書店「小春日和」
篠岡遼佳
書店「小春日和」
深まった秋の朝、窓ガラスがすっかり結露していた。曇りガラスのようだ。
本が傷まないよう、各所を掃除して回る。
私は街の本屋さんだ。
新刊も扱っているが、どちらかというと佇まいは古本屋に近い。
何度も手入れをした本棚と柱は、黒糖蜜のような色をしている。
私が座っている椅子はかなり最近買ったものだが、重厚な机は先代から受け継いだものだ。面倒なので会計とこの休憩場所は一緒になっている。
店は概ね一日中、それこそ私が寝るまで開いているが、代わりに定休日は、私の裁量で不定でやらせてもらっている。
それでもやっていけるのは、この店がちょっと特殊だからだ。
今日も、そんなお客さんがやってきた。
「すみません、これください」
私が予約のカードを整頓していると、ひょろりとした青年が、会計にやってきた。
詩集らしい。凝った装丁が気に入って、入荷していたものだ。
「2800円になります」
「では、これで」
彼は財布の中から、現金ではなく図書券を数枚引き出し、私の前に置いた。
今どき図書カードでもなく図書券を出すということは、おそらく……。
「"魔女の水色は?"」
「"酸素の色"」
「……OK、ついてきて」
私はとある本棚の前に立つ。一般文芸の並んでいる重い本棚だ。
そこの左横、不自然についている取っ手を持って、私は尋ねた。
「なにしにきたんです、半妖の男性が」
「えっ、見ただけでわかります?」
「まあ、私もこの本屋をやってる、半魔みたいなものだから。あなたくらい血が濃いとすぐわかるよ」
取っ手を押して本棚を少しずらし、出てきたボタンを押すと、地下へと続いている階段が現れた。
この仕掛け自体も魔法らしい。確かに、この建物に地下はない。どこかと空間をつなげているのだろう。
「さあ、入って」
「失礼します……」
ふたり背を曲げて、少し狭い石の入り口を通る。
内部は石造りで、特別な光源もないのにぼんやりと青く光っているその部屋には、また本が収集されていた。
ここの収集テーマはひとつ、「世界大戦」について。
世界がきな臭くなったのは、いまから150年程度前らしい。長生きな私でも、そのはじまりについては見聞きしていない。
魔女は戦う準備をした。狼男や精霊や妖精たち、森に棲むものたちもそれにならった。表側の戦争は、裏側世界でも起こる戦争と密接に関わるからだ。
そうして闘争が勃発した。
闘争はヨーロッパ全土に広がり、多くの妖精や精霊たちが命を落とした。そして、そのため、ヨーロッパはかつてない異常気象に見舞われた。洪水、地震、疫病。人間も多くの命が失われた。
表側の歴史は、ネットででも調べればいくらでも出てくるが、我々裏側の歴史はそうそう出てこない。出さないようにしてる、というのが第一、第二は、そんな面倒なことをだれもしたがらない。
ところが、私の先代は、その面倒なことをしたがる変わった人だったらしく、こうして地下空間まで作り、稀覯本から単なる個人の日誌まで集めていた。
よって、時々こうやって、裏側の歴史を確認したい人に訪問を受ける。
さっきの合い言葉は、ちゃんと裏側をわかっている人かどうかの確認作業だ。
「じゃあ、自由に読んでいいから。図書館みたいなものだと思って」
「い、いいんですか、こんなにたくさん、貴重なものを……」
「うーん、私には貴重さがよくわかってないから、大丈夫。買いたかったら言って下さいね、ちょっとお高いけど」
「は、はあ……」
言い置くと、私は自席に戻り、ちびちびとミルクティーを飲んだ。猫舌なのだ。
それから、読みさしの文庫本(もちろん一般書)をまた読み始めた。
――数時間後、青年は数冊の本を持って、私の机にやってきた。
一冊は世界大戦の大まかな出来事が書かれたよく売れる解説書で、その他は個人の手記だった。
興奮とも驚愕ともなんとも言いがたい顔をして、
「すごかったです。ここにしかない資料ばかりで、僕が買っていいものか迷いましたが、しかし……」
「そうだね、手記は、縁のあるものの元にある方がいい」
「……わかりますか」
「あなたが大事そうに抱えていたからね」
どこにでも筆まめな人というのはいるものだ。決戦前夜や出撃前、生き残ってからも、人や我々はそれを書き残す。
おそらく、そうして存在を残しておきたいのだろう。我々のような不定な存在――いるかいないかを自分できっちり規定していないと本当に消えてしまうような存在は、特に。
「お代はダイヤの原石と、こんぺいとうと、あとはなんらかの花束になります」
「はい、原石といってもさほど大きくないけどいいですか?」
「魔法具に加工するとき、結局小さくなるから問題ないよ」
「では、ええと……」
彼は背負っていたバックパックから、片手に乗るくらいの原石と、大きな瓶ひとつのこんぺいとうと、それから手品のようにガーベラの花束を出した。おそらく、その鞄も、どこか亜空間に繋がっているのだろう。肩まで入ってたし。
彼は興味深そうに並べた品物を見て、
「……なぜこんぺいとうなのです?」
「私は半分人間だからね、糖分がないと頭が働かない」
「お花は?」
「ちょっとこの店、殺風景だから」
「……欲しいものだったわけですね」
「いいじゃない、お代としてはダイヤの原石でまかなえるから、問題ないし」
毎度あり。私はそういって、簡単に本のカバーをかけ、紙袋にそれを入れ、青年に手渡した。
「きっとまた来ます」
「待ってるよ。それに、もう一つお客さんにできることがある」
「?」
「この店は、半妖であるあなたの手記を買い取るよ。
だから、旅に出るなり、その本のまとめを書くなりなんなり、おもしろいことして、つまびらかに書いて、ぜひこの店の蔵書を潤して欲しいな」
彼はなるほどと合点がいったように頷いて笑い、こちらに軽く会釈した。
「ではまた」
「いってらっしゃい。またのお越しを」
ドアの鈴を揺らして、青年は出て行った。
さあ、また仕入れを急がなくては。
次のお客を待つ時間は、とてもわくわくする。つまり、いつでも私はわくわくしているということだ。
カランカラン。
ドアが開いた。さて、次のお客はどんな方かな……?
書店「小春日和」 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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