トッド・ヘインズ『キャロル』

トッド・ヘインズ『キャロル』を観た。同監督の『ワンダーストラック』を観たかったのだけれど、この映画について今一度考え直す必要があると思ったのだ。


古き良き時代、つまり今よりも保守的だった時代にひとりの女の子が禁断の同性愛という「恋愛」(しかも相手はかなりの歳上)を通して大人になる……と、ストーリー自体に新味はない。数多く作られて来た恋愛映画のパターンをそのまま踏襲しており、意外性に欠けるきらいはある。だがそれがさほど目立たずに面白く観られたのは、やはりこちらが「同性愛」という題材に興味を惹かれてしまうその私が持つ「俗情」に訴え掛けるからだろう。興味本位、とも言えるのかもしれない。それが私の側のゲスな心理を露呈していることに繋がりかねないのを私は否定しない。


だが、大西巨人風に言うなら「俗情との結託」、つまりこちらのゲスな心理につけ込もうとするあざとさはこの映画にはない。丁寧に分かりやすくキャラクターの心理を描いているので、良く言えば松浦理英子氏の小説のように真摯で繊細な味わいがある。原作を読んでいないので何処まで忠実に映画化したものなのかは分からないが、しかしこの独自の上品さ(ルーニー・マーラとケイト・ブランシェットの濡れ場のあの品の良さ!)は「買い」だろう。それは認めるに吝かではない。


それ故に惜しく思うことも確かである。この作品は悲劇的な要素を内包しているが、淡々と進んで行くストーリー展開(それがどれだけシンプルなものかは上述した通りだ)故に起伏に欠けるとも言える。もう少しセンセーショナリズムに頼って描けばもっと良い作品になったのではないかとも思うが、しかしそれをやってしまうとこの映画の持ち味である上品さそれ自体が損なわれてしまう。だからこれはあくまで観る私の側に覗き趣味がある、という「自己批判」としても返って来るのだろう。


あるいは、これが遂に私が「恋愛」というもの全般を理解出来ないから来る限界なのだろうが、ふたりが恋に落ちる心理に説得力を感じなかった。いや、皆無というわけではない。ただ異性愛者である(と思う)ルーニー・マーラが何故ケイト・ブランシェットを愛してしまうのか、その前段階としてボーイフレンドとの不仲な状況をもう少し下拵えしておけばあるいは、とも思う。もしくはケイト・ブランシェットが親権をめぐって争っていることも……ただ、これも痛し痒しなのだ。


この映画では男は徹底して醜く描かれる。ケイト・ブランシェットの元夫、その元夫に情報をリークする男、そしてルーニー・マーラのボーイフレンド……彼らに対する慈悲のない描写は――くどいが、ゲスに描かれることがないのが救いなのだが――この映画を「女性たち」のものとして成立させることに成功していると思う。だから、男たちの情報をこれ以上この映画の中に入れてしまうと女性たちの恋愛の純粋さが損なわれてしまう。だから避けたのかもしれない。それはそれで賢明な判断でもあると思うので、ここで悩ましく感じるのだった。


この映画では「赤」と「緑」が上手く使われる。ルーニー・マーラが店員として勤めるデパートでは赤い帽子を被るし、ケイト・ブランシェットは幾度か「赤」い服と「緑」の服を着替えることになる。登場人物がそのようにして纏う服はどう解釈すれば良いのだろうか? 私はこれを、「赤」い服はキャロル/ケイト・ブランシェットの攻撃的な姿勢を示すものとして、「緑」の服を彼女の親愛や受容を示す柔和な姿勢を示すものとして観たのだけれど、このあたりは自信がない。再見が必要だろう。


それ以外にも色彩美は(原色を使えば良い、という一見すると斬新なようでありながら実は安直な発想を排された姿勢で)活かされることになる。壁に塗るペンキの水色、あるいは「赤」い部屋で現像されるモノクロームの写真の黒さにも現れている。この映画の懐かしさはこうした、制作陣の色彩に対する丁寧なこだわりにあるのではないかとも思った。それ故の「上品さ」も確かにあるので、これもまた悩ましい。野蛮さを求める私はお門違い、ということにもなるのだろう。最後の最後でルーニー・マーラは黒い服を着る。このあたりも、通過儀礼を通して大人になったルーニー・マーラが幼かった頃の自分を哀悼しているかのような、喪の仕事に従事しているような感じがして面白い。


手放しでこの作品を褒めることは出来ない。もう少しダイナミズムがあれば……と思わなくもない。だが、そのダイナミズムがないこと、そういった劇的なデーハーさに拘泥しないことがこの映画を良いものにしているという見解も分からなくもないので、ここで思考が止まってしまうのだった。これ以上のことはトッド・ヘインズの映画を観てから考えてみたい。ともあれ、良質な作品であることは認めるに吝かではないので、あとはこちらの「好み」の問題になって来るのだろう。またしても己を問い直させられる映画、小作りだが良質な映画にぶつかってしまったものだと思わされた。

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