しさごと飲み込んだ。


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