ウェイン・ワン『スモーク』

いつもながら私の話を。私は家に灰皿がない環境で生まれ育った。父親がそういう方針で私を躾けたからだ。私も煙草を吸うことに特に憧れなんかは感じなかった。部活やその他の活動で煙草を吸わされたことも、幸いにと言うべきか一度もない。そしてそんな自分の人生になんの疑問も持たずに生きて来た(脱線するが、酒は姉が持っていた水島新司『あぶさん』を読んで憧れを抱き浴びるほど呑み干した)。


何度目の鑑賞になるのか忘れてしまったのだけれど、ウェイン・ワン『スモーク』を観た。そして、自分が煙草を吸わないがために体験しなかったことも山ほどあるのだろうなと思わされた。煙草を吸うことは、むろんいけないことである。健康上のこともあるし、「煙が目にしみる」という歌のタイトルじゃないけれど他の人にとっても迷惑だ。お金だって掛かるしロクなことがない。だけれども、ある人々は煙草を吸う。その陶酔感は筆舌に尽くし難いものがあるのかもしれないなと思ったのである。


煙草屋で物語は始まる。いつものように、なのだろう。数人の男たちが店主を交えてダベっている。そこにポール・ベンジャミンという小説家が――これもいつものように――煙草を買いに来る。そこでポールは、煙(「スモーク」!)の重さを計ったとある男の話を紹介する。ポールは妻を亡くしたことで心に傷を負っており、スランプに陥っている。だが、とあるアフロ・アメリカンの青年との出会いから事態は一転し……というのがプロットである。


この映画では本当にみんなが悠々と煙草を吸い、煙を吹かす。そして満足気な笑みを浮かべる。私自身細かくチェックして観たわけではないので間違いがあるかもしれないのだが、ポールを筆頭に煙草屋の店主のオーギーはもちろん、青年トーマスや彼の父親であるサイラスも煙草や葉巻を吸う。トーマスが咽てしまいながらなんとか煙草に挑む姿は、下品な喩えになるが童貞を卒業しようとする男の子の姿にも似ている。嫌煙/禁煙の風潮に立ち向かいタブーを犯す煙草は、その意味ではエロティックでもある。


特筆すべきことは色々あるのだけれど、今回の鑑賞で思ったのはこの映画がなによりも表情を楽しむべき映画なのだということだ。例えば、トーマスとサイラスが出会う場面。サイラスは事情がありトーマスを置いて蒸発した身であり、トーマスは執念でサイラスを探し当てたのだが、そのトーマスとサイラスの双方の表情は着目に値する。トーマスは自分がサイラスの息子であることを打ち明けない。だから彼らの表情は緊張しており、しかし少しずつサイラスが――息子であることを知らずに――親身になるにつれて解れていく。だがトーマスは、今のサイラスには新たな妻が居て息子、つまりトーマスにとっての弟が居ることを知り愕然とする。この表情が見事だ。


挙げていけばキリがない。オーギーの前にルビーという女が現れる。ルビーは、オーギーには実は自分たちの娘が居たことを打ち明ける。オーギーはそんなこと知らない。フェリシティというその娘は恐らくはダウンタウンに住んでおり、荒んだ生活を過ごしている。オーギーを観ても、ふてぶてしく不敵な笑みを浮かべながら自分が子を堕ろしたこと、自分勝手に生きていくのだと居直る。しかしその笑みは、自分の父親とやっと出会えた笑みとも取れるのではないだろうか。そのあたりの含みが実に面白い。


そして最後の最後、オーギーがクリスマス・ストーリーを語る場面だ。何度観てもハーヴェイ・カイテルによるオーギーのストーリーのひとり語りに、そしてそれを慎重に聴いたポール/ウィリアム・ハートの表情に唸らされる。オーギーは美談を話すのだが、それが本当である保証はない。嘘かもしれない。嘘といえば、この映画では本当に様々な人が色々な嘘をつく。トーマスはポールの前では自分がラシードであると名乗り、サイラスの前ではポール・ベンジャミンであると名乗る。自分がサイラスの息子であることも明かさず嘘をつく。


嘘ということで言えばポール・ベンジャミンの職業は小説家という、陳腐な表現になるが見事に嘘をつく仕事である。ルビーの、フェリシティが自分たちの娘であるという言葉も嘘かもしれない。ポールはトーマスと一緒に行った書店で店員に、トーマスが父でポールが息子なのだと嘘をつく(このあたり、ポール・オースターの拘る「父と子」の関係性を絡めて語りたいが、もう字数がないので止めておく)。そして、オーギーのストーリーも見事な嘘なのだ。大まかなところは真実だろうが、決して全部本当ではあるまい。


従って、この映画は日本語で言えば「煙に巻かれる」といった形容がしっくり来る。何処までリアルなことで何処からがフェイクなのか、巧く誤魔化されたような……でも、そんな誤魔化しや嘘やデタラメも少し人を幸せにするのであれば良いのではないか、とこちらに訴え掛けて来る気がするからだ。煙草を吸う人間同士の関係性は、まさに猥談や秘め事を共有している人たちの関係にも似ていて、繰り返すがエロティックで大人びている。あるいは、全く別の言い方をすれば児戯にも似た可愛らしさがある。人間、幾つになっても変わらないな……そんなことを思うのだ。Innocent when you dream!

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