隠れ家―VI
その中から私は一つの短編集を取った。芥川龍之介の『杜子春』。表題作の他に『蜘蛛の糸』や『トロッコ』といった有名作も収録されているが、一番好きなのはそれらではない。
薄い文庫本を手にフロアへ戻り、ミラと対面に置かれているソファへそっと腰掛けた。子供は未だすやすやと吐息を立てている。
「芥川か」
短くなった煙草を灰皿に押し付けながらミラが言う。
「どれが好みなんだ?」
「どれも好きだけど……『蜜柑』が一番好き」
「ああ、あれか。いつもの作風と違って、珍しく優しい物語だった」
「そう。だから好き」
「芥川と言えば、昔に話題になったな」
「『藪の中』の考察?」
「いや、『地獄変』のやつ」
彼女の言う『地獄変』に関する話は、二〇五〇年よりももう少し前に議論されたものだ。
「レプリカントは『地獄変』の物語性を理解できるか」
地獄変に限らず、当時は何かと物語性という単語が流行っていた。
シナリオの構造を分析し、どうしてこの創作物はカタルシスを得られるのか、といった持論が時折ネットニュースなんかで取り上げられていた。
その中で、いくつかの小説がレプリカントの思考実験の例に挙げられたのだが、日本において一番代表的だったのが『地獄変』だ。
目の前で焼かれる実の娘を見ながら、一つの絵画を完成させる。そのクライマックスをレプリカントは正確に理解できるのかという話だ。
レプリカントは合理性を重視し、また望むべき道徳心を持っている。なのでそれが血縁関係にあろうと無かろうと、まず助けようと考える。ましてやその光景を参考にして絵を描くなんて思慮の外だ。
完成した後に絵師は自殺するのだが、それもまた理解できないだろうと言われていた。
その根拠は三つある。
まず、悪意を持っていないから。絵仏師に対し「目の前で娘を火刑にする」行為を思いついた大殿は、紛れもなく悪意を持ってそれを実行させた。
美貌をもった娘を手に入れたにも関わらず、絵仏師は娘を返すよう訴えるし、娘は全く身を許そうとしない。嫉妬か憎悪か、感情の種類はともかく彼は絵仏師を傷つけようとそれを望んだ。
その恐ろしさは、レプリカントには到底理解できないはずだ、というのが一つ目。
次に、芸術を知らないから。
SF作品なら定番だろう、人工物には
故に、愛娘を犠牲にしてでも一枚の絵を完成させるという信念を理解できないはずだ、というのが二つ目。
そして死の解釈。
絵仏師は絵を完成させた数日後に自殺する。物語において自殺というのは大きな意味を持つことが多い。
贖罪か、逃避か、あるいは再会を願ってか。理由は様々だ。
人間は死という絶対的な存在を重く捉えている。故に自ら命を断つという行為は相応の決意を必要とする。
だが、死んだとて贖罪にはならない。天国や来世で会おうと願い死ぬことも人間独自の考え方だ。魂の証明が未だ不可能なように、天国の証明もまた実現していない。
全てのレプリカントが天国を信じていないとは言わないが、不確かなものを強く信じる事には違和感を覚えるだろう。それは人間だけが理解できる独特な価値観だと言える。
辛うじて分かるのは逃避だろうが、レプリカントの場合は死んでもすぐ新たな個体となって生まれ変わる。記憶は初期化されるとはいえ、この世界から永遠に逃れる事などレプリカントであり続ける限り避けられないのだ。これが三つ目。
現に私もあの物語を完璧には理解出来ていない。理屈は分かるけれど共感は出来ない。そんなところだ。
だから試しに訊いてみることにした。
「ミラは天国を信じる?」
随分と交わすべき会話を端折ったけれど、文脈は受け取ってもらえただろう。彼女は新たに煙草に火をつけながらこう答えた。
「あれば良いな、としか言えない」
含みのある、しかしその真意は確かに伝わってくる言い方にくすりと笑った。
何だ、意外と優しいところもあるんだな。そう思えた。
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