Banka21 俺の歌と、彼らは共に
第283話
「カイリ! 帰ったか!」
「よう、お帰り。どうだったよ、ホテルの高級バイキングの味は」
「ふん。一人だけ贅沢をして。良いご身分ですわ」
植木鉢の後は、特に事件もなく。
カイリ達は無事に第十三位への宿舎の扉を叩くことが出来た。
真っ先にフランツが迎えに出て、続いてシュリア、レイン達と続いて全員が玄関に集まってくれた。
彼らの、フランツの顔を見て、どうしようもなくホッとした。カイリは思わず駆け寄りそうになるのを、ぐっと堪える。
「……ただいま戻りました」
「……カイリ? 何かあったのか」
努めて平静に笑ったはずなのに、フランツはすぐに見抜いてきた。少しだけ身に付けたはずのポーカーフェイスが、まるで役に立たない。
何か言いたかったが、声にならずに何度もつっかえる。
それを見かねたのか、フランツがカイリを躊躇いなく抱き締めてきた。大きな手の平が背中を撫でてくれて、目の奥に熱が溜まっていく。
何かあったのかと言われれば、本当に色々なことがあった。
ガルファンのこと。爆弾のこと。子供のこと。聖歌のこと。植木鉢のこと。
そして。
〝 お ま え が い る か ら み ん な ―― 〟
「――っ」
ぎゅうっと反射的にフランツの腕を握り締めてしまった。
すぐに離すが、益々フランツが抱き締める力を強くしてくれる。ああ、弱い、とカイリは自分に失望せざるを得ない。
それに、今日の出来事は順序立てて話さないと何も伝わらないだろう。
「……ケント殿、レミリア殿。何があったのか、話して頂けますか?」
「……そうしたいのは山々ですが、緊急で僕達にもやることが出来ました。申し訳ありませんが、話は全てカイリから聞いて下さい。皆さんとの話し合いも明日の夜に回します」
「は? 緊急って何だよ?」
「……あの、カイリ様? すごくお疲れの様ですけれど……」
リオーネが心配そうに尋ねてくるのに、ケントが「流石」と不敵に笑う。
「リオーネ殿は、聖歌騎士でしたね。カイリは、ホテルで聖歌を三曲歌い上げた挙句、後ろ二曲は全力で歌ったので。しばらくきちんと休ませてあげて下さい」
「は? 三曲もですの? ……戦闘でもあったんですの?」
シュリアの顔が厳しいものに変化していくのを見ながら、ケントが微かに肩を
「いいえ、戦闘は特に何も。ただ、帰り道にカイリは襲われたので。警戒も厳重に」
「――何だと!?」
「はあっ!? 新人、大丈夫っすか!?」
「うん。大丈夫。……植木鉢が落ちてきただけだから」
「いや、大丈夫じゃねえだろ。……うっわ、すっげえ込み入った話になりそうだな」
がしがしとレインが頭を掻いて天を仰ぐ。フランツ達も話が進むにつれて、かなり厳しい表情に変化していった。
また心配をかけてしまった。どうしてカイリは出かけるたびに、彼らに心労をかけるのだろうか。たまには、スマートに任務をこなしてみたい。
「あと、フランツ殿」
「……何でしょうか」
「カイリを、あまり叱らないであげて下さい」
ケントの進言に、フランツが不可解そうに顔を
――きっと、『
カイリの体が小さく跳ねたので、益々フランツの眉間に
「……それは、どういうことですかな?」
「詳しくはカイリに。ただ、……あの時は、カイリの選択が最善の方法でした。あれ以外の方法で解決すれば、更に後味が悪くなっていたでしょう」
「私達は、秘密を厳守します。……安心は出来ないでしょうが、ケント様が魔王ぶりを発揮し、万が一秘密が漏れた時は、我々の身柄と命は奪われることになっていますので。それでどうか手を打って下さい」
レミリアが大真面目な顔で援護射撃を打ち、カイリの代わりに持ってくれていた遺品を近くにいたレインに手渡す。
渡されたレインは、袋に入った中身を見て首を傾げた。木彫りの
「えー、と。これは何だよ?」
「カイリによる功績です。感謝します。……どうか、私からもお願いします。カイリの話を、寛大な心で聞いてあげて下さい」
レミリアが頭を下げたのを見て、フランツが少しだけ目を見開いた。シュリア達も声もなく、ざわりと動揺の波を広げたのがカイリにも伝わる。
こんな風にケントとレミリアが先手を取って援護をしてくれることが、ひどく嬉しい。泣きそうになるのを堪えて、カイリは二人に向き直る。
「……二人共、ありがとう」
「もっちろん! 僕は、カイリの味方だしね!」
「ああ、それと。明日は朝食の準備をせずにお待ち下さい」
「……は?」
「僕が、すってきな朝食を用意してあげるってことですよ。ねえ、カイリ?」
「え? ……ああ、うん。そう言っていたな」
ばっちんと笑顔でウィンク――を両目でするケントに、もはやそれはただの笑顔だとカイリは激しくツッコミたい。
ケントの不思議な言い出しに、フランツ達は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔を見せた。「はあ」としか言えずに黙るあたりが、何とも彼ららしい。
「じゃあね、カイリ! ちゃんと、明日はゆっくり休むんだよ!」
「カイリ、また。……どうか、心をしっかり持って下さい。そして、また元気にケント様を蹴り飛ばして下さい」
「あ、あ。うん。……二人も、気を付けて」
「――」
一瞬、二人が押し黙る。
だが、すぐにそれぞれがそれぞれらしく相好を崩した。
「うん、ありがとう! カイリもね!」
「ありがとうございます。おやすみなさい、カイリ」
笑って、ケントはぶんぶんと元気良く手を振り、レミリアも控えめに手を振って去っていく。
二人が瞬く間に小さくなっていくのを見送ってから、カイリはフランツ達に振り返った。
彼らが心配そうな顔をしている。そんな顔をさせたくないのにと、歯がゆさでいっぱいになっていると。
「……さあ、まずは中へ入れ」
「そうっす! 食事、張り切ったんですからね! 食べて下さいっす!」
フランツに背中を叩かれ、エディが拳を握って誘う。
そんな彼らの温かさに、カイリはまた泣きたくなりながら宿舎の中へと入った。
「……レミリア殿。すぐに、この前記憶を奪った奴らを呼び出して下さい。誰にも気づかれない様に」
ケントは歩きながら、隣を歩くレミリアに指示を出す。
もう心得ていたのか、彼女は大して驚くことなく溜息を吐いた。
「ケント様。もしかして、最初から狙っていましたね」
「うん? ああ、何でしたっけ。君が困れば良いと思って報告を怠った、でしたっけ?」
激しくどうでも良い理由だったので、一瞬思い出すのに苦労した。
だが、そんな理由を素直に信じるほどケントもレミリアも愚かではない。
「そんな馬鹿げた理由で仕事を怠る奴なんて、最初から、それこそ『文字通り』首切ってますよ。……僕が第一位の団長に就任した一年でね」
目を細めて告げれば、レミリアの顔が少し引きつった。彼女は他の盲信者よりも大分マシな方だし、ずけずけ言いたいことを言ってくるが、それでもまだ怯えも混じる。弱い存在だ。
しかし、それでも牙を剥いて向かってくるからこそ、ケントもそれなりに信頼している。
――カイリは、どうだろうか。
仕事の話をしているのに、退屈でケントの思考はそちらに飛んでしまう。
カイリに知られたくない。嫌われたくない。
そう思う一方で、深い深い、それこそ絶対に引かれるだろう穢い部分まで一つ残らず知って欲しい、どう思うかと試したくなる時もある。それで実際に嫌われて離れていかれれば、ケントは恐らく生きてはいけない。だから実行しないだけだ。
「さっさとあいつらの記憶を消したのは、下っ端の記憶を見ても何の価値も無いと思ったからですよ。実際、本当に無益だったし」
「……三割は、本当に私へのあてつけだったと思いますが」
「それはね。レミリア殿は、ただの教会騎士ですからね。聖歌語を扱えないのに、団長に大抜擢されたせいで妬まれているのは知っていますよ」
「……推薦したのは貴方ですが」
「ええ。だって、他よりは役に立ちそうでしたから」
さらっと白状すれば、レミリアが不服そうに深く、海よりも深く溜息を吐き出した。「こいつは本当にクズだ」という声が聞こえてくる様だ。やはり、彼女は他の部下達よりだいぶマシである。
他の騎士団の団長への推薦と最終決定権は、第一位の団長にある。枢機卿あたりが覆す可能性もあったが、ゼクトールは彼らの中でも公平な目を持っている上に、枢機卿の中でも頂点に立っている者だ。不平不満は彼が抑えるはずだと、ケントは睨んでいた。
おかげで、かなり円滑に第二位の団長の就任は決定した。前団長だと、盲信が凝り固まり過ぎて上手くケントの手足にはなってくれなさそうだったので、排除出来て心底歓喜している。
また、思考が飛んでしまった。話を戻し、ケントは首をこきっと鳴らす。
「そのまま野に放ったら、黒幕に繋がる奴と接触するかなーくらいの期待しかないですけどね。謹慎中の彼らを自由にしてあげて下さい。もし何も無かったら、今度こそ日の当たるところに行けない様にしてあげますかね」
「……機嫌が悪いですね」
「当然。……カイリを狙った奴に連なる者は、容赦しない」
帰り道で、植木鉢を落としただろう犯人をケントは虚空で睨み据える。
あの時、カイリも頭上の異変には気付いていた。
けれど、決定的に場数が足りない。異変に気付いた直後に体が動いていないと間に合わない速度だった。
もしあの時カイリが一人だったなら、確実に植木鉢は直撃していただろう。あの鉢は、植木鉢の中でもかなり重い類のものだった。良くて意識不明の重体、最悪死んでいただろう。
――カイリが、死ぬなんて。
「――っ、はは……っ」
思わず笑いたくもないのに、笑いが込み上げてくる。
カイリが死ぬ。
そんな世界、許せるはずがない。
転生して来ないのだと諦めていた時はまだ良かった。
だが、彼は実際に転生し、ケントを追いかけ、ここにいる。そんな彼を目の前で失うなど、ケントの精神が耐えられるはずが無い。
それに。
〝……ケントっ〟
あの時、カイリはひどく怯えていた。
自分の命を狙われたのだから怯えたっておかしくはない。
けれど。
――あの時のカイリは、自分の命よりも僕の命を優先しようとした。
怯えたのは、巻き込まれたケントを失うことだったのだ。直感した。彼はあれだけの目に遭って、尚他人のことを気遣い――失うかもしれないことに怯えた。
彼の怯えに最初に貢献したのはケントだ。間違いなく、前世で目の前で死んだことがトラウマになっている。
そして、村での惨劇。
初めて村について屋敷で語った時、カイリは泣いていた。
友人のことを語りながら、堪え切れずに泣いていた。
彼は未だに心の傷が癒えていない。深く食い込み、根ざし、何かをキッカケにぶり返す。その繰り返しだ。
カイリが乗り越えなければいけない壁はたくさんあるが、恐らく大切な者の死を昇華することが一番の壁となるだろう。
少しずつ乗り越えつつはあるが、まだまだ足りない。ぐっと堪えて踏ん張り、一人ではなく、傍にいる者と共に乗り越えようと前を向ける様にならなければ、いずれカイリは死んでしまう。
カイリが死ぬ。それは。
一番許しがたい悪行だ。
ならば、ケントはカイリがその強さを持てるまで、何度だって露払いをするだけだ。
例え、カイリに嫌われる様な役割を担ってでも。
「……さて。そろそろ、父さんが第十三位の任務をラフィスエム家に漏らした犯人を押さえてくれている頃だし。僕、ちょっと家に戻りますね」
「……え?」
意味が分からないと、レミリアが目だけで語りかけてくる。
ケントの中では至極当然の帰結なのだが、彼女にはまだ見抜くのは難しいのだろうか。人と合わせるというのは、かなり難しい。溜息しか出ない。
「ガルファン殿が『漏れている』って教えてくれて確信しましたよ。まあ、彼もすっかり利用されるか関与しているみたいだったので。賭けでもありましたけどね」
「……犯人、とは。……まさか、アレックス殿ですか? ホテルにいた」
「は? 違いますよ。あれは、……親子揃ってヘタレなだけでしょう」
全然見当違いの方へと思考を巡らせるレミリアに、ケントは面倒ながらも軌道修正をした。アレックスの登場はケントにとっても予想外だったが、彼は今回の件には関わっていないだろう。――別口はあるが、今は放置しても良い。
「レミリア殿。昨日、少数とはいえ、何でわざわざ僕が第一位と第二位で合同会議をしたと思っているんです?」
「……それは、カイリを見習って、少しは人と付き合うことにしたと」
「えー。そんなの無理無理。カイリならともかく、僕じゃすぐ相手の手を切っちゃいますよ。……カイリが隣にいるなら、もう少し頑張りますけど」
「え……」
絶句する彼女の表情を、ケントは無感動に見つめる。
彼女はケントを神聖視はしていないが、やはり詰めが甘い。ケントに関してカイリという人物が絡むと、他の者と同じでどこか素直に受け止めてしまう節がある。第二位の団長なのだから、その辺りはもう少し鍛えなければならないだろう。
ケントはカイリのために動くが、反面、カイリのためならカイリ自身を利用することも
カイリには知られたくない一面だ。
カイリには、素直に甘える自分の一面だけを知っていて欲しい。
「あの中に、今回の一連の事件の共犯者がいるって目星がついていたので。でも、確証が無かったから、合同会議でわざと第十三位の名前を出して、ラフィスエム家が主催する会食の護衛も頼んじゃおうって言ったんですよ」
「……っ」
「ファルエラと何か企んでいて、その上カイリを邪魔だって思ってるなら、色々仕掛けたくなっちゃいますよね? 狂信者でも教会騎士でもない、――他の者を手駒に使えるなんて、絶好の機会じゃないですか」
「――」
ケントが満面の笑みを貼り付ければ、レミリアの顔からざっと血の気が引いていく。不快そうに眉根を寄せるあたり、彼女はまだ正常な精神の持ち主だ。腹立たしいが、カイリとは仲良くやっていけるだろう。
今回、十中八九ラフィスエム家は主犯格の一つだ。背後には更に面倒な輩が絡んではいるが、ケントはそう睨んでいる。
だからこそ、動くことにした。第十三位がもたもたしている内に。
ラフィスエム家にとって邪魔者のカイリが、何かを仕掛けようとしている日曜日の晩餐会に来る。
彼はどう取り繕おうとも、ラフィスエム家の血縁者だ。
ホテルの事件の首謀者の責任を、間違っても彼に押し付けるわけにはいかない。血縁者から犯罪者が出れば、それだけでしばらくは表舞台で派手な活躍も出来ないし、出世にも響く。
だが、ホテルの護衛をしている間に『無事に事件が起きれば』、その場にいた者達は少なからず責任の所在を問われてしまう。
そして、恐らくラフィスエム家は共犯者と腹の探り合いをしている。
つまり、万が一手違いでカイリが犯人に仕立て上げられてしまえば、ラフィスエム家の計画は大幅に狂うはずだ。
カイリを犯罪者に仕立て上げるわけにはいかないのだから、絶対にそうならない対策を講じなければならない。
はっきり言って、邪魔だ。何をするにしても引っかかるだろう。ましてや、カイリが万が一ホテルの事件の犯人を捕まえてしまえば、ラフィスエム家の後継者に推す声が出てくるかもしれない。カイリは、聖歌騎士なのだから。
そうなると、やはりカイリを消そうと動くだろう。不慮の事故であれば、尚良い。暗殺となると、密やかに
教会騎士を使うにも人望が足りないし、足も付く。
だが、狂信者との繋がりが無い『協力者』陣営が暗殺の証拠を残そうとも、何とでも言い逃れが出来る。
つまり、今が絶好の機会なのだ。
ファルエラの間者がフュリーシアの聖都シフェルに潜伏している今が。密約によって女王とも繋がっているのならば、何とでも言って協力を仰げるかもしれない。
そして、動いた。
ファルエラの間者は、所詮は他国の人間。カイリと一緒にいるケントが、どれだけ危険人物と教えられていたとしても、どの程度か図るには時間も足りなかっただろう。何しろケントは、ファルエラと和平を結んで以降、戦闘らしい戦闘を全くしていなかった。普段も常に素人の様な雰囲気を出しているし、大したことは無いと見くびられたかもしれない。
だからこそ、衆人環視の中で、大胆にカイリを狙ったのだ。
良い気味である。おかげで、尻尾が少し掴めそうだ。
「……カイリを、ダシに使ったのですか」
「まあ、そうなりますね」
「……。もしかして、ホテルで聖歌を歌う流れも」
「ええ」
簡潔に頷けば、レミリアは言葉を失った。そこに気付いた点だけは褒められる。
五月に開かれた父の晩餐会にお呼ばれしなかった者達を中心に、カイリがそれとなくホテルに来る噂をばら撒いておいた。聖歌を歌う可能性もあるという餌付きだ。ついでに、晩餐会に呼ばれたガルファンのために歌うかもしれないとも流しておいた。
気位が高く、負けを認められない貴族達が数人引っかかれば良いと思っただけだったが、存外多くの者が集まった。あれだけ釣りやすいと本当に扱いやすい。
ガルファンを生贄にしたのは、ケントの情報網に引っかかったからだ。確証があったわけではなかったが、ファルエラの関係者を含め、ガルファンにもカイリがホテルに来ると伝わる様に罠を仕掛けておいた。第十三位の宿舎を訪ねた彼ならば、きっと引っかかる。
結果的に、楽にケントの思い通りになった。欲しかった情報の断片も手に入ったし、大体の決着が見えてきている。
「……。今日のホテルの一連の流れも、全てカイリが餌だったというわけですか」
「そうですよ」
「……親友を。……カイリが知ったら」
「言います?」
「――っ」
淡泊に切り返すと、レミリアの声が詰まった。信じられないと言わんばかりの彼女の非難に、ケントも微苦笑を零す。
確かにその通りだ。親友を危険な目に遭わせるなど。
絶対に守り切る自信があったし、フランツ達も教皇の件があって、今度こそ彼をみすみす手放したりはしないだろうという確信もあった。
だからこそ実行したのだが、他人から見れば正気の沙汰では無いのかもしれない。
だが、別に理解してもらおうとも思わない。ケントは、自分が信じる道を行くだけだ。
「カイリを傷付けて良いのは、僕だけです」
「……」
「だから、……カイリを傷付けたり、殺したりしようとする奴は、僕が全て排除する。どんな手を使っても。――例え、カイリ自身を餌にしようとも」
そうだ。そんな手段を採る人間はケントだけで良い。
カイリは、カイリのままでいて欲しい。
フランツとの約束を破ってまで、泣きわめく子供達を救った彼には、こんな悪辣な手段は似合わない。
あんなに優しい歌を歌えるカイリに、誰かを痛めつけるという手段を採らせはしない。その可能性が起こる事態は、ケントが全て叩き潰す。
「……カイリの聖歌、本当に良かったな」
ホテルでの聖歌を思い出し、ケントは日が落ち行く空を見上げる。
彼の歌は、例えるならこの夕方と夜が混じり合う、切なくも美しい空色の様だ。燃える様な日差しと、安らかな眠りに誘う夜気が綺麗に混ざり合って微笑む、大らかな空だ。
彼の歌は、とても優しい。
切なくも綺麗で、聞くだけで気持ちが優しくなれる様な、カイリの心を映し出した様な歌だ。
ケントには、あんな風に歌えない。カイリよりも歌は上手いはずなのに、人の心を震わせる様な懐かしさは引き出せない。
だから、童謡唱歌を歌いこなせないのだ。
カイリの歌を改めて聞いて、はっきりと分かった。――いつか一緒に歌おうと彼は言っていたけれど、果たして本当にそんな日は来るのか。
大切な『
「……そんなこと言ったら、カイリは怒るだろうけど」
童謡唱歌を知らないと冗談で言ったら、
だから、二度とそんな冗談は言わない。カイリの悲しむ顔も好きだが、ああいう淋しい思いのさせ方はしたくなかった。
「レミリア殿。早く、使える部下になって下さいね」
「……カイリの前で、言えますか?」
「……んー、どうでしょう。カイリには、最近黒い部分も少しは見せてるけど……言ったら言ったで、叱られそうですね」
「……。……貴方は、カイリを利用しながら、カイリにとても弱いんですね」
不思議そうに
確かに、ケントはカイリに弱い。叱られたら、やはり落ち込むし反省もする。
ホテルの子供の件だって、カイリが頑張ったからケントも力添えをした。子供達への言葉も、カイリなら言いそうなことを言っただけだ。
カイリがいなかったら、例え救える手段があったとしても、その手段を選んだかどうか定かではないのだ。
カイリがいるから、ケントは普通の人間で在れる気がする。家族とはまた違った形で、唯一無二の存在なのだ。
前世の時から、ずっと。今世では、更に。
ケントにとって、カイリは掛け替えのない、手放せない親友だった。
「まあ、……善処します。少しは部下に優しく在れる様に?」
「……疑問形ですね。期待はしません」
「あはは。そうしてくれると気が楽です」
しらじらしい、とレミリアが生ゴミを見た様に吐き捨てるのを聞いて、ケントは満足げに笑みをその辺りに落としておいた。
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