第66話


 フュリーシアの都市シフェルには、闘技場がある。

 それが教会内にあると言うのだから驚きだ。教会はどこまでだだっ広いのだろうと、カイリは天を仰ぎたくなる。

 闘技場は、平日は学院の実技の授業や試験に使われたり、団同士の訓練や対決に使われたり、用途は様々らしい。


 だが、今日は休日。


 本来閉鎖されるはずのこの闘技場は、本日まさにカイリ達第十三位と第一位のためだけに使用されるのだ。恐れ多すぎて具合が悪くなる。


「……何だか、場違いな気がしてきました」

「おいおい、しっかりしろよ。間違いなく、今日はお前が主役なんだからな」

「まったく。これしきのことで怖気おじけづくとは。男じゃありませんわ」

「……頑張るよ」


 馬鹿にした様にシュリアが見下してきたので、カイリは奮起して背筋を伸ばす。

 対戦する者のために用意された控室に、エディとリオーネの姿は無い。

 試合に出なくて良いと言ったのはカイリだ。それでも、やはり二人の姿が無いのは少しこたえる。


「……なんて。落ち込んでいる場合じゃないよな」


 ぱん、と頬を叩いて気合を入れる。

 ここには、カイリを応援してくれる人達がいるのだ。無様な姿は見せられない。


「じゃあ、行ってきます」

「おう。気ぃつけてな」

「俺達は、上の観客席にいる。手助けは出来んが、応援しているぞ」

「はい」


 控室を出て行く三人を見送り、カイリは闘技場へ続く入口を見つめる。

 既に観客席が賑わっているのか、多くのざわめきが聞こえてきた。たかだか一試合のために全員暇人なのだろうかと、カイリにはつくづく疑問だ。


 ――これから、戦うんだ。


 少しだけ指先が震えて、カイリは手を握り締める。

 別に命の奪い合いではない。剣の稽古だって、村にいた時からずっと続けてきた。



 だが、これ以上ないほど負けられない試合は初めてだ。



 負けたくない。

 その気持ちを強く持った自分が、少しだけ不思議で、誇らしかった。


「よし。――行くか!」


 自分で自分の尻を叩き、カイリは闘技場へと続く入口を通る。

 途端。



 わっと、耳をつんざく様な歓声が飛び交った。



 思わず見上げると、観客席という観客席が埋まっていた。席は五段階に分かれており、ぐるんと円を描きながら中心の闘技場を囲んでいる。

 見渡せば見渡すほどだだっ広い。近い者は顔が割としっかり見えるくらい近いが、もう遠くの人物は豆粒以下だ。何処に誰がいるかなど認識も出来ない。


「……ひ、ひろっ……」

「おー、広いだろー! どうよ、カイリ。ビックリしたか?」


 呆然と立ち尽くしていると、頭上から声が降ってきた。

 振り返って見上げると、カイリが出てきた入口の真上の席に、レイン達が立っていた。さくに寄りかかりながら、ひらひらと手を振ってくる。


「当事者の団員だからな。俺達は特等席なのだ」

「一秒で負けたりしたら、承知しませんわよ」

「い、一秒はないぞ! ……多分」


 否定しながらも、自信が無くなってきた。

 しかし、そもそも負けるなど考えたくはない。ぐっと、胸元のパイライトの石を握り締めて気合を入れる。


「やっほー! カイリー!」


 祈っていると、別の方角から声が飛んできた。

 聞き覚えのある声に、左上を見上げ――ぎょっと目を剥く。


「え、……えっ!? け、ケント! って、く、クリスさん!? エリスさんに、チェスター、セシリアまで……!」

「やあ! こんにちは、カイリ君! 見に来たよ」

「カイリさん、頑張って下さいね!」

「カイリ様ー! お兄様が負けたら承知しないって言ってますよ!」

「兄さんを殴るためにも、頑張ってね!」


 ケントの両親はともかく、双子の声援の内容がおかしい。

 ぎっとケントを見ると、にこにこと笑って手を振ってきた。


「って、呑気のんきに手を振ってるなよ! 何でお前の家族までいるんだ!?」

「……、てへっ♪」

「てへっ、じゃない!」


 舌を出して可愛らしくウィンクするケントに、カイリは怒鳴り付ける。

 それを見て、「流石ケントの親友!」と涙を流しながら喜ぶ家族に、彼らの変態性を見た気がした。


「いやあ、みんなにね! カイリが試合をするんだよって言ったら、是非見たいって! だから、日にちと場所を教えたんだ!」

「教えるな! ま、益々ますます無様な戦いが出来ない……!」

「大丈夫! カイリ、勝つんでしょ?」

「……、軽く言ってくれるっ」


 まるで、カイリが勝つと信じて疑っていないかの様だ。

 だが、いくらケントがご立腹だとして、今日の対戦相手が手を抜くとは思えない。ケントは、彼らくらいして欲しいということをカイリにのたまっていた。

 そう言われて、相手のプライドが傷付かないわけがない。つまり、全力で来るに違いなかった。

 そんな全力の相手三人に、一人で戦うのだ。否応なく緊張が高まる。


「あれ? そういえばカイリ、他の二人は?」

「……っ、ああ。えっと……」

「――おや、お一人とは。敵前逃亡ですか?」


 不愉快な声がカイリの耳朶じだを打つ。

 背後を振り向けば、先日無理矢理連れ去ろうとした男二人が佇んでいた。

 その奥にはもう一人、見知らぬ男性がいる。彼が恐らく、聖歌騎士なのだろう。


「……、……試合までは、まだ時間があります」

「貴方は先に来ているのに、残りの二人がいないなんて。やっぱり、嫌がらせを受けていたんですね」

「違う」


 切る様に否定しても、彼らはにやにやと嫌らしく笑うだけだ。

 本当にカイリの話など聞こうともしない。彼らにはまるで価値が無いのだ。自分が全てであるその態度に吐き気がする。


「ああ、そうそう。お腹の具合はどうですか?」

「……、もう平気です」

「おや、残念。結構強く――」

「えー、なになに? カイリのお腹が何だって?」

「っ! け、ケント様!?」

「い、いえ。大丈夫かと心配になって聞いただけでございます」


 頭上からケントがにこにこと問いかけると、彼らは膝をついて頭を垂れた。

 むしろ、上司であるケントの存在に気付かなかったのか。上にいるとはいえ、本当に今来たばっかりなのかとカイリは呆れ果てるしかない。

 だが、確かにケントは第一位団長なのに相手の側の観客席にいないのだ。予想していない事態だったのかもしれないと少し同情する。


「……ケント。一応上司じゃないのか?」

「知らなーい。カイリ、コテンパンにしてやって!」

「け、ケント様……」

「カイリ君! 私も賛成だよ! 是非ともコテンパンにしてあげなさい」

「……、く、クリストファー様……っ」


 あろうことか、上司の第一位団長と元第一位団長に、部下が揃って負けろと推奨されているこの構図。この友人一家はつくづく変人だとカイリは溜息しか出ない。


「ケント。クリスさんも」

「だって、僕カイリの友人だし!」

「私はもう、一線から退いているしね。カイリ君を応援しても、特に支障はないよ!」


 肩を並べて「ねー」と声を揃える親子に、もうカイリはたしなめるのを諦めた。彼らも、ある意味こちらの話を聞いてはくれない。

 そんな彼らの変人っぷりを目の当たりにし、第十三位の面々が白い目を向けていた。


「……随分仲良くなったじゃありませんの」

「いやー、怒鳴られて笑顔で泣くとか、マゾだなー。オレには無理だわ」

「ふむ。クリス殿のことは昔からよく知っているが、……まあ、息子のことに関しては変態だった記憶しかないな」


 腕を組んで納得しているフランツに、昔からああだったのかとカイリは妙に合点がいった。取り敢えず、初対面の時に抱いた印象は間違っていなかったのだと安心する。

 そんな風に、和やかに会話をしていると。



『間もなく、試合が開始されます。両陣営、そろそろ準備をお願い致します』



 頭上からアナウンスが入る。スピーカーで全体に行き渡らせているのだろう。

 色々思うところはあるが、カイリは観客席に背を向ける。やはり、一人で挑まなければならないらしいと、少しだけ視線が下がった。


「おや。やはり逃亡しましたか」

「今日は、貴殿に興味津々な奴らがたくさんいるのに。むざむざ負けに来るなど、悲しいことだな」

「……、え?」


 何を言っているのだろうと、カイリがいぶかしげに思っていると。



「あの子が、新しく入った聖歌騎士なんだって」

「――――」



 頭上から、そんな声が届いた。

 慌てて顔を上げると、全員の視線が第一位ではなく、カイリに刺さっている気がした。必要以上に注目を浴びている事実に、ぞわっと鳥肌が立つ。


「無条件で入ったって噂だよ? 聖歌が歌えるってことだよね」

「無条件なのか。でも、何で第十三位にいるんだ?」

「あれだろ。脅されて入ったって」

「いじめられてるんだって。だから、今も一人しかいないんじゃない?」

「うっわ、かわいそ。四六時中嫌がらせとかきついぜ」

「この試合の結果次第で、移籍出来るんだってよ」

「第一位に入れると良いよなあ」


 嫌な噂が洪水の様に耳に流し込まれる。しかも、取り下げたはずの条件まで出回っている事実に血の気が引いた。

 ケントを仰ぐと、「もう少しかかるんだ」と両手を合わせて謝罪される。クリスも「もう少し待ってね」と口にしてきた。どの様に収束させるのかは分からないが、信じて待つしかない。

 だが。


「……、言ってもいないこと、こんな風に……っ」


 自然と目つきが剣呑になっていく。

 しかし、目の前の男三人は全く意に介さなかった。むしろ、してやったりといった風に歪んだ笑みを浮かべてくる。


「事実でしょう? 試合に負けたら、せっかくだしこちらに来て下さいよ」

「断る!」

「……おいおい、聞いたか? 今の」

「断るとか言って、健気ー」

「まだ脅されてんのかな。ケント様も早く動けば良いのに」


 否定をしても、全ての流れが反対の方向に吹いていく。

 後ろには、第十三位の彼らがいる。あの三人ならば涼しい顔をして意に介さないだろうが、それでも何も思わないわけがない。



 ――こんな、悪質な雰囲気。



〝いっつも勉強して先生にもご機嫌ばっかり取ってさ。べんきょーとお友達ってやつ? 笑えるー〟


〝医者と裁判官の子供だからな。ねだればすぐにもらえんだよ。あー、いいねー、金持ちは。何かあってもすぐ泣き付けて〟



 慣れはしても、何も感じないわけがない。



 何故、分からないのだろうか。カイリはぶんぶんと頭を振って、天に吼える様に叫んだ。


「俺は! 脅されてない! いじめられてもいない!」


 声の限りに叫べば、一瞬ざわめきが止んだ。

 届くかどうかはどうでも良い。ただ、この場で、改めてカイリは宣言したかった。


「俺は、俺の意思で第十三位に入った! 俺は、今までもこれからも、第十三位以外のどこにも入るつもりはない!」


 彼らに頭を下げて、入れてもらった。

 足手まといなのに、むしろ任務では危険が増すかもしれないのに、彼らは笑って受け入れてくれた。

 そんな彼らを傷付けることを、黙って見ていられるほど大人ではいられない。



「俺は、第十三位の聖歌騎士だ! 売られた喧嘩は買う!」



 レインが言っていた。売られた喧嘩を買うのが、第十三位だと。

 最初は尻込みしたが、やられっぱなしはカイリも性に合わない。故に、声を張り上げて挑戦状を叩き付けた。



「だから! 嘘をばら撒いたり、暴力振るったり! そんなふざけた真似してきたこいつらはコテンパンにして! 第十三位は良い場所だって証明してやる! ――目を皿にして、今からやる試合をよく見てろ!」



 しん、と驚きが入り混じった静寂が闘技場内に満ちていく。

 やってしまった、と思ったが後戻りは出来ない。今の宣言は本気だし、ひるがえすこともしない。

 そうだ。



 ――絶対に、勝つっ。



 頭が冷えていようがいまいが、それだけは変わらない決意だ。

 ぐっと、あごを引いて目の前の敵に対峙する。

 そのまま、剣に手をかけて――。



「――よく言ったっす。それでこそ、第十三位の聖歌騎士」

「――――――――」



 かつん、と後ろから高らかな足音が二つ上がった。

 声を聞いた瞬間、カイリの胸が大きく震える。期待と不安が入り混じった心を奮い立たせ、足音を追う様に振り向いた。

 そこにいたのは、静謐せいひつながらも強い覇気をまとう少年と少女だった。カイリと同じく黒服を身に付け、少年は銃剣を、少女は弓を携えてこちらへとゆっくり歩いてくる。

 それは、ずっと待ち焦がれていた二人だった。カイリが、本当は心の底でずっと待っていた人達。



 エディとリオーネが、静かに、けれど着実に歩み寄ってくる。



 それが、カイリの視界に今、はっきりと映し出されていた。


「……エディ、リオーネ」

「すみません。支給された大会に使う武器を調整していたら、遅くなってしまいました」

「ボクは銃の中身をインク弾に変えただけなんすけどね。いつものと違うから手惑ったっす」


 二丁の銃剣を構えながら、エディがぼやく。剣身の部分には専用の鞘が当てられていた。

 リオーネの方も、弓矢が木に、先がゴムに変わっている。カイリは元々木刀だから、そのまま試合に使うのを許可されたのだ。

 二人が武器を携えて闘技場に足を運んでくれた。

 それは。



「……試合、出てくれるの?」



 声が震えた。

 思わず喉を押さえるカイリに向かって、エディはびしっと人差し指を突き付けてくる。


「勘違いしないでほしいっすね! ボクはまだ、あんたを信じたわけじゃないっすよ!」

「――っ」

「――、あ」


 言い放ってからエディが目を見開き、ぐぐっと口をつぐむ。でも、いや、と反語ばかりを並べ立てる彼に、カイリは首を傾げた。

 信じたわけではない。

 ならば、何故二人共来たのだろうか。


「えーと、……じゃあ、どうして?」

「……。私も、カイリ様を信じたわけではありません」

「……、うん」

「でも、……もしかしたら、……」


 一度目を伏せて、けれどすぐにリオーネは決意を込めた様に顔を上げる。

 その瞳には、強い意志が感じられた。凛とした花が太陽に向かって咲き誇る様な眩さだ。



「でも、もしかしたら。……本当の、本当に、カイリ様は何も言っていないかもしれないって。……そう、思ったので」

「――」

「だから、出ることにしました」

「……ボクも同じです。今回は出てあげ、……いや」



 もごっと語尾を濁して、エディはぎゅっと目と唇に力を入れた後。



「散々傷付けておいて、今更図々しいっすけど。それでも!」



 がばっと、エディは勢い良く頭を下げた。



「お願いします! ――ボク達も一緒に、戦わせて下さい!」

「私も。――お願いします」



 リオーネも続いて頭を下げた。額が膝にくっつくのではないかというくらいに深い。

 二人が、はっきりと願い出てくれている。

 彼らは、別にカイリを信じたわけでは無い。特にリオーネは、誰かを信じるということとは無縁だと言っていた。

 なのに。


「……っ、そんなの」


 彼らは、言ってくれたのだ。

 もしかしたら、あの酷い噂はカイリが流したのではないかもしれないと。そう、言ってくれた。

 一緒に戦ってくれると、そう言ってくれた。

 それだけで、充分だ。



「そんなの、こっちの台詞だろ」

「――」



 声が無意識に弾む。

 二人が驚いた様に顔を上げてきたのが印象的だった。


「ありがとう、二人共」

「カイリ様……」

「違うかもって。そう思ってくれただけで、充分、……っ」


 言いながら、視界が滲んだ。

 途端、慌てた様に二人が飛び上がる。


「わ、わあっ! 泣かないで下さいっす!」

「泣かないで下さい!」

「な、泣いてない!」


 慌てて訂正して、カイリは目に力を入れる。ここで泣いたら、もう恥さらしも良いところだ。公衆の面前で泣くとか、カイリには耐えられない。

 そんなカイリの努力の甲斐あってか、二人はあからさまに胸を撫で下ろした。

 そういえば、何故カイリが泣きそうになったらここまで慌てるのだろうか。疑問だ。


「……と、とにかく! 新人、あれだけの啖呵たんかを切ったんだから、必ず勝つっすよ!」

「そうです。聖歌については、私がアドバイスします。私達二人で、サポートしますから」

「……、うん」

「よっし! そうと決まったら!」


 すっと、エディが拳を突き出してくる。

 続いてリオーネも、拳を可愛らしく握って彼に重ねた。「ふおおおおお! リオーネさんとの接触!」と何やらエディが悶えていたが、華麗にカイリ達は無視をした。

 そんなやり取りが、懐かしい。もう随分長い間、無かった気がする。



 ――ああ、嬉しいな。



 一度は嫌われた彼らと、こうして歩み寄れたこと。

 心から、嬉しく思う。


「……よしっ」


 カイリも、拳を突き出した。そのまま二人の拳に軽く触れる。



「――第十三位の威信を賭けて。勝とう! 必ず!」

「もちろんっす!」

「はいっ!」



 拳を開いて、ぱん、っと叩き合う。

 それが、新しい三人の始まりだった。


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