1-19 呪術王――その名はキュリオス②
キュリオス・ラーンゲージ・モージョーの一族は、プロメテウスが建都されるずっと以前から、呪学療法士――つまりは、呪術師の家系として生きてきた。
彼らの起源は、かつての昔に『アフリカ』と呼ばれていた大陸に居住していた頃までさかのぼる。その時はまだ、動物の骨を乾燥させたものをまじない道具として販売するといった、呪術の中でも大人しい部類のものを細々と営んでいるというものだった。
一族の扱う呪術体系が転機を迎えたのは、プロメテウスへ移住してきた、およそ八十年ほど前のことだ。都市の風習にならい、職業名を『呪学療法士』に変えたのも、その頃からだった。
呪術は大金を稼ぐのに向いていない。それが定説であったのが、都市に来てからは一変した。禍々しく煌びやかにそびえ立つ積層都市が放つ魔力のせいか。それとも、常に他人を出し抜こうと画策する都民らの無意識下でうごめく欲望が何らかの劇的な作用を及ぼしたのか。原因は定かではないが、科学技術が発展し続けるその裏で呪術もまた目を見張る進化を遂げた。
一族が昔から扱う呪具系統の呪術は鋭く磨かれ、新たなる効果を次々に獲得した。それだけでなく、ついには言葉に宿る心霊のパワーすらも自在に操るに至った。つまりは、言霊による精神操作術を体得したのである。
これに目をつけたのがキュリオスの高祖父だった。
都市の荒波に揉まれ、ここで生きるに必要なのは力ではなく『智謀』であると悟った彼は、一族と一族が長年に渡り研鑽を積んできた呪術を引っ提げて、都市の支配者層へ売り込みをかけた。
結果として彼の算段は実を結んだ。
彼の目に映った当時の都市支配層は下層の者たちよりもずっと優雅な生活を送っていながら、そのほとんどが大変に臆病な性格の持ち主であった。それゆえに、生き馬の目を抜くような政治闘争の渦中において敵に気取られることなく暗殺を行える呪術の特異性が、どれほど役立ったかは計り知れない。
優秀な呪学療法士を手元に置いておくことが、支配者としてのステータス――その暗黙の了解が浸透した頃には、キュリオスの一族は最上層の一画に拠点を持つほどまでに権勢を奮っていた。
高祖父が築いた盤石な一族の力は、曾祖父へ受け継がれ、そしてキュリオスの祖父が一族の長に座った時、事件は起こった。
「祖父は狂っていたよ。親戚中から変人奇人と陰口を叩かれていたが、それが真実だってことを、あたしはあの日、嫌と言うほど思い知らされた」
彼女が語るに、次のようなことがあった。
キュリオスの祖父は、およそ道徳とか倫理とか、そういった社会通念に唾を吐きかけるほどの、逸脱した性愛至上主義者だった。『産めよ増やせよ』のスローガンを絶対のものとして、自身の三十二人の娘たちと毎晩のように不義の交わりを続け、何十人もの孫たちをこしらえた。通り魔的に、夜道を歩く女性を襲ってむりやり妊娠させる凶行にすら及んだこともあった。
それだけなら――いや、これだけでも相当な問題ではあるのだが――色情魔の烙印を押されるだけで留まった。それだけでは終わらなかったのが、祖父の異常なところだった。
孫たちがそれなりの年齢まで成長したある日、祖父は彼らを自らの『別宅』へ呼びつけると、冷静にこう口にした。
いまこの場で、それぞれが持っている呪力の限りを尽くし、殺し合えと。
突発的にして残虐な指令を下したのには、彼なりの理由があった。つまり、彼は人間を使った『
家長である祖父の言葉は、孫たちにとって絶対の鎖であり掟だった。言葉を操るキュリオスの一族は、いつのまにか『言葉に縛られた』一族と化していたが、キュリオスを除いて、それを自覚する者はいなかった。
狂乱と怒号と悲鳴に掻き混ぜられた子供たちの殺し合いは、たった一時間のうちに決着を迎えた。
血で血を洗う戦いを切り抜け、最期の一人として生き残ってしまったのが、キュリオス・ラーンゲージ・モージョー。
祖父の言葉に殉じた七十二人の孫たちの中で、三十二番目に生まれた当時十二歳の彼女だけが、人蟲として覚醒してしまった。
「お気に入りの服を兄弟の返り血で汚しちまったあたしに向かって、祖父は笑いながら駆け寄ってきた。それが奴の運の尽きさ。ああ、もちろんその場で殺してやったよ。皮肉なもんだね。人蟲を欲しがっていたくせに、その人蟲にあっさりと殺されちまうんだから、まったくお笑い種だよ」
たしかに彼女の祖父は、一般的な道徳観念の下に照らし合わせて見ると外道もいいところだ。
だがそれは、表の社会の話である。裏の世界で生きてきた呪学療法士の一族からしてみれば、その通りではない。
どれほど非道的な行為に見えたとしても、彼は享楽に狂って殺し合いを誘発させたのではなく、人蟲を創るという明確な目的があったわけだし、何より、家長殺しは大罪である。露見すれば、親族会議にかけられるまでもなく、私的極刑は免れない。
一族の手が伸びる前に、キュリオスは野に下った。家長殺しの大罪人である彼女を放っておけない家族や親戚一同は、一族の面子を守るために、彼女を殺す道を選択した。刺客を送り込む他、時には様々な手管を駆使しつつ、直々に呪的闘争を仕掛けたりなどした。そのことごとくを、キュリオスは跳ね返し、軽々と相手取った。
人蟲と化したキュリオスを相手に、モージョー一族の勝ち目のない戦いは、それでも続いた。ただ、名誉と誇りのためだけに続いた。
最終的に、その後戻りの効かない呪的暗闘は、一族の滅亡という形で幕を閉じた。
それでもまだ、キュリオスの中で決着はついていなかった。落とし前をつけさせる必要があると感じた。自分を『こんな身体』にした祖父に従順と遜っていた一族の死骸を前に、彼女は思案した。
死してなお、どんな目に遭わせてやろうかと。
復讐――導き出した単純な結論がどれだけ暗黒に染まっていようと、絶対に間違ってなどいないはずだ。少なくとも、当時の幼いキュリオスはそう確信していた。相手の人間性を徹底して凌辱する、脳裡で編み出した呪的手法に至るまでも。全てが正しいと信じるしかなかった。
魂の蹂躙。それが凌辱の答えだった。
一族の遺体から魂を抽出し、それを都合の良いように調整して元の肉体へ埋め込み直し、疑似的な生命を与えたうえで延々と働かせる。その結果が、館に吊り並べられている物言わぬ呪蘇儡人たちだった。
人蟲であるからこそ可能な圧倒的呪術による、終わりの見えない精神的な虐げ。それをされる責任は当然に相手にあって、自分もそれをやるだけの権利があると、キュリオスは疑いを持たなかった。
だが今では、彼女はこう思っているに違いない。あの時の選択は間違ってはいない。そして、正しい選択でもなかったと。なによりも、己の過去をつらつらと口にするキュリオスの瞳が、それを物語っていた。
「祖父の言いなりだった親戚連中は、まず間違いなく人間の皮を被った怪物だった。けれど、あたしだって怪物であることに変わりはない。だから、才覚を隠すことに決めたのさ。その上で、ここはうってつけの場所なんだよ」
圧倒的な力を持つ者は、己が怪物であることを自覚しなくてはならない。そう自らに言い聞かせているかのようだった。才覚をなるべく隠して生きるべきだと。
キュリオスの根底に流れるものを、ルル・ベルは話の中から感じ取っていた。もうすっかり定着されてしまい、今後も決して変わることはないであろう、その孤独な生き方を。
「それでも……」
身の上話を一通り喋り終えたところで、キュリオスはじろりと、椅子に座って何食わぬ顔をしているラスティを盗み見た。
「たまにどうしたことか、あたしの名前を聞きつけて依頼を寄こしてくる奴がいる。まぁ、あたしとしても、金はあるに越したことはないから、好きで請け負っているんだがね」
「お金、結構かかるんですか?」
「んー?」
キュリオスは、今度はまじまじとルル・ベルを見やると、何かに気づいたかのように小さく笑った。
「そうかい。お嬢さん、相当面倒くさい呪戒を掛けられちまったんだね」
ルル・ベルは全身を緊張で硬くさせた。
まだ何も話していないのに、なぜ分かるのかと言った目つきになった。
「どうして――」
キュリオスが、くっくっ、と喉の奥で声を鳴らす。
「さっきも口にしたけど、この歳にもなると、分からなくていいことまで分かる様になっちまうのさ。それに、この男が私のところに来るときは、決まって呪詛関連の依頼を持ち込むときと決まっているからね。どれ、見せてごらん。あたしの手に負えるものかどうか、まずは判断する必要がある」
パイプを咥えたまま、患者を手招きする。その褐色に染まる麗しい手先が、するりとルル・ベルのうなじの辺りに差し込まれ、
それを離れたところから覗き込むようにして観察していたラスティだったが、はっとなって顔を背けた。刻印の色味が濃くなっている。浸食が進んでいることの証拠だった。死神の鎌は確実に、ルル・ベルの命へ迫っていた。
普通にしていては気づかない。事情を知らぬ者が見たら、刻印も火傷の痕に見えるかもしれない。だがそれは、確実に幼い体を蝕んでいる。
死の恐怖――絶対的な暴力――それを前にしても、どうしたことか。ルル・ベルはずっと平然な素振りを崩さない。なぜ平常心でいられるのか。あるいは装っているだけなのか。僭主のことを思えばこそなのか。考えても明確な答えは得られないが、ただ一つ言えるのは、ルル・ベルには錆びついた自分とは違う、眩しい光のような――天に瞬く星のような覚悟があるということだけだ。
それを、欲しいと望む自分がいることに、ラスティは薄々気が付いていた。
「こいつは……なるほど。カイメラに出くわしちまったとはね」
キュリオスの眼に、一瞬だけ険しさが宿る。
「解呪……できそうですか?」
「まぁ、やるだけやってみるさ」
ルル・ベルのうなじから手を離しながら、キュリオスは独りごちるようにそう呟いた。
「とりあえず、施術室に行こうか。お嬢さん」
しかしそう言っておきながら、キュリオスの車椅子はぴくりとも動かなかった。その代わりに、目覚めようとする者らがいた。
壁に吊るされている大量の呪蘇儡人。そのうち三人の首に嵌められていた電子首輪が、音を立てて解除された。キュリオスが脳裡で言霊を唱えたことによる結果だった。
呪蘇儡人たちの死んだ眼差しに、意識の覚醒を意味する光が宿る。彼らは落下することなく、ふわりと宙を泳いで降りてくると、一流の体操選手がごとく、ぴたりとキュリオスの傍に音もなく着地した。
ルル・ベルの前に現れた三人の呪蘇儡人。モージョーの一族にして、キュリオスの手で殺され、魂を持ちながら物言わぬ人形と化した彼らの姿は、見事にばらばらだった。一人は哲学者めいた白髭を蓄えた老人で、一人はでっぷりとした腹を揺らす中年女性で、一人は金髪を後ろで束ねた、中世的な顔立ちの少年だった。
「お前たち、このお嬢さんを施術室に連れて、先に準備を整えておきな」
高圧的な命令に反抗する余地など、彼らの魂には残されていない。まさにキュリオスが言うところの奴隷のように、老人がルル・ベルの背に手を当てた。ぞっとするほど冷えた手だった。思わず軽く背を仰け反らせるルル・ベルの体を、キュリオスの、優しさがたっぷりと含まれた声が撫でる。
「心配することはないよ、お嬢さん。呪蘇儡人、なんて珍妙な名前をつけちゃあいるが、元々の肉体は都市の裏社会に名を轟かせた呪学療法士・モージョー一族のそれさ。あたしの指示はてきぱきとこなすし、ミスなんてさせないよ……さ、お前たち、連れておいき」
ルル・ベルと呪蘇儡人たちが隣の部屋へ消えたのを見届けると、キュリオスは小さく溜息をつき、車椅子のタイヤをきりきりと回転させながら、ラスティへ向かい直った。
「どうやら今回ばかりは、依頼人の方に興味をそそられるね」
「釣ってきた魚がデカすぎて、びっくりしたか?」
「珍しいことに変わりはないさ。しかし、カイメラの呪戒もそうだけど、
「なに?」
「だってそうだろう?
「……組織は関係ない」
「なんだって?」
「あの子の意思だ。彼女が、自分から人間になりたいと望んだ結果だ」
意外だったのか、キュリオスのオッドアイが僅かに見開かれた。
それから得心したかのように、うっすらと眼を細めた。
「ははぁ、
「まぁな」
「長くなりそう?」
「ああ」
「だったら、あの子の施術が終わってから聞くとするよ」
「そうしてくれ……それと、もう一つ伝えたいことがある」
ラスティは両膝の上で組んでいた手をほどくと、前のめり気味になって言った。
声には少しの緊迫感と申し訳なさがあった。
「俺達は追われている。
「つまり、ここが襲撃される恐れがあるってことかい」
「まず確実にな……すまない。あんたには、大変な迷惑をかけることになる」
ラスティが、彼にしては珍しいことに小さくうなだれた。キュリオスは、しかし気後れするようなこともなく、何を今さらと言わんばかりに快活に笑った。
「ラスティ。今晩のあんた、なんだか妙に面白いじゃないか」
「からかわないでくれ」
「そう不機嫌になりなさんな……まぁいいよ。手術は迅速にやる。それからあんたの話を聞こう。で、お客さんがやってきたら、そいつを相手取るってことにしようかね」
算段を決めるとキュリオスはラスティに背を向け、隣にある施術室へ向かった。車椅子というハンディキャップを背負った姿なのに、それを微塵とも感じさせない佇まい。それでも、実際に
キュリオスの腕前は十分に熟知している。それが、どれほど高いレベルにあるのかも。だが、どう転ぶか分からないのが、この都市の常だ。
十中八九、館は戦場になるだろう。最悪、キュリオスに被害が出る可能性だってある。それを考えると、何故だか自分のことだけで精一杯な生き方をしてきたラスティの胸に、迫るものがあった。
「あんた……いつからそんな心配性になったんだい」
探るように放たれたキュリオスの問い掛けにも、どうしたことか、上手い返しが見つからない。
さらに質問は重なる。
「あたしの腕が信じられないとでも?」
「そうじゃない。ただ、奴らを甘く見るなとは言わせてもらう」
「自分がかたわになったからって、こっちにまで臆病風を吹かせなくてもいいよ。まぁいい。どうせ
「何を?」
「決まっているじゃないか」
キュリオスは施術室へ通じるドアの前まで車椅子を進めると、はっきりと宣言した。
「技術は呪術には絶対に勝てないってことをだよ」
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