遠雷―I

 細やかな憩いのひと時は、非日常的な地鳴りによって引き裂かれた。どおん、と辺りを震わせる鈍く重い音が耳元に届いた。


「遠雷……?」


 呟くと、ミラはかぶりを振って否定した。


「じゃあ、何の音?」


「爆発、あるいは倒壊」


 およそ日常で聞くことはない、聞いたとしてもどこか遠い場所で起こるものだろうという単語が、私の背筋を張り詰めさせる。


「何で……」


 恐る恐る、たった三文字の言葉を絞り出すのが精一杯だった。ようやく人心地付けそうな時に、再び恐怖の予感を呼び起こされるのは余計な心労を生む。


「うーん、何て言えばいいかな」


 私はきっと青ざめた顔色をしているのだろう。Ax2が青白い液体であるのだからそうあってもおかしくないが、それでも白々とした肌が悲鳴を抑え込んでいる事は確かだ。


 強いて言うなら――。

 反面、悠長な声で彼女は煙を吐き出す。次の言葉を訊くのが、何故だか恐ろしくてたまらなかった。


「人間共が私達を殺しに来ている、かな」


「人間が……いるの……?」


 人間は消失したと言っていた。転生という行為によって。文字面から察するに、もうこの世にはいないものと思っていた。

 ミラの肩を掴み、私は声を荒らげる。


「人間はいなくなったんじゃないの、それなら私のオーナーも――」


「ここはだよ、ファイ」


 冷たい声色に、一度膨れ上がった熱が引いていった。そうだ。ここは百年近く先の未来なのだ。レプリカントならまだしも、人間が生き続けていられるはずもない。


「説明が不十分だったな、悪かったよ」


「カタストロフについては教えてもらえたけれど、転生についてはまだだったから……ごめんなさい」


「いや、混乱して当然だ」


 彼女はまた煙草を灰皿に押し付けた。大量の吸い殻が詰まったガラスのそれをゴミ箱へと持っていきながら、すぐ隣の自販機のボタンを押した。

 ぼとり、とペットボトルが二本落ちる音に、私はあの海辺の赤子たちを思い出した。


「転生というシステムの全容は、私も知らない」


 コーラを手渡され、彼女のドクターペッパーと同時に栓を開ける。

 水分補給に意味はない。体内の分解回路によって液体と気体に分けられる。液体の一部はAx2の簡易クリーニングに使われ、あとは気体とともに、呼吸によって殆ど排出される。


 一滴も水分を摂らずとも問題はなく、また摂取したところでそれほど有用な使いみちにもならない。故障の危険性があるため、食事は原則禁止されている。

 だからと言うべきか、飲み物であれば別に飲んだとて問題はない。


「私から言えるのは一つだけ」


 こくり。しゅわりと炭酸が弾け、黒々とした液体が踊っている。


「人類は消え去った。けれど、死んだわけじゃない。どこかへとんだ」

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