第146話


 子供達と笑顔で別れ、ゆっくりと馬を駆って半日。


 カイリは再び故郷である村に立ち寄っていた。

 フランツ達にとっては完全なる寄り道だ。それでもカイリの我がままに付き合ってくれたことに感謝する。


「……、あれ?」


 故郷に辿り着き、目に入った光景にカイリは思わず声を上げる。

 何事かと視線を向けたフランツ達も、お、と驚きに満ちた感嘆を漏らした。

 アーティファクトから降り、カイリは自らの足で村の跡地に近付く。

 その際、さくっと、足元に新鮮な感触が広がったことで目の前の光景が現実なのだと実感した。



「……緑が……」



 焼き尽くされ、荒れ果てただけの大地だったはずの一部に、短くも綺麗な緑がぽつぽつと生えているのが目に映った。

 今踏み締めた大地を観察しても、確かにそれは息吹が宿った草だ。指先で触れれば、ちくちくと草の先が皮膚を小さく刺してくる。



 大地が、生きている。



 その事実に、カイリはくしゃりと笑った。


「……っ。……そっか。お前達も、頑張っているんだな」


 濡れそうな声に、すり寄る存在があった。

 見上げれば、アーティファクトが頭を寄せてきている。ひん、と可愛らしく鳴く彼に、カイリも頭を撫でた。


「アーティファクト。ありがとう。大丈夫だ」

「……ひんっ」

「草が生えてるんだ。前に立ち寄った時は、全然無かったのにな」

「ぶるっ!」


 何故かアーティファクトが得意気に頭を上げた。どことなく胸を反らす様な仕草に、カイリは彼も嬉しいのだろうかと頬を緩ませる。

 そうかと思えば、彼は元気良く村中を駆け回り始めた。何もない場所なのに気に入ったのだろうか。

 嬉しそうに駆ける彼を見守っていると、喜びでじわじわと心が満たされていく。故郷を気に入ってくれるのはやはり嬉しいものだ。


 彼が駆け回るのをしばらく見つめていたかったが、フランツ達も待たせている。


 今の内に墓参りをすませようと、カイリは両親達の墓石の前でしゃがみ込む。

 相変わらず、丸い墓石が立ち並ぶだけの場所だ。彼らが、生前の姿で出てくることもない。

 だが、それで良いのだとカイリは心から思えた。あまり振り回すと、本当に彼らが安らかに逝けなくなってしまう。


「そういやよ、カイリ。ラインっていう奴の墓、どこだ?」

「え?」


 レインが唐突に声をかけてくる。

 驚いて振り向くと、おどけた様に彼は肩をすくめて見せた。


「いや、あんまりみんながオレに似てるって言うしな。それに、夢で誰かによろしくって言ってたんだろ?」

「……はい」

「オレでもオレじゃなくてもよ。似てるかもしれないっていうんなら、これも何かの縁だろ。墓参りしようかって思ってな」


 墓石に視線を注ぎながら、レインが笑う。

 だが、その笑みには少しだけ神妙な気配が漂っていた。もしかしたら、何か思うところがあるのかもしれない。


 彼は、本当にラインと何かつながりがあるのか。


 きっと答えは返ってこないが、例え無かったとしても不思議な縁なことに間違いはない。何となく村の者達と、今のカイリの周りにいる者達が繋がっていることに喜びを覚えた。


「えっと。ラインは、ここです」


 右手を差し出し、カイリはラインを紹介する。

 そこには、墓石が眠るだけだ。

 けれど、何だか少しだけ笑った様に見えて、カイリの胸が少しだけ鈍く痛む。


「そうか。……ここが」


 おもむろにしゃがみ込み、レインがラインの墓石と向かい合う。静謐せいひつに見つめるその横顔は、まるで彼と話しているかの様だった。だんだんと生前のラインが、笑って彼と向かい合っている様な気さえしてくる。

 何だか不思議な気分だ。もし、生きていたならどんな会話をしただろうか。

 思ったが、カイリは湿っぽくなる前に両親の方へと向き直る。

 カイリ自身、報告したいことがあった。



「……父さん、母さん、みんな。ただいま。この前は、ありがとう」



 両手を合わせ、カイリは穏やかに感謝を告げる。

 死にかけた時、彼らは夢の中に出て発破はっぱをかけてくれた。

 憎んでいたはずのカイリを、エリックまで助けに来てくれた。

 だからこそカイリは今、こうして穏やかな気持ちでここに在れる。


「おかげで俺、色々なことを吹っ切れたよ。……俺が、俺自身のことを認めること。出来ないことばかりを嘆くんじゃなくて、それさえも糧にして強くなるんだって。そう、思うことが出来た」


 自分が歩いた道を否定するな。


 それが一番悲しいと言われ、カイリは目が覚める想いがした。

 確かにカイリも、両親が己は無力だと落ち込んでばかりな姿を見たら悲しくなる。そんなことはない、二人にもたくさん素敵な力があるのだと悔しくなるだろう。

 両親は、自分に価値が無いと思い込むカイリを見守っていてさぞかし歯がゆかったに違いない。申し訳なくなると同時に、頑張りを認めてくれることがやはり嬉しかった。

 無力を感じることはある。挫折を味わうことだって、これからも多くあるだろう。



 それでも、自分を諦めない。



 両親と約束したのだ。

 カイリはもう二度と己を見失ったりしない。


「父さんは、……教皇を倒そうとしていたんだってね。そして、世界の謎を解き明かすつもりだったって。フランツさんから聞いたよ」


 語りかけながら、カイリは胸元のラリエットに手を添える。

 何となく、パイライトが熱い。両親からもらったプレゼントだからだろうか。二人が呼応してくれている気がした。


「きっと、父さんは、俺が同じ道を歩くことにあまり良い顔をしないと思うけど、……」


 危険な目に遭わせたくない。平穏に暮らして欲しい。

 その願いと真逆の道を行くことになる。父が複雑そうに顔を歪めているのが目に見える様だ。実際、夢の中で聖歌騎士になったと告げた時、とても苦い顔をしていたから。

 けれど。



〝カイリが、進みたいと思う道を歩いて。苦しんでいる人を助けたいと思うのなら、後悔の無い様に生きて〟


〝それでも、自分は駄目だと諦めないこと。カイリ、お前に必要なのはそれだけだ〟



 両親が、背中を押してくれた。

 だからこそ、カイリは迷わずに自分の道を歩いて行ける。



「諦めるなって言ってくれたから。進みたいと思う道を進んでって言ってくれたから。俺は、失敗しても、……例えこの命を失うことになったとしても、後悔しない道を選ぶよ」



 他ならぬ彼らが信じてくれたのだ。ならば、カイリが進みたいと思った未来を諦めるわけにはいかない。

 聖歌を悪用している者がいると知って、野放しにしてはおけないと強く感じた。

 そのせいで苦しみ、死にたくなるほどの絶望を味わう人をこれ以上生み出させはしない。ましてや、命が失われるなどもってのほかだ。


 だから、カイリは戦う。例え、血に塗れ、黒い領域へ足を踏み入れようとも。


 それに、聖歌の謎も解き明かしたい。

 前世で言う『日本語』が、何故これほどまでにこの世界で力を持っているのか。原因を知れたなら、少しは聖歌について対策も出来るかもしれない。



 そもそも、この世界は一体どういう成り立ちになっているのか。



 ここまで聖歌が崇め奉られる経緯は、やはり不気味に思えてくる。狂信者のことも気になるし、もう何も知らなかった自分には戻れない。

 カイリの意思の有無に関わらず、知ってしまったことが多くある。

 だからこそ、もう後には引けないし、引きたくなかった。



「だから、俺、フランツさん達と世界の謎を解き明かすよ。……父さんが道半ばになってしまった道を、今度は俺が歩く。――最後まで、歩いてみせる」



 大切な母を守るため、雲隠れした父。

 無念を抱える父を、常に傍で支えていた母。

 その二人の掛け替えのない強さは、息子のカイリが引き継ぐ。


「まだまだ頼りないけど、どうか見ていて。いつか、俺がそっちに行った時、笑って話せる様に頑張るよ」


 別れの時、泣いてばかりだったから。

 今度こそ、笑顔だけが咲き誇る様に。

 願って、カイリは次にエリックの墓へと向き直る。



「エリックさん」



 静かに彼の名前を呼ぶ。

 返事は無い。見てくれているかどうかも分からない。

 だが、風が緩やかに頬を撫でていく感触が、彼なりの答えだと思うことにする。


「おじさんとおばさんにも言ったけど、もう一度言います。俺が死にそうになった時、助けてくれてありがとうございました」


 確実に死に向かっていた時、彼が強引に押し戻してくれた。

 彼がいなければ、カイリは今ここには立っていないだろう。

 勝手な人だ。散々罵倒して、恨んで、陥れたくせに、最後の最後に助けてくれるなんて。

 彼への感情の矛先をどれだけ揺らせば気が済むのか。少し前の自分なら、翻弄ほんろうされて叫んでいたかもしれない。


 だが、今はもう違う。


 矛盾する気持ちがぶつかり合うのを、カイリは黙って受け入れる。鈍くて痺れる痛みを感じたまま、静かに続けた。


「……俺。エリックさんのこと、まだ許せないです」


 村を巻き込んだこと。最後まで生き抜こうとしなかったこと。

 許せないし、憎い。彼が死んでも、その気持ちは未だ消えない。

 けれど。



「でも、……貴方を兄と慕う気持ちも本当だから」



 エリックに相談をする時も、あのニラの研究を手伝っていた時も。

 傍にいたのに、彼の中に渦巻く嫉妬やさみしさに気付くことは出来なかったが、それでも彼がくれた温もりは本物であったのだと思う。そうでなければ、カイリにこんな風に優しい熱を残してはくれなかったはずだ。

 敬語でしか彼と喋ったことは無かったけれど、生きていたらいつか、砕けた口調で話すことは出来たのだろうか。

 彼が、嫉妬をはじめとする、あらゆる感情をぶつけてくれていれば。カイリも、彼と恐れずぶつかっていれば。



 いつか、街で見かける兄弟みたいに、喧嘩しながらも手をつないで、仲良く歩けただろうか。



 全ては夢物語だ。もう叶わない泡沫うたかたの夢だ。

 それでも、夢を見るだけなら良いだろう。罰は当たらないはずだ。


「エリックさんが、村のことを大好きだったっていうこと、忘れません。……俺の面倒を見てくれた、優しいエリックさんのことも絶対忘れない」


 ボタンの掛け違え。悲しいすれ違い。

 そんな簡単な一言で片付けるつもりはないけれど。

 それでも。



〝……ああ、……やっぱり。……君の、歌、のほ、うが〟



 一言では片付け切れない、確かな繋がりはあったから。



 嫉妬をしながらも、歌を求めてくれたこと。

 彼の思いが、決して一つの側面だけではなかったこと。

 それを、カイリは知っている。

 だから。


「俺は、今あるこの感情を全て、忘れないまま進みます」


 許せない気持ちも、巻き込んだ憎しみも、大切なものを失った悲しみも。

 優しかった彼を兄の様に慕っていたことも、本当は許したいと思っていることも、彼が目の前で死んで苦しかったことも。



「エリックさんのことを許せなくても、大好きなこと。助けてくれて嬉しかったこと。否定しないで、歩いて行きます」



 全部、抱えて生きていく。



「みんな、ありがとう。……本当に、ありがとう」



 彼らがいたから、今のカイリが在る。

 ここから歩み始めるカイリに力を与えてくれたのは、彼らと触れ合った日々のおかげだ。

 そして、フランツ達と出会って過ごしてきた、温かな日常が勇気を与えてくれる。

 そのことに気付けたから、もう大丈夫。

 胸を張って歩いていく姿を、どうかその目に刻み付けてくれます様に。



「父さん、母さん、みんな。……俺、もう行くね」



 言いたいことは言い切った。

 だからこそ、カイリは名残惜しい気持ちを振り切って立ち上がる。きっと、心配しながらも笑顔で見送ってくれているだろう彼らに向かって笑いかけた。

 しかし。


「……カーティス」

「――」


 ぐっと、カイリの肩を掴んでフランツが低く呼びかける。

 真剣な響きに、カイリは気圧される様に振り返った。パイライトを握ってしまったのは無意識だ。

 その仕草を見て、フランツが渋面になる。何かしゃくさわっただろうかと、カイリが不安に揺れていると。



「……お前。こうなること、見越していたな」

「……、え?」


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