3.仲直り
窓から差し込む朝日の光で僕は目を開ける。壁にかけられた時計に目をやると午前七時を回っていた。
力を振り絞り上体を起こすと視界が安定せず、部屋の中がグルグル回っているように見えた。体も何だか全体的に火照っているようだ。
僕はため息をつきながら、足を引きずるような動作で部屋を出る。寝癖なんて気にせずに、家族がいるリビングへ足を運ばせる。
リビングでは父さんに母さん、そして妹の
「おはよう誠。さっさとご飯食べちゃいなさい」
母さんが僕の座るべき席に向かって箸を差した。テーブルの上には目玉焼きにベーコン、そしてキャベツが少々。茶碗と味噌汁用のお碗はひっくり返されている。
「うわ、お兄顔めっちゃ赤いよ? 風邪でもひいた?」
ベーコンを口に頬張りながら妹の歩美が尋ねた。
歩美は僕の二つ下で中学二年生。高校生でもないのに髪はミディアムボブにして、微かに茶色に染めている。ピアスまで付けて大人ぶっているませた妹だ。
地味な黒髪の僕とはまさに正反対と言える容姿だろう。
「うん、ちょっと熱があるみたい。母さん体温計ある?」
母さんが手渡してくれた体温計で熱を測ると、三十八度もあった。
「ちょっと誠、どうしちゃったの?」
「急に寒くなったから風邪ひいたんだと思う。今日学校休むわ……」
「休むって、あんた今日バイトあるんでしょ?」
「それまでには寝て治して行くよ」
ずぶ濡れになって風邪をひいたなんて口が裂けても言えない……
母さんが学校に電話している間に、僕は自分の席に座る。食欲も失せていたので、目玉焼きだけ胃袋に詰め込む事にした。
「お兄、昨日の流れ星追いかけて川に落っこちてずぶ濡れになったんじゃないの?」
ニヤニヤしながら投げかけてきた歩美の言葉に、僕は目玉焼きを喉に詰まらせそうになる。
「な、何言ってるんだよ歩美!」
「キャハハ! 冗談! あっアタシもう行くね!」
歩美はバッグをつかんで家を出ていった。
(救助したってのに、なんて貰い事故だ……)
心の中で琴音を少し恨めしく思い、そのまま席を立った。そして若干足をふらつかせながら二階の自室へと向かう。
ベッドに入った僕は、夕方までに風邪を治すという一心で眠りについた。
夕方四時、目を覚まし体温を測ってみたら、熱は三十六度にまで下がっていた。めまいや体の火照りも治まり、歩いてもふらついたりしない。
自分の回復力に驚きつつ、昨夜床に放り投げた制服をベランダの外に干した。そしてスウェットの上にジャケットを羽織り、細身のジーンズを履く。
バイトは夕方五時から。風邪は治りかけにぶり返すと怖いが、今となったらもう行くしかない。
「いってきまーす……」
玄関で抑揚のない声を出しながら、僕はスニーカーを履く。湿っていたが、この際気にしてはいられない。
マスクを着用し自転車に跨がると、まっすぐにバイト先に向かった。
今日の店内は昨日とはうって変わって客の入りがまばらだった。加えて幸運な事に、レジでの接客をやる事なく業務を終える事ができた。
「お疲れ様でーす」
バイト先の先輩たちに挨拶を交わした僕は、従業員口から外に出る。外の風は昨日にも増して冷たく、年末が近づけば近づくほど寒くなるのを肌を通して感じられた。
本来だったらここですぐに自宅へ直行するべきなのだが、昨日訪れた河川敷が気になって仕方がなかった。またあそこに行けば、琴音に会える気がしたのだから。
そして琴音に会ったなら、昨夜の無神経な発言を謝罪したい……
自転車を発進させた僕は、帰るべき自宅の全くの逆方向、赤い橋が見渡せる河川敷へと走らせた。
河川敷の土手の上にたどり着いた僕は、自転車に跨がったまま川全体を見渡してみる。ここが昨夜二色の流星を観測した場所であり、同時に僕と琴音が偶然出会った場所……
暗闇に広がる大きな川の右側には、街灯で照らされた大きな赤い橋。昨夜は流星を見る事と琴音を助ける事で意識していなかったけれど、こうして見渡してみるとこの光景はなかなかにシックな雰囲気を醸し出している。
行った事のある場所でも、改めてこうやって見渡してみると新たな発見があるんだなと、僕は心の中で呟いた。
「誰?」
突然アスファルトの道の向こうから、女の子の声がした。聞き覚えのある澄みわたった声。
「……琴音?」
暗闇の中から聞こえてきた声に対し、僕は思わず声を漏らす。次第に近づいてくる足音。足元から現れた人影の正体は案の定、上条琴音だった。
「誠……」
姿を認識できたとたん、琴音は僕の顔を見てはうっすらと笑みを浮かべる。僕は気まずい気持ちのまま、琴音の顔を窺っていた。
琴音の服装は昨日と同じ、星の模様の刻まれたパーカーに黒のスカート。家庭の事情か、服を何着も買うお金もないのか……そう思い表情を曇らせていると、琴音も同じように悲しげな表情をする。
「昨日はごめん……」
悲しげな顔の琴音から発せられる謝罪の言葉。
「助けてもらったのに、昨日の態度は考えなしだった……ホントごめん……」
琴音は僕に向かって軽く頭を下げた。感情的になったとしても、自分の落ち度は認めているのか。ならば自分もしっかりと謝るべきだ。
「僕の方こそ、琴音の家庭の事情も知らないのに、無責任な発言をした。謝るのは僕の方なんだ……ごめん……」
僕が謝罪の言葉を述べると、琴音はパーカーのポケットに右手を突っ込む。そしてキラキラ光る宝石のようなものを取り出した。
それは黄色の星形の宝石が、黄色のガラスでできたチェーンで繋がれたネックレスのようなもの。
僕はネックレスから放たれる仄かな光に目を奪われ、思わず瞼を大きく開く。
「これ、あたしが小さかった頃、ママから貰ったもの。仲直りのしるしに、誠にあげる」
琴音の両手に乗せられたネックレスを見た僕はたじろいでしまう。
「そんな! お母さんから貰ったものなら琴音が大切に持っていないと……」
僕が言うと琴音は首を左右に振る。
「ママから貰ったネックレスはもう一つあって、それは今家に大事にしまってあるから。今のあたしには二つも必要ないから……」
否が応でも貰ってと、心で訴えるような笑みに気圧された僕は、右手を差し伸べて星のネックレスを受け取った。
触感はただ固いものに触れるものと変わらなかったが、そのネックレスからは奇妙な温もりを掌の上で感じとる事ができた。
「首からかけてみて!」
僕は琴音の言われるがままに、チェーンを外して首にかけ、首の後ろで繋いでみせた。
「どうかな?」
ジャケットの上で光り輝くネックレスを、琴音に見せつけてみる。
「似合ってるよ」
ネックレスから放たれる光を見た琴音は、ニッコリと笑みを浮かべて率直な感想を述べた。僕も嬉しくなり、ありがとうと言って笑顔を返す。
琴音が僕に犯した失態に対し、しっかりと謝罪を述べてくれた。ならば今度は僕がその気持ちに答える番だ。
「ねぇ琴音。今から九日後、来週の日曜日って空いてる?」
「えっ? あたしは学校行ってないから基本的にヒマだけど?」
「だったらさ、僕のお気に入りの場所に連れていってあげるよ」
「えっどこどこ?」
「間違いなく琴音も喜ぶ場所!」
琴音に喜んでもらうために、ここでは具体的な場所は告げない。彼女はワクワクしているのか、嬉しそうに笑みを浮かべている。
僕は琴音がどこに住んでいるのかは分からない。同時に琴音の知らない事はたくさんあるけれど、ここで彼女が喜んでくれれば、これ以上の幸せはない。
「じゃあ来週の日曜日、ここの河川敷で待ち合わせでいい?」
「うん、ありがとう。またね」
約束を交わしあった僕たちは、土手の上のアスファルトの上で別れを告げた。
僕は琴音から貰ったネックレスを首から吊るしたまま、夜風に吹かれながら自転車をこぐ。河川敷を離れて住宅街にさしかかっても、僕の脳裏から琴音が消える事はなかった。
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