第232話
「いやあ、初めまして、だね! 我はロイス。こっちは双子の弟のライナスなのだよ。よろしく頼むよ!」
ソファに座り、ハイテンションでひたすら声をかけてくるのは、現国王の息子だというロイスだった。
応接室に通してから、大袈裟なポーズ付きで
「……初めまして、ライナスと申します。兄が騒がしくて申し訳ありません。突然の訪問もお許し下さい。ハーゲンの手を借りて、あらゆる追手を
ロイスの隣に座っているライナスは、非常に折り目正しい青年だ。流れる様な美しい銀の髪を緩く縛っている姿は、まさしく補佐官といった印象である。ロイスも同じく銀の髪だが、短髪なのも相まって、
双子だというが、まるで正反対な雰囲気を持つ二人に、カイリは物珍しく観察してしまう。
「いや、こちらから
「カイリ君、だね! いやあ、初々しい感じが、まさしく新人騎士って感じなのだよ! うんうん、我の見立てに狂いは無かった様だね!」
やあ、という感じでロイスが右手を差し出してくる。明らかに握手を求められており、カイリは仰天してしまった。
一国の王子が、気さくに握手を求めてくる。普通なら不敬罪になる気がしたが、手を差し出さざるを得ない。
そろそろとカイリが手を伸ばすと、がしいっと、伸びる様に掴んできた。ぶんぶんっと力強く腕を振られ、ロイスが満足気に頷く。
「ハーゲンから第十三位は謹慎中だと聞いたのだよ。だったら、もうこれ、我らで押しかけて話した方が早くない? って感じになったのでね。こうして押しかけた次第さ!」
「……本当に、この馬鹿兄が申し訳ありません。この人、言い出したら聞かないので」
「何だい何だい、ライナス! お前だってカイリ君に会ってみたいって言っていたではないかね! 我らが愛しの妹、ジュディスを守り通した騎士様に是非とも会ってみたいとね!」
両手を広げて天に捧げる様な姿勢を取るロイスに、ライナスは半眼で呆れるだけだ。
しかし、そんな弟の蔑んだ視線など気にもせず、ロイスはすっくと優雅に立ち上がった。
「そう!」
くるんと一回転し。
「我が」
たん、とスリッパを履いた足を優美に前に差し出し。
「愛しの」
天を仰ぎながら右手を捧げ。
「妹」
その右手を
「ジュディスを守り通した、カイリ君。お会い出来て嬉しいよ」
――この人、頭は大丈夫だろうか。
視線や表情に、ふんだんに評価が貼り付かない様に注意しながら、カイリは緩々と首を振った。
「いえ。ジュディス王女殿下を守り抜けたのは、フランツさん達がいたからです。俺一人の力ではありません」
「おお……っ!」
「だから、えーと……、……ロイス殿下?」
「ハーゲンから聞いた通りなのだよ……! まさしく、騎士の鏡……!」
くっと、
いや、そもそもこの大袈裟なまでに仰々しい言動も演技だろうか。ケントと似ている様な気もするが、彼の方が相手に対する態度の落差がはっきりしている。
「はあ、はあ。……なるほど。まあ、良い」
何がだ。
突っ込みたかったが、満足気に天を仰ぐロイスに、カイリは口を
その上大きく息を切らす様に、カイリは
「カイリ君に、一つ聞きたいことがあるのだよ!」
「……、はい。何でしょうか」
「水の件。ハーゲンから聞いたのだよ。恐いんだってね?」
一瞬、カイリは反応を迷った。
これは核心を突いてきたのか、それとも足がかりにするためなのか。初対面ということもあるが、ロイスの大振りな行動は判断が鈍りそうになる。
だが、隠すことでもない。
「はい」
「断言なのかね! いや、……普通、こういう弱点って隠すものだと思うのだけどね!
「迂闊、……ですか」
「そうそう! 例えば我なんかは、絶対人に弱みなど見せたくはないからね! 大体、そんな弱点が知られれば、水を使って君に嫌がらせをし、最悪の場合は命を奪う様な罠だって仕掛けられるかもしれないのだよ」
「――」
ね! と明るく同意を求められ、カイリは喉元に氷を詰め込まれた様に声が出せなくなった。
ロイスの言動の調子は、最初の挨拶から全く変わらない。
だが、その奥に潜む牙が
しかし。
「……ロイス殿下は、迂闊だと判断しましたか?」
「うん! まあね! 我なら」
「俺にとっては、別に迂闊でも何でもありません。――それは、俺からの貴方達に対する信頼の証です」
「――――――――」
ロイスのよく回る口が、ぴたりと綺麗に止まった。横に座っていたライナスも、ぴくりと微かに目尻が引くつく。
二人を見据えたまま、カイリはフランツの気配を窺ったが、まるで割り込んでくる気配は無い。危なくなるまではカイリに交渉役を任せるという魂胆が丸見えだ。今回もわざとだろうかと思うと気が重くなる。
正直、カイリはこういう腹の探り合いは好きではない。嘘を吐くのも得意では無い。
だから、なるべく嘘を交えず、「嘘は言っていない」という
「信頼の、証、かね」
歯切れが悪くなった。よほど意外だったのだろう。
あるいは、カイリから切り出した切り口だったからだろうか。これがフランツだったら、動揺はしなかったのかもしれない。
「そうです。……両親から学んだことです。相手に信じてもらうのなら、まずは誰よりも自分から相手を信じなければならない、と」
「……、ふむう?」
「俺には、誠意を見せる良い方法があまり思いつきませんでした。だから、……俺にとって都合が悪い、知られたくない一面を明かしました。貴方達にとっては迂闊でも、俺にとっては迂闊でも何でも無い。下手に隠して任務も交渉も失敗するのは論外ですし。……それに」
「それに?」
オウム返しにロイスに聞き返され、カイリは一旦言葉を切る。
彼の視線は、明らかに面白そうに光っていた。見定められていると、腹の底が押される様に重くなる。
「もし任務を引き受けて、……例えば、俺が水に関して何か嫌がらせを受けたり、罠に嵌められたりしたら、真っ先に貴方達を疑うことになります」
「……」
「この水の弱点を、身内以外に知っているのはハーゲン殿が話した相手だけです。彼は、誰にまで話されたのでしょうか」
「……、我ら兄弟のみなのだよ」
「そうですか。では、貴方達王族三人とハーゲン殿の誰かが企んだことになります。その時点で、貴方達がこちらに誠意を見せるつもりはなかったのだと、判断材料にもなります」
誠意であると同時に、判断材料にもなる。
打算が含まれているのが苦しいが、カイリは最初からその点を隠すつもりは無い。下手に隠し事をしても、どうせ相手は王族だ。容易く見破られるに決まっている。
だからこそ真っ正直に打ち明けたのだが、ロイスもライナスも鳩が豆鉄砲を食った様な顔をしていた。本当に予想の斜め上か斜め下だったらしい。
ぱちぱちっと何度も瞬きをしてから、ロイスは「ふはーっ」と笑う様に息を吐いた。くくっと、喉元が不気味に鳴っている。
「いやはや。なるほど! 流石と言うべきか。あれこれ条件を付けてくるだけあるね!」
「……。褒められているのでしょうか」
「当たり前なのだよ! うーん、あー、うん。あと一つ、聞いても良いかね?」
「何でしょう」
ずいっと、ロイスが身を乗り出してカイリに近寄ってくる。テーブルを挟んでいるからそこまで距離は縮まらないが、まるで間近で睨んでくる猛獣な気迫に、カイリは腹に力を入れた。
「水が恐くなった、その原因。聞いても良いかね?」
「――いいえ」
間髪容れずに拒否した。
それも意外だったのか、ロイスがきょとんと目を丸くする。ライナスはじっとカイリを見つめて、観察しているのが肌で伝わってきた。いかなる表情や気配の変化も見落とさないという、圧力すら感じる。
「俺の弱点を全て
「――、……、うむ。答えはノーなのだよ!」
「はい。俺も、ノーです。それに、……まだ、貴方達からの誠意を見せてはもらっていないと判断していますので」
「……、ほー。……我らから出向いたことは、誠意ではないとでも?」
物騒な笑みをロイスが飛ばしてくる。ここまでわざわざ足を運んだのにと言いたげだ。
しかし、カイリはそれでも首を縦に振る。不敬罪であっても、引くわけにはいかない。
「ハーゲン殿から聞いたと思いますが、俺はまだ体力が回復していません」
「……」
「いくら足を運んで下さっても、俺は今こうして話しているだけでも、かなり辛いんです。……ですから、本当に俺のことを考えて下さるなら、連絡を届けるまで待っていて下さるのが本当の優しさであり、誠意ではありませんか」
「……、急いでいると言ったら?」
「それなら、その旨をハーゲン殿に伝えるべきだったと思います。でも、……話を聞く限り、そういう感じはしなかったので。明日にでも期日が迫っているのでしょうか」
「……うーん、それを言われちゃうと、……そうとも言えるし、そうとも言えないのだよ」
要領を得ない回答だ。
カイリとしても、任務内容を把握出来ていないので予想がしにくい。雨を降らせるという内容にいくつか心当たりはあるが、どれも確信が持てない。
お互いに睨み合いとなってしまった。今にも瞳の奥から一気に体を真っ二つにされそうな鋭い視線に、カイリは必死に耐える。レインとの睨み合いも骨が折れるが、このロイスという人間も相当な腹黒さの持ち主だ。
どれだけ睨み合いを続けただろうか。
先に折れてくれたのは、ロイスの方だった。くくっと、おかしそうに笑みを漏らす。
「いや、まいったのだよ! カイリ君、本当に新人かね」
「……四月後半に入団したばかりです」
「そう。……うん、ハーゲンの言う通りなのだよ。侮ると、痛い目を見るのはこちらかもしれないね。ねえ、ライナス!」
「……ええ、そうですとも。……やはり、無礼千万でしたね。申し訳ありませんでした。……どうか、これから話す我らからの条件が、貴方への誠意だと思って頂きたい」
ロイスが楽しそうに肘を突いてポーズを取る隣で、ライナスが彼に肘鉄をかましながら、丁寧に腰を折った。ロイスが痛みで悶絶していたが、それでも美しい姿勢を取ろうとするその根性に、カイリは半ば感服する。カイリには絶対に真似出来ないし、したくもない。
「カイリ殿の体力も考え、本題に入らせて頂きます。今から、正式に任務の内容をお話します。尚、全てを聞き終えた後で無理だと思った場合は、断って下さって構いません」
「……、え」
思わず、驚愕の声を漏らしてしまった。
すぐに口を閉じたが、ライナスがにんまりと勝ち誇った様に笑んでくる。どうしてこう詰めが甘いのだろうと、カイリは自分で自分に呆れ果てた。
「もちろん、第一位団長のケント殿にも、包み隠さずお話し頂いて構いません。水を呼ぶ日取りも、カイリ殿の調子が良い時に。ただ……」
考え込む素振りでライナスが
それにロイスの方も何だかんだで、大袈裟な割には仕草は優雅なのだ。ジュディスも不遜に見せながらも綺麗だったし、やはり王族とは所作が磨き抜かれているのかもしれない。
「ただ、何でしょう」
「その前に、……今回私達がお願いしたい内容は『雨乞い』なのです」
「雨乞い」
カイリが想像していた内容の一つだ。日照りが続いて農作物が不調ということだろうか。
「雨乞い、……つまり、雨乞いよりも実際に雨を降らせて欲しいということですよね」
「その通りです。フュリー村という、首都から西にある村なのですが、……少し変な現象が起きておりまして」
「変な現象、ですか」
相槌を打ちながら、カイリは首を傾げる。
この首都は、今は夏で確かに暑い日が続いてはいるが、雨も適度に降っている。西は違うのだろうかと疑念が湧いた。
しかし、聞いた内容はそれ以上の衝撃だった。
「そのフュリー村にだけ、何故か雨が降らないのです」
「……、え?」
「更に隣にある村……ルーラ村というのですが、そこには雨が降るのに。……二ヶ月ほど前から、何故かフュリー村だけを雨雲が避ける様に通らないのです」
フュリー村にだけ雨が降らない。
異常過ぎる気象だ。
フランツを振り返ると、彼も
「あのよ。……ああ、この喋り方だと不敬罪になるか?」
「いいや! 我はそういうの、気にしないのだよ! どんどん! 話してくれたまえ!」
「じゃあ、遠慮なく。……ルーラ村には雨が降るけど、フュリー村には雨が降らないってことだけどよ。他の地域ではどうなんだ?」
「他の地域も、近い場所でなら同じく雨が降っていますね。……村の者に請われて一度見に行ってみたのですよ、雨の日に。……異常でしたよ。まるで、村だけを避けて、雨が降っているのですから」
「村を避ける? ……どういうことだ?」
「遠目に見たら一目瞭然なのだよ! 正直、ただ歩いていただけなら一見すると分からなかったからね!」
「ええ。我々も最初はよく分かりませんでしたが、……遠く、上から見ると村を囲う様に雨が降っていたのですよ。村には――村の中の畑には一切降らないのに。まるで雨が意思を持って村を嫌がっている様な、摩訶不思議な光景でした」
「――」
流石の怪奇現象に、レインも押し黙ってしまった。険しい顔つきになって、唸る様に眉根を寄せる。
「……フュリー村って言えば、特に白菜やみかんで有名だったな」
「そうそう! うちの国は各国に、特に白菜やみかんの出荷を誇っているからね! いや、しかし……このままだとその二つだけではなく、レタスなども実や苗が焼けて全滅してしまうのだよ! 何とか手ずから水やりをしているみたいなのだけどね。やはり、自然の恵みは大事らしくて」
「それに、土が干からびてきているのです。一日中日照りが続けば、水やりで出来ることも限界があります。よくこの二ヶ月何とか持たせたと思いますよ」
ロイスとライナスが揃って肩を
しかし、雨が全く降らない。カイリも故郷で畑仕事を手伝っていたが、日照りが続いた時の対策は大変だったのを覚えている。土の温度が上昇しない様に敷き
それを二ヶ月。よくぞそこまで持たせたと、カイリも村の者達の努力に拍手を送りたい。
「あの、……それって、人為的な原因がありそうですけど。調べたんですか?」
「んー、それがねえ。……実は我らに相談されたのは、五日くらい前なのだよ」
「え、……五日前?」
そんなに急な話なのか。
むしろ、そこまで村の者達は誰にも相談せずに自力で頑張っていたということだろうか。それは
だが、そこまで考えて、カイリは唐突にハーゲンの言葉が閃く。
〝ええっとー、……あー! んー、……カイリ殿の素性に関係するといいますかー〟
あの時、ハーゲンは確かにカイリの素性――ラフィスエム家に関係していると伝えてきた。
父、カーティスの実家。
カイリの村は誰の管轄というわけでもなさそうだったが、前世の世界史の授業でも習ったはずだ。村は、領主なり何なり、管轄している者がいると。
――まさか。
嫌な予感に行き当たり、カイリは胸を絞られた様に息苦しくなった。当たって欲しくないと思いつつ、しかしその願いは簡単に切り捨てられる。
「フュリー村の領主は、ラフィスエム家の一人が管理しているのですが。その者は、今まで村の者達が散々訴えたにも関わらず、何も調査も対策もしてくれなかったと。泣き付いてきたのです」
「――――――――」
予想が当たってしまったと、カイリは盛大に心の中で頭を抱えた。
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