にっちと僕との愛の営み

全部で10室の焼却炉を貸し切っての火葬。


完全生中継だ。異様だろう。


会場演壇脇にセットされた報道陣のブースからはスクリーンの映像をテレビカメラやズームしたデジタルカメラで撮影する記者たちの鬼気迫る表情が目に入ってくる。

今夜のニュースやネットでの配信に果たして使えるのかどうか、帰社してから報道倫理というものについて上層部とやり合うのだろう。


スクリーンに一室の最初に焼きあがった人の映像が出た。


耐火テーブルの上に広げられた灰と白骨。


課長と鏡さんがそれを箸で拾い集め、骨壷に落としていく。

ふたりは全くの無表情だ。


残った残骸をスタッフがかき寄せてザラザラと骨壷に流し込んだ。


そのまま全くの流れ作業のように、次の棺が炉に搬送される。


小さな棺だ。

幼子だろう。


同じ動作をスタッフも課長も鏡さんも繰り返す。


僕は総会に集まっている、老若男女に向かって呼びかけた。


「新たな経営理念は、『生まれたら、死ぬ』です」


ささやきが聞こえる。


『狂ってる・・・』

『こんな奴らに託せるか』

『だが・・・2,000億の現金だぞ』

『ああ・・・ワシは今1億のカネが目の前にあれば・・・やりたいことがいくらでもあるんじゃ・・・』


「にっち。頼むよ」

「はい」


にっちが、低い背を目一杯のいい姿勢で伸びて声を張った。


「わたしたちの動議が否決されたら、この焼却炉で2,000億円を燃やします」

「なっ!? なんだと!?」

「何を言ってるんだ!?」

「脅迫するのかっ!?」


にっちは静かに、けれども少女本来の朗らかな表情で、会場全員に笑顔を振るまった。


「脅迫ではありません。わたしたちが勝手にお金を燃やすだけです」


さあ。

今だ。


「高瀬社長。決を、お採りください」


僕は低い声で促した。高瀬社長のマイクを握る手が微かに震えている。

声も。


「・・・動議③、④に賛成の方は、ご起立ください」


ズダアッツ!


ああ・・・

これで、僕の人生は決まった。


「・・・全会一致で動議③、④は可決されました。したがって議案①、②は廃案とします」


怒号と拍手が起きた。

カネの亡者どもめ・・・


「1Question!」


イギリスの女性記者が、待ちきれずにマイクを奪いインタビューを仕掛けてきた。


「キヨロウ新社長! 新体制での経営陣の構想は? 高瀬社長と久木田社長や現経営陣の登用はあるんですか!?」


僕は、冷静に答えた。


「申し訳ありませんが先ほどの経営理念、『生まれたら、死ぬ』に基づいて事業を行うためには、いただくしかありません。現経営陣は全員退任です」


そう言って僕は久木田社長に深々と頭を下げた。久木田社長も厳かな表情で僕に頭を下げてくれた。

僕はそのまま続ける。


「ただし、1人だけ、幹部として招聘したい人物がいます。コヨテの高瀬社長です」


『ほおっ!』


と会場が色めき立った。

誰もブーイングしないということは高瀬社長の有り余る才覚と経営という一点に対してのストイックな姿勢を株主たちは評価しているということなのだろう。


けれども、高瀬社長の口からは、予想を超える言葉が飛び出した。


「にっちが私に勝ったなら、受けよう」


再び会場が混沌とした空気になる。

言っていることの意味が十分に理解できないんだろう。


「決闘は罪になるんだぞ!」


株主の誰かが怒鳴った。


「ならば、ルールがあれば、決闘ではないですよね。『試合』ですよね」


そう言ってにっちが、ノーズガードを外した。

床に、ぽいっ、と無造作に投げ捨てる。


「ルールは君に任せよう」


高瀬社長もスーツの上着を脱いだ。

ネクタイも外す。


「・・・では、Beat itぶちのめせ! で戦いましょう」

「どういうルールだ」

「簡単です。拳のみで戦うんです」

「ボクシングか」

「いいえ、ボクシングじゃありません。グローブ無し。素手、ですから」


「にっち! 勝って!」


せっちが絶叫した。そのまま僕の背中をぱあん、と叩く。


「ほら! キヨロウ社長! 愛する女の子を応援しなくてどうすんの!」


僕も、叫んだ。


「にっち、頑張れっ!」


演壇でにっちと高瀬社長はごく自然に向き合い、『試合』が始まった。

訳も分からない聴衆たちは、演壇に全神経を集中させる。

報道陣も突如始まったエンターテイメントを細大漏らさず納めようとカメラの焦点を2人に当てる。


高瀬社長は軽くフットワークを使い、にっちは、裸足になってべたっ、と床に足をついたまま、足のつま先に体重を乗せる。オーディエンスの熱気で場内に気流が生じているようだ。にっちの黒のドレスの裾がふわふわと揺れている。僕は彼女の勝利の前に、裾がはだけないように祈っていた。


「シッ!」


フットワークから高瀬社長がジャブを放った。

見えない、というのが正直なところだ。僕らには見えないそのパンチを、にっちもまた見えないぐらいの上半身のひねりで無造作にかわした。


「ふ・ふっ!」


また高瀬社長の攻撃だ。

ジャブから右ストレートへとすべてのパンチが残像しか残らない間隔でにっちの顔面に打ち下ろされる。

今度はぐるん、と頭を回してにっちは避ける。


「おい、にっち! 撃たんかい!」


まるで総会屋のような風貌の和服姿の老爺が怒鳴った。

一体誰かも認識していない18歳の女の子の、今日初めて聞き覚えたニックネームを呼ばわってにっちを応援する老爺。


いいね。こういうの。


「怖くないのか?」


高瀬社長が心理面の揺さぶりをかける。うまい。


「怖いです」


にっちも拳のファイティングポーズだけ動かしながら受け応えする。

彼女も心憎いセリフを放つ。


「でも、『ぶちのめしたい』気持ちはわたしの方が上です!」


ノーズガードも取り払っているにっちは、気持ちを高め始めたようだ。

実の親に毒で殺されかけた怒り。

アブない親の子として同級生全員から隔離された怒り。

それから、御坊や大師たちとの戦闘、高瀬社長に鼻を潰された一撃。


多分、それだけじゃなく、僕の願望だけれども、せっちや僕と一緒に、マノアハウス に無事帰り着きたいという渇望。


全部、拳に乗せるつもりなんだろう。


「ぞっ!」

「せっ!」


右拳を撃ち下ろす高瀬社長。

にっちは、無防備なまでに膝から背骨からを伸ばし切った。


その動作で、最短距離で高瀬社長の左右の拳を空間に置き去らせ、腕の間をすり抜けるように、真っ直ぐに右拳を放った。


「ショウっ!」


にっちが勝ち鬨を上げたのは、彼女が右拳で高瀬社長のみぞおち深く撃ち抜いて彼が両膝を着いた時だった。

高瀬社長が戦意を奪われてしまっているのは明らかだった。


「にっちの勝ち!」


せっちが叫ぶと歓声が沸き起こった。

それはおそらく敗者を嘲る気持ちはこもってはおらず、可憐な少女の勝利というエンターテイメント性と、これで高瀬社長が再度幹部として経営を後押しするだろうことへの安堵と賞賛なんだろう。


カネの亡者だからこそ、合理的な判断をするということもまた事実かもしれない。


にっちは起き上がろうとする高瀬社長に歩み寄った。


「高瀬社長。どうしてけなかったんですか?」

「ふ。。だがそれは技術的な問題じゃない。にっち。キミの表情が、なぜだか私の四肢を硬直させた。怖かったんだと思う。私の、負けだ」


「にっち!」


にっちに駆け寄り抱きつくせっち。

ほら、とせっちが僕を手招きする。


「にっち・・・」

「キヨロウさん・・・」


僕は思い切りにっちの頭を撫でて褒めてあげて、そのままきゅっと、抱きしめるつもりだった。


なのに。


「止まれ、止まらんかっ!」


制止する警備スタッフを容赦なく裏拳で薙ぎ払う男。


梶田がずぶ濡れで立っていた。

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