ジェームズ・ポンソルト『ザ・サークル』

惜しい映画だな、と思った。造り手の野心は見て取れるし、その野心はある程度まで結晶となって成立しているように思う。だが、この映画では見過ごし難い欠点も幾つかある。その欠点がどうしてもこの映画の足を引っ張ってしまっている印象を受けたのだった。


観ていて、ピーター・ウィアー『トゥルーマン・ショー』を思い出した。この『トゥルーマン・ショー』はアンドリュー・ニコルが脚本を書いている。だから殆どアンドリュー・ニコルの映画と言っても良いと思うのだが(実際に最初はアンドリュー・ニコルが監督を務めるはずだった、というような話を聞いたことがあるし)、私はアンドリュー・ニコル監督の映画は好きで幾つか観ていた。『シモーヌ』『TIME』などがそうだ。この映画の造り手はアンドリュー・ニコルの映画を研究したのではないか、と思わせるところがチラホラと見受けられた。


『トゥルーマン・ショー』との類似。それは、例えば主人公が秘密を探るべくカヤックで海上に出向き、妨害されるという展開に見て取ることが出来るだろう。これは『トゥルーマン・ショー』でもそのまま大写しにされていた場面でもある。これはオマージュのレヴェルと言っても過言ではないのではないかと思う。『トゥルーマン・ショー』との類似は、主人公が自分の生活をプライヴァシーを丸写しにして全世界で放映して生活するという構図にも見て取ることが出来る。


もちろん、この映画は『トゥルーマン・ショー』の焼き直しではあり得ない。『トゥルーマン・ショー』が暴いていたのはテレビが普及した社会での思考実験だった。誰かの生活が二十四時間テレビで見られるとしたら……だが、『ザ・サークル』はネット社会の恐怖を描いている。『トゥルーマン・ショー』ではあくまでトゥルーマンという人物が受動的にプライヴァシーを晒されるしかなかったのに対して、『ザ・サークル』は主人公が自らプライヴァシーを公にするのだ。このあたり、『トゥルーマン・ショー』の先を行くディストピアを描こうとする野心が見て取れる。


陳腐/凡庸な言い方になるが、今のネット社会は私たちが進んでプライヴァシーを提供している。頼まれたわけではないのに自分自身のプライヴェートな部分を切り売りして、拡散させている。それはもちろん「いいね」(この映画では「Smile」と表現されるが……)が欲しいからなのだけれど、「いいね」をもらうことが目的化して暴走してしまい、自分のプライヴァシーを余すところなく提供するという過激なスタイルに走ってしまう恐怖をこの映画では描いている。


言い方を変えれば、これは『トゥルーマン・ショー』に対するアンチと言っても良いだろう。『トゥルーマン・ショー』のトゥルーマンは理想の存在だったではないか、私もトゥルーマンよろしく自らを世界に余すところなく曝け出そう、という女性の過激な行動が描かれているのだった。このあたりに製作者の鋭い問題意識を見て取ることが出来る。その意味では『トゥルーマン・ショー』の焼き直しでは決してあり得ない。それは理解出来る。


だが、それは果たして何処まで成功していたのか? ネタを割らない程度に書けば、この映画では結局黒幕となっていた人物の秘密が「オープン」にされて終わる。本来ならその「オープン」にする過程の努力/孤軍奮闘を描かなくてはならないところだろう。血と汗の結晶というか、泥臭い努力というか……それをこの映画では描いていない。それは、この映画がアンドリュー・ニコルの映画よろしく寓話的なふんわりした雰囲気を纏っているがために、その雰囲気をぶち壊しにさせないためだろう。だが、その描かなさはこの映画の致命的な欠点であると思う。アンドリュー・ニコルなら手に汗を握るスリリングな冒険としてそういう努力の過程を描いたはずだ。


あるいは、これもネタを割らない程度に書くがこの映画では悲劇が起きる。だが、その悲劇もまたふんわりとしたタッチでしか描かれないのだ。銃が発泡されるわけでもなく、死に追いやられる過程も生々しいものとしては描かれない。だから、この映画は寓話的な空気を孕んだものとして観ることが出来る。それはアンドリュー・ニコルの映画がそうであるように、魅力的ではある。だが、努力や悲劇をアンドリュー・ニコルならきっちり描き込んで作ったのではないか? そのトゲがない分だけ、この映画は「丸い」ものとして受け取れるのだ。なんなら「ひ弱」と言っても良い。


自ら全てを「オープン」にすること、それを突き詰めてなにもかも「オープン」にさせてしまうこと……そんな究極のディストピアをブラック・ユーモアを交えて描いたその問題意識を私は高く買いたい。だが、それがどうにもピリッとしないのは結局そういう肝腎な部分を描いていないところにあるのだろうと思う。だから、惜しい映画だな、と思ったのだ。アンドリュー・ニコルの映画は一見すると人畜無害な寓話のようでありながら、ここぞというところでピリッとスパイスを効かせて撮っていた。そこが実に残念、という気がする。


エマ・ワトソンやトム・ハンクスの演技は見事。だからこそ、この映画は一層惜しく感じられる。この監督の「次」を観てみたい。

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