第17話-白い光と、オレンジ色の光
生きがいがたった一つしかない誰かが、その生きがいを失った時、彼はどうすればいいのか。
満たされない心を抱えながら生き続ければいいのか、死ねばいいのか。
足尾さんからそんなテーマを突きつけられた私は、何を言えばいいのか分からなくなった。
月並みな答えは、「生きるべきですよ。生きてたらまた別の生きがいに出会えるかもしれないじゃないですか」だろう。一番に思い浮かんだ答えだ。
でも、口にするのは憚られた。
──そんなこと、誰に言われるまでもなく、足尾さん自身が一番わかっていることだ。
そして、彼は感じているのだろう。もう、サッカーよりも大きな生きがいは見つけられない、ということを。
彼に漂う、いかんともしがたい絶望感が、それをありありと物語っている。
「それは……」
彼に新しい希望を提示したい。月並みなわかりきった言葉ではなく、私なりに、彼に生きる希望を提示したい。
けれど、何も出てこなかった。私と彼とでは見えている世界があまりにも違いすぎる。
「生きることの喜びがたった一つしかない。他のものは全てタダの暇つぶしにすぎない」という男の気持ちになることはできない。私は、色々なものを楽しむことができる、ごく普通の感性しか持ち合わせていないのだから。
「ごめんなさい。意味があることは言えそうにありません。生きがいがないから死んだ方がいいかといえば、もしかしたらそうなのかもしれない」
前置きを言った。足尾さんの表情は少しも動かない。言葉を続ける。
「それでも……それでも私は足尾さんに生きていて欲しいと思います。中学生の頃も、今も、こうして言葉を交わして楽しい時間をくれた足尾さんが死んでしまったら、悲しいから……」
理屈はないし、意味もない言葉。
「いいじゃないですか。生きがいがあると思えなくても、テトリスでも。退屈だなと思いながら、退屈の中にちょっとした喜びを見出して生きていきましょうよ。案外、みんなの生き方だってそんなもんじゃないですか」
それでも、私の本音だ。足尾さんが死んでしまったら、悲しいから、生きていて欲しい。
足尾さんだけじゃない、私が今までに関わってきた全員、なるべく死なないで欲しい。
ただ、それだけ。カッコいい悩み相談相手になることを諦めた私は、ただ自分の感情を伝えるだけの存在になった。
表情を崩さなかった足尾さんは、そこでフフッと笑った。
キレイに並んだ白い前歯が見え、目が細くなる。
「ありがとう。何か、ちょっと生きてみる気持ちになったよ」
足尾さんはコーヒーカップを口に運び、ゆっくり飲み、ゆっくり机に戻した。
「ヤコちゃんって、案外豪快なこと言うんだね。私が生きていて欲しいから、か」
「私も、自分がこんな乱暴な主張ができるタイプだと思ってませんでした」
そこで、笑い合う。
この足尾さんの笑顔も、きっと本心からのものではない。
それでも、彼が少し「テトリス」をやる気に戻ってくれたようで、安心した。
死なないで欲しい。
異常に器用で付き合いがうまくて、少年のような無邪気な様子が魅力的で、少女の憧れを私にくれた、素敵な思い出の男の子。
そんな彼は、実は底の知れない、異端の男の子だった。実は何も楽しくなかったと、交際相手や友だちなんて実は大切じゃなかったと、衝撃の発言をした。ちょっと怖い。
それでも、私は彼に死なないで欲しい。少女の憧れをふと思い出す度に、「もう二度と会えないんだなあ」と寂しくなるのは、嫌だ。
「出ようか」
少しだけ、ホントウに少しだけ表情が緩んだ気がする足尾さんは、そう言って立ち上がった。伝票を持って、レジに向かう。
悲しい横顔だ。彼の端正な顔立ちの下にあるものを知ってしまった今、足尾さんのキレイな横顔は、キレイであればあるほど悲しく思える。
帰り道、足尾さんは一切先ほどの話に触れなかった。
「ヤコちゃんはさ、最近は放課後いつも何してるの?」
そんな、他愛ない質問。私もそこそこに無難な返答をして、帰り道を進んだ。
街灯が明るい。すっかり暗くなった道路で、街灯の光は不気味なほど白く浮き上がって見えた。
「そういえばさ、うちの弟も、ヤコちゃんと同じ石の下学園志望なんだよね。オレの弟、知ってる?」
学校生活についての他愛ない話から思い出して、足尾さんは、自分の弟の話を持ち出した。
「知ってます。中学も一緒でしたから。弟さんが1年生の時、私が3年生でした」
足尾兄弟は年が3つ離れていて、ちょうど兄の卒業直後に弟が入学してくる、二人が入れ替わる形だった。
進級したばかりの3年生の教室で、女子の多くは「足尾ロス」に苦しんでいた。そんな折、”あの足尾裕太の弟が入学してくる”という話は大いにキャッチーで、女子たちの心をガッシリ掴んだ。
クラスメイトからの「ヤコも見に行こうよ!!」という強い誘いに連れ出される形で、見に行くことになった。いや、私も興味があったといえば興味があったのだけれど。
足尾さんの弟は、兄によく似ていた。もちろん1年生だから、あどけない少年なのだけれど、端正な顔立ち、特にすうっと一本通った鼻筋が、足尾裕太にそっくりだった。
一緒に見に行った女子たちは「似てるしカッコいい!!でもまあ1年生って感じだよねえ……」といった評価で、少しガッカリしているようだった。
「あいつ、今年受験なんだけどさ、オレを反面教師にしたらしくて、進学校に行きたいんだって。石の下学園が第一志望なんだ」
「あ、弟さんもサッカーやってたんでしたっけ?」
「そう。あいつはフォワードで得点王。うちの地区だと有名なストライカーだよ。でも、サッカーは遊びでやるってよ」
「じゃあ、弟さんは……」
「うん。オレとは違うよ、あいつは。普通に色々楽しんでるみたいだ。理系の勉強が楽しくて、生物学系に進んで博士号を取りたいって言ってる」
顔立ちも、スペックもよく似た二人だが、内的な感情はずいぶん違うらしい。
「ちなみに、弟さんには、足尾さんのことは言ってあるんですか? ……つまりその、テトリスの話は」
「あいつには言ってある。あいつはオレとよく似てるから、実は同じタイプなんじゃないかなって思って。でも、全然共感してもらえなかった。弟はホントウに毎日が楽しい、順風満帆な少年だよ」
「へえ……そこは、同じじゃないものなんですね」
「ま、だから兄としてはそこも複雑なんだよね。オレとよく似た自慢の弟でもあり、嫉妬の対象でもある。同じようなことをやってるのに、あいつは普通に楽しいなんてズルいな、とずっと思ってたよ」
「そうですよね……」
そこで生じた深刻そうな雰囲気を嫌って、足尾さんはここで大きく笑顔を作った。街灯の明かりが照らす彼の顔は、いつもよりも白かった。
「ま、でも、【それでも生きていくしかない】って感じなんだけどね。今日ヤコちゃんと話せてから、嫉妬の気持ちはなくなったよ。弟を羨んでいてもしかたない。テキトウでも退屈でも、生きていくしかないよな」
そう言った足尾さんの顔は爽やかだった。
喫茶店では、意味のない回答をしてしまったと、彼に響く回答はできなかったと思ったけど、そうでもなかったらしい。
少なくとも、すこしは、彼が前向きに生きていくのに寄与できたみたいだ。
それなら、すごく嬉しいことだ。
歩いているウチに、足尾さんが立ち止まった。
「オレの家、ここ」
そう言って、道沿いの一軒家を指さした。リビングの大きな窓のカーテンは開けっ放しで、オレンジ色の光が漏れ出していた。
へえ、結構ふつうの家に住んでるんだ、と思う。
中学時代、足尾さんは私たちにとって、なんというか「アイドル」とか、もっと言えば「妖精」みたいな存在だったワケで、生活をしているイメージが全然なかった。
その印象は、中学を卒業してからも何となく引き継がれていて、足尾さんがふつうの家に住んでいるというのは、なんだか変な感じがする。
「足尾さんって、案外普通の家に住んでるんですね」
「どういうこと?」
「いや、なんかもっと、お城みたいなところに住んでるのかと思ってました」
その言葉を聞いた足尾さんは、大きな口を開けて笑った。白い歯がズラッと並んだ一列が見える。
「そんなワケないじゃん。バカだな」
心底おかしそうに笑いながら、足尾さんはそう言った。
あんまりボケたつもりがない私は、こういうときに、困ってしまう。
「ヤコちゃん、ウチ寄ってく?」
笑いから立ち直った足尾さんは、笑いすぎて出た目尻の涙をこすりながら言う。
ん、それはちょっとマズいかな、と思い、断りの言葉を口にしようとすると、一瞬先んじて足尾さんが畳み掛けた。
「あ、今両親はいないけど、あの通り弟がいるから、安心だよ。っていうかむしろ、弟に石の下学園の話を聞かせてやってよ。受験勉強のこととか、学校生活のこととか」
足尾さんの完璧なフォローで、断る理由は消滅してしまった。確かに、光が漏れ出ているリビングには誰かの動く影がある。
断る理由を失ったどころか、むしろ先輩としての使命感を負うことになった私は、「わかりました。私に話せることでよければ」と、自然に引き受けることになった。
足尾さんの家の敷地を進むにつれて、街灯の白い光が、オレンジ色の漏れ出る光に切り替わっていった。
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