1-4 【喚起】の魔触獣①
雨煙立ち込める空の下。降りしきる酸性の雨に灼けた、熱帯夜の路面。螺旋のようにねじくれた幹線道路を、黒に塗り固めたオイル・カーが走行している。
ついさっき降り始めた白濁の雨は一向に止む気配を見せず、したたかに路面を打ち続ける。大型バッテリー駆動のトレーラーが対向車線を通過していく。強烈なヘッドライトが雨のカーテンを突き破り、ラスティ・アンダーライトの仏頂面を厳しく照らした。
すれ違うのは、どれも湾港方面からのトレーラーだった。積み荷の中身は、都市の地中深くから抽出・精製された
石炭や石油に頼っていた時代など、今では遠い昔の話だ。電気、都市ガスばかりではない。アンドロイドの体内循環液に使用されるハイドレーションも含めて、あらゆる二次エネルギーへの高効率変換を可能とするその万能資源が、都市のエネルギー経済を支えてから、百年以上もの歳月が流れていた。
車は、E区から見て北東方面に位置するD区へと続く、長い四車線の鉄橋へ差し掛かった。橋の終端部に料金精算を兼ねた検問所があるのを遠目で確認すると、ラスティは左手で助手席のダッシュボードを開け、長方形型の薄い包み紙を一つ取り出した。
ずぶ濡れの耐環境コートを着込んで検問所の番をしているのは、都市公安委員会に所属する
高架道路の建設ラッシュ時代に、資材狙いで襲撃を繰り返すギャングたちを鎮圧する目的で設置されたのが、検問所の始まりだった。謝礼として建設会社から金銭を受け取っていた時代の名残りが、『正義』を標榜していた彼らの組織体制に『傲慢』の二文字を上書きしたのは確かだろう。その証拠に、交通検問の任務に就く彼らの頑なな姿勢が、実は観察すれば上辺だけのものと分かる。事実、まじめ腐った表情の向こうに隠された浅ましい欲望が、ラスティには透けて見えた。
ラスティは検問所に車をつけて窓ガラスを全開にすると財布から電子カードを取り出し、検問所に備え付けの料金精算用パネルへかざした。法律に規定された通りの交通料金。その支払いが完了してから、ラスティは先ほどの包み紙を
一人の隊員が奪い取る様にして包み紙を受け取った。デジタル・サンバイザーの奥で目を光らせて中身を確認。口元に薄く浮かびかけた笑みを噛み殺すように、唇を引き締める。ラスティは内心で彼らを見下しながら、眉をピクリとも動かさず、車を発進させた。
D区に入って、道なりに高架道路を走る。地上からそれなりの高さがあるせいで、意識せずとも、都市最下層の街並みが目に入った。中層域の馬鹿でかい岩盤を支える無数の支柱や、二次エネルギー及び食糧配給に利用される階層間エレベーターが、夜の空間を縦に貫いている。その隙間にねじ込まれている建造物の数々も、妙に怪しげなものばかり目立つ。
たとえば、ネザー・リバーを隔てて西にあるB区方面付近の区画は、違法増築を繰り返した集合住宅の巣窟と化して久しい。デタラメに並べられた落ち物パズルのピースを彷彿とさせる無秩序極まる佇まいは、混沌渦巻く最下層域の現状を現わしているかのようだ。そこから南西に位置するC区方面は最下層域唯一の歓楽街として有名だった。街灯オイルランプが歩道のそこかしこに設置されているだけでなく、店の看板や外壁にもランプケーブルが蔦のように巻き付いている。炎色反応の原理の下、闇の底でどぎつい原色光を放ち続けるそこだけが、夢幻めいた賑わいに満たされていた。
オイル・カーは途中で幹道を外れると、より地上に近い専用道路のジャンクションを通過していった。段々と、ウエストサイド
レンガ造りのゲートハウスに掛けられた電光掲示板で『第三倉庫街』への道筋を確認。鋭く周囲に意識を向けながら、ラスティは正確に車をそちらへ走らせた。寝静まる怪物めいたコンボイや、色とりどりの巨大コンテナが夜の湾港に佇む姿は、なんとも言えない圧迫感があった。しかし、ラスティは微塵も物怖じすることなく、冷静に目的の場所がどこであるかを、フロントガラス越しに見定めた。
血の気が引いたような色合いの、メタルルーフを被った五つの倉庫。フェヴのメールに記されていた通りの場所である。
ラスティはアイス・ブルーに光る多機能義眼の奥で、ちりっと、電子の光を灯らせた。遮蔽物を看過する
ラスティは倉庫の前に車を停めると、分厚い鉄の扉を右手だけで勢いよく引き開けた。足元で砂埃が小さく舞い上がった。左手の指先が捲れて強力な光が放たれ、それがライトの役割を担って、倉庫の全貌を暴いた。
コの字型に積まれ、ブルーシートに覆われた荷物の山や、怪物のような威圧感を放つフォークリフトに囲まれて、揺らめく影。ラスティは光の軌跡の先に、荷物に寄りかかるようにして静かにうずくまっていた小さな体が、ゆらりと起き上がるのを見た。
ラスティは、彼女こそが依頼人で間違いないと直感するのと同時に、思わず息を呑んだ。理由は二つあった。一つは、彼女の瞳に昆虫めいた無機質さと、イルカのような知性の片鱗を感じ取ったから。二つ目の理由は、依頼人の見た目がどうみてもまだ十代半ばの、人間の小娘に見えたせいだ。
「あなたが、ギルドの人?」
居心地悪そうに、少女は体をもぞもぞと動かしながら尋ねた。幼い顔立ちには似つかわしくない、挑むような美しい眼差しが大人びている。実にアンビバレントであった。
ラスティは「そうだ」と、特に安心させるような気配りも見せず、ずかずかと依頼人へ歩み寄った。少し、横柄ともとれる態度だった。
相手が子供だろうと大人だろうと、貧乏人だろうと金持ちだろうと、ラスティには関係ない。彼にとって重要なのは、報酬金を支払ってもらえるかどうかの一点だ。依頼人と良好な関係を築いたところで、最初に掲示された報酬金が変動する可能性は極めて低い。だからこそ、媚びるような態度をとったり、良い印象を持ってもらおうと頑張るのは、無駄な努力だと割り切っていた。
「ハウリング・ギルド所属のハンター、ラスティ・アンダーライトだ。君の名前は?」
「ガーラーテイア=エル=ニュクス。ガーラーテイアって、仲間たちからはそう呼ばれている」
「改めて耳にすると、ずいぶんとおかしな名前だな。近頃のナノボトルだって、もう少しマシなネーミングをしているものだが」
遠慮というものを知らない口調で、ラスティは言い放った。初対面の相手に向かっての、その不躾な振る舞いのせいで、第一印象は明らかにマイナスだ。
「百二十ゼニルで誰でも買えちゃう安っぽいジュースと一緒にしないでよ」
先ほどの不安げな仕草から一転して、少女は顔をしかめると、唇を尖らせて言った。
「ガーラーテイアはあくまで通称且つ識別コード。真名は『ルル・ベル』って、それはそれは素晴らしい名前があるんだから」
「わかった。じゃあ俺もそう呼ばせてもらおう」
有無を言わせぬ男の声音を受けて、ルル・ベルの両眉が自然と上がった。断りもないうちに心の中に土足で踏み入れられた気分に陥って、彼女の中で密かに反抗心と疑念が芽生えた。
「あなた、本当にハンターなの?」
「そうだが?」
間髪入れずに言い切るラスティ。それでもルル・ベルの疑念は晴れない。
「証拠を見せて。それでなきゃ納得しない」
ラスティはわざとらしく溜息をつくと、ジーンズのポケットからライセンスプレートを取り出した。太い鋼鉄の親指が軽くそれをひと撫で。淵の部分が一瞬だけ光って、
「これで問題ないな?」
プレートを仕舞いながら放たれた声に、ルル・ベルは静かに頷くかたちで応じるしかなかった。憮然とした表情の奥で、想い描いていたハンターの理想像が砕かれた瞬間だった。障害を突破する力を備え、困っている人々の為に奔走するという、雄姿と謙虚さに溢れた職業。それがルル・ベルの考えていたハンターの姿だった。しかし、目の前に立つラスティから、それは微塵も感じられなかった。見た目通りの声音も合わさって、さながら鋼鉄の像といった印象が強い。
「表情は時に言葉よりも雄弁だ」ラスティが妙に格言めいた事を言った。
「はい?」
「顔に出ているという事だ。君、ハンターがどういう職業であるかは知っていても、どういう人種が携わる仕事かは知らないようだな」
純真無垢な子供に大人の汚さを教えてやるような口ぶりだった。
「とりあえず車に乗れ。ぐずぐずしていると、同業者に見つかって面倒くさいことになる」
ラスティはルル・ベルの右手を取り、無理矢理立ち上がらせた。ルル・ベルの身長はラスティの胸元までしかなく、本当に体格だけで言ったら成長途中の子供も同然だった。
「先に唾つけようってこと?」
「そうだ。良く分かっているじゃないか。自分の立ち位置をな」
女の子らしく、コートについた砂埃を丁寧に払う彼女を
だが、相手にどんな印象を持たれようが、ラスティにとっては関係なかった。彼の中で重要なことは別にあった。この依頼を成功させれば大金が手に入る。そうすれば、目標金額は無事に達成。晴れて手術を受けられるという望みがあった。頭の中が目先の利益で一杯だった。
だから、この時のラスティは周囲への気配りを怠ってしまっていた。涼し気な見た目からは分からないが、心は明らかに精彩を欠いていた。
ゆえに、予兆に気づけなかった。
「依頼概要を読んだが、護衛ほど楽な仕事はない。向かってくる相手を叩き潰しながら、依頼人を目的地へ誘えばいいだけだからな。それで、どうして追われているんだ?」
運転席に乗り込んでから、ラスティは明日の天気を訊くような調子で尋ねた。ルル・ベルの機嫌がますます悪くなった。自身の存在と、この危機的状況を軽んじられていると意識したせいだった。
「なんか簡単げに言っているけれど、もっと真面目に考えてもらわないと困るよ。事態はもっと複雑なんだってば」
助手席に座ってドアを閉めながら、思わず荒れた響きの声音でルル・ベルは言った。しかし、ラスティは静かに首を縦に振るだけだった。
「たしかに複雑だが、しかし同胞の
「残念でした。大ハズレ。このわたしが僭主様を裏切るような真似をするはずがないでしょ。何もしていないし、わたしは何も悪くない。お願いだからさ……それくらいは、信じてほしいな」
「じゃあ、まずは詳細を話して貰おうか」
しかし、ルル・ベルはすぐには口を開かなかった。周囲の気配を探る様に、視線だけをきょろきょろと辺りへ向ける。
「なんだ、だんまりを決め込んで。口を動かさなければ、何も始まらないぞ」
「……いや」
「うん?」
「ちょっと、今は無理みたい」
体の中心が沈むような感覚を覚えつつ、ルル・ベルの表情がみるみるうちに青ざめていく。
その時、ラスティはようやく気付いた。自分を取り囲む状況が、何か良からぬ方向へ傾いていることに。
だが、全てが遅かった。状況の天秤にどれだけ錘を載せようとも、事態は既に好転の兆しを喪失していた。
具体的な行動を起こす前に、足下から鳥たちがいっせいに羽ばたくように、予兆が現実のものとなって襲来してきた。
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