1-7 【喚起】の魔触獣④

 何かを思い出したように急に方向転換した車を見て―そもそも、眼球に等しい器官を触腕が備えているかどうかは不明であるが―一瞬だけ触腕たちの反応が遅れる。だがそれも、本当に僅かのことだった。ラスティたちの狙いを知ってか知らずか、動きを止めようと再び襲い掛かる。

 しかしながら、勝ちを拾いに行く姿勢を整えたラスティにとって、触腕はもはや驚異的存在ではなく、ただの障害物に成り下がっていた。それ以上でもそれ以下でもなかった。事実、車体に迫る触腕の一本一本をサイドミラー、あるいはバックミラー越しに捉える度に、彼は人工的に植え付けられた異能の力を発現させ、正確に捩じ切っていった。

「ルル・ベル、ナビゲートしろ」

「てか、さっきからずっと呼び捨てにしているけど、馴れ馴れしいからやめてよ……あ! そこの角を右! 右に曲がって!」

「一度言えば分かる」

 つまらない言い合いの最中、夜霧が輝きを孕んだかと思うと、不意に晴れたその先に、倉庫街の広大な敷地が飛び込んできた。触腕の無差別な暴れっぷりを示すように、辺りは滅茶苦茶に破壊されていたが、走行が困難なほどではなかった。

「次、左に曲がって!」

 言われるがまま曲がった先、進行方向の先に横倒しになったトラックが二台あるのを見つけた。右に避けると同時、ラスティの両眼がサイドミラー越しに、その二台を捉えた。すかさず歪視ワーピング。捩じ切った瞬間に盛大な爆発がトラックの内側から生じた。吹き上がる火炎の雪崩が、後方から迫る触腕を焼き払っていく。

「最後に右! そのまま行った先に本体がある!」

 車体を正確にコントロールしながら、ラスティはしっかりと標的を彼方に認識した。もはや廃墟と呼ぶに匹敵するほど荒廃した倉庫街の奥まった一点に、暗い水面を背にして、二階建ての一軒家ほどの巨体を誇るテンタクラスタが、規則的な鼓動の下に蠢いていた。

 粘ついた体表に刻まれた縦長の眼球群。それが、突然の車の出現を前に、びっくりしたように大きくなった。

 ラスティは、まず考えた。どうやって術者を殺すか。

 すぐに答えは出た。

 やはり、あのブヨブヨした薄気味悪い駄肉の塊を削ぎ落としていくしかないと。

 車の速度を緩めることなく、ラスティは歪視ワーピングを放ちに放った。フロントガラス一枚を隔てた先。ラスティの両眼から繰り出される不可視の万力が、柔粘獣の巨躯を千切り取っていった。強く意識を集中すれば集中するほど、一度に捩じ切れる範囲と深度も広がるというのが、この能力のもう一つの売りだった。

 柔粘獣のそこら中から白い体液が飛び散り、青黒い肉片が地面に重く広がる。異界からび出された異形は、この世のものとは思えぬ大絶叫をかました。だが治りが早い。すぐに断面の肉が泡立って再生の兆候を見せる。

 まったくキリがなかった。苛立ちが先行して愚痴がこぼれかけたが、すぐにラスティは息を呑んだ。

 視界の左端で鋭く旋回する何か。建物を陰に、ラスティたちの死角を縫って本体から伸びる二本の触腕だった。術者を排除することにばかり意識を傾注していたせいで、対応がおろそかになったのが痛い。

 この距離からでは、視線を合わせてもぎりぎり間に合わない。

 しかし、彼の命がここで潰える事はなかった。

 触腕のすぐそばで、平べったいピンク色の楕円物体が宙を舞った。その表面がぎらりと発光。プリズム色に輝く光の帯が、勢いよく触腕へ放たれた。途方もない熱閃の一撃である。みごとに触腕は焼き尽くされ、あっという間に炭化した。

「援護する」

 隣で、ルル・ベルが得意げに鼻を鳴らした。詠唱を必要とせずとも魔導式の発動を可能とする魔導具(マカロン)の数々を、膝の上に広げながら。

「頼んだ」

 短く告げてから、ラスティは攻撃を再開した。タイヤが地面を激しく擦るたびに、彼の力もますますの躍動を見せるかのようだった。彼の死角から襲い来る触腕の数々は、ルル・ベルの魔導具(マカロン)が蹴散らした。

 ハンターと依頼人。人間とアンドロイド。

 立場の違う者たち同士の即席のコンビネーションは、決して互いの信頼関係に立って築かれたものではない。だが、生きる意志の下に二人が繰り出す協力攻撃の威力は本物だ。なす術もなく、衝撃に圧されるがまま、柔粘獣の巨体がズズズと後ろへ押し出されていく。

 どれだけの歪視ワーピングを喰らわせたか。

 白濁とした体液の泉の奥。

 捩じ切られ続けて生じた肉の穴倉の向こうに、ついにそれを発見する二人。

「アレトゥサ……」

 柔粘獣の体液とない交ぜになった、青灰色シアン・アッシュのショートボブに白いボディ。四肢をおぞましい魔肉の海に埋没させながらも、アレトゥサ=エル=アウェイクは黄金の瞳を輝かせていた。

「あれで生きているのか?」

「……半分、魂が器から離れかかっているようなものだよ。魔力をダイレクトに供給できるように、神経レベルで接続しているはずだから」

 なんとも言えぬ凄絶な光景だった。目的を達成する為なら、己を平気で供物の祭壇に掲げる、行き過ぎた自己犠牲の精神。それの下において実行される破壊活動の数々。人間の理解が及ばぬ凶行の源は何か。ラスティは考えるのも恐ろしく思えた。

 すでに車とテンタクラスタとの距離は少ししかなかった。ラスティはキー付近のレバースイッチをオンにした。車体の天井部分が左右に開閉。蒸し暑い夜風が一気に車内に雪崩れ込んでくる。

「君は逃げろ。あいつは俺が殺す」

 ルル・ベルの反応を伺うこともなく、ラスティはその場で立ち上がると、垂直方向に跳躍。遥か頭上から人工の月光が降り注いで薄闇を照らし、鋼鉄の肉体が鈍く輝きを放つ。そのまま一息に宙で反転。足先から近くのメタルルーフへひらりと着地した。全身義体者だからこそ可能な超人的な膂力の披露は、果たして意識混濁とする人形の眼にどのように映っているのか。

 外気に晒されたアレトゥサの全身を防護するかのように、柔粘獣の魔肉が再生を始める。そこへ、制御を失ったオイル・カーが激突。轟音と共に爆発炎上を何度か繰り返し、黒煙に混じって鋼と肉の破片が散らばった。

 もうもうと立ち込める煙の向こうを、じっと見やる。アレトゥサの胸元は大きく抉れて、金属質の中身が露出し、紅色に染まるハイドレーションが零れ出ていた。それでも、触腕がぎこちなくも活動を止めないところを見るに、まだ供給は続いているらしい。

「頭!」

 地面から興奮気味の声がした。覗き込むようにすぐ下を見ると、地べたに座り込んだルル・ベルが懸命に声を張り上げている。

「頭を潰して! それで活動が止まる!」

 頷く時間も惜しいとばかりに、手練れのサイボーグ・ハンターは両脚部にそれぞれ一門ずつセットされたスラスター推進システムを駆動させると、さながらスケーティングの要領で宙へ飛んだ。寸毫すんごうの間を置いて、最後の抵抗とばかりに大気を鋭く衝いて旋回してくる五本の触腕。

 金属と肉。無機と有機の空中激突。それは、驚くほどに、速やかに決着がついた。

 ラスティの左前腕側部が超速変形展開。繰り出された高周波振動ブレードが、鋭い斬閃の軌跡を闇夜に刻むと共に、縦横無尽に襲い来る触腕の全てを容赦なくぶった斬った。残酷なまでに、冷静に。

 苦悶に喘ぐ柔粘獣。無数の杭歯口が牙を向く。銃撃の如く放たれるは、緑色の超酸性溶解液弾ジェル・ソリッド。しかし激射されるそれらの液状弾丸すらも、今のラスティには通用しない。空中で独楽のように旋転して、見事に躱す。そのまま勢いを維持。ついに半壊状態のアレトゥサを組み敷くに至る。

 魔女と忌み畏れられるアンドロイドも、こうして間近で見るとただの人形だ。黄金色の瞳には得体の知れぬ不気味さこそあるものの、ルル・ベルのように意志らしいものは感じ取れなかった。やはりルル・ベルだけが、どこか特別なのだろう。

 深い眠りから覚めるようにして、アレトゥサの首がゆっくり持ち上がる。粘液に塗れた唇を動かして、何か言葉を口にしようとした。だが、聞く耳は持たないとばかりに、ラスティは無情にも右膝を突き出して彼女の口を塞いだ。そのまま武装を展開。機械化された右膝がたちどころに機関砲の形状へ変形。

 外装埋込式M330擲弾てきだん――ブレス・ショット。一度につき三発だけ内蔵可能な偉大なるグレネードが、恐るべき速度で発射された。砲撃と見まがうばかりの焼炎ブレスが、アレトゥサの口腔内はおろか、怪物の体内すらも怒濤のパワーで圧し広げ、焼き尽くしていく。

 同時に視界を覆い尽くす、真っ白なハレーション。そこから逃げるように、ラスティは身にかかる反動を利用して限界まで後ろへと反り返り、一転して膝立ちに起き上がった。

 顔を上げると、頭部が柘榴のように弾け飛んだ魔女の遺骸が視界に飛び込んできた。シールド処理された導脈回路が焼き切れた影響で、不気味な痙攣を起こしている。それが、アレトゥサが最期に見せた生の残滓だった。

 痙攣は十秒と続かず、あっけなく人造の魂は天へ旅立った。柔粘獣も再生することなく、ぐしゃぐしゃに自己崩壊していった。

「やった……」

 安堵を匂わせるルル・ベルの声にラスティは思わず振り向いた。

 赤い目に白い肌。容貌は人間離れしているのに、人懐っこい笑みを浮かべている。それが実に奇妙に映った。動物が必死に人間の真似をしているような滑稽さがあった。そんなルル・ベルを嘲笑うでもなく同情するでもなく見つめるラスティの目には、機械の彫像のような厳しい光が湛えられるばかりだ。

 なぜにルル・ベルは、こんな化生じみた集団に追われているのか。その理由を聞き出す義務が彼にはあった。己のやるべき事を、ラスティはしっかりと思い出していた。荒々しく、肩で息をつきながら。

 何時の間にか、粘り強く降り続いていたはずの雨は、すっかり上がっていた。

 当面の脅威は去ったが、しかし何一つ事態は明確さを帯びてはいない。訳も分からないまま、ラスティは怪物を葬り去った。襲い掛かる脅威を蹴散らすのに精一杯だった。それだけが事実だった。電子チップを介して精神を落ち着かせるのも忘れてしまうくらい、いまは気持ちが浮ついていた。

 振り返ると、塵となった怪物の遺骸が、都市の東側から吹き下りてくる風に乗って海の彼方へ運ばれていく光景が目に入った。それが、ラスティに時間の経過を感覚させた。

 次第に、地に足が着いていく。意識の一片から、余裕の片鱗が顔を覗かせた時だった。

、逃げられるなんて思うなよ』 

 不意に悪夢が、ひょいと顔を覗かせてきた。

 ビジョンの到来――生暖かい口臭。針のような無精髭。煤けた頬が喜色に歪む様。多指症に罹って七本に指が増えた右手。それらが、リアルなイメージとなって脳内を占拠しかけた。

 激しい嘔吐感を覚えそうになって、慌ててラスティは電子チップを起動した。即座に、種々の脳内物質が大急ぎでシナプスを駆け巡る。精神にメッキを徹底して吹き付け、意識を更新させる。

「ちょっと、大丈夫?」

 ルル・ベルの心配そうな問いに、やや食い気味に「問題ない」とラスティは応答した。

 呼吸を落ち着かせ、冷静に辺りを見回す。

 スクラップと化したオイル・カーが、もうもうと黒煙を吐いていた。

 フェヴに言われるであろう嫌味の数々が脳裡を過った。

 だが、高い買い物だったとは思えなかった。

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