ステラ

マムシ

1.冬の流れ星が見える日

 バイト先であるコンビニの従業員口の扉を出た僕は、通学用のバッグを肩から下げたまま駐輪場へと向かう。自分の自転車に跨がると、バッグをかごの中に入れ、そのまま夜の町へとこぎ出した。

 自転車のペダルをこいでひたすら走らせる僕の右側には、冬の風を受けてすっかり衣を脱いだ街路樹の列。足下には秋の終わりを感じさせるようなイチョウのじゅうたん。

 そして空には透き通った空気の先に見える、無数の星たち。

 加速すればするほど冷たい空気を頬に浴びる僕は、唇をぎゅっと噛みしめて堪える。



 平日なのに関わらず店内が混みあってしまい、結局残業する事になってしまった。

 目的地に向かっている僕は焦っていた。

 人気のない歩道を走る自転車を更に加速させようとするが、十メートル先の交差点の信号が赤になってしまう。

 交差点の点字ブロックの上で自転車を停めた僕は、深くため息をつく。その息はすでに白く、そのまま夜空の暗闇の中に消えた。

 右手と右足で自転車を支えながら、左手をズボンのポケット突っ込みスマホを取り出す。側面のボタンを押すと、画面に現時刻が表示された――午後十一時四十五分。


「あと十五分しかない……」


 信号を待つ時間すら、煩わしく感じられた。今の僕には、どうしても見なければならないものがある――



 信号の青を見た瞬間、僕は目指す場所へとペダルをこいだ。

 こいでいるうちに市街地を抜け、河川敷へとやってくる。川沿いの細いアスファルトの道をひたすらこいでいると、右側に大きな赤い橋が見えてきた。暗闇の広がる河川敷の中に、無数の街頭で煌々と橋を照らす様は、夜のライブ会場を思わせた。

 夜間であるにも関わらず、左側から車が何台も通ってきて、赤い橋の奥へと消えていく。

 僕はタイミングを見計らって、自転車に乗ったまま横断歩道を渡る。


「ふぅ、この辺りかな?」


 適地だと確信した僕は、自転車をアスファルトの上に停め、土手の坂道にある階段に座った。

 あわててスマホの時刻を確認すると、午後十一時五十六分――間に合った……



 落ち着きを取り戻した僕は、バッグの中から二つに折り畳まれた紙を取り出す。これはこの町の丘の上にある天文博物館から自宅に届いた案内通知だ。この博物館は僕が幼い頃からよく両親と一緒に行っている場所で、同時に僕を天文ファン足らしめたニクい場所でもある。

 案内に書かれている事を見た僕は、口角をぎゅっと上げる。


 ――2色の流星、11月24日と12月24日に目撃!? 観測時間はどちらとも0時頃


 案内に書かれた文面に目を通すと、そのまま夜空を仰ぐ。



 長野県南部にあるこの町は、頻繁に奇妙な色をした流れ星が観測される事で知られており、天文ファンの間ではちょっとした騒ぎとなる。

 この流れ星は、この町以外の場所では観測できないという特徴があるらしい……

 理由は未だに解明されておらず(というより、解明しようという人間があまりおらず)、謎は深まるばかり。もっとも、天体好きの僕にとっては探るべきものが一つ増えたという事で、ただただ興味が湧くばかり。


「あとちょっと……」


 周囲に誰かいるわけでもないのに、空に散りばめられた星たちに呟く。



 案内をバッグの中に急いでしまい、右手に掴まれたスマホの画面を見る。丁度零時になったところだ。

 僕は再び顔を夜空に向ける。首の筋肉が痛くなるくらいに、それだけ無我夢中の気持ちで……



 夜空を眺めていると、遠くの山の方から夜空の中心に向かって、青と赤の細い光の筋が、星たちを押しのけるように走っているのが分かった。

 息を飲む僕をよそに、光の筋は数を増し、夜空を縦横無尽に駆け抜ける。星と星の間を縫うようにして光っては消える青と赤の光。


「綺麗……」


 ありきたりの感想をぼやいて少々気恥ずかしくなったが、そんな事は気にせずに、夜空に広がる幻想的な光景に心を奪われていた。


「ん?」


 二色の光が踊る夜空の中心で、ただの星とも二色の流れ星とも違う、異様に強い光を放つ星が現れた事に気づいたのは、空を見上げて一分ほど経過したときだった。

 その星の光は更に光を増し、僕は目を開けていられなくなり、思わず瞼を閉じる。数秒後、瞼を開けた時には強い光はなく、夜空で流れ星の光が輝いているだけだ。



 何の光だったんだろう――そう思っていると、土手の下の川から何かが水に飛び込む音が聞こえてきた。


「た、助けて!」


 女の子の悲鳴が聞こえてきた。誰かが川に落ちたらしい。

 僕はバッグを握ったまま階段を駆け下りて、声のする方へ走る。


「かはっ! 助けて!」


 広くて暗い川に視線を向けると、人がこちらに向かって必死で手を伸ばしているのが分かった。

 橋の上の街灯から届く微かな明かりで判断するに、長い髪が見える。やはり女の子だ。



 どうする? 助けを呼ぶか?

 いや、流れが穏やかといってもこの川は深い。おまけにこの時期だ。呑気に助けを待ってなんていたら、女の子の体力が持たないだろう。


「……よし」


 遠くで助けを求める女の子を見据えた僕は、バッグを砂利の上に置き、ブレザーを脱ぎ捨てた。

 スニーカーも脱がずに、そのまま浅瀬を通過して、底の見えない黒い水へ僕は飛び込む。


「今助けに行くぞ!」


 少しでも安心させようと叫びながら、僕は女の子めがけて手足をばたつかせた。

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