第22話 綻びの先へ
急ぎ足で走る僕の足に、どこから飛んできたのか白い布が巻き付いてくる。風の強い日だ。洗濯物がどこかから飛んできたんだろうか。そう思い布を手に取ると、僕は血の気が引く思いをした。
それはケイサンがいつも持ち歩いていた、汗拭き用と思われるタオルに似ている。意外に綺麗好きなケイサンは、こうしたタオルをいつも複数枚持ち歩いている。
しかし足元に飛んできたそのタオルには、べっとりと赤黒い染みが広がっていた。
「叔父さん…。」
焦る気持ちが抑えきれずに、僕はケイサンの巣へと急いだ。
ほんの一時間ほど前に、南方の霊峰キンシャを越えて先のハバキの都市であのミカエラと名乗る変な人に会った。彼は自分のことを『モリトの道具』と言い、しかもあろうことか『銀の鈴』だと言う。
本来なら一笑して終わる話なのだが、場所が場所であり、それにミゼリトさんがどういうわけか彼の言うことを信じると言った。僕には何が起こったのか理解しきれないでいた。
そのミカエラは、『エイシャ』という都市が、ハバキの都市を更に南に往くとあると言う。それを聞いたときのミゼリトさんは、喜んだような悲しんだような、そんな顔で僕を見ていた。そうしてその時にケイサンの危機を知った。今、アイオリアの北部にあるハリル山を越えて、多数の謎の集団が隠密裏に入り込んでいると言うのだ。
「実に残念なことだが、そのケイサンという者はずいぶんと有能のようだ。連中の侵入に気がついたようだ。そしてそれを察知されておる。そのせいで今まさに狙われている状態だな。」
ずいぶんと大仰な態度でミカエラはそう言った。それを裏付けるように、ヨホが不思議な技でケイサンの居所を映し出してくれた。僕らの目の前に、その場所の様子が浮かんで見えた。それはケイサンの巣の中の様子で、そしてその場所でケイサンが五六人の賊に囲まれているところだった。
僕らはそこで、別々の行動をとることにした。ミゼリトさんには護衛にヨホがついていってくれると言う。エイシャと言う場所がどんな所なのかわからないので心配だったが、ヨホが無理はしないと言うので任せた。僕は白い鍵を出して真っ先に家へ向かい、緑の書を手にして、母に事情を話し、その足でケイサンの家へと走り出した。
僕が到着した時には、既にケイサンの姿はそこになかった。
緑の書に、ケイサンの居場所を尋ねる。するとすぐさま、ケイサンの情報が書に浮かび上がった。
「地底湖?」
そこに書かれた文字は、こうだ。
ケイサン・アイオリアはたそかれの世界の外界より侵入した者達により、ハリル山洞窟の奥に存在する地底湖の砂浜に運ばれた。
あれこれ考えていても仕方ないので、僕はすぐに白い鍵を取り出して壁に扉を出現させる。地底湖の砂浜、その近くにつないで、どこか物陰から様子を見るつもりだ。
地底湖に出ると、例の柵と扉の近くだった。どちらも開けられた様子はない。いったい賊達はどうやってこの中に入ったんだろう。
そうして暗闇に紛れながら、砂浜をゆっくりと移動していく。壁の灯りがところどころ消えている。これも賊の仕業なのだろうか。でもそのおかげでこちらも見つかりにくい。
やがて、いつもアイリ様と会っていた場所の付近で奇妙な集団を見つけた。
全身に黒装束の一団が、三名。槍を持つ上半身裸の集団が、五名。鎧装束に身を固め、槍を持つ騎士が二名。そして巨大な剣を肩に担いだ鎧姿の剣士。彼らは砂浜に木を重ねて、火を起こし佇んでいた。
しばらく見ていると、上半身裸の集団から一人の屈強そうな男が立ち上がって声をあげた。
「戻ってこないではないか。いったいいつまでこうして待つ?」
すると、巨大な剣を持つ剣士がそれに答えるように顔を向けた。
「あと数時待て。」
「待つばかりでは何も得られん。我らは行くぞ、あの者は我らを謀ったのだ。」
裸の男たちは、その声に応えるように洞窟の奥へと歩きだしていく。
「ちっ、気の短い奴らめ。仕方ない、我らも行くぞ。」
そう言ったのは剣士の方だ。二人の騎士と黒装束の集団を引き連れて、裸の男たちを追うように、洞窟の奥へと消えていった。
後には燃えたままの焚火が揺らめいている。
しばらく時間をあけて、僕は消えかかる焚火の前に歩み寄った。見ると砂場に複数の人が暴れたような跡がある。何か大立ち回りでもあったみたいだ。何か所かに赤黒い血の跡が見てとれる。さっきの連中に怪我をしているような者は見当たらなかったから、ひょっとすればこれは、ケイサンのものかもしれない。
「ルミネ、ずいぶんと遅くに登場ですね。」
いつの間にかアイリ様が、光の球の状態で近くまで来ている。僕を何かに揶揄するように声をかけてきた。
「アイリ様、ここで何があったか教えてもらえませんか?」
「ここで先ほどケイサンが、奴らに縄で縛られて転がされていました。」
やっぱりか、と僕は思った。
「その後は、どうなりました?」
「ケイサンはその後、奴らの一番強い者と交渉をさせられていました。エイシャへの道を開けと、奴らは言い、そうしてケイサンはそれに頷いて答えたのです。」
エイシャ?ここでもエイシャなのか。
「アイリ様は、それをただ見ていただけなのですか?」
「…私を認識できるのはモリトに生まれた者だけです。なので私の力が及ぶのも同じ。ただ、黙って見ているだけというのは我慢できませんでしたので、及ばずながらいくらかの手は打ってあります。」
アイリ様は苦々しくそう答えると、より小さな声でぼそぼそっと僕に話しかける。僕は頷いて、白い鍵を地面に向けて刺し、扉を出した。
その僕の上に飛びかかるように二人の男が降ってきた。どちらも黒い装束に全身を包んでいる。
僕はその落下を見ながら、地面に現れた扉のノブを回して開く。上から落ちてくる男たちは、そのまま扉の中へと落ちていった。
「なかなかやりますね。どこへ送ったのですか?」
「城の地下牢です。」
アイリ様の質問にそう答え、地面の扉を閉じ笑顔を向けた。アイリ様が二人の居場所を教えてくれなければどうなっていたことか。
「アイリ様、ケイサンはどこへ行ったのでしょう。」
「それも私の策になりますが、ケイサンはこの先の外へと続く道を先に進んでいるはずです。」
「え、でもそれは…。」
「ええ。そう…。ケイサンには、この先にある『綻び』を抜けて行くように伝えてあります。」
「どうしてですか!そこへ行ったら戻っては来られないのでしょう?」
「…。」
「アイリ様!」
アイリ様の光は、そのまま返事をすることなくしばらく宙に浮かんだままだった。そして暫くすると激しく点滅を繰り返しはじめる。
「アイリ様?どうしたんですか?」
◇
「あん?何か来てやがるな。お前らちょっと行って見てこい!」
洞窟の奥側からそう声が聞こえた。その声はどうやら、先ほどいた上半身裸の集団のリーダーのようだ。
「ルミネ、動かないで。」
耳元でアイリ様の声が聞こえた。しかし…、走ってくる上半身裸の男達は四人、手に槍を持ち足音がザッザッザッザっと鳴り響いている。
僕は思わず数歩、後ずさった。
「ボス!ガキがいますぜ!」
数メートル先まで近づいた男たちがそう言って後ろを振り返る。その声を聞いて、最後の上半身裸の男が近づく音が聞こえる。そうしてボスと呼ばれた男が近づいてくると、居並ぶ他の四人が左右に分かれた。
「あんちゃん、どうやってここへ来た?言ってる言葉はわかんなくても、言われてる意味はわかるんだろう?」
ボスと呼ばれた男は、僕を前にそう言ってしゃがんだ。警戒してなのか少し距離がある。洞窟の灯りがずいぶんと壊されているため、顔立ちまではよく見えなかった。
「俺たちは女を探してここへ来た。あと、エイシャだ。お前どっちか知ってるか?」
ボスは、手にした槍を僕に向けて伸ばした。かすかな光に、槍先の黒光りした石が光沢を放っているのが見える。
「…なんだその目は。」
ボスがそう言って立ち上がった。何だと言われても、僕はただ見てただけなんだが…。
「…ルミネ、その場で何もしないで待ちなさい。」
アイリ様の声が耳元で聞こえた。
「質問に答えろ!」
いよいよボスが声を荒げて言った。後ろにいた四人も前に出てきて、槍を構えはじめる。
「っち。やっちまえ!」
上半身裸の男たちが、槍を構えて数歩前に出た。するとそのままフッと消えた。
「な、なにしやがった?」
独り残されたボスが明らかに狼狽して僕を見る。僕は少し微笑むと、力強く足元を蹴った。
もといた場所から少し右へ、足の力を全力で蹴って砂浜の上に着く。急な移動と暗闇もあって、ボスは僕の居所を見失ったようだ。
その背後にめがけてもう一度砂を蹴る。そして目の前に広がって見える大きな背中を、少し軽めにチョンと押した。するとボスは、おっとっとっとっと片足で前方へ進み、ストンと地面に落ちていく。
「使い方次第とはよく言ったものの…。」
アイリ様が僕の隣に姿を現して、足元に先ほどから開いたままの扉を見てそう言った。
「なんのです?」
「何とかとハサミは使い方次第だと。カムラエルが以前よくそう言ってました。」
…なんとかの部分がとても気にはなるが、とりあえず難を逃れたのでいいか。
◇
「ケイサンは、あの者達からいくつかの情報を聞き出していました。」
アイリ様はそう言って、これまでに起きたできごとを話しはじめた。
地底湖の砂浜に静かに風が吹いていく。その風は水面を撫でているようで、ササササっと音が立つ。
「彼らは三つの場所から別々に来た者達のようでした。今あなたがお城の地下牢へと送った者達は、四つの国と呼ばれるところから。ゴテゴテと金属をみっともなく被った三人は、エスパニアと呼ばれる国から。そしてあの、頭の上から下まで真っ黒い様相の、いかにも怪しい集団は、自分たちの国をイガと呼んでいました。」
アイリ様がそう説明したとき、風がとまった。
「…またずいぶんと早いお帰りですね。もう暫くは『綻び』の中で迷ってくればいいのに…。」
そう言って背後を振り返るように立つアイリ様。僕も一緒に立ち上がって、そちら側を見た。
ずいぶんと遠く、けれど洞窟の最奥ではなく、砂浜の先の壁に、淡い紫色をした霧のような光がゆらゆらと揺らめいていた。
「ルミネ、あの場所まで行って、あの出口のすぐ下のところに先ほどの扉を開けておきなさい。」
「は、はい。」
言われた通り、僕はその場所へ白い鍵を挿して扉を開く。つながっている先は、お城の地下牢。広大な地下牢の一画には、彼らのような暴力的な人類を隔離する場所が存在している。…まあ、多少は怖い思いをするだろうけど、命に別状はないはずだし、洞窟から外に出られて人に迷惑をかけられるよりはいい。
「仕掛けたら戻りなさい。」
アイリ様がそう言ったので、僕は素直に戻ることにする。そうしてあの中のことを尋ねてみた。
「アイリ様は、あの中がどうなっているのかご存じなのですか?」
「ええ、前に話した通り、あの『綻び』はフィリオス王が以前に見つけられたものです。その時に調べた内容くらいは聞いて知っています。」
その話を詳しく聞いてみたところ、どうやらあの『綻び』に入ると不思議な空間へと繋がっているそうだ。天地がよくわからず、視界の悪い霧が立ち込め、壁だと思って歩いていた場所が突然床になっていたり、昇っていると思って上がる階段が気がつくと下に向かっている、なんてこともあるそうだ。
「その迷宮のような場所を抜けると、今度は別の世界へと出られるようです。」
「別の、世界、ですか…。」
こことは違う世界。その存在については、ハバキの都市で調べた中にあった。しかしそこへと通じる道があるということまでは、なかった。
「ケイサンは、その迷宮を調べるためにあの中へ入ったのですか?」
「おそらくそうでしょう。あの場所を彼らから聞いて、ずいぶんと嬉しそうに入っていきましたからね。…まったく、誰に似たんでしょうか、あの無茶っぷりは。」
僕はその言葉に笑うしかなかった。
その後無事に『綻び』から出てきた武装集団は、お城の地下牢へと幽閉されていった。迷宮を出たら今度は広大な牢獄だ。いろいろと苦労するとは思うけど、早めに武装解除して戦意を無くしさえすれば出られる場所だから許してもらうことにする。
その後、僕も『綻び』の先に進むことにした。ケイサンの事も心配だけど、エイシャの手がかりを探しに行ってみたい。
あの連中に「エイシャへの道を開け」と言われたケイサンは、迷わずにこの『綻び』の中に入ったらしい。あのケイサンが知識もあてもなくそんなことをするとは思えない。
おそらく城で父上が、端末から送られた情報を見ていたはずだ。ケイサンは父上と仲がいい。そんなケイサンだから、僕が知らない情報や推察を得て先に進んだんだとすれば、僕が行かない理由はない。
幻の都エイシャ。その謎を解明できたらどれだけ素晴らしいだろう。そう考えるだけで僕は背中がゾクゾクする。
「ルミネ、決して無理はしませんように。」
アイリ様が心配そうにそう言うと、僕の手を握った。
「必ず戻ってくるのですよ。カムイやカムラエルのような真似は、決して許しませんよ。」
そう言って僕の顔を見るアイリ様の瞳には、不安や悲しみの色が見てとれる。
「大丈夫です。中でケイサンと合流して、必ず戻ってきます。」
僕はそう言って笑った。それにつられるように、アイリ様も笑った。
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