5.星をみる

 僕の住む町の丘の上にひっそりと佇む博物館。

 無機物感を醸し出した建物の中心には、巨大な望遠鏡。その左側には、プラネタリウムの観賞をする部屋の丸く盛り上がった屋根。そして建物の右奥には、宇宙からの電波を受信するための大きなパラボラアンテナが設置されている。

 バスを降りた僕たちは、正面玄関に向かう。


「ねぇ、さっきバスの中で何か考え事してたの?」


 僕の先を行く琴音は、振り返って尋ねてきた。


「……別に、何も」


 素っ気なく答えた僕に、琴音はふーんと言って正面玄関に向かって走っていってしまう。



 館内に入って入場料を払った僕たちは、順路を歩き進んで行く。巨大な惑星の模型やボタンを押すと光を発する展示物に、琴音は小さな子供のようにはしゃいでいる。

 今は流星の観測できる時期なので、館内は二色の流れ星の事で盛り上がっている。壁に掲げられているスクリーンに、青い流れ星が墜落していく途中で青い光を残して飛散するシミュレーション映像が流れている。僕はその映像を虜になって見ていたが、琴音にセーターの袖をぎゅっと引っ張られたので、しぶしぶ先へ進む。



 進んだ先の大きな壁には、宇宙の星が生まれてから死ぬまでの過程が描かれている。様々な種類の星の下には、人間が生まれてから死ぬまでの過程も描かれていた。


「何これ?」


 壁に描かれた星の一生を見た琴音は、僕に向かって視線を合わせる。


「星を人間に例えたら、今何歳に相当するかって事だよ」

「えっ? 星にも寿命があるの」

「もちろん。新しく生まれる星もあれば、死んでいく星もあるんだよ。星によって寿命は決まっていて、重ければ重いほど寿命は短いんだって。それで重ければ重いほど死ぬときに爆発を起こしやすくなるんだよ」

「爆発……」


 僕の説明を聞きながら、琴音は壁に描かれた星の一生を目で追っていた。その表情はまるで、自分がその星と運命を共にするかのように悲しみに満ちたものだった。


「琴音? 大丈夫?」


 あまりにも長い間星の一生を眺めていたので、僕は心配になって思わず琴音の肩に触れた。


「あ、うん。大丈夫」


 琴音は取り繕うかのように、僕に向かって笑顔を見せた。



 立地の割には大きな博物館であるため、じっくりと観賞をしていたらお昼近くになってしまった。

 昼食をとる事に決めた僕たちは、博物館の離れにあるカフェへと足を運ぶ。カフェといっても、店内には丸いテーブルが十以上も設置されており、カウンター席も完備された大きな建物だ。木造の太い柱がいくつにも張り巡らされた店内は、十二月に入ったという事もあり、壁や窓の至る所に星やモミの木の装飾が施されている。スピーカーからは、クリスマスを題材とした童謡が、鈴の音となって流れ出てきていた。

 丸いテーブル席に座った僕と琴音は、テーブルの上に置かれたメニューに目を通す。


「わぁ。美味しそうな食べ物ばっか!」


 メニューの写真に釘付けになる琴音から発せられた言葉は、まるで見るのが初めてだと言わんばかりの口ぶりだった。

 僕もバイトでお小遣いが貰えるようになってからは、博物館に来るたびにこのカフェにも足を運ぶのだが、生まれて初めて見る食べ物なんてこの店のメニューにはない。


「そんなに珍しい……かな……?」


 琴音のあまりに珍しがる言動が妙に引っかかり、僕は首を傾げながら尋ねた。


「うーん……小さい頃から大したもの食べてこなかったからね……」


 物悲しく表情に影を落とす琴音。僕はそんな琴音を見る事は堪えられない……


「今日はお金、全部払ってあげるから、好きなだけ頼みなよ」


 僕がメニューを指差しながら言葉を投げかけると、琴音の表情はパッと明かりが点いたかのように輝きだす。


「ありがとう誠……誠は優しいね……」


 琴音の笑顔を視界に捉えると、その笑顔が感染したのか、僕の口角までせり上がってくる。琴音の嬉しい気持ちが僕の心の中に伝わってきたみたいだった。僕はその笑顔を守りたいと思うのと同時に、恥ずかしいと思う気持ちを心にしまいながら「どういたしまして」と言った。



 僕はペペロンチーノのコースに決めた。前菜のサラダにコーンポタージュ。メインのペペロンチーノにコーヒー。

 琴音もたくさん支払わせるのは悪いと思ったのか、僕と同じぺペロンチーノのコースに決めた。

 料理が運ばれてくると、琴音は目を潤ませて卓上を見つめている。そして慣れないフォークの持ち方で、ぺペロンチーノを必死に持ち上げて口に運ぶ。

 食べるたびに口の周りに付着する食べかすを、僕が指摘してあげる。琴音も毎回恥ずかしそうに頬を赤らめて、卓上の紙ナプキンで口を拭いた。



 食事を終えた僕たちは、天文博物館の建物のちょうど裏手側、ひっそりとした林の中にある望遠鏡の専門店を訪れる。店内は黒や白等のさまざまな色の天体望遠鏡が、棚の上にずらりと並べられている。


「誠、ここは?」


 店内に入ると、琴音はこの場所を尋ねる。


「天体望遠鏡……肉眼では見られない宇宙の星を観察する道具を取り扱っている店だよ」

「ふーん……」


 素っ気無い返事をした琴音は、ざっと店内を歩き回り、望遠鏡の前に置かれている値札に目を通す。一通り目を通すと、棚を挟んで僕に話しかけてくる。


「じゃあ誠も望遠鏡っていうのを買いに来たの」

「うん。でもどうせならカッコよくて性能がいいものが欲しいから……」


 僕は一段高い棚に置かれている、青と赤のツートンカラーの天体望遠鏡を指差す。その色はまるで、この町に頻繁に落ちてくる二色の流星をイメージしているかのよう。しかしその値段は十万二千円。とても今の僕に買えるような代物ではない。


「これすっごく高いじゃん!」


 当然の事ながら、琴音は驚嘆の声を漏らして僕に向き直ってくる。僕は静かに頷いた。


「だから、今バイトしてお金を貯めて、この天体望遠鏡を買って、空の星たちを眺めてみたい――それに、この町に降る青と赤の流星の謎にも追求したい。町の人々は、あの流星にほとんど興味を示さないけど、どうしてこの町でしか観測できないのか――その謎を解明したいんだ」


 僕の言葉に琴音は目を丸く見開く。その表情を見て、僕は少しだけ照れくさくなる。


「まあ……あくまでできたらいいなって事なんだけどね」

「誠には……そんな気持ちがあったんだね。すごいよ」


 お互いに顔を見合った僕たちは、同時に笑顔になる。



 望遠鏡の専門店を後にした僕たちは、博物館内のプラネタリウムを鑑賞して外に出る。夕方の四時だというのに、太陽は西の山に完全に隠れ、明かりが微かに漏れているだけ。その周辺には、スジ状の雲がオレンジ色の光を帯びて変色していた。

 僕と琴音は誰もいないバス停のベンチに座り、路線バスの到着時間を待つ。


「今日は楽しかった。ありがとね、誠……」


 隣に座っている琴音は僕の顔を覗きながら言う。


「礼には及ばないよ。僕も琴音が楽しんでくれたなら充分だよ」


 僕が言うと、琴音は白い歯を覗かせて明るく微笑んだ。夕日に照らされて赤くなった小顔が大変可愛らしい。こんなに無邪気な子が、貧しい環境で生まれ育たなければならない理由が一体どこにあるのだろう。僕は彼女の微笑みを眼中に捉えたまま、尋ねてみる。


「琴音の家って、今どんな風になってるの? いや、どんな風というか……家族構成が知りたいというか……いずれは琴音の家とか見てみたいというか――」

「いずれ、話さなくちゃいけなくなる時が来ると思う」


 僕の質問を遮って琴音の口から出てきたものは、淡々として、それでいて決意に満ちた言葉だった。

 琴音は一瞬物悲しい表情をしたけれど、再び真っ赤な頬がせり上がる。そしてベンチの手すりを乗り越えて、琴音の両手が僕の右手を包み込む。


「この話はそれまでお預け。いいでしょ?」

「……うん」


 琴音の手の温もりを感じた僕は、これ以上彼女の事を追求する気が起きなかった。



 バスに乗った僕たちは、目的地のバス停で降りて、琴音と出会った河川敷へと向かう。


「じゃあね、琴音」

「ばいばい、誠」


 僕たちは互いの名を呼び合って別れを告げた。今生の別れではないはずなのに、僕にとってはその時の琴音が、気の遠くなるほどの遥か彼方へ消えていってしまうような存在に感じられて仕方がなかった。

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