夜の魔法【お題:メス】

 かわいいは、魔法だ。

 どんなに疲れていても、かわいく着飾ってかわいいお化粧をすれば、ずっと笑っていられる。普段はできないこともやってのけることができる。

 だから私は自分に魔法をかける。誰も知らない夜にだけ輝ける、ひみつの魔法だ。ふわふわの白のワンピース、ピンクのカーディガン、ヒールの高すぎないパンプス、そしてゆるく巻かれたセミロングの茶髪。こんな自分をみんなに知られたら、笑われてしまうだろうか。

 新宿の通りを歩けば、人で賑わっていて夜とは思えなかった。ネオンも、オフィスの光も、全部私は知らなかったものだ。こんな眩しい夜があるのなら、もっと早く知りたかった。

 洒落たバーで甘いカクテルを流し込みながら、隣で飲んでいる男を横目で見る。目が合ったら、魔法の時間はおしまいだ。私はそっと立ち上がって店を出る。夜の魔法がとけたら、私はかわいくなくなってしまう。静かな1DKのアパートのドアを開けると、そこは同じ夜と思えないくらい殺風景で、少しだけ嫌になる。私は悪くなりたかった。そんな気持ちを抱いたまま大人になってしまった。だから、こんなにも、さみしい。寝る支度をして布団に入ると、何だかむなしくなった。それでも朝は来る。来てほしくないと願っても、それは変わらない。

 朝はやはりいつも通りやってきた。うるさいアラームを止めながら、今夜は何をしようか考える。夜の世界がないと、どうしたって息が詰まる。スーツに着替え、洗面台へ向かう。黒い髪にグレーのスーツ、足元は地味な革靴。

 職場である学校に着くと、何人かの教え子が声をかけてきた。悪くなりたいと願いながら教育者であるなんてと思わず鼻で笑った。

「先生と話せちゃったあ」

 すれ違った女子生徒の声に振り返ると、スカートを膝の上まで短くしたふたり組が話していた。

 ああ、そうか。

 彼女たちの背中が見えなくなるまで、「俺」は動けなかった。

 俺は彼女たちみたいになりたかったのだ。

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