2-28 PM14:05/VS.ヘイフリック・ザ・ディスクランチャー

 階段やエレベーターは選択肢のうちに入らない。敵が待ち構えている可能性があるからだ。この危険極まる状況下では、窓を突き破って屋外へ脱出する以外にない。

 だが、その足がいよいよ十字路へ差し掛かろうかという時、またもやベルハザードの研ぎ澄まされた感覚が警報を鳴らした。

 咄嗟に足を止めつつ、標的を見定めるやいなや、さながら流し打ちでもするかのように手斧を振るう。

 寸毫――火花が散って、何かを弾き返した感覚だけが手元に残った。

 黄色く光る円盤である。突如として十字路の陰から飛んできたのだ。

 立て続けに、青と緑、それぞれに光る都合二枚の円盤が、大気を削り取りながら飛来。すかさず手斧で撃ち返しつつ、ベルハザードは後退を余儀なくされる。

「レディゴォォォオオオオオ!! 踊りましょうよ! 踊りましょうよ!」

 一際甲高い、女のような哄笑廊下じゅうに轟いた。

 接敵エンゲージ

 十字路の陰から、勢いよく飛び跳ねつつ姿を現した新たな刺客――ベルハザードは思わず目を見張った。

 その第二の刺客は、パーカー付きの赤いジャケットを着てはいたが、チャックは全開で、異様なほどに膨れ上がった巨体をこれみよがしに晒していた。腹だけでなく、ジャケットの盛り上がり具合から察して、背中まで膨張している。あまりにも丸々としているせいで、首、腕、足の付け根が埋没している有様だ。しかも下着のたぐいを一切着用していない。そしてどういう訳か、きっちりと横縞を描くように、全身が七色にボディペイントされている。

 顔の見た目は中年男性。真っ白なピエロのメイク。両手に携えているのは、ジャケットと同色のステッキ。柄の部分に細長い指を引っ掛け、道化師のように陽気にくるくると回している。

 露出狂めいた変態性を感じさせながら、男は器用に体全体を壁や床や天井にぶつけては、奇妙な軌道を描いて跳ね返り続けた。ゴム毬のような柔軟性を披露しつつ、巧みにベルハザードへ接近。死のダンスへと積極的に誘い、全身から円盤という円盤を射出ディスクランチャー

 驚愕――円盤ディスクの正体。それは男の肉片だった。見えないハンマーで横から叩かれているかのように、七色に光る男のボディが、色分けに沿うかたちで次々に輪切り状態へ分離していくのだ。

 断面を観察してみても、骨らしき組織はない。どこからどうみても、ただの内臓混じりの肉片である。サイボーグ強化の痕跡は、一見すると皆無だ。しかし、その肉円盤・・・とも言うべき奇怪な飛び道具は、縦横に激しく回転し、壁や天井をざっくりと傷つけ、火花を散らしながら、容赦ない速度で次々にベルハザードへ襲い掛かった。

「レディゴォォォオオオオオ!! 踊りましょうよ! 踊りましょうよ! みーんななかよく踊りましょうよ!」

「くっ……!」

 予断を許さぬ怒濤の乱舞。カラフルな円盤という円盤を、手斧で明後日の方向へ弾き返し、叩き落とす。

 だが不思議なことに、円盤はそれ本体に意志があるかのように、床に落とされても直ちに浮き上がり、標的たるベルハザードを切り刻まんと猛追を止めない。

「レディゴォォォオオオオオ!! 踊りましょうよ! 踊りましょうよ! みーんななかよく踊りましょうよ!」

 終わりの見えない闘争を愉しむかのように、パーカーを被って宙に浮かぶ・・・・・男の頭部が、歌うように高笑いを奏でた。

 さながら、現代に現れた飛頭蛮だ。信じられない光景だが、これもまた都市特有の医療技術がもたらしたものだった。

 体を分離してなおも笑う、ピエロ顔の風船男。ナックルに続く刺客アサシンにして狂戦士バーサーカー――ヘイフリック・ザ・ディスクランチャー。

 彼の奇抜なボディを構成しているのは、ヒト由来の最初の細胞株であるヒーラ細胞を改良させた『不死細胞アンデット・セル』と呼ばれる、再生医療分野の奇跡にして極秘の産物だ。ヒトパピローマウイルスの構成遺伝子を含めた、合計十二の遺伝子を染色体に埋め込むことで達成された、その魔法のような人工細胞の美点は、驚異的な再生能力ただ一点。その点だけを鑑みれば、ヘイフリックの肉体的特徴は、鬼血人ヴァンパイアに通じる部分があった。そうまでしなければ闇夜を跋扈する怪物には勝てないと、当時の都市上層部は考えたのだ。

 深淵に巣食う者らを駆逐するには、自らもまた深淵に身を投じなければならない。それを受け入れたヘイフリックは、だが果たして今も、当時の記憶が残っているのかどうかは、定かではない。

 彼はただ、歌うように舞い続けるだけだ。

「踊りましょ! 踊りましょ! みーんなみーんな踊りましょ!」

 首の切断部分からピンク色の泡が湧き立つ。神経接続――血管再生――脂肪形成――筋肉増大――内臓復元――あっという間に元の風船めいた体へ回帰する。

 ベルハザードの見立て――サイボーグ化された驚異的な再生速度を有する細胞群+全身の物理的強度を変化させ、ゴムのようにも鋼のようにもなれる異能。

 廊下に散らばる死骸へちらりと目線を送る――市警らは、この踊り狂うピエロの肉に切り刻まれたに違いなかった。

 しかし真に警戒するべきは、この奇抜にして恐ろしい肉円盤ディスクの猛攻ではない。

 宙を軽々と泳ぐ、ヘイフリックの右手と左手。それぞれが持つステッキの先端が銃火を吹く。

 音速の弾丸。その軌道――ではなく、弾頭部分を瞬息のうちに視認。

 何もかもを引き裂くような、鋭く走る赤い線として瞳に映った。

「(やはり、そうきたか――)」

 弾丸の正体を看過した瞬間、口内が急速に乾いていく。

 ベルハザードはいつの間にか壁を蹴り、大きく後退していた。人ならざる者としての本能が下す危険信号が、血のめぐりを加速させる。

 ヘイフリックのステッキはただのステッキではなかった。それは仕込み杖であり、柄の部分に、弾倉と引き金めいた細工が施されていた。そこから銃火と共に飛び出した弾丸の種類は、言うまでもなく輝灼弾だ。血に呪われし鬼血人ヴァンパイアに対して、強い溶血作用を持つそれを一発でも食らえば、いくらベルハザードでも死は免れない。

 追い込み矢のように円盤を操作し続けることで、標的の行動を封じ込め、キル・ポイントへ叩き込み、狙いすました輝灼弾の一発で確実に仕留める。それがヘイフリックの得意とする戦法だった。

 だが経験の浅い鬼血人ヴァンパイアならいざ知らず、これまで多くの戦士たちを屠り去ってきたベルハザードの歴戦の思考が、陽気な殺戮道化師の狙いに気づかないわけがない。

 デフォルト・モード・ネットワークを維持――全環境の感知を継続。

 姿勢を低く構え、全身に渾身の力を込めて駆ける。上階で暴れ回るナックルの剛腕がもたらす瓦礫のシャワーを掻い潜り、前方から風切り音を立てて飛来する肉円盤の群れを、手斧の刃部で華麗に弾き返して、廊下じゅうを縦横無尽に飛び回り、旋転し、壁を蹴っては疾駆する。

 決して足は止めない。一か所に数秒と留まってはならない。がむしゃらに動き続ける。それを意識してひたすら体を動かすだけで、劇的なほどに相手の狙いを外すことができた。それでも、床に落とされた肉円盤が思いもよらないタイミングで飛来してくるのもあって、無傷というわけにはいかなかった。円盤の何枚かがコートを引き裂き、腕や脚に裂傷を刻んだが、それすらもたちどころに再生していくから、致命傷を与えているとは言いにくい。

 止めようのない意志。それが形を成したような好敵手を前に、ヘイフリックは作戦を変更した。嵐のような攻撃の手を一旦緩めると、都合七枚の肉円盤を自身の近くへ配置し、陣を敷くように空中で待機させる。そうして己は、向かってくるベルハザードから目を離さず、慎重に間合いを図る。

 接近戦に持ち込まれては不利。だからこそ、向こうの攻撃圏内がこちらに届く前に、かたをつけようと言うのだ。

「踊りましょ! 踊りましょ! みーんなみーんな踊りましょ!」

 そしてとうとう、その時がきた。

 壁に寄りかかる市警の亡骸のそばをベルハザードが通り過ぎた直後、不可視の弓を引き絞るようにして、七枚の肉円盤を一斉に射出ランチャー

 間を置かずして、円盤同士の隙間を縫うように、二本のステッキ銃からフルオートで放たれる致死の弾丸。逃れようのない面展開の中距離攻撃。廊下という限られたスペースを十全に活用した暴虐の一手だ。

 しかしながら、スペースが限られているということは、逆説的に言って、使える手段が限られているということを意味している。すなわち、廊下という舞台で敵を一網打尽にしようとするなら、どうしても面展開の攻撃を選択せざるを得ない。それに気づけたからこそ、ベルハザードはヘイフリックの怒濤の攻撃に前後するかたちで、すでに手を打っていた。

 秒コンマ以下の速度で能力を発揮して、ちょうど己の背中の部分に、またもや赤黒い正六面体を出現させる。

 移行シフト――第二励起段階ツヴァイ

 正六面体の全面から湧いて伸びる六本の触腕で、床に散らばる六人の市警たちを手早く絡め取り、持ち上げ、前方へ押し出し、あっという間に自らを覆い隠した。六人とも、腕が千切れたり、腰から下が欠損していたりと、五体満足な状態ではなかったが、肉の防壁としてはそれなりに役立った。

 欲を言えば、ヘイフリックの死角となる部分に幾何学図形を発生させて、反撃のチャンスも得るのが理想だが、それは不可能な話だった。自身を中心とした半径一メートル以内でしか正多面体を展開できないという、持って生まれた欠点は、どうやっても覆せない。

 触腕の攻撃速度はマシンガンの射撃に匹敵するが、真正面からやりあって確実に勝てるかどうかは、確証が持てなかった。接敵エンゲージしたばかりで、能力が完全に掘り下げられていない相手に対し、こちらの全力を見せるわけにはいかなかった。だからこそ、防衛手段を選択した。

 だが防衛とは言っても、しょせんは肉の壁であり、盾としての機能に期待し過ぎてはならないことも、ベルハザードは承知している。事実、躍りかかる肉円盤と、ありったけにステッキから放たれた弾丸という弾丸が、プロテクターに覆われた市警の遺体をめちゃくちゃに引き裂いていくのに、十秒とかからなかった。

 だがその十秒の間に、ベルハザードは触腕の一撃でもって壁に穴を空け、隣のフロアへ転がり込んでいた。ただちに起き上がると、フロアを仕切るパーテーションを倒し、事務机や居並ぶコピー機を飛び越えて駆ける。

「レディゴォォォオオオオオ!! 踊りましょうよ! 踊りましょうよ! みーんななかよく踊りましょうよ!」

 癇癪を起したナックルと違って、ヘイフリックは獰猛でいながらも冷静だった。

 敵の姿を見失うと、俊敏に自らも穴を潜ってすぐさま後を追う。毬のように自由自在に撥ねて飛び回り、従える肉円盤を高速回転。天井の照明が、整然と並んだ事務机が、倒れたパーテーションが、窓ガラスが、縦横無尽に奔る肉の円刃によって手当たり次第に切り刻まれていく。それは圧倒的な威力を誇示すると同時に、ヘイフリックの進撃すべき道を的確に作る一手でもあった。

 追手の勢いは止まらない。一目散にフロアを飛び出し、別の廊下に出て振り返ったベルハザードの眼が捉えたのは、嬌声を撒き散らして、人ならざる運動能力で迫る怪人の姿であった。だがベルハザードは、球体同然と化して迫るヘイフリックそのものよりも、彼の武器である十四枚の肉円盤の動きに注目していた。

 十四枚――増加する武装――この戦闘道化師は、その気になれば再生能力の高さを活かして、いくらでも大量に肉円盤を生成可能であるのかもしれない。ならばもったいぶることなく、一気呵成とばかりに、ありったけの肉円盤を射出すればいいだけのこと。それをしないということは、細胞分裂の回数にも限界があるのだろう。あくまでも再生速度が異様なのであって、命の回数券はあらかじめ決まっているのかもしれない。

 それでも、依然として脅威であることに変わりはない。膂力の面では流石にこちらが勝っているが、現状維持のままでは活路は開けない。

 新たに得た知見が、次に取るべき行動の指針を決めた。

「――ふっ!」

 鋭く呼気を吐き、手斧を腰元のチェーンへワンタッチで繋ぎ止めると、転瞬。

 飛び跳ねるヘイフリックへ向き直るやいなや、五本の指をかぎ爪のように曲げて突き出す。

 途端に出現する、二つの正六面体。

 移行シフト――第三励起段階ドライ

 都合十二本の触腕が雄々しく生え茂り、洪水の如き速度で廊下じゅうを埋め尽くし、壁という壁を這いまわった。そうして標的の背後を素早く陣取ると、ヘイフリックと円盤を、ひとまとめに完璧に取り囲んだ。

 役割を終えて、赤黒い正六面体はひとりでに霧散。

 さきほどの市警の遺骸とは比べ物にならない、正真正銘の魔肉の壁にして檻の完成だ。それは全ての肉円盤の動きを容赦なく遮り、殺戮道化師の進路を完全に閉ざした。どれだけ肉円盤の切れ味が鋭かろうが、さすがにこれだけの質量で構成された檻を寸断して脱出するには、労力も時間もかかる。

「踊りましょうよ! 踊りましょうよ! 踊りましょうよ!」

 分厚く展開した赤黒い触腕に囲わ、しきりに何事かを叫ぶヘイフリック。

 くぐもった怪人の声に構うことなく、ベルハザードは先を急いだ。

 耳をそば立てると、ヘイフリックの後を追ってきたナックルの雄叫びが、魔肉の牢獄越しに聞こえた。仲間がとんでもないことに巻き込まれている事実にぎょっとしたのか、その雄叫びには困惑に近い感情が込められていた。

 触腕は、一度現界さえしてしまえば、物理的に破壊されない限りはその場に留まり続ける性質がある。血に由来する呪術であるから、ベルハザードとの距離が遠ざかれば遠ざかるほど、血の繋がりは薄れ、強度も弱まり破壊されやすくなる。だが、その頃に至って触腕の壁を突破したとしても、敵方はベルハザードの位置を完全に見失った後だ。攻撃手段のみならず、あらゆる場面で応用が利く。それが、この《僥倖なる命の運び手ブルート・ヴラスト》の最大の長所であった。

 その自慢の能力で敵の猛攻を食い止めているのに加えて、今のこの状況はベルハザードにとって、危難を脱出したご褒美に、幸運が舞い込んできているに等しかった。

 なぜなら振り返った先に、この場におけるもっとも有用な脱出口が――縦に長い強化窓ガラスがあるのに気付いたからだ。

 それも一枠だけぽつんとあるのでなく、廊下に沿うかたちで、何枠も横に長く展開していた。西日を取り込む意図でデザインされたそれこそが、ベルハザードにとっては紛れもない僥倖であった。

 未だに背後では、魔肉の牢獄に捕らえられたヘイフリックが、めちゃくちゃに肉円盤を回転させて脱出を試みようとし、行く手を阻まれたナックルが仲間を助け出そうと、触腕の束を引き千切るのに躍起になっている。

 追手の追撃が完全に緩んだ今、この好機を逃す訳にはいかなかった。七十階建ての高所ではあるが、触腕を蛸のように操ってやれば、地上に降りるのに時間はかからないはずだと踏んだ。

 ベルハザードは果敢にも廊下を駆け抜けた。脱出口たる窓へ向かって一直線に。

 不意に、視界に巨大な影がかかった。

 流れる雲に陽光が遮られたのかと思ったが、わずかな空気の震えと光の揺らぎを敏感に察知。

 まさかの事態に、足が止まった。

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