第83話
「カイリ、元気無いよ。どうかした?」
休日を迎え、ケントに誘われて商店街の屋台で食事を取っていた時のこと。
ケントが食事の手を止めて、心配そうに声をかけてきた。
目の前の皿の上には、大量の串が転がっている――というよりは山積みになっている。デザートで串団子を選んだのだが、二人でこれだけ平らげたのかと、手にした串を置いてカイリは苦笑した。
「元気、無いか? 美味しく頂いてるんだけど」
「無いよ! 何かさ、時々考え込んじゃってるし。もしかして、ミサの時のことまだ引きずってる?」
ずばりと言い当てられ、カイリは思わず目線を下げた。どうしてこういう時ばかり鋭いかな、と心中で白旗を振る。
「ああ。……何かさ、フランツさん達、あれから俺に遠慮している気がして」
正確には、フランツだ。レイン達はいつも通りに思える。エディやリオーネも気まずげではあったが、翌日には切り替えたのか元に戻っていた。
シュリアはミサが終わった直後はかなり機嫌が悪かったが、翌日の夕方には元の不機嫌さに戻った。よく分からないが、持ち直したのだろう。
だが、フランツだけは時折雰囲気が異なる。先程も、カイリが出かける時に「過保護だ」と言ったら、強い口調で否定された。鬼気迫るものがあって、思わず息を呑んでしまったのだ。
教皇に襲われたことを、気に病んでいるのだろうか。
フランツは優しい。家族を失ったカイリに、また家族という存在を与えてくれた。本物の家族になれるかは分からないが、それでも自分にはまだ家族がいるのだと、開き続けている穴を少しだけ埋めてくれたのだ。感謝してもしきれない。
しかし、家族になったからこそ、教皇に抵抗して良いと勧めてくれたのだろうか。
だとしたら、家族という繋がりが
もしミサと同じことがあったら、今度こそ逃れられ無いだろう。ケントが加勢してくれたからしばらくは何事も無いかもしれないが、来たるべき時に備える必要はある。
「……遠慮、ねえ」
ケントが串に刺さった団子を頬張りながら、冷めた目を見せる。何となく侮蔑の様な色も見て取れて、カイリは首を傾げた。
「ケント? どうかしたのか?」
「んーん。……ねえ、カイリ。いっそ、父さんの子になったら?」
「――ぶふっ!?」
口にしかけていたコップの水を、カイリは盛大に吐き出してしまった。コップの中の出来事で良かったと、ごほごほ
「お、お前、何言ってるんだ?」
「えー。だってあれから、父さん言ってたんだよ! いっそ俺の子にならないかなー、楽しそうだしなーって。母さん達も『良いね!』って大賛成してたし」
「……、は、はあ」
「それに、うちの子になったら、もっと堂々と助けに行ける理由が出来るのにって。悔しがってたんだよね」
「え?」
「ミサの時さ、僕が行かなかったら父さんが動いてたと思うんだよね。隣で僕と一緒に気配がすっごい
あはは、と爽やかに笑うケントに、カイリは呆然としてしまう。
あの時、ケントだけではなくクリスも助けに入ろうとしてくれていたのか。この親子には助けられてばかりだと頭が下がる。
「……ありがとう。クリスさんにもお礼を言わなきゃな」
「お礼なんて良いよ! だって、僕達は自分がしたい様に動いただけだから。それで、どう? カイリ、子供にならない? 僕も、カイリが友人で兄弟とか、良いなって思うよ!」
ケントが身を乗り出して誘ってくる。これは本気なのだろうか。判断に困った。
しかし、例え冗談であってもカイリのことを思ってくれている気持ちは本物だろう。喫茶店で、カイリはかなり取り乱してしまった。クリスから見ても不安定過ぎて見ていられなかっただろう。
彼らは本当にカイリに良くしてくれる。出会ったばかりなのにと、カイリは泣きたくなるほど嬉しかった。
けれど。
「ありがとう。でも、俺にはもう、フランツさんっていう新しい父親がいるから」
「……」
何故だろうか。
一瞬ケントが恐いくらい押し黙ってしまった。何か言いたげな視線を存分に突き刺してきて、カイリは警戒する様に身を引く。
「な、何だよ?」
「んーん。カイリって頑固だし……分かったよ。……あんなの、父親じゃないと思うけど」
ぼそっと低く
カイリは
「でもさ、これだけは覚えておいてよ。もし、万が一フランツ殿達に追い出されたら、僕達が受け入れるからね!」
「え……」
「逃げ道は、作っておいても別に良いんじゃない? 例え、本当に逃げることにはならなくても、逃げ込む場所があるって思うだけで気持ちは楽になるよ」
語るケントの瞳は強い。悟った様な雰囲気を察知し、カイリは神妙に頷いた。
前世のケントには、逃げ道は無かったのかもしれない。家族という砦は、無いに等しかったと彼が死んでから知った。
けれど、今のケントには居場所があって、生き生きとしている。家族とのやり取りも温かくて、カイリが羨ましくなるほどだ。
そんな彼の忠告だからこそ、カイリは無下に出来なかった。経験者の話は、信憑性が高い。
「……分かった。じゃあ、本当に駄目そうになったら頼るな」
「うん! 僕、喜んでフランツ殿達を
「……しないでくれ。頼むから」
串を握って良い笑顔でウィンクするケントに、カイリは本気で恐怖した。彼ならやりかねないと、充分に注意することにする。
ふと、彼と話していて、幾分気が晴れたことに気付く。彼の賑やかさは人を助ける光だなと、カイリはひっそりと笑みを零した。
「あ、そうそう! そういえば聞いたよ、カイリ。初任務、おめでとう!」
ぽんっと手を打って、ケントが話題を勢い良く変えてきた。
みたらしだんごの串を頬張りながら拍手され、カイリは同じく串を頬張りながら眉尻を下げた。
「ああ、ありがとう。でも、まだ始まってもいないんだぞ?」
「明日だっけ? 父さんからも聞いたけど、そこまで危険じゃないんでしょ? だったら大丈夫! 成功するよ!」
「……それはどうも」
楽勝楽勝と串を振り回すケントに、カイリは苦笑するしかない。
第十三位は、他の団よりも暇だ。嫌われているせいか、なかなか仕事が回ってこないのだ。
それなのに、依頼を拒否まで出来るというのだから感心する。どうやって収入を得ているのだろうと思っていたが、一応正式に騎士なので、毎月ちゃんと給料が出ているらしい。よく、
カイリの初月給は今月末、数日後だ。今から戦々恐々としている。
「でもさ、ケントは晩餐会に出ないのか? 一応、自分の父親のことなんだろ?」
「んー。第一位ってさ、護衛任務ってあんまりやらないんだよね。第十位っていうスペシャリストがいるし」
「第十位……護衛専門の騎士団だっけ」
「そうそう。国家レベルの危機に対処するのが第一位だからさ。それこそ教皇が護衛対称だったらこっちに回って来るけど」
「……いやらしいな」
「そ。いやらしいんだよ、教会はさ」
簡単に切り捨てるケントも、固定観念には囚われていないらしい。あの、他の者達のケントや聖歌を崇拝する姿を見ていると恐ろしくなるが、彼といるとホッとする。
しかし、父親のことなのだから、ケントも気にはなっているのではないだろうか。
目線だけで問うと、気付いたのかケントの顔に苦味が広がった。
「まあ、いくら危険は無いと言っても、父さんだからね。気になるよ」
「だったら」
「でも、父さんは元とはいえ第一位団長だったし。しかも、僕より強いし」
「え。そうなのか」
「そうだよー! もー、一度も勝てたためしないんだから! いつか絶対勝ってやるんだからね!」
ぷんぷんと頬を膨らませて闘志を燃やすケントに、カイリの頬が緩む。
親子なんだなあ、と彼の言葉を聞いていると心から実感する。
そして、あの優しそうなクリスがケントよりも強いということにも驚いた。あれだけケントに普段やりこめられていても、実力は相当なものとは。第一位団長を務める者は、本当に凄い。
――父さんも、凄かったんだよね。
クリスやフランツが、一目置いている様な発言をしているくらいだ。剣を振るう姿は一度も見たことはなかったが、いつだって父は頼もしかった。
あの背中を、いつまでも追いかけるものなのだと思っていた。
「……っ」
駄目だな、とカイリは頭を振る。
いつか、笑って想い出として話せる時が来て欲しい。願いながら、カイリは振り払う様に無理矢理続けた。
「あのさ、ケント。ちょっと相談したいことがあるんだけど」
「うん? なになに? カイリに相談されるって、良いね! 最高!」
「……何でだよ」
興奮しながら身を乗り出してくるケントに、若干カイリは引く。
だが、そんなカイリのつれなさには目もくれず、ふっふーと堪えきれない様にケントは笑った。
「だって、友人に頼られるって、今まで無かったし」
「……」
「だから、嬉しいんだよね! なになに? 何でも聞いちゃう!」
何でもはまずいだろ。
もし、騎士をやめろという話だったらどうするのか。
だが、もしそれを口にしたら、彼は何故だか本気で騎士をやめそうだ。絶対に冗談でも言わないでおくことにする。
ついでに、背後で屋台の者達が涙を流しながら「坊ちゃん……立派になって」と感動していたが、
「んー……なあ。ケントって、聖歌騎士なんだよな?」
「うん、そうだよ。カイリと、一度聖歌で対決してみたいな!」
「それは勘弁してくれ……。……俺さ、聖歌で範囲指定っていうのがまだ苦手で」
訓練の成果もあって、少しは範囲を限定出来る様になってきたが、それでもまだ完全ではない。リオーネは聖歌騎士の中でも、特に範囲指定の技術が優れているらしく、なかなか合格点に届かないのだ。
威力は上がっているし、体力の配分なども上手くなってきたが、範囲指定は目下の悩みの種である。
「範囲指定かあ。カイリ、苦手なんだ?」
「そうだよ。全体なら得意なんだけど」
「へえ。それも凄いね! だから、試合の時も会場全体に雪が降ったんだね。納得したよ」
感心した様にケントに言われ、カイリは首を傾げる。
全体にしか行き渡らないのだから、制御が出来ておらず未熟という話に
「全体で、凄いのか?」
「うん。まあもちろん、範囲指定出来る方が良いけどね。能力の底上げや低下、状態異常をかける時とかは、限定しないと意味ないでしょ?」
「まあ、それは」
「でも、広範囲に強い威力を行き渡らせるのって、簡単なようで難しいんだよ。威力が分散されちゃうのが普通だし。だから、全体に均等にあれだけの効果を発揮出来たカイリの歌は、本当に凄まじいってことだね」
凄いなー、と目をきらきらさせて見つめてくるケントに、カイリは身を引きながら目を逸らす。
そこまで大層なことをした自覚はないが、ケントが言うなら確かなのだろう。レインがちらりと「教皇が」と危惧していたのに合点がいった。
今度から、歌う前に威力について相談しようかと思案していると、ケントはぱん、と手を軽く叩く。
「要するに! カイリは、範囲指定が出来る様になりたいってこと?」
「それもあるけど……晩餐会は明日だし、時間が無いだろ? だから、何か補える様な方法は無いかと思ってさ」
「それこそ、リオーネ殿に聞けば良いのに」
「んー。……ケントなら、どうするかなって。ちょっと考えたから、聞いてみたかったんだよ」
「――」
実際リオーネにも聞いてみようとは考えているが、参考にする意見は多い方が良い。
だからこそ尋ねてみたのだが、彼にとっては意外だったらしい。目を丸くして、にこおっと
「そっかあ。そうなんだ」
「……何だよ?」
「んーん。やっぱり嬉しくて。そうだね……」
いつの間にか団子を平らげたケントは、小首を傾げて目を閉じる。
何だか仕草が、子供っぽい。年齢は彼の方が四歳――もうすぐ五歳だ――も上のはずなのに、同い年の人物と話している様な気がした。前世で同年齢だったという理由もあるかもしれない。
「じゃあ、協力してみたらどうかな?」
「協力?」
「そう。合唱だよ。輪唱とか、色々あるでしょ? それそれ」
ぴっと人差し指を立てて提案してくるケントに、カイリは「合唱か」と虚を突かれた気分だ。
今までは一人で歌っていたから合唱という概念が飛んでいたが、確かに前世の音楽の時間に合唱練習があった。
しかし、どんな効果が表れるのだろうか。よく分からなくて首を傾げる。
「合唱したら、効果が合わさるのか?」
「それは歌い手次第だよ。例えば、カイリが望んでいるやつだったら、カイリが歌の効果と威力を担当して、リオーネ殿が範囲指定を担当する。そうすれば、二人で歌った歌で、範囲指定をしながら歌の効力が発揮される。それが聖歌の合唱」
「聖歌の合唱……」
そんな配分が可能なのか。
思ってもみなかった提案に、カイリは手ごたえを感じ取った。
「そっか。合唱か……」
「第十三位は、聖歌の歌い手は二人しかいないから、輪唱とかだと映えるかもね! 聞きたい! 歌って!」
「……何でお前を喜ばせることになっているんだ?」
「だって、相談されたもん! 駄目?」
可愛らしく見上げてくる彼は、本当に二十歳の男性なのだろうか。
自分よりも大人びて男らしい顔をしているのにと、カイリは納得がいかない。こういう部分がずるいのだ。
しかし。
「……機会があったらな」
「! 本当?」
「ああ。……相談、乗ってくれてありがとう。リオーネにもちょっと聞いてみるよ」
「……、うん!」
屈託なく破顔するケントに、カイリは目を見開いてから苦笑した。
彼はいつも元気に笑うなと、カイリは感心する。自分も少しは見習わなければならない一面かもしれない。
しかし、希望が見えてきて、任務に対する胸のつかえが少し取れた。安心して、残りの串にかぶりつくと。
「……、……?」
ふと視線を感じた。
感覚を
思わずばっちり視線が合ってしまったが、本当に微動だにしない。どうしたものかとカイリが視線を外せずにいると。
「……、何? どうかした?」
「え? あ、いや、……何か見られている気がするんだけど」
「え? ……ああ」
ケントが
「知ってるのか?」
「ああ、うん。彼はね――」
瞬間。
ぎんっと、男性の眼光が鋭く輝いた。
その眼光の鋭さや、刃で貫かれた方がまだ救いがあるほどの凶暴さだ。
ぎくっと、カイリの肩が跳ねる。何故そんなに睨まれるのかと不安でならない。
「えーと、……」
ケントの方も気圧されたのだろうか。中途半端に動かした口を、半開きのまま停止させ。
「んー、……まあ、よく見かけるよ。この屋台にも時々顔出してるし」
「……。……そうなのか」
「うん。ああ。あと、広場にもいたりするかもー」
かなり棒読みである。
十中八九ケントは彼を知っているのだろうが、あの眼光に口を閉じることにしたらしい。彼が気圧されるとは珍しいなと、珍獣を見る目つきになってしまった。
「何さ。僕だって、空気は読むよ!」
「……えー」
「えーって、何さ! カイリは結構酷いよね!」
「そんな酷さが好きなんだろ?」
「うん!」
「……いや。即答しないでくれ」
冗談だったのに、笑顔で頷かれたらもうどうして良いか分からない。
だが、ケントはにこにこと笑うだけだ。本気でそう思っているらしい事実に、カイリは遠い目をしながら諦めた。
「っはは。ケントといると、いつも賑やかになるな」
「ふっふーん。そんな日々も良いでしょ?」
「第十三位も割と慌ただしいけどな。……そういえば、ケントは静かな時間とか過ごしたりしないのか?」
家族とも常に賑やかな時間を過ごしているらしいケントは、果たして静かに過ごしたりするのだろうか。あまり想像がつかない。
好奇心からの質問だったのだが、ケントがきょとんと目を丸くした。そして、少々考え込む様な仕草を見せてくる。
「静かな時間? んー……。じゃあ、黙ってみるよ! 一、二、三」
ぱくん、と口を閉じてケントが押し黙る。
それが十秒ほど続いた後。
「――それでね、カイリ!」
全然静かじゃない。
早々に口を開いた彼には呆れざるを得ない。
だが。
――こういうのも、悪くないよな。
彼が嬉しそうに賑やかに
そんな楽しくも、同時に穏やかさも一緒に感じるこの時間が、今のカイリにはとても大切な時間だった。
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