鳳蝶―III

 ――ファイ、今どの辺だ?

 通信に驚いたが、慌てて返答する。もう橋は見えている。あと少し。本当に、あと少しなのだ。

 ――そうか。何とか間に合いそうで良かった。

 ミラ、でもその身体では……。

 ――なあファイ、出来たらこれから起きる事を見ないでほしいんだ。

 どうして?

 ――もうこれ以上、貴方を苦しめたくないから。


 どうして彼女は、どこまで行っても自分がいないのだろう。自らの命よりも、他の誰かを想ってばかりだ。それが酷く悲しくて、切なくて、どうしたってその想いは私にしか知り得ない事がとても辛い。

 けれど、ならばせめてその優しさから目を背けたくなかった。


 ミラ、せめてその痛みのほんの僅かでも、一緒に背負いたい。最期まで貴方を独りにはしたくない。

 ――そうか。

 彼女はほんの僅かに沈黙し、そして続けた。

 ――ごめんな。


 通信が途切れる。彼女は煙草を投げ捨て、立ち上がる。何度でも。


〔哀しみによりて、覚醒の燈火をあらしめよ〕


 彼女は穴の空いた右目に手を当て、そしてすうっと前方へ差し出した。


〔苦しみによりて、革命の潮流をあらしめよ〕


 ぱたり、ぱたりと羽ばたくものが映る。


〔慈しみによりて、粛正の此土しどをあらしめよ〕


 それは鳳蝶アゲハチョウだった。これまで何度か目撃した、黒に染まる美しい生き物だ。


〔憎しみによりて、絶命の宵闇をあらしめよ〕


 それが一羽、また一羽、どこからともなく現れる。上から下から、どんどん沸いてくる。その黒には見覚えがあった。

 初めて彼女と出会ったとき、見た色。変色したAx2と同じ黒だ。最後に銃創を負った左手からも蝶が生まれ出たのを見て、私は確信した。

 これらは全て、彼女の体内から創り出されている。Ax2を媒体とした、人工的な生物だ。


〔さあ、死ぬまで踊り明かそう〕


 何百羽にも増える鳳蝶が彼女の身体を覆い、彼女の周りを踊り回る。視界に黒い羽ばたきがあらゆる方向から押し寄せては引いていき、景色は目まぐるしく黒と極彩色とを繰り返す。

 その羽の隙間から、ラウラがエウクスに導かれ後退している様子が見えた。


〔せいぜい上手く死んでくれよな〕


 彼女の指揮タクトで、蝶は一斉に空を切り裂いた。弾丸よりも早く。刹那よりも短く。閃光よりも細く。

 蝶たちは鋭く尖るやじりのように飛び、信徒達の身体を切り裂いた。音もなく、景色は一変した。


<file:unknown>

 >君達はいつか、死とは何かを識るだろう。

 >ならば同時に、生とは何かと考えるだろう。

 >私は共に語り合いたい。

 >なぜ我々は生きようとするのかを。

</file:unknown>

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