ダーレン・アロノフスキー『マザー!』
ダーレン・アロノフスキーは、カタストロフを描くのが巧い。もっと分かりやすい言い方をすれば、人間がどん底まで堕ちていくのを描くのが巧い。こういう監督は基本的に嫌われる。誰だって人間が破滅する物語なんて観たくないだろう。だが、そういう物語にはニーズがある。でなければ彼が『π』から延々とカタストロフ/破滅を描き続けて生き延びられるわけがない。では、何故彼の作品はニーズがあるのだろうか。それを考えながら彼の作品を観るのもまた一興だろう。
『マザー!』を観た。シンプルな話だ。ある夫婦が居る(彼らの名前は遂に明かされない)。あまり説明的なことを語らない映画なので類推するしかないが、どうやら家屋を火事で失ったようで、しかし新しく建て直すのではなく焼ける前の家を再現させようとして妻がひとり奮闘して壁を塗っている。夫は小説あるいは詩を書いているがアイデアが出て来ないようだ。そんな夫を献身的に励ます妻。だが、夫の作品のファンを名乗る医師が現れるあたりから彼らのカタストロフ/破滅は始まる。
なによりも、この映画で記憶されるべきは壁の色だろう。油絵にも似た人工的な色合い、アニメを連想させるような色彩美がこちらをたじろがせる。なんだかハリボテを見せつけられているかのようなのだ。ダーレン・アロノフスキーの作品は何気に色合いが美しいなということは『レクイエム・フォー・ドリーム』の野原の場面や、あるいは徹底的に白と黒のコントラストに拘った『ブラック・スワン』で知っていたつもりだったのだけれど、この映画もまた唸らされる出来だった。
私はキリスト教に関しては全く疎いので、この映画をキリスト教の観点から見る人が居たりして、なるほどなと思ってしまった。それについて深く突っ込んだ分析をすることは出来ないので回避させることにしたい。また、監督の狙いとしては環境問題を扱ったものである、という分析も読んだことがある。無垢な楽園が乱入者によって荒らされ、そして堕落するという図式が例えばキリスト教で言うところのアダムとイヴや、あるいは環境問題における「人類さえ居なければ環境破壊は起こらない」というジレンマを意味しているのだ、という。
それはそれでひとつの分析としては面白いのだろう。だが、それについてこちらでなにか語れるほどのものは持っていないので、ノーガード戦法で別の側面から語ることにしよう。ダーレン・アロノフスキーの作品を全て見たわけではないのだが、彼の作品は主観から見た世界の狂いを巧く描いているように感じられる。と、難しい書き方をしてしまったが要は観ているこちら側までおかしくなってしまいそうな、病んだ映像が表現されているということだ。
主人公の女性は必死になって家屋を作る。完璧なものを目指して……そこに如何なる破綻も生じてはならない、と怯えているかのようだ。それがどれだけ人工的なものであるかは先に書いた。ここまでの執念を以て家屋を作るか、と唸らされる。一方で、夫は必死になってインスピレーションが湧くのを待っている。これもまた完璧主義の為せる技だろう。
さて、妻は完璧な家を作り上げた。そんな妻に必要なこととはなにか。簡単だ。その完璧な家屋を壊すことがないようにふたりだけの愛を育て続けることだ。願わくば死ぬまで……だが、そうならないことは既に述べた通りである。乱入者が現れ、そこで殺人沙汰が生じて、やがて家屋は文字通りぶっ壊されてしまう。略奪が生じ、家屋の様々な家具や設備をめぐって人は争い、そして混沌/混乱が生じる。これを現代社会の闇になぞらえることは容易い。
容易い……だが、悪く言ってしまえばそう受け取るとするならこの映画はかなり陳腐なメッセージを放っている、ということになる。現代社会に問題がないなんて誰も思っていないだろう。みんな、現代社会の病なんてとっくの昔に知っている(ミスチルの歌詞を引けば「みんな病んでる」)。そんな周知の事実としての「病」を見せつけたという、それ以上のものがこの映画にはない。だからどうしたのだ? という呆気なさしか残らないのだ。
こちら側の偽善や欺瞞を描きたいというのであれば、もっと効果的な方法があったのではないか、と惜しまれる。でもそれは結局ダーレン・アロノフスキーが、個人の崩壊は描き得ても(今までの作品でも、ドラッグディーラーやレスラー、あるいはバレリーナの「個人的な」崩壊は見事に描いていた)、人間そのものの崩壊まで描くことが出来ないということをも意味するのかもしれない。その困難と愚直に立ち向かっているというのであれば、なるほどダーレン・アロノフスキーは誠実な映画作家だと思う。
ダーレン・アロノフスキー。個人的にはM・ナイト・シャマランと並んで「世渡りが下手」な作家であると睨んでいる。才能がないわけではないのだ。むしろ凡作しか撮れずに名前が消えていく作家たちと比べれば、抜きん出た個性を備えていると言えるだろう。だが、その個性がアクが強過ぎるせいで万人受けしないのだ。でも、カタストロフ/破滅を描く映画が大ヒットすればそれはそれで不気味なことだとも思ってしまうので、こちらとしては苦笑いするしかない。
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