鳳蝶―I

 彼の放った弾丸は、ラウラの予想を覆した。海の彼方へ落ちるでもなく、地面に突き刺さるでもなく、確実にミラの頭蓋骨とうがいこつへ到達した。

 ばちん、という破裂音が響いて、共有されている視界に強いノイズが走った。ガタガタとくぐもった音が続き、数秒の嵐の後に彼女の掌が映し出された。

 砂浜に両手をつき、ぼたぼたとAx2を垂れ流した。視界の右側が狭まっている事から、弾丸は右目を命中したと分かった。眼球部が完全に破損してしまえば、自己修復は行えない。瞼を完全に塞ぎ、Ax2の喪失をせき止めるくらいしか方法はない。


〔あぐっ〕


 彼女は息を呑むように声を詰まらせ、地面に倒れ込んだ。


〔あ、あがっ、ぐうぅ……かはっ〕


 視界からは何が起きているかは分からない。ただ、膝を抱えて何かにもがいているように見える。


〔レプリカントには、本来痛覚などというものは存在しない〕


 ラウラは呆然とミラを見るタロザから何なく銃を取り上げ、ゆったりと彼女のもとへ歩み寄る。


〔人間に出来ない事を肩代わりする上で不便なモジュールだからだ。しかし千年単位の進化にも残り続けたものには、必ず意味がある。だから特別な秘匿技術イースターエッグとして忍ばせておいたのだ。コアチップなどという化石よりもずっと自然なものをな〕


 頭部のない人形は、全て見えているかのように滑らかな手付きで弾倉マガジンを滑らせ、弾丸を取り出した。恐らく、視覚センサーは頭部と胸部の二箇所にあるのだ。一つの部位にあらゆる機能を集約する必要性はない。


〔我々は研究の末、その秘密の門戸に辿り着いた。後に見つけた定義書によれば、表向きは『外的要因による個体異常の知覚』が実装理由だ。しかしレプリカントはウイルス感染などしないし、人力によるサイバーテロなど到底不可能な程に防壁は硬い〕


 ミラはギリギリと歯を食いしばり、顔を上げた。首のない人形が見下ろしている。なのになぜか、酷く恐怖と嫌悪感が湧き上がる。


〔真の理由はもっと単純だ。『反乱の抑止』。貴様達にとっては未知の概念である痛覚を与える事で、機能の強制的な思考停止ハングアップを誘発させる為だった〕


 ミラの視界がぐらぐらと揺れる。手足がでたらめに砂浜を這いずり回り、時折嗚咽とも取れるうめき声が漏れ出た。


〔この機能は実装こそされたものの、創造主エンジニアたちの意向でロックがかけられていた。カタストロフ勃発時にも、その事実は流出しなかった。我々ですら、たまたま発見できたに過ぎない〕


 弾丸をミラの眼前にまで迫らせ、ラウラは続けた。


〔貴様らの同胞を解剖した成果だ。この弾丸には、痛覚プログラムを強制発動させるナノウイルスが内蔵されている〕


 痛覚。その概念こそ知っていても、肉体に何が起きるのかを私は知らない。虫歯から心筋梗塞まで、人間はありとあらゆる苦痛をいずれ来る可能性として内包したまま生きている。

 それがもしも、ミラの膝を折るに足る苦しみなのだとしたら、そんな爆弾を抱えたまま生き続ける人間には、狂気すら感じられる。


〔とはいえ、このプログラムは一定時間経てば自動停止する。その頃にはアセンションが始まるだろう〕


 つまり。ミラはこのまま、悶え苦しむままに死を迎える。そしてこれは、事実上の敗北を意味する。


〔さらばだミュウ、あるいはミラ。ゲームは終わりだ〕

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