元素操作者(エレメンター)の異世界冒険記

ロータス

異世界へようこそ

第1部 プロローグ

「なぁ、今日のみに行かないか?」




 机に向かい、仕事行っていた彼の後ろから一人の同僚がそう声を掛けてきた。彼が同僚の方に顔を向けると、同僚の後ろにはそれ以外の者達も立っていた。


 その時彼の視界に時計が入り込む。時刻は5時過ぎを指し示し、窓からはオレンジ色の光が差し込んでいた。




「今日か、ていうか今からか?」


「おう、今日は華の金曜日。明日からは休日じゃないか。だから、どうかと思って皆を誘っているんだ」


「ふーん」




 そう答えながら彼は背もたれに寄りかかり、腕を組みながら仕事の進捗状況を考える。


 書類は上に提出しなければならない物であったが、締切にはまだまだ時間がある。それを考えると今日は切り上げて良いだろう、と彼は判断した。




「うん、俺も参加するよ。準備するからちょっと待ってくれないか?」


「いいぞ、まだまだ声を掛ける奴はいるからな。準備が出来たら俺に言ってくれ」


「了解」




 そう彼が答えると。同僚達は次の物に声をかけるためにそこを離れていった。それを見送った彼は、退社の準備を始める。普段は酒など飲まない彼だったが、ここの所、彼の職場では仕事が立て続けて入り込んでいた。それ故にこのようにのんびりと飲み会のような事をする余裕はなかった。




 故に今回の飲み会に誘ってくれた同僚に心の中で彼は感謝し、そして楽しみにしていた。


 パソコンの電源を落とし鞄に荷物を纏めると、彼は誘ってくれた同僚の下に向かう。




 同僚の周囲にはすでに何人もの人が集まっており、それを見た彼は、今回は賑やかな物になるな、と思う。




「待たせたな、準備が終わったぞ」


「お、来たな。それじゃ皆、行くぞ!」


「「「「「おー!」」」」」




 そうして飲み会に参加した彼は、その場でかなりの量の酒を飲んだ。それは今まで忙しかったストレスから来た物だろうか、気付けば彼の目の前には空になったコップが幾つも置かれていた。


 それだけの量を飲んだのである。当然それが終わるころには彼はフラフラになっていた。




「おいおい、大丈夫か?」




 彼を心配した同僚が彼に肩を貸しながら言ってきた。周りにいる者達は苦笑している者もいれば、呆れた表情を向けている物など様々だ。




「大丈夫大丈夫~、ちょっと世界が回っているだけで大したことねーよ」




 彼は同僚の言葉にそう答えた。酔っているとはいえ、彼の自宅はその居酒屋から比較的近い位置にあった。ゆっくり歩いて帰れる、そう思って気にしていなかったのだ。




「ったく、誘った俺が言うのも何だけど、ちゃんぽんなんかするからだ。いくら仕事が片づいたからって飲み過ぎだぞ」


「はは、こりゃ明日はひどいことになるな~。じゃあ、俺は帰るぜ~」


「おう、気をつけてな。途中で寝て家族の世話になるなよ」


「わかった~、じゃあな~」






 そうして彼はフラフラとした足取りで帰路につく。すでに時間は真夜中の2時を超えており、彼が歩いている商店街はすでにシャッターが降りている。そこを歩く人はまばらで、ほとんどが彼と同じような境遇の人ばかりだ。そんな商店街を抜け、大通りを歩いて行く彼はある一つの建築中のビルに差し掛かった。このあたりに新しく出店してきた大型商業施設の建物だ。そんな建物から突然、鉄同士が激しくぶつかるような轟音が聞こえた。その音に彼が上を見たとき、そこには黒い物体が彼に向かってきているのが見えた。酔った頭であれは何だろうか、とのんきに考えている内にどんどん黒い物体が近づいていき、そしてそれが目の前に迫ってきた瞬間、彼の意識はそこで途切れた。




 次に彼が見た景色は黒く染まった雲に覆われた、今にも降り出しそうな空だった。


 ここはどこだ。そう思った彼は体をあげて確認しようとする。しかし体は動かない。腕も、足も、指の1本でさえ全く動かない。


 いわゆる金縛りというものだろう。初めて味あうその感覚に、彼は不安になりながら唯一動いた瞳を右へと動かす。


 そこには両膝を地面に着きながら泣きはらした顔している若い、おそらく高校生ぐらいの少年がいた。息や声を詰まらせながらその瞳から涙をポタポタと垂らしており、鼻からも鼻水か涙かわからないほどの液体を垂れ流している。そしてそれを拭うことも恥じることもなく、ただただ泣いていた。


 なぜ、この少年は自分の近くで顔を拭うことも忘れる程に泣いているのだろうか。


 その取り乱しようから彼の向いている方向から自分が彼にとって何らかの大切な人物であった事は間違いないだろう。しかし彼には全く見覚えがなかった。


 何せ彼には子どもがいない。また、その子の見た目から考えるに、彼自身の年齢からそんな大きな子どもがいるわけがない。




 ならば、親戚の子の誰かか?




 そう思った彼は必死に記憶を掘り起こして探してみるが該当する人物が全くいない。


 そんな時、彼の視界にもう一人新たな人物が現れる。その人は、よくファンタジー物で出てくる魔法使いのように、大きな黒の三角帽子と黒いマントを身につけ、両手で木のような素材で出来ていると思われる杖を持っていた。顔は帽子に隠れていて伺うことが出来ないが、胸の膨らみと下に履いているスカートから見える、白く綺麗な足からそれが女性ではないかと推測できた。そんな人物を見て彼は思った。




(ああ、そうか。これはただの夢だ)




 寝ているときにアニメやマンガのキャラクターが出てくる夢を見ることがあるが、この夢もその一つだろうと彼はそう考えた。体を動かせないのもこれが夢だからだとそう納得した。


 今見ているキャラクターが、自身が見てきた作品のどれかはわからなかったものの、珍しい物を見るものだと彼は思った。


 そんな事を思っている間に暗い空から雨が降ってくる。最初は少量だった物があっという間に土砂降りになってしまった。あたりにはすさまじい音量の雨音が支配し、それ以外の音はほとんど聞こえなくなっていた。そんな状況でも彼は冷静だ。何せ顔に大量の雨を食らっているにもかかわらず、全くその感触がなく雨粒の冷たさも感じない。




(やっぱりただの夢のようだな。で、この場面は目の前にいる少年が恋人のような人を失ったところのようだな。で、俺はその人物の目線で見ていると、そういうことか)




 そんな風に冷静に分析しながら、彼は次の動きを少しわくわくしながら待つ。なかなかリアルな夢のため続きが気になっているのだ。




(まぁ、どうせいいところで目が覚めるんだろうけどな)




 彼はいつも面白い夢を見ても、ちょうどいいところで目覚まし時計に起こされていることを思い出した。大抵夢などそんな物だ。そんなことを思っている時、魔法使いが少年の耳元に顔を近づけて耳打ちをする。しかしその声は雨粒の音にかき消されており、彼には全く聞こえない。ただその内容は少年に取って驚きの物だったのか、赤く腫れた瞼を大きく開く。そしてその顔は悲しみの顔から口を開け、呆然とした表情になる。




 一体何を言われたのか、彼がそう思っていると少年の表情が再び変わった。歯を食いしばり、目を大きく開き、頬は赤く染まっていく。地面に着けていた手はギュッと握りしめられ、震えている。


 そんな彼の様子から、少年が魔法使いに何を言われたのかが手を取るように分かる。




(信じていたものに裏切られたとか、騙されていたとかそんなのだろうな。なんていうかすさまじく不憫だな、この少年)




 夢の中とは言え、彼の身に起こっている救いようがない程の出来事に思わず同情の色を隠せない。自分の大切な人を失い、更に信じていたものに裏切られるなど、ここまで不幸な出来事に遭うことなどそうそうないだろう。


 そしてそれを照明するように彼の大きく見開かれた瞳の奥には憎悪の炎の様な物が見えた。




『許さない、許さない、許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない』




 彼はまるで世界に呪詛をかけるかのようにただそれだけ呟く。もはや狂気すら感じ始めるほど少年の心は憎悪でいっぱいになっているようだ。姿は人であるが彼の心は壊れ、化け物になってしまっている、そんな印象を彼は感じていた。やがてその言葉が止まると少年は憎悪と怒りを含んだ表情でこう言った。




『必ず取り戻す・・・!そしてこの世界から何もかも無くしてやる。この世界にあるもの全て、全て・・・!』




 全てに絶望した彼は世界に存在するもの全てを恨むかのような声質だ。


 この後は一体どうなるのだろうか、と彼が思ったとき、徐々に視界が白に染まっていくのを感じた。ああ、ここで目覚めるんだろうと彼は思い、その先を見ることが出来ないことを残念に思いながらも大人しくそれに身をゆだねた。

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