第297話


 ゆっくりとした朝が明けた、金曜日。


 晴れて、第十三位の謹慎処分が解ける清々しい日だ。


 目が覚める時にはもう、揺れるカーテン越しに柔らかな日差しが祝福の様に降り注ぎ、カイリは今日を歓迎されている様な気分になった。

 そんな晴れ晴れしい日は、同時に真っ暗な未来を断絶するために動く始動の日でもある。

 朝食を終え、全員が整えられた制服にそでを通して姿勢を正す。

 カイリ達の顔に憂いは無い。全員が気合に満ち満ちていた。


「さて、遂に動くぞ。……シュリアは、夜まで待機だな」

「ええ、仕方がありませんわね。どうせ徹夜ですし、保存食などを準備して体を休めておきますわ」


 フランツの宣言に、シュリアが心得た様に目を閉じた。

 カイリ達も気合を入れ、互いに顔を見合わせる。今まで表立って動けなかったフランツ達にとっては、本格始動だ。


「では、各自健闘を祈る。ヘマをしたら見捨てるぞ」

「ふふん。大丈夫っすよ! 特にリオーネさんの危機とあらば、地獄の果てまで追いかけるっす!」

「あら。じゃあ、私は一人で勝ち逃げしますね」

「り、リオーネさんが無事なら悔いはないっす!」

「……こいつ、ほんとにリオーネ命だなー。オレには無理だわ」

「……パシリですから。根性がパシリなんですのよ」


 フランツの茶目っ気に、エディの漫才が入る。リオーネは相変わらず黒いなと、カイリは苦笑せざるを得ない。

 だが、第十三位らしい出発だ。こうして全員で動けることを、カイリは嬉しく思う。


「では、カイリ。行くぞ。まずはクリス殿の屋敷だな」

「はい。……ガルファン殿の娘さんにも会えれば良いんですけど」

「うむ……だが、こればっかりは状況次第だな。望みは薄いが、クリス殿に改めて捕虜についても聞いておこう」

「はい」


 レインの話だと、ガルファンの娘は救出した時に口をけない状態だったという。だとすると、まだ一日しか経っていないこの時点で話を成立させるのは難しそうだ。

 クリスに新しい情報を聞ければ良いなと願いながら、カイリはぐっと胸を張って気合を入れる。



 ――絶対に、この依頼を完遂させる。



 フュリー村のためにも、ルーラ村の子供達の様な犠牲をこれ以上出さないためにも。

 そして。



 大勢の人が傷付く、戦にさせないためにも。



「行きましょう、フランツさん」

「……ああ。行こう」



 カイリの意気込みに、フランツも静かに笑って答える。そのまま玄関を潜り抜けて表へと踏み出した。

 この晴れ渡る空の様な未来を、描くために。











「いやあ、今回はリオーネがいてくれて楽だぜ。聖歌語サマサマだ」


 あっという間にネット村が管理する墓地に辿り着き、レインは気持ち良く伸びをした。エディが呆れた様に見上げてくるが、無視である。


 ガルファンが治めるネット村の墓は、少し離れた北に位置していた。


 足を踏み入れれば、遠くからでも見えた墓石が規則正しく並んでいる。

 どれもこれもきちんと手入れされているらしく、備えられていた花は生き生きとしており、雑草も綺麗に刈り取られている。如何にネット村の住民がこの地を大切にしているかが見て取れる様だ。


「さて。墓地の管理は、大体午後を過ぎてからやるみてえだからな。午前中の内にちゃっちゃと終わらせるぞ」

「はい!」

「分かりました」


 レインの指示に、エディとリオーネも微笑む。

 一つ一つ墓石を確認し、くだんの墓を捜索していく。

 死者を弔うのは土葬が定番ではあるが、時折火葬を希望する者もいるらしい。ガルファンは安らかに逝ける様にと火葬を推進している数少ない貴族らしく、このネット村も同じ様だ。


「……嫌な言い方ですけど、正直、火葬で良かったっす。ガルファン殿の奥さんって、確か死んでからまだ四、五ヶ月くらいしか経ってないっすよね」

「まあ、今は夏だし、余計に見たくはなかったよな。……さて、どうなってるんだか」


 会話をしながら、一つの大きな墓石に辿り着く。

 一番奥まった場所に、他の墓石よりも一際大きな顔が姿を現す。恐らく目的の墓だと、レイン達は気を引き締めた。


「あ、リオーネさんは周囲を見張っていて下さいっす。作業は、ボクとレイン兄さんでやるので」

「はい。よろしくお願いします」


 リオーネを後ろに下がらせ、エディが墓の前に立つ。

 墓石に刻まれた文字は、予想通りガルファンの姓が描かれていた。横には代々の当主や家族の名前が書かれ、その一番下に彼の愛しい者の名前が刻まれている。

 去った月日は3月20日。もうすぐ五ヶ月というところだ。


「さーて、やりますかね」


 レインが軽く両手を合わせて黙祷もくとうする。エディもならって祈りを捧げていた。

 本来、手を合わせる時はしっかり指を組むのが教会の祈り方だが、レインは前世のやり方を踏襲している。レインがやり始めてからは、第十三位は全員両手を合わせるだけのものになった。前世で言うところの仏教式である。

 しばしの黙祷の後、レインもエディも気合を入れた。ローブを脱ぎ捨て、リオーネに渡す。


「墓石動かすぞ。……そっち持て」

「聖歌語は使わないんすね」

「数分で終わらせるなら構わねえけど、……何となくな。死者に対してあまりに無粋な気がすんだろ」

「まあ、そうっすね……」


 とはいえ、戻す時は聖歌語の力を使うことになるだろう。人の手だと、どうしても綺麗に元通りは無理そうだ。

 エディと一緒に墓石を移動し、その下を掘り起こしていく。死者の骨が眠っているはずの場所だ。

 しかし。


「……レイン兄さん」

「ああ。……何か、掘り起こした跡があんな」


 黙々と土を掘り進めていくにつれて、二人共違和感に気付く。リオーネが気にする気配がしたが、それでも彼女は振り向きはしなかった。万が一目撃されたら言い訳がしにくいと、彼女自身理解しているからだ。見張りに集中してくれている。

 だが。



 本気で、不自然だ。



 別に、掘り起こされた跡があること自体は不思議ではない。ガルファンの妻が三月に亡くなったばかりだし、骨を埋めるには一度墓石を移動し、掘り起こさなければならないのだ。

 だが、掘り起こし、骨が保管されているはずのふたに辿り着いて開いた時点で、レインとエディの違和感は頂点に達した。


「……なあ。何か、……ぽっかり、一つ分だけ穴が空いてねえ?」

「……。……ここ、何か置かれていた跡があるっす。……まさか、『いない』って」


 掘り起こした跡を見ながら、エディの顔が痛ましげに歪んでいく。レインとしても、あまり良い感情を抱けない。

 横に書かれた埋葬されているはずの死者の数と、骨が収められている箱の数が一つ合わない。

 それに、きちんと埋葬したにしては、かなり土の埋め方が雑だった。まるで慌てて埋め直したかの様な――中途半端に放り出した様な。掘り手の恐慌と動揺が如実に見て取れるかの様だ。



「……『いない』って、本気でこういうことか……。ま、予想は付いてたけどよ」

「レイン兄さん。箱の名前を全部確認しましたけど、やっぱり奥さんの名前だけ無いっす」

「ああ。……大慌てで埋めたと思って間違いないだろうな。……どっちかって言うと、動転したガルファン殿の仕業と思うべきか」



〝出来ればフュリー村は、ホテルの時みたいな仕掛けでないことを……祈りたいです〟



 頭が痛い。カイリの嫌な予感が当たりそうで気の毒だ。

 彼はまた、ホテルの時の様に心を痛めるだろう。彼の生き方は命がいくつあっても足りなそうで、とてもではないがレインは真似したくない。

 しかし、それとは別に怒りも湧いてくる。

 静かに眠りたいはずの死者をこんな風に引っ張り出し、推定ガルファンを脅す道具の様に使うなど。間違っても、そこまで堕ちたくはない。



〝―――っ! 何でだよ! おい!〟


〝しっかりしろよ! 何で、お前が先なんだよ……!〟



 ――必死に生きた奴を冒涜する様な輩は、それこそ万死に値する。



「……【土よ、埋まれ】」



 聖歌語を放ち、レインが掘り返した場所に土を流していく。時間が逆戻りするかの様に、瞬く間に真っ平らに埋まっていった。掘り返す前よりも、綺麗になだらかな地面と化す。

 そのまま、墓石も元の位置に戻し、レインはリオーネの方を振り返る。


「終わったぜ。どうよ?」

「……気配はしません。レイン様。……奥様の骨は、使われているんですね」


 振り返らないまま、リオーネは墓地の入り口を見つめて問いかける。

 いや、問うというよりは、確認だ。カイリの言葉を思い返しているのかもしれない。ホテルの子供の件と同様の可能性は、レインも真っ先に脳裏に浮かんだくらいだ。

 レインはしかし、えて肯定はしない。

 可能性は高くても、確定はしていないのだ。数も『五』ではない。エディもあまり認めたくないからか、無言を貫く。

 もし、この主犯が本気でラフィスエム家だったら、頭から潰してやりたい所業である。



「……カイリ様があそこまでしなければならない価値が、あるんですか」



 リオーネが、依然として遠くを眺めながらぽつりと零す。

 あそこまで、というのは、カイリが囮として使うための書類のことだろう。

 カイリはあれこそが切り札になると考えている様だった。レインも確実とはいかなくても、かなり有効的なのは間違いないと踏んでいる。

 それに、最初こそ本気で使おうとしていたが、今は万が一相手の手に渡ったり総務に提出されても無効になる様に画策中だ。具体的にはクリスが色々やらかしてくれるらしい。彼ならばきっと大丈夫だ。

 しかし。


 万が一の万が一という可能性は、どうしたって拭えない。


 本当は、レイン達だって危惧きぐはしているのだ。囮とはいえ、本気でその手段を使っても良いのかと。



 カイリに、芝居とはいえ、――愛する父の実家と縁を切る様な真似をさせて良いのかと。



「……潰れてしまえば良い、なんて。……カイリ様に言ったら悲しまれますね」

「まあなあ。……それに、父親の生家だろ。言ってやるな。どんだけ思っていてもな」


 カイリが自分で決めたことだから、レインは賛成した。彼は誰に何を言われようと、意志をひるがえすつもりが無いのは明白だった。

 血縁断絶の提案をした時だって、彼は必要だから――困っている者を救うためだから決意したのだ。生半可な覚悟ではなかったはずだ。

 故に、芝居とはいえ、親族に対して身を切る様な演技だったとしても彼は絶対に最後までやり抜く。

 ならばレイン達に出来るのは、彼が納得いくまで走らせてやることだけだ。口を出すだけで解決するなら、もうとっくにあの家は平和になっている。



「……っ、強引に村も何もかも解放、が出来れば良かったのに……っ」



 エディがやりきれない、と言わんばかりに不満を口にする。

 物的証拠が揃っていないと頭では分かっていても、言わずにはいられないのだろう。カイリに負担がかかり過ぎているのも、彼にとっては懸念材料なのかもしれない。

 だが、理想と現実は別だ。レインは無情に否定してやる。


「この前も言ったけど、無理だ。ラフィスエム家は仮にも侯爵家だ。落とすにしても、決定的な証拠が無いとだし、強引になんてもってのほかだ。逃げられる」

「……でも、ガルファン殿からのメモもあるっすよ? ファルエラの間者も実際ケント殿が白状させたし、シュリア姉さんがその間者との連絡役を取り押さえられれば」

「にしたって、駄目だ。そいつらから、両者の契約書とか密約とか、そういった確固たる証拠が取れたなら話は別だが、現状はどれもこれも相手が勝手に証言してるだけだ。本来、催眠みたいな誘導での自白は最後の手段にされてるしな。だから、ケント殿も自白を取った後は放置したんだ。悟られない様にって理由もあるけどな」

「侯爵家を逮捕するのでしたら、やはり決定打が必要なんです、エディさん。……王族に嫌疑をかける時だって、証言だけでは足りません。物証が必要です。動かぬ証拠というやつですね」

「……。……新人ばっかり……理不尽っす。ガルファン殿の娘さんだって……」

「ガルファン殿の娘の誘拐だって、勝手に貧民街の連中がやったって言えば終わりだ。カイリの案が一番近道なことに変わりはねえよ」

「……はい」

「唯一の手がかりは、確かにあのメモだけどよ。ガルファン殿が土壇場で違うって言ってしまえば終わりだし。……前世なら、筆跡鑑定ってのがあったがな」

「え?」


 リオーネが耳聡く反応してきたが、レインは誤魔化す様に「いんや」と首を振った。

 筆跡鑑定は、一応この世界にも存在している。

 だが、前世よりも遥かに不確実だ。筆跡が似ているだけと言われればそれまで。前世よりも、有効な証拠能力になる可能性は低い。

 侯爵でなければそれなりにどれも決定打となるのだが、爵位とは面倒だ。やはり貴族世界はレインには合わない。


「……とにかく。本人達から決定打を引き出せるだけの証拠を掻き集めるしかねえな。後は、フュリー村とルーラ村か。……結局あいつ頼みだな」


 苦いものが胸に広がるのを感じながらも、レインにはどうしようもない。フュリー村の異変は、聞いている限りカイリにしか解決出来ない予感がした。

 ルーラ村も、実際に子供達と話したカイリが突破口となるだろう。何とも頭が痛い。

 エディとリオーネも沈鬱な表情になっている。これだけ疑わしい証拠があるのにと、歯がゆさで苛立ちが強くなっているはずだ。



 ――ほんと、難儀な奴。



 今頃クリスの屋敷で話しているだろう後輩を思いながら、レインは乱暴な足取りで墓地を後にした。


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