邂逅―IV

「一つだけ約束して」


 彼女の腕を掴む。意外にもそれは細く、私とそう変わらない。口は悪いが、華奢な外骨格で出来ている。


「貴方が私を騙して、Ax2を全て吸い取られても、それは別に良い。どうせ私は一度死んだはずだから」


 オーナーとの別れが私にとっての、レプリカントにとっての死だ。海辺で目覚めてからこれまでの事は、夢でも幻でも構わない。

 私の生きる理由とは、主のために奉仕すること。そのはずだった。その秩序が壊れてしまったというのなら、生きていようがいまいがどうだっていい。


「ただせめて、この子を安全な場所か人かの元へ送り届けて」


 彼女はじっと抱きかかえた子供を見て、しばらくの沈黙を生んだ。

 やがて左目の瞳孔から透ける歯車の虚像レイヤーがくるりと一回転し、私へ視線を移した。


「安心しな、それは引き続きあんたの役目になる」


 私はボロボロになった服を脱ぎ、その中に子供をくるんで地面に置いた。


 全く意味のない構造だが、女性型レプリカントには乳房やへそといった人間的な部位がきちんと再現されている。その方がだと言うのは建前で、実際のところそのほうがのだ。


 とはいえ、裸体はAx2ファイバーが織り込まれた表皮はつるつるとしていて、プラスティックのマネキンじみている。

 私達に恥じらいなどない。あるとすれば恥じらいという振る舞いだけだ。


 彼女もまた、私の姿にぴくりとも反応せず、ごく当たり前のように首筋に手を回す。

 すう、と開かれた口から整然と並んだ歯と舌が見える。人間と違い、発声以外の使いみちは無い。

 首筋へと迫りくる顔を眺めながら、八重歯がある、などと悠長に彼女の歯の形を観察している自分が、酷く可笑しく思えた。

 彼女の歯が私の皮膚にそっと触れる。そしてぐっと顎が引き寄せられ、薄い膜のその奥へと侵入してゆく。


 ぱきっ。

 冷やしたチョコを砕いたような音。レプリカントの身体に傷がつく時、どんな音がするかなんて今まで知らなかったし、知る気も無かった。



 レプリカントの強度は人間よりもやや脆い。ただし人間以上にしぶとく出来ている。腕が取れようと頭が半回転しようと、意識は保たれる。

 しかし、正当防衛のために頑丈に作られている私達の歯は、表皮を貫ける。いざという時に人間の喉笛を噛み千切れる強さがなければ、彼らの奥底に眠る野蛮に対抗出来ない。


 たとえどんな姿になろうと死なないとて、武器を持たずに生きていくことなど不可能だ。それが創造主エンジニア達の信念だった。


 ちゅるり。Ax2が吸い取られた、と知覚する。献血というのはきっとこんな感覚なのだろう。ごくり、ごくり、少しずつ私の中から生気が失われていく。

 本来なら不快なのかもしれない。しかし私は……いや、認めたくはない。けれどそれ以外の言葉が思いつかない。

 少しだけ、快感を覚えていた。


 ごくり、と音が鳴るたび、この喉は何の為に存在するのかと疑問符が浮かぶ。食事も呼吸も必要とせず、ただ頭部への供給の通り道でしかない。にも関わらず、Ax2を飲み込む時には人間のように景気よく音を鳴らす。


 そもそもAx2の供給に吸血鬼じみた方法を取る必要もないはずだ。Ax2は性質を持つ。例えば刃物で傷をつけ、液状化したものを皮膚から取り込む事だって出来るだろう。

 こんな原始的とも言えるやり方を選んだのは、より人間らしい形を求めたからか。

 目眩に似た感覚に陥りながら、彼女の首筋をぼんやりと眺める。

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