第94話
「いよいよですね、カイリ様」
「うん、……」
宴も盛り上がってくる頃に、カイリとリオーネの二人で聖歌を歌う。
それは、狂信者に対抗するための作戦の一つだった。
『二人で聖歌を歌うのが、宴の最中なんですか?』
クリスの屋敷で作戦会議をした時、レインが悪巧みをした様な笑みで提案してきた。
思わずカイリが聞き返すと、「そーだよ」と頷かれる。
『多分、今回カイリを狙って襲撃する狂信者ってのは、首謀者がそのエリックってやつだ』
『……え。エリックさんが首謀者なんですか?』
もし彼が狂信者になっているとしたら、たかだかまだ四ヶ月程度しか経っていない。
それなのに首謀者という大役を任されるのか。
カイリには理解が出来なかったが、他の者達は全員納得した。
『そうだね。エリック、という男がカイリ君を売ったのであれば、間違いなく首謀者は彼だろう』
『……どうしてですか?』
『彼らに聞いたからさ。……狂信者は教会に捕まれば自害する奴が多いけど、そうでない者もいるし、教会もやられっぱなしではないのでね。狂信者のなりそこないも含め、色々彼らについて把握していることもあるんだよ』
にっこりと得意気にクリスに言い切られた。
その把握の仕方は聞かなかったが、恐らくあまり褒められた手段ではない。故に、カイリは深入りしないことにした。
『あなたを狂信者に売って、エリックという人物は失敗しましたわ。狂信者は、失敗を許さない。仲間になるのを拒めば、間違いなく死しか与えられません』
『死……』
『ですから、例え狂信者に身を寄せるにしても、正式に加入したいのであれば、その売ったあなたを手に入れないと駄目なのですわ。彼らなりの誠実の見せどころ、というやつですわね』
『……俺を』
『シュリアの言う通りだ。だから、エリックがお前の前に現れたのは、お前を捕まえるためだろう。彼には後が無いしな。狂信者の上が、下っ端を彼に付き添わせ、見張る様な感じだ』
『それに、狂信者は教会相手に喧嘩も売りたいからなー。お前にとっての初任務だと知られているなら、まさに好都合ってわけだ。任務の最中に多くの者を殺しながら、お前を手に入れる。これほど打ってつけの舞台は無いだろ?』
レインが
つまり、エリックはカイリを手に入れない限り狂信者になれず、失敗すれば今度こそ死ぬ運命にある。
その事実に、カイリは突き落とされる様な思いを味わった。
『でも、聖歌、最後まで聞いてくれるんすかね?』
『そうですね……。私だったら警戒して、歌っている最中に襲ってしまう気がしますけれど』
エディとリオーネがもっともな疑問を並べる。
だが、レインはきっぱりと否定した。
『そりゃあ無いな』
『そうですね。レイン殿の言う通り、邪魔はしないでしょう』
レインの言葉に、ケントも追従する。
その迷いのない断言に、カイリ達は首を傾げた。
『レインさん。ケントも。そこまで言い切れるのか?』
『もちろん! 聖歌の真っ最中なんて盛り上がらない。歌い終わって、絶賛されて、カイリが良い気分になっている時を狙うよ。間違いない』
くるん、と人差し指で円を描いてケントが目を細める。
その眼差しがどこか凍り付いている様に見えて、カイリは口を閉ざした。
『ま、それに加えて、カイリ。歌う前に、聖歌でイメージする光景を見せるとでも言っときゃ良い。確か、秋の風景見せるんだろ? 春だからこそ、今見れない景色をってやつだったか?』
『あ、はい。そのつもりです』
『じゃあ、歌の効果はそれだけだと強調しろ。……お前は、まだ入って一ヶ月そこそこの新人だ。歌を使いこなせるなんざ思ってねえだろ、相手もな』
『舐めてかかってくるよ、絶対! 狂信者って、常に馬鹿にしてくるからね!』
『まあ、実際一ヶ月でお前ほど歌える奴は稀だからな。教会すらも驚くんじゃねえの』
レインとケントでぽんぽん話を進めていく。
カイリとしては納得しにくかったが、クリスは仕方がないといった風に了承した。
『そう。レイン君もだけど、ケントがそこまで言うなら、きっとそうなんだろうね』
『そうそう! 信じて!』
『もちろん。じゃあ、そんな感じで手筈は整ったわけだけど。……カイリ君、大丈夫かい? さっき君が提案した聖歌は、相当君に負担がかかるけど』
クリスが気遣わしげに尋ねてくる。
カイリは聖歌の範囲指定が苦手だ。故に、リオーネに合唱でその分を補ってもらい、カイリは効果と威力と持続力に全力を注ぐ。
その効果はカイリの強い想像力にかかっていて、今回はそれが特に肝要となる。
少しでも効果がぶれれば、相手に気付かれる可能性があった。
しかも効果に関しては、二種類。それを歌の一番の段階で完成させ、二番で歌が終わった後も続く様に持続力に費やす。もし可能なら、リオーネにも持続力に割いてもらうつもりだ。
晩餐会に参加した客を全員安全に、かつ敵に感付かれない様に誘導する。
効果が発揮されれば、これほどの最善策はないとクリス達も賛同した。
だが当然、聖歌の最中に敵が襲って来ないことが条件だ。
『レインさんとケントは、聖歌を歌い上げるまで襲ってこない。そう、思っているんですね』
『ああ』
『当然だよ! ……カイリから聞いて分析した結果だけどね』
何か確信がある様な物言いだ。
二人は騎士になって長いし、カイリよりも人の善し悪しを多く見てきただろう。本当に断言出来る根拠があるはずだ。
ならば。
『分かった、信じる。信じます』
『……』
『俺は、必ず歌い上げます。招待客の中に、一人の死人も出したくない』
だから、必ず成功させます。
覚悟を決めて宣言する。
迷いはない。その
『よし、それで行こうか。……カイリ君、頼んだよ』
『――はい!』
クリスの言葉に、カイリは誓いと共に拳を強く握り締めた。
「もう、カイリ様。大丈夫ですよ、あんなに練習したんですし」
「それ、さっきフランツさんにも言われた」
あまりにがちがちに緊張していたのだろう。リオーネが苦笑しながら背中を叩いてくれた。遠くでエディが牙を
あれだけ強く宣言したのだ。カイリも後には引けない。
――誰かを助けるために、自分はここにいる。
この会場にいる彼らを、無残に死なせたくはない。
だから、カイリは歌う。
かつて、兄の様に可愛がってくれたエリックを、敵に回してでも。
カイリは、守るために歌うのだ。
「それでは、皆様。ここで一つ、今宵一番の
クリスがにこやかに、会場全体へと呼びかける。
彼の一言で、和やかに会話をしていた者達が、何だ何だと注目し始めた。その注意の引き方に、カイリの中で一気に熱と緊張が高まる。
「本日私が雇った第十三位の聖歌騎士、カイリ殿とリオーネ殿に聖歌の合唱をして頂こうと思います」
「……おおっ」
「聖歌を……っ?」
ざわっと、会場全体が期待と戸惑いで揺れる。
第十三位自体をよく思っていない人達は多い様だが、聖歌となると別らしい。普段一般の催しでもあまり聖歌は披露されないのだと、打ち合わせの時にカイリも教えてもらった。
聖歌は、神聖視されている。
だからこそ、聖歌騎士はもったいぶって歌わないことが多いのだそうだ。村でよく歌っていたカイリからしてみれば不思議な話である。
ただ、聖歌語は一般人にはよく分からないものだとも聞いている。
大丈夫だろうかと不安が過ぎったが、リオーネがタイミング良く
「歌は貴重ですし、正午のスピーカーでしかなかなか聞けませんから。歌の雰囲気とかを楽しむ方が多いのですよ」
「雰囲気……」
「はい。それに、聖歌を神聖視しているのですから、耳に出来るだけで拝む方が多いんです♪」
それはそれで異様だ。
よく分からない言葉を垂れ流す者に、膝を突いて拝む群衆。
正直不気味過ぎて、カイリは考えたくない。本当に歌って大丈夫だろうかと別の意味で不安になった。
「さあ、カイリ君、リオーネ君」
クリスに促され、カイリはリオーネを伴って、一段高い台に上る。
会場全体を見渡すと、全員の視線が好奇に満ち溢れていた。純粋な期待や高揚に彩られている視線もあれば、疑心や
決して善意だけではない。世の中、悪意が吹雪く場面はどこにだって
だが、カイリには関係無い。
ただ、今は全力で歌うだけだ。
ごちゃごちゃ考えるのはその後で良い。
「改めまして、カイリ・ヴェルリオーゼです。こちらは同僚のリオーネです」
紹介すれば、リオーネが優雅にワンピースの裾を摘まんでお辞儀する。その堂に入った仕草に、溜息が漏れた。
「これから歌う聖歌は、俺が……好きな曲の一つで『
作ったとは口が裂けても言えない。真の作曲者と作詞者に失礼だ。
「歌が会場に満ちていくにしたがって、俺がイメージした紅葉がこの会場全体に映し出されていきます。そういった異変が起こったとしても、それは俺が思い描いた景色です。他の効果も副作用も何もありません」
ざわっと、招待客達が互いに顔を見合わせる。
そんなことが可能なのかと驚愕と当惑、そして熱望が混じるのを、リオーネと共に確認して頷いた。
その中に、先程クリスが言っていたガルファンという男性も佇んでいる。カイリの説明に驚いた様に目を見開いていた。
――彼が、毎年亡くなった夫人と行っていたという紅葉狩り。
思い出しているのかもしれないと見通してしまう。
彼は、ずっと元気が無いとクリスも心配していた。ならば、彼のためにも必ず歌い上げたい。
決意して、カイリは改めて顔を上げる。
「春も終わり頃なので、季節外れではありますが。今見られない景色だからこそ、どうか楽しんで頂けたらと思います」
準備は整った。
一番は、カイリが歌い出しだ。一番は最後まで単純な輪唱にしようと彼女と決めた。練習時間が無さ過ぎたせいもあるが、一番と二番で変化を付けると、より楽しめるのではないかと見解が一致したからだ。
リオーネと目配せし、互いに一度深呼吸する。
そして、もう一度息を吸い込み、ありったけの気持ちを乗せて静かに声を紡いだ。
【秋の夕日に 照る山
【秋の夕日に 照る山】
リオーネが、追いかける様に歌詞を紡ぐ。
カイリの歌声に彼女の綺麗な音が混じり合い、一瞬にして場の空気が切り替わった。
その中で、カイリは咲き乱れる紅葉を描き出す。
笑い合い、手を取り合い、空を見上げて並び立ちながら見上げる紅葉を、一面に鮮やかに
【濃いも薄いも 数ある中に】
【
威風堂々と並び立つ山々が、目の前で鮮やかに美しく色づいていく。
風に吹かれ、空を駆け、真っ赤な紅葉が空を覆う様に舞い上がり。
ふわり、くるりと舞い踊りながら、夕暮れの日差しを浴びて一層世界を艶やかに彩っていく。
まるで絵画の中に佇む光景は、夢の様なひとときだ。
どうか、その中で。大切な人達と、笑いながら歩いてくれたらと心より願う。
【松をいろどる
【中に 松をいろどる 楓や】
「おお……っ、何て幻想的な……」
「……紅葉が、こんなに空から舞い散って……! ……んむ? 室内のはずなのに、空が見える……っ」
「何と美しい空なのだ……。今は夜のはずなのにっ」
「綺麗……」
【山のふもとの
【蔦は 山のふもとの 裾模様】
会場全体が、鮮やかな紅葉で埋め尽くされる。吹雪く様に色とりどりの紅葉が、光を弾きながら嬉しそうに舞う
だが、それも一瞬。
観客の感嘆を聞きながら、カイリは顔を動かさずにリオーネと目を合わせ、クリスに合図を送った。
「……では、皆様! 外に出て、時期外れの紅葉を楽しみましょう。外で風を受けながら、空いっぱいの紅葉を楽しむのも一興ですよ」
「何? これ以上の景色があるのか!」
「まあ、楽しみですわね」
「歌も美しくて、これほど素晴らしい鑑賞は初めてですよっ」
クリスのにこやかな誘導に、彼らは疑問を抱くことなくついていく。部屋の中で紅葉が咲き乱れるのを見上げ、興奮冷めやらぬ様子だ。
ケントはしんがりを務め、他の家族や使用人達も全員紛れて移動していった。家中や外に歌が届く様に、スピーカーが設置されているから問題も無い。
無事に会場を出て行く彼らを見送りながら、カイリは二番へ移った。リオーネの歌い出しを待つ。
【
【渓の流れに 散り浮く】
リオーネを追いかけ、カイリも紡ぐ。
舞い上がって空を埋め尽くした紅葉が、今度はゆっくりと散っていく。
さらさらと谷間の川に流れ落ち、空にも地上にも輝かんばかりの紅葉が描かれる。鮮やかだった景色が、更に美しく染め上げられていくのを目にするのは至福のひとときだ。
【波にゆられて 離れて寄って】
【紅葉 波にゆられて 離れて寄って】
一番と違い、カイリはリオーネの旋律を走って追いかける。ぴたりと最後の歌詞を合わせると同時、紅葉も一緒に仲良く重なった。
綺麗に重なりながら、たゆたい、手を取り合い、笑いさざめく。
夕日を浴びて光り輝く川の中、流れる葉っぱが舞い落ちる紅葉を待ち、抱き寄せる様に受け止めていく光景は儚くも美しい。
この景色を見ながら、人々は何を思うのか。明るい未来へ向かえば良いと、一度目を伏せながら祈り続ける。
【【赤や黄色の 色
リオーネの旋律に合わせ、カイリも音程をずらして重ねる。
歌声に合わせ、紅葉が舞いながら、散りながら、抱き合いながら。
歌う様に、世界を、人々の心を彩っていく。
【水の上にも
【水の上にも 織る錦】
追いかけ、すぐに彼女の旋律を捕まえる様にカイリも音を重ねる。
まるで織物の様に重なり合う紅葉が、カイリの目の前いっぱいに広がっていた。
余韻を引く様に、声を引く。
カイリもリオーネも、しばらく何も言わなかった。
すると。
――わっと、会場全体を揺るがす様な
このホールには、もはやカイリ達第十三位以外誰もいない。
だから、この歓声は屋敷から少し離れた外からのものだ。スピーカーをあらかじめ用意して、ここに繋げる様にしたのはレインの提案である。
『これは凄い!』
『歌も素晴らしかったですね! 二つの旋律が重なり合うのが、こんなに心震えるものだなんて』
『しかもここまで立派な紅葉が見られるとは。この景色は一体どこの秘境のものだ? 見たことがないぞ!』
『今度、カイリ殿に聞いてみよう。いやあ、秋の楽しみが増えましたな!』
聞こえてくるのは称賛ばかりだ。全身が燃える様に熱いのは、決して気のせいではない。
あの、ガルファンという男性も見てくれていただろうか。秋の紅葉の輝きに、少しでも癒されてくれればと願う。
「はっは。カイリ、リオーネ、本当に良かったぞ。流石はうちの子だ!」
「……親馬鹿ですわ。この人、本当に馬鹿だったんですのね……」
フランツが手放しに褒め称えるのを、シュリアが白けた目で
だが、好感触だった様だ。彼女も嫌味を飛ばしてはこなかった。
「新人、良かったっすよ! ま、リオーネさんの美声には全く敵わないっすけどね!」
「あらあら。ありがとうございます」
「ふ、ふおおおおおお! リオーネさんから、感謝! これはもう、遂に結ばれるしか……!」
「馬鹿ですの」
興奮しまくるエディの脳天に、シュリアが拳骨を叩き落とす。
あっという間に沈んでいくエディを笑って流し、レインが近くまでやってきた。
「だけど、ほんとに良かったぜ。綺麗だった」
「あ、ありがとうございます」
「ほんとに綺麗だった。……お前らしい歌っていうか」
レインの瞳に、一瞬感傷的な色が走る。
昨夜を思い出し、カイリは視線を逸らさなかった。ここで逸らしたら、昨夜の誓いが嘘になる。
「でも、ごめんなさい、カイリ様」
無言で視線を交わし合っていると、リオーネが申し訳なさそうに謝ってきた。
どうしたのだろうとカイリが振り向くと、彼女は俯いて口元に手を当てる。
「本当は、二番でカイリ様の手助けをしようと思ったのですけれど。練習の時と同じで、適用範囲以外は何も出来ませんでした」
「……そっか」
リオーネと合唱の訓練をしていて判明したことだが、カイリの聖歌は彼女には上手く扱えないらしい。
彼女がカイリの知る歌で効果を乗せようとすると、何故か発揮されないのだ。適用範囲だけは問題ないのだが、それ以外はさっぱり発動しないらしい。
試しにカイリが彼女の歌を歌ってみたのだが、こちらは威力が弱くなったこと以外は問題なく発揮された。何が原因なのかは不明のまま、現在に至っている。
「ま、でも適用はちゃんとされたんだろ」
「はい。……ぴったり一致しましたから」
レインの問いに、リオーネが自信満々に答える。
彼女は、適用範囲に関しての適正が異常に高いらしい。歌い始めてしまえば、悪意を持った者がどこに隠れていても手に取る様に分かるのだそうだ。
もちろん、歌わなければ察知出来ないという欠点はあるが、それを補って余りあるほどの利点だ。カイリには逆立ちしても真似出来ない。
「でも、ま。上手くいったみたいだぜ」
「……、そうですか」
レインの意味ありげな
そして。
時は、来た。
「――それが、貴様の最後の聖歌だ」
「――――」
淡々とした暗い声と共に。
頭上から、物騒な影が降ってきた。
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