イ・チャンドン『ポエトリー アグネスの詩』
イ・チャンドンの映画は不勉強にして、『ペパーミント・キャンディー』と『シークレット・サンシャイン』程度しか観ていない。だから過去の作品と対比させて語るという術を持たない。だからこの映画において私が読み取ったことを書き殴るのが良いだろうと思う。
当たり前の話だが、私たちは三次元で空間を把握している。それが二次元で表現された場合、絵/スクリーンの上部にあるものを「奥」と把握する。逆に考えれば下部にあるものは「手前」と把握する。つまり上が「奥」、下が「手前」。この上/下はそのまま「タテ」と呼ばれる。この基礎的な事実を抑えておこう。でなければこの映画は読み取れない。
この映画は「タテ」の関係に彩られた映画だ。冒頭場面、アグネスの死体はうつ伏せになり川面を漂う。その死体は画面の「奥」から「手前」に、つまりスクリーンの上部から下部に流れて来なければならなかった。「ヨコ」に流れてはいけなかった。アグネスの死因が飛び降り自殺であるということが明らかになることも、この「タテ」を補強している。飛び降り自殺はレッキとした「タテ」に人物が落ちる自殺方法だからだ。
主人公は詩を書こうと試みる。これもまた「タテ」という関係に貫かれる。詩神/ミューズが降りて来る……それが詩というやつだ。上から降りて来る詩を待つこと。あるいは、その産物として生まれた詩が手元から放たれて上に飛び立つこと……ここにも「タテ」を見出すことが出来る。これが小説やその他の表現手段だったら苦しかっただろう。イ・チャンドンの計算能力は――むろん、それは意図的なものではないだろうが無意識が為したものであるとしても――侮れない。
この映画は切り返しが多い。それは奥まった存在が手前に、あるいは手前にあった存在が奥にと、関係が入り乱れることを象徴している。「奥(上部)」に位置していた顔が「手前(下部)」に、そしてその逆に。これが「ヨコ」に併置する形の会話ならば――重要な場面では主人公たちは「ヨコ」に、つまりスクリーンの広がりに応じた形で語らうのだが、そこまで分析は出来なかった――この映画の旨味は損なわれてしまっていただろう。
例えば、戯れに思い出してみよう……主人公たちはバドミントンに興じる。それは上から下に(つまり「タテ」に)落ちて来たバトンを受け止め、また上に運ぶことだ。そしてそのバドミントンは「奥」まったところにいる母親/主人公と、どうやらアグネスを集団レイプしたらしい「手前」に居る息子と行われる。そしてその関係は単に逆転する。可能であればスクリーンに応じて二人で「ヨコ」に撮ったはずだし、それが自然なのだ。スクリーンは「ヨコ」に広い。ロングショットで「ヨコ」に撮る……この映画はロングショットを使っていないわけではない。だが、こうした肝腎な場面は「タテ」で撮られるのだ。
あるいは、キリスト教が登場するところ。キリストは言うまでもなく天上人である。頭上にある神という存在から啓示を授かる……むろん他の宗教もそのようなものかもしれないし、もしくは『シークレット・サンシャイン』で示してみせたように韓国がただキリスト教が日本よりも遥かに広まっているという事情を提示しただけなのかもしれない。だが、この構図を単なる偶然と斬って済ますには惜しいものがある。
このタテ/ヨコの構図、奥/手前の美学はそしてそのまま、主人公がアルツハイマーを患っていることが明らかになるところにも見て取れるだろう。簡単な話だ。私たちは記憶を「奥」から引っ張り出してそして語るからだ。アルツハイマーを患うことは「奥」を、つまり「タテ」を喪失することを意味する。「タテ」の美学に彩られた世界で「タテ」を失う。これ以上の悲劇があるだろうか!
もしくは、ストーリー展開において簡単な構図を少なくとももう二、三挙げることが出来る。この映画では肝腎な場面で雨が降る。雨は言うまでもなく上から下に降る。左から右に(逆でも良いが)降る雨など存在しない。この「タテ」を登場させたこともこの映画が「タテ」の映画であると示して見せている。このトリックに気づけ、と言わんばかりに。そして、主人公が決意して介護している老人に身体を売るところも座位という体位、つまり女性が「タテ」に動く体位を選ばなければならなかったのだ。なかなかクセモノである。
もうひとつ。この映画では詩人の会合で、それまでは背後に隠れていてその存在を明らかにしなかった人物――ネタを割ってしまうのはマズいので誰とは言うまい――がその「奥」から「手前」に不意に現れる。あるいは自分の息子がレイプに参加していた事実を知らされることも背後/奥から眼前/手前に要素が動くことを意味している。これもまた、この映画の美学を提示している――つまり「タテ」なのだ。
この映画、こうして見て来るとなかなか味のある映画だ。さながらスルメのような……イ・チャンドンらしい(そんなに観ていない、と言った尻からこんな話をして恐縮だが)ロングショットや長回しは健在。ハネケにも似た空気が活きている。後味の悪い映画として、しかし無視し得ない「タテ」の映画として成立しているように思う。
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