その五
その五
結局、杉三たちは、久留里駅にやってきた、アクシー号という変な名前の、高速バスに乗せてもらって、木更津に帰ってきた。少なくとも、電車より早く到着したため、予定していた時間より早く木更津に到着することができた。
バスの中では、結構にぎやかで、先ほどの久留里線の中とはえらい違いであり、学生や仕事帰りのサラリーマンなどがよく見かけられた。違う国家にやってきたという杉三の発言は必ずしも間違いではなく、彼らの話す日本語、特に高校生くらいの女性が話す語は、杉三たちが聞く日本語とはかなり違っていた。
まあ、そんなことはとにかくも、バスは二人を木更津駅近くまで連れて行ってくれた。とりあえず、バスを降りて、宿泊券を引き当てた高級ホテルにたどり着く。確かに高級ホテルであることは言うまでもなく、ほかの建物を押さえつけるように立っていた。でも、そこだけ整備された屋上庭園なども設けられていたが、そこだけは確かに自然を演出していても、周りの建物が都会的なため、何か違和感があり、久留里線とは大違いであった。
中に入ると、暇そうなホテルマンが出迎えてくれて、杉三たちが持っていた風呂敷包みを代理で運ぼうかと声掛けしてくれたりしたが、うるさい、できることはやるから手を出すな、と杉三はすべて断ってしまった。ホテルマンたちは変な顔をして杉三たちを見た。そういうものは大の苦手な杉三である。
二人は、フロントへ行った。チェックイン手続きは、筆記作業のできる水穂が行った。フロント係は、冷蔵庫の使い方、ユニットバスの使い方、備え付けのテレビの使い方など長々と説明をしたが、杉三がとにかく部屋へ連れて行って、休ませてやってくれよ、とあんまりいうので、変なお客さんだな、といやそうな顔をする。まあたぶん、必要なことは一気に全部説明をして、あとはお客さん任せというのが、いまどきのホテルのやり方なんだろうが、杉三にしてみれば迷惑行為なのだ。
「もう、そんなことは後にしてくれ。テレビなんか大嫌いで見ないんだから、それいいの!」
杉三がでかい声でそういうと、フロント係りは、いい加減にしてくださいよ、説明してやってるんだから、という感じの顔をした。彼女としてみれば、支配人たちから言い渡されている、説明をちゃんとしなければという、思いがあって、それを完遂しなければという気持ちなのだが、時には、それが効かない客もいることを知らないのである。
「おい、そこにある原稿を出してみろ。読んでいるだけでは意味がないぞ。説明でもなく、接客でもなく、ただ、マニュアル通りにしているだけだい。」
しまいにはそんなことを言い出すので、むっとしてしまうフロント係。
「すげえバレバレだよ。原稿読んでるの。」
と、最後は笑われてしまう羽目になった。ちょうどその時、このありさまを見ていた、支配人と思われる男性が出てきて、彼女に対して、それじゃあだめだという顔をして、
「すみませんね。まだ新人なものですから許してやってくれますか。お部屋までご案内しますからどうぞ。」
なんて言ってくれたので、このトラブルはやっと解決。彼女も杉三たちも救われたと思った。彼女は彼女で対応に困ってしまったし、水穂はこれ以上説明を聞くのも疲れ切っていたし、杉三は杉三で、とにかく、部屋へ連れて行ってやってくれと主張して聞かなかったのである。まあ、いずれも、マニュアル通りの接客ではできないということははっきりしていた。都会であれば、もっと出来のいい子を連れてこれる。このホテルもそうなることを目指しているが、出来上がったばかりのホテルなので、それはまだできないかなというところ。いずれは分業制になるから、それまでの辛抱だ、しか、彼女の頭にはないだろう。
支配人さんに連れられて、杉三たちは客室へ案内された。客室は、比較的上階にあるコンフォートツインで、フロント係りとしてはその中の備品についても説明しなければならないが、杉三にはどうでもいい話なのである。カードキーの説明もほとんど聞かないで、杉三たちはエレベーターで部屋へ案内され、支配人さんに部屋を開けてもらった。何とも非常識な客と思われるが、カードキーなんて、鍵さえ閉められればそれでいいのさ、と杉三は一蹴していた。そうなると、返答に困ってしまう支配人さんだった。
杉三としてみれば、洋室はちょっと苦手で、できればすぐに休ませてやりたいから、畳にすぐごろんと横になれるほうがいい、なんて言っていたが、洋室でもすぐになれます、なんて笑って返す支配人さん。案内された部屋は確かにそうなっている。中に入ると、あとはこっちで何とかできるから、もう説明はいいよ、なんて言って、杉三はすぐに追い出した。水穂が、不謹慎ですみません、何かあったらすぐにお電話するなりしますので、なんて謝罪をするのも痛々しかった。本当に変な二人だな、と支配人さんでさえも、思ってしまうほどの変わりぶりである。
とりあえず、何かありましたら、すぐに呼んでくださいね、なんて挨拶をして、支配人さんが部屋から出るのを確認すると、
「あー、よかったあ。もうこういうところ来るとさ、説明がうるさすぎて、ちっとも休めないからさ、早く追い出さなきゃって思っちゃうのよね。もう、そうじゃなくて、必要最小限だけでいいんだよ。どうせ僕らのほしいものは、ご飯と寝るところだけなんだから。それなのにあの受付女は、原稿を読み上げることに精いっぱいだし、支配人のおじさんも、そこらへんを分かってくれないもんかね。」
と、杉三が頭をかじりながら言った。
「まあ確かに、どこの施設も、だんだんマニュアル化しているからね。それにしても、結構いい部屋だね。福引とかだと、訳アリの部屋を与えられることが多いんだけどね。」
水穂は、部屋を見渡しながらそう言った。確かにオープンしてひと月しかたってないので、まだまだ部屋はきれいであることはいうまでもない。
「はいこれ。早く着替えて、横にならせてもらえ。さすがに着物のまま寝ちゃうのは嫌だろう?」
杉三は、引き出しを開けて浴衣を取り出し、水穂に渡した。確かに、着物で袴をはいたまま横になるのはちょっと苦痛でもあるので、その通りにした。その間に杉三は、ベッドに乗っかっていた布団をすべてはぎとった。
「もう、こういうのって苦手だわ。布団のほうが敷いたらすぐ入れるからいいのに、こういうところは部屋との調和がとか言って、余分なものくっつけるから、かえって寝られないよ。」
水穂にしてみても、演奏旅行などでホテルに泊まったことはあったが、それ以降はずっと布団で寝ているので、こういうものを使ったのは何年ぶりである。
「まあねえ。外国のシステムに近いつくりになってるからね。」
兵児帯を結びながら、そう答えるが、
「変な西洋の物まねはやめてもらいたいね。」
杉三の考えは変わらないようだった。
「もう、いいからとにかく寝ろ。」
「はい。」
本人としても疲れ切っていたので、文句言わず横になった。いつも寝ているせんべい布団と比べると、ふわふわしすぎて落ち着かない気がした。
杉三に掛け布団をかけてもらって、少しばかり目をつぶってみたが、どうも落ち着かず、眠ろうという気にはなれない。
「寝れんのか?」
「そうだね。」
ふっとため息をついた。
「それにしても、今日の変わった名前の田舎電車は、すごく楽しかったなあ。あれ、岳南電車よりも田舎だぞ。鳥さんが並走する電車なんてそうはないよ。電車と一緒にカラスが飛んできてさ、かあかあなんて声掛けていく光景なんて、初めて見たわ。カラスじゃなくて、ハトだったらよかったのに。手を出せばカラスに触れたかも?なんてね。」
杉三は、久留里線の思い出を語りはじめた。
「ごめんね。あの後亀山湖を一周できなくて。」
「謝んなくていいよ。疲れちゃったらしょうがないよ。だけど、この電車を逃すと、次は夜までないよ!なんておばちゃんにせかされたときは焦ったね。まあ、結局乗れたからよかったけどねえ。」
本来の計画であれば、夕方の電車まで、亀山湖の湖畔で待機しているつもりだったのであるが、水穂が疲れて座り込んでしまったため、いそいで帰ろうということになった。駅に引き返そうとしていると、通りすがりの掃除のおばさんが、あんたたち、電車で帰るんだったら、早く行かないと、夕方までなくなるよ!なんていったものだから、死に物狂いで駅に戻り、発車寸前の電車にかろうじて乗りこむことに成功したのである。
「まあ、乗り遅れたら遅れたで、何とかなると思ったんだけどね。まあ、どこかにカフェテリアでもあれば探せるくらいの余裕はあったのだけど、おばさんと杉ちゃんが運転手さんにまくし立てて、逆に疲れたよ。」
「なんだ。それだけの余裕はあったのか。でも、ああしてワーワー騒いでくれたおばちゃんも、珍しいかもしれないな。都会では、めったに見かけないんじゃないの。いいじゃないの。田舎だもん。感謝しよう。」
「感謝って、余計に疲れるだけだけど。」
「いいじゃないの。久留里駅で水くれたお姉ちゃんだって、結構かわいかったじゃん。なんかまだ、駅員になって間もないって感じだったな。不慣れなところもあったようだけど、きっと駅員として、成長するさ。そのためにはいいショック療法になるよ。」
「もう、杉ちゃんさ、それだけじゃなくて、こっちが出す弁償金のことも考えなくちゃ。一応、田舎駅でも駅は公共の建物だから、そこを汚したとなると、弁償はしなきゃならないよ。」
「だって、バスに乗る前に、そんなことしなくていいって言ってたぞ、あのかわいい駅員。」
と、いっても、血液のシミというものは、結構処理するのは大変なので、駅の床に付着したシミを掃除するのは、何かしら費用が掛かると思われる。
「そうはいかないよ。日本の法律じゃ、器物損害罪というのはあるんだから。もしわからなければ、小久保先生にでも詳しく聞いてみな。」
「わかった。じゃあ、洗剤でも買って、宅急便で送るか。久留里駅の、あのかわいい駅員さんへ。きれいにするっていうんじゃ、何よりも必要なものは、そのための道具だから、それを贈るのが手っ取り早いな。手紙書くから、代筆を頼むぜ。」
「馬鹿だなあ。それじゃあ、贈るものと内容が違うよ。弁償というのはそういうことじゃないんだよ。」
皮肉めいた溜息をついて、水穂はまた目を閉じた。
「結局、僕らがした観光なんて、久留里線に乗っただけじゃないか。計画していた、亀山湖一周も果たせなかった。写真でも撮ろうかと思ってたのに。疲れたら、カフェテリアで休んで、また戻ればいいやとか、考えはあったよ。それなのに、杉ちゃんがああして騒ぐから、掃除のおばちゃんに声をかけられるはめになって。できれば、もう一回、久留里線に乗りたかったな。」
「あー、すまんすまん。もう僕としては、何とかしなきゃと思ってさあ、いっそいでいたのよう。」
うとうとしながら聞いていると、杉三のその発言は嘘偽りもないなということがわかるので、もう、許してあげようと思った。蘭のようなおせっかい焼きであれば、そういう感情は生じない。おせっかいとしてやっているわけではなく、本当に困っていることがわかるし、それによって自分が得をしようという忖度もないからである。富士では今頃、蘭が大きなくしゃみをしているところだろう。
「もういいや。杉ちゃんだったら、蘭とは違うから。きっとそれだけに精いっぱいだっただろうし。それにしても、せんべい布団に比べたら、なんか柔らかすぎて寝れないよ。」
改めて水穂が目を開けると、杉三が隣でカラカラ笑った。
「やっぱり、畳のほうが落ち着くよね。僕も苦手だよ。」
「ほんとだよ。確かに、防音の設備もいいんだけど、あんまり静かすぎてちょっとね。なんか、団体客でもいてくれたらいいのにね。」
「あ、そうか。製鉄所ではいつも僧都が鳴りっぱなしだったよな。それに、結構利用者が遅くまでしゃべってたり、たたら製鉄は夜勤もあるし、結構がやがやしているもんね。それが全くないと、かえって落ち着かないね。」
「そう。あのカーンていう音は、うるさいなと思うこともあるけれど、とまってしまうとちょっと不安になる。台風があったりしない限り止めることはないから、あの僧都が止まるというと、日常生活から離れるということだ。」
「まあいいじゃないの。たまにはこういうちょっと変わったところへ来ても。だって蘭がもしいたら、絶対来られなかった。もう、うるさくてたまらなかったんじゃないか。」
「うん、そこは確かだね。」
杉三も水穂も、それは納得していて、二人とも笑いあった。
「よし、笑えるのなら大丈夫。とりあえず、ご飯にしようぜ。もう、腹がへっちゃった。」
「そこだけはしっかりしてるのね。えーと、どうしようか。レストランは一階だったね。じゃあ、もう一回着替えるか。浴衣ではいかれないから。」
「いや、面倒くさいからルームサービスで頼もうぜ。」
「了解。じゃあ、電話台の下にメニューがあると言ってたから、それを取ってくれる?」
「はいよ。ちょっと待ってな。」
杉三が取りに行っている間、水穂はよいしょと起きて、ベッドの上に座った。
「これでいい?文字は読めないが、食べものも画像があるので、そうかなと思って。」
と言って、メニューを持ってくる杉三。
「そうそう。それであってるよ。じゃあ、読むから何を食べたいか言ってもらえるかな?」
「ああ、手っ取り早く、寿司かなんかそういうもんでいいや。いっぱいありすぎて、読み上げるのも疲れるらあ。少なくとも、寿司はあるだろ。」
「じゃあ、これでいい?握り寿司10貫セットとか、、、。でも、10貫も食べれないな。」
と、言いかけて三度せき込んだため、
「ああ、もういいわ。それで。手っ取り早く、握り寿司10貫、二つ頼んじゃおう。頼むにはどうしたらいいの?」
杉三は即答で決定してしまった。
「あ、ごめん。少し待ってくれ。落ち着いたら電話す、、、。」
答えを出そうと思っても、せき込んだせいでちっとも先へすすめられない。基本的に、ルームサービスは内線電話をすれば頼めるのだが、これでは電話などできそうにない。
「もう、腹が減って我慢できないから、僕がなんとかして頼んであげるよ。」
咳のせいで電話ができない水穂に代わって、杉三は設置された内線電話の受話器を取り、文字を読めないので、適当に番号を押した。
「あ、もしもし、ルームサービスで寿司10貫セットを二つ持ってきておくれよ。」
「杉ちゃんそうじゃなくて、部屋番号と名前を言ってから注文内容を言うんだよ。それに、どこへかかったのかもわからないのに、」
水穂は、そう言いかけてまたせき込んでしまう。
「水穂さんも余分なこと言わないで横になってな。また布団でも汚したらどうするんだよ、弁償しなきゃならないかもしれないだろうが。」
そういわれて、なんだ、意外にわかっているじゃないかと思ってしまったが、それすら発言はできなかった。
「あ、もしもし。ちょっと支配人さん呼んでくれよ。ルームサービスでご飯を頼みたいんだよ。支配人さんに言えば通じるだろ。ほら、何をもたもたしてる!早く呼んできてくれ、早く!」
また強引にやるなあ、、、。本当に杉ちゃんは、そういうところがすごいというかなんというか。ある意味超人だ。蘭は、これを非常識でマナー違反というが、自分にはそうやって批判をすることはできないと思う。意外に助けてもらっていることも多いからである。
「あ、支配人さんよ。えーと、あのねえ、腹が減ったから晩御飯を持ってきてくれ。そうそう、ルームサービスね。てか、そんな長ったらしい名前は使うな。ただの部屋食でいいんだよ、部屋食で。内容は、えーと、寿司十貫セット二つ。内容はどうするかって?大トロも中トロも当たるから、全部かっぱ巻きにしてくれ、かっぱ巻き。それだけが、安全な食品なんだ。もうしょうがないの。そうしなきゃいけないの。わかったか、くれぐれもよろしくな。へ?味噌汁?あ、要らないよ、そんなもの。あと、しょうゆも要らないから。えー、なんで?つけなきゃダメなの?じゃあ、しょうがないね。二人分、僕が食べるわ。じゃあよろしく頼むぜ。おう、なるべく早くなあ。」
と言って、杉三は電話を切った。水穂は、このありさまを見て、せき込むのも忘れてしまった。
「すぐ持ってきてくれるってさ。横になって待ってろや。」
「だ、だって肝心の部屋の番号と名前を、、、。」
「わかってくれたみたいだよ。支配人さんが、はい影山様といったよ。」
「そうなのね、、、。」
こうなれば、杉ちゃんの勝ちだなと、水穂も思った。
「ま、すぐには来ないから、しばらく横になってら。」
「そうだね。」
と言って、再度横になったが、やはり眠ろうという気にはなれず、うとうとする程度であった。
数分後。ドアをノックする音がして支配人が食事を持って来てくれた。一応、板長に聞いてみたというが、寿司の内容を指定することはできないとお詫びした。杉三は憤慨したが、まあ、そういうこともあるので味わって食べようか、と、水穂がテーブルの上に食事を置かせてくれた。
そのまま夕食にしたが、寿司ネタとして、マグロもカツオも乗っていた。杉三が、安全面を考えてと宣言し、マグロやカツオの刺身をはぎ取って、全部食べてしまったので、このありさまを見た支配人は驚きを隠せない。へえ、相方はご飯だけにしてしまうんですか、それじゃあ、ちょっとかわいそうなのではと思うが、二人はそれで当り前のようにしているので、きっと何か事情がある人なんだろうなと思って、やっと理解できた。
世の中にはこういう人もいるんだな。
もうちょっと、このホテルにはいろんな人がやってくることを、考えなければならないな。
それを、ほかの従業員たちにも教えなければダメだと思った。
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