本篇12、くるくるくるりん

増田朋美

その一

くるくるくるりん

その一

時々、思うことがある。この電車の1日利用者数は、100人にも満たないという。すぐ近く?の新宿駅では、少なくともこの5000倍の利用者がいるとのことだ。そうなると、相当な人数が乗り降りし、駅は毎日大量の人で溢れ帰っていることだろう。なんだかなあ、、、。と思ってしまうのである。

一応、彼女が勤めている電車は、JRの一部になっているが、いまでもICカードの定番となっているSuicaも使用できないし、駅には自動改札機もないし、切符の販売機もない。機械化されていないので、駅員である自分を通して買うことになる。きっと新宿駅では、こんなバカなことは、みんな機械がしてくれるのだろう。

電車は、多いときで二両が精一杯だし、日中は大概一両だ。中央線の十二両なんて、比べ物にならないどのくらいの大蛇だ、なんて想像することもあった。朝の通学とか通勤時間帯では、それなりに客はいるが、日中なんて、ほぼ空っぽで、次の駅名をアナウンスしたりするのも虚しいくらいだ。それに、運行本数は、勘定してみても、1日十本に満たないという少なさ。走っていない時間の方が多く、結構な暇人といえる。

彼女と同期でやってきた女の子達は、みんな山手線とか、中央線といった有名な路線電車に配属されていったが、私だけがなぜか、こんな田舎電車に配属されてしまった。こうなると、人生、最大の不運だったとしか言いようがない。お客さんたちは年寄りが多く、その中から彼氏もできそうにないし、他の駅員にも同年代はいないし。あーあ、こんな田舎電車で一生すごすのか、なんて考えると、まさしくお先真っ暗である。

そんなことを隠して、今日も笑顔でJR久留里線の駅員業務を続ける、今西由紀子であった。

一方、久留里線から遠く離れた、静岡の富士というところでは。

水穂は、酷い頭痛のため朝から寝ていた。最近はだるさだけではなく頭痛と言う伴奏までつけ始めた。こうなるとさすがに、起きているのは難しい。多分、山田先生に言わせれば、なにかしら理由があるんだろうけど、そんな理由なんて知りたくもない。

時々、天井をみつめながら考えることがあった。持って数年、と山田先生が言っていたが、数年間こんなに辛いまま過ごすのか、と思うとそんな時間なんていらないよなあとおもう。

一日中こんながらんどうみたいな部屋の中で過ごすのを強いられるかと思えば、気が遠くなる。もしも願いがかなうなら、どこか別の場所へ旅行してみたいな、なんて思うけど、今更できるはずもないか、と考え直した。

その間に頭痛が容赦なく襲った。もう考えるのも止めたくなるほど酷かった。仕方なく、ぼんやりと、天井を眺めるだけにしていると、いつも通り、自動的に眠たくなってきて、暫く眠った。

特に夢として具体的な映像が見えるというわけでもないが、どこかを浮游している感覚はあった。ぼんやりと空でも飛んでいるのかな。そのうち鳥になって、海でも見下ろしているような映像が見えるようになるのだろうか。いずれにしても、そうなると、自分もあとわずかなんかな、なんて思う。そのとき突然、がったん!なんていう古ぼけた気動車が発車したときのような衝撃がして目が覚める。

まあ、こうなると次に何が起きるか、なんてすぐ予測できるのである。予想通りに吐き気がして、すぐ布団に座り直し、咳き込んで内容物を出す。幸い、出たものは真っ赤であり、痰などが混ざるということはないが、もしそれに混じって何が出すとなると、大変なことになる。出すときは必ず布団に座るようにしている。この超高級な布団を汚すわけにはいかない、と誓いの言葉を立てている。これを破ったら、もう、最期である。

とりあえず、出すものは出して、手拭いで手を拭いて、さて、再度、横になるか、なんて考えていると、玄関先が騒がしくなった。また誰かが来たのかな、ということはわかるが、立ち上がって玄関にいって、応答することはできなかった。

「水穂ちゃん、華岡さんが来たよ。どうする?入らせる?」

恵子さんが、そう言っている。本人としてみれば、応対できるか自信がなかったが、華岡さんはまず、たまにしか来られないという前提があるから、お通しした方がいいか、と、思い、とりあえず入ってもらうことにした。

「おーい、来たぜ。具合どう?」

華岡が、ふすまを開けて入ってきた。今回は、山田先生はいなかった。そこだけはちょっと安心した。

「変わりありません。いつも通りに寝てます。」

「いつも通りじゃないじゃないか。また山のように薬飲んで、無理やり寝ているのかい?」

「山のようにっていうのは、極端なのでは?それにどこがいつも通りではないというのですか?」

「だって、枕もとの手拭いに血液が付いてるぞ。まだ出したばかりだな。そうなると、頻繁に血が出るんかな?」

「もう、それは毎日のことですから。とにかく変わりありません。」

「そうかあ。変わりないか。それじゃあ、力が抜けちゃうなあ。」

答えを出すと、華岡は明らかに落胆の表情をした。

「しょうがないでしょう。そんな、人間が制御できるもんじゃないですし。」

確かにそうである。もし人間が制御できたら、今頃布団で寝ている必要もない。

「そうだよなあ。まあ、もうちょっとしたら涼しくなるから、それまでの辛抱だ。頑張れ。」

もちろん、華岡の言葉に悪気はないが、こういう励ましほど迷惑なものはなかった。いつもなら、わらってごまかすが、今日はそれができなかった。

「辛抱って、いつまでやってればいいんですかね。もう、疲れて仕方ありません。みんな同じこと言いますけど、それほどの嫌味はないですよ。」

そのセリフだけやっといえる。もう、怒るなんてとてもできない。

「あ、ああ、ごめん。俺はやっぱりダメ男だなあ。なんで親友の励ましも、うまくできないんだろう。」

と言って、華岡は頭をかじった。こういうところは蘭とはまた違う反応だった。蘭のように主張を通すのもまたいやだが、華岡のような反応をされても、またいやな気がしてしまう。

「励ましはいりませんよ。頑張れとかそういうこと言われても困るだけです。もう、こういうときは放っておいてください。具合のことを聞かれても、話す側としては結構つらいんですよ。」

「そ、そ、そうだよな。容体のことを話すのも嫌だよな。ごめんごめん。俺、もうちょっと文句を考えてから、見舞いに来るようにするよ。」

「本当はみまいなんて要りませんよ。みんな気遣って、変に形式的な挨拶しかしないから、疲れてどうしようもないんですよ。」

「まあ、確かにそうかもしれないな。俺も、刑事として、被害者の家族にどうしても聞き込みをしなければならないので訪問すると、必ずそういうことを言われる。俺だってつらくて仕方ないよ。でも、犯人をあげなきゃいけないのでねえ。」

やれやれ、それとこれとは話が別だよ。まあでも、刑事である華岡さんがそういう感情を持っているのも、珍しいことかもしれなかった。大体刑事さんというと、冷たい態度をとって、無理やり説明を強制するなど、被害者家族には迷惑な、冷たい人という印象を与えることが多い。

「そんなこと考えるって、やっぱり華岡さんが警視まで昇格できたのは疑問に思いますね。」

思わず笑ってしまった。

「じゃ、じゃあ、これからの参考のため、どういう話をすればいいのか教えてくれ。ヒントくれたら、シナリオをある程度考えてくる。」

「そうですね。もう、体のことを聞かれることほど嫌なことはないですから、できればそれ以外のことがいいですよ。例えば、捜査でいろんなところを回っていると思いますから、その地域の思い出など。杉ちゃんの言葉を借りれば、馬鹿話でしょうか。」

「馬鹿話ねえ、、、。よし、ちょっとリハーサルをさせてくれ。捜査で旅行に行ったというと、最近は、千葉県警から要請があり、君津に行ってきたのだが。と、いうようにきりだすのか?」

「そういうこと、聞くものでしょうか。」

華岡が一生懸命馬鹿話を考えてくれているので、あえて厳しめに批評した。確かに、馬鹿話を切り出すのに、他人にこうすればいいのかなんて聞く人はいない。

「あ、すまんすまん。でも、わかんないんだよ。やったことないから。」

頭をかじってなおも考えている華岡である。

「まあ、華岡さんって蘭ほどじゃないけれど、真面目でしたからね。それに、刑事となれば、お土産話をするほうが難しいかもね。」

「そう。俺自身もあいつほど頭の固い男にはなりなくないからね。この年だけど、嫁さんもほしいしさ。まあ、お前みたいなイケメンじゃないから、相当努力をしなきゃ、無理だろうが。こないだなんてさ、結婚はまだまだ先と宣言していた婦人警官が、いきなり結婚するからやめさせてくれ、なんて言いだして、署が騒然となってしまった。女の子はそういうことがいえるからいいよなあ。まさしく電撃結婚だぜ。」

「へえ、そうですか。今は警察官もそうやってすぐやめる時代ですか。」

確かに、女性は結婚で仕事をすぐやめるということはしょっちゅうある。ただ、警察官というと、なかなかやめにくいと思われていたので、ある意味ちょっと驚きだ。

「まあねえ。俺の側からしたら、やめるなんてしないでもらいたいんだけどねえ。子供が生まれたりすればそうはいかないだろ。それに、事件を調べていれば、現代では子供が幼いときは、親がべったりくっついてやるほうが、かえって犯罪者は減るもんだよ。だから、警察をやめるとなってもしょうがないなと思って、承認してあげたけどね。」

「そうですね。昔は、親が忙しければ代理で世話をしてくれる人はいましたが、今はそうではないですからね。子育てと仕事の両立で、成功するのは極めてまれですし。最もそういう家庭は、親側から見れば仕事ばかりでほったらかしだった、と言いますが、子供の側から見れば、おばあさまがいたとか、代理人が必ずいるものですよ。」

昔であれば、そういうものだったから、割と成功できたのだと思う。子供や親本人は気が付かなくてもそういう存在が必ずいる。それに、子育てを一から十まで母親に任せるということはなく、分業されていたような気もする。でも、今は現実問題、誰もいない。文字通り誰もいないのである。だから、あまりに思い詰めて児童虐待ということも数多い。

「ま、俺は嫁さんをもらっても、この年だから子供は無理だろうが、やっぱり嫁さんはほしいなあ。人間、独りぼっちは嫌だもの。」

「そのためには、まだまだ努力が必要でしょうね。」

たぶん、昔の意味そのままで結婚するというケースは、まずないだろうなと思われる。同和地区の人間であっても、意味が少し変わっている。

「まあいい。出会いはいつあるかわからないから、アンテナをしっかり張っておくようにしておくよ。あ、それよりも馬鹿話の練習をしなくちゃ。えーと、何をしゃべっていたんだっけ。あ、ああ、あの、捜査で君津に行った時の話だったよなあ。」

まあねえ。君津なんて、名物があっただろうかと言われると、連想しにくい街の一つではあるのだが。千葉というと、何回か水穂も訪れたことがあるので、なんとなく知っていた。

「で、どうだったんですか。君津市は、何か良いものがありましたか?」

「まあ、平凡な街だなとは思ったが、その時初めて首都圏随一の田舎電車と言われている、久留里線にのって、久留里駅で降りた。」

「あ、えーと、そうですか。」

「まあ、何もないところでさ。周りは山ばっかりだし、食堂も何もない。公衆便所は恐ろしく古ぼけているし。商店街はシャッター通りだ。こんなところによく電車が走っているもんだなあと思うくらい人がいなかった。」

一生懸命久留里線の思い出を語ろうとしてくれているらしいが、華岡にしてみれば、単なる田舎電車にのったという記憶しかないらしい。確かに、鉄道マニアの人であれば、久留里線なんて、絶好の秘境駅になると思われるが、一般的に言って、あんな不便な場所に電車を走らせても意味がないのでは?と思われるくらい、人が乗らない電車である。ほかにもそういう電車はないわけではないと思うけど、首都圏にこんな電車があるなんて信じられない、といわれることも多い田舎電車として有名である。

「まあ確かにそうですね。身延線とか、御殿場線でさえ、一時間に二本は走っているのに、それより少ないんでしょ。」

「そうなんだよ!一日九本しかなくてさ。乗り遅れて急いで駅に行ったら、次の電車を待つのに、四時間かかってしまった。それに、入り口のドアだって、自動じゃないんだよな。かろうじてやってきた電車に乗ろうと思ったら、ドアがいつまでたっても開かなくて。駅員が注意してくれなかったら、危うく発車時刻を過ぎちゃって、また待たされるところだったぜ。それに、俺のほかに、誰も乗る人がいなくてさ、駅員は注意をするためだけに置かれているようなものじゃないかな。」

「そうですか。久留里線の不便なところだけではなくて、よかったところはありました?」

そういわれて、華岡はうーん、と考え込んだ。つまりよかったところなんて、何も思いつかないのだ。不便なことばっかり聞かされても、何も面白くない。

「ないんですか。」

「ちょっと待って。いま思い出しているからな。」

一生懸命考えているが、答えが出ないというのがもう見え見えだ。

「無理しなくていいですよ。どうせ、こんな田舎電車に乗らさせれるなんて、二度と嫌だとか、そういうこと言って帰ってきたんでしょ。」

そういわれて、どよーんと頭をたれる華岡。

「なんでわかっちゃうのかな。」

ぼそっとつぶやくのがやっとだった。

「だって、身延線でさえも、こんなに本数が少なすぎて、いつまでも来ないじゃないか!なんていってたじゃないですか。部下の方から聞きましたよ。40分待たされて、もうこりごりだって散々言い散らかして、非常に困ったと。」

「バレバレか、、、。」

がっくりと落ち込む華岡であった。

「あーあ、俺は、馬鹿話もできないのかあ、、、。」

「正直に言ったら、馬鹿話でもありませんよ。久留里線の不満を聞かされただけで、いいことはなにもないんじゃ、楽しくもなんともないですよ。」

感想をとりあえず言って、またせき込んだ。同時にしばらく消えていたが、トンカチでたたかれたような頭痛がまた復活する。

「あ、ああ、ごめん。楽にしてやろうと思っていたのに、こんなこともできないなんて俺はやっぱりだめだなあ、、、。こういうときは、やっぱり杉ちゃんでないとだめだ。本当に、餅は餅屋とはこのことだ、、、。」

頭痛のため、返答ができないが、まさしくそういうことなんだろうなと、水穂も思った。杉三がいう、できないことはできる人にしてもらえとよく言うが、それはある意味間違いではない。

「ごめん。悪いことをした。かえって悪いことをしてしまった。」

華岡は、申し訳なさそうに座礼をした。

「もういいですよ。次は、良かったことを聞かせてくださいね。不満ばっかり語っていると、久留里線にも失礼になります。」

「すまん。でも、いいものは持ってきたぞ!食べ物であれば絶対喜んでくれるだろうと思って!」

でかい声でそういう華岡だが、先日の五平餅で騒動が起きたことと言い、食べ物を持ってこられるのも迷惑行為なのである。

「なんですか、何を持ってきたんです?」

「蒟蒻!久留里線に乗って四時間待たされた時に買ってきたのさ!」

と、言って華岡はまたプラスティックの箱をカバンの中から取り出した。それを見て水穂はまたがっかりする。確かに蒟蒻は食せない食品ではないのだが、たれとして味噌がしっかりとついていた。

「結構です。こんなものもらっても、仕方ありません。」

「あれれ、もしかして蒟蒻も食べちゃいけなかったの?」

知らなかったのか、と思ったが、まさかたれに問題があるといっても理解してくれないと思う。五平餅をもらった時に、あとで聞いた話だが、これからは気を付けると言っていたそうだけど、今、ころっと忘れているのだから。

「そういうわけではないのですけど、、、。」

説明をしようとしたら、頭痛に邪魔されてできなくなってしまうという皮肉だった。

「すまん、、、。また悪いことをしてしまったらしいな、、、。」

「もういいですから、そのあたりに置いておいてください。」

それだけやっと言って、

「ごめんなさい、五分だけ。」

と、崩れるように布団に横になった。

「ごめん、俺は本当にもうだめだなあ、、、。せ、せめてさ、布団くらい買い替えたら?あまりにきらびやかで寝にくいのではないか?と思うのだが、、、。」

「蘭も、華岡さんも心配しすぎですね。」

本当に、なんでみんなこういうことを言うのだろう、こっちからしてみればいい迷惑だ。もう、やめてもらいたいと声を大にして言いたいが、そんなこと、立場的にも体力的にもできそうになかった。

「蒟蒻はそこに置いておいてください。後で恵子さんに、冷蔵庫に入れておいてもらうので。」

「すまん。」

華岡は申し訳なさそうに敬礼して、蒟蒻の入った箱を枕もとに置いた。

「俺、捜査がまだあるから、ひとまず帰るわ。」

また、さらに小さくなって、すごすごと製鉄所を後にする華岡だが、水穂は礼をいうことができず、疲れ切っていた。これでは、華岡さんにも申し訳ないし、自分としても情けないし、悲しかった。

そんな中でも、噂になっていた久留里線は、今日も千葉県の田舎を、のろのろ走っているのだった。

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