落陽―I
人間は、ある日突然命を喪う。喪われたものは決して取り戻せない。彼の者は河へ、あるいは門へ、あるいは階梯へと辿り着くのだろう。
本来、レプリカントにも死は存在した。永遠に動き続けるものなどない。永久機関は成立しない。レプリカントにも故障リスクや耐久力といった限界が確かにあった。
だがレプリカントには複製が可能だった。記憶の複製。人格の複製。
それは死の延期だ。生の延長だ。死が近づく度に新たな躯体へと乗り換える。それを繰り返し続ければ、永遠に近い生き物になれる。最も機械らしいと言えるが、同時に人間らしい形からは最も遠くなる。
だから創造主たちは考えた。機械としての利点を残すのか、人間性を確立させる為にそれを捨てるのか。
機能停止したA01を前にした彼らに、もはや選択肢など残されていなかった。レプリカント法案に、「躯体移行の原則禁止」が追記された。
記憶も人格も、それぞれが所有する権利を持つ。同時にそれを一つの海に共有させる義務もある。記憶、人格、躯体、全ては貴方のものであり、私達のものでもある。
――砂浜に涙が落ちる。音もなくそれは吸い込まれ、何事も無かったかのように黄土色が少しずつ陰っていく。日暮れだ。二一三九年でも、太陽は東から昇り西へ沈む。
ミラの頬からはとめどなく涙が溢れ続けている。この涙はどんな成分で出来ているのだろう。単なる水か、それともミネラルを含んだ体液か。死期の可視化、その為だけに涙を貯蔵してあるのか。何という労力だろうか。
まばたきをする事も、目を閉じて睡眠状態に入る事も、呼吸をする事も、全ては人間らしさを演出するためにあった。だが、たった一度の役目のために涙という専用の液体を何十年と忍ばせておくことに、どんな意味があるというのだろう。
「ああ……そうだ、これからどうしようか……」
ふらりと立ち上がり、ミラは空のある方を見た。平坦な声色とは裏腹に、未だ涙は零れ続けている。
「これ、鬱陶しいな。止まんねぇのかな」
ぐしぐし、と袖で目尻を拭っても、またぽろぽろと溢れ出す。返って不自然なくらいに止まってくれない。
「なあ、今夜はどうする? ここじゃあサンが風邪引いちまう」
私もデルタも、僅かに俯いたまま何も答えられなかった。彼女の姿を直視出来ない。だって、こんなにも気丈に振る舞っているのに、涙は決して止まらないのだ。例え彼女の人格レベルでは悲しんでいなかったとしても、私達の目には悲しみしか映らないのだ。彼女は涙を流しており、それは突発的な死刑宣告に等しい。
「何だよ……何か言ってくれよ。寂しいじゃん」
しゅぼっと火種が飛んで、彼女は煙草の煙を吸い込んだ。ふうと吐き出すと、潮風に乗ってくるくる舞い踊り、そのまま融けて消えた。
何か話したかった。でも何を話せば、あるいは何から話せば良いのか私にはまるで分からなかった。感謝の言葉を伝えたい。ありがとうと言いたい。多分彼女は同情とか慰めとか、そういうものは嫌うだろう。だから出来るだけ前向きで明るい言葉を選びたい。
けれど何を言おうとしても、それらは全て過去形になる。ありがとう、楽しかった。そんな風に。
だから声に出したくなかった。二十四時間後に起こるであろう事を考えたくなかった。私達はレプリカントの死に方を知っているのだから。
「まさしく、ゲームオーバーだな」
彼女は目を伏せながら、煙草の灰を落とした。それが砂に落ちるのとほぼ同時に、金属音が聞こえた。現代の死神は、足音にすら鉄が混ざっている。
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