第2話 旅行もモロッコ

     1


 課長の推理はこうだった。

 有谷アリタニ歯科医師は、樫武射月カシムイルナに殺された。

 動機は、樫武さんが有谷に搾取されたから。

「搾取て?」

「辞書でお調べになっては?」スーザちゃんは温室効果もドン冷えの返答をくれる。

 というよりむしろ、問題なのは。

 課長の推理をどうして課長本人の口からではなく、

 スーザちゃんの口から披露されなければならないのか。だが、

 課長は、知りたいことは自分で調べて自分で考えろタイプなので、

 僕がまっさらなゼロの状態のうちに一から十までの開示を求めるのがそもそも不可能であり。九、いや、八まで近づけばダム決壊さながらに十以上の情報を垂れ流してくれるので。

 真実に接近できない無能な僕に全面的に非があるのだが。

 気に入らないのは、「よく知ってるね」

「課長さまから伺いましたわ」という贔屓差別のこの流れ。

 暑い。

 首から流れた汗が背中を直下する汗と合流する。

 車を止めた場所がややどころかだいぶ遠すぎた。到着するまでスーザちゃんが一度も振り返らないどころか一言も喋ってくれなかったのは、たぶんこれのせい。

 やってきましたイブンシェルタ。

 外観だけなら何の変哲もない温室。

 ガラス張りの壁越しにジャングルが広がっている。

「しばしお待ちになって」スーザちゃんは白い日傘をたたんで、自動ドアをすいすいと通過していった。

 自動ドアなのだ。

 世の中から男という男を拒んでいるはずの施設だというのに。僕だってすいすい入れてしまった。

 入った直後にすいすい追い出されたのだが。あのときは。

「どうぞこれを」スーザちゃんが戻ってくる。

 いま流行りの特撮ヒーローのお面を手渡される。「なに?」

「お顔を隠すのが条件だそうですわ」

「わかった」変身!

 と、決めポーズをやろうとしたその手を。

「動かないでくださいな」

 握られて。「え、ちょっと」

 後ろ手に手錠をかけられる。

「角度が甘くてよ」

「ちょっと待って。これ、本物じゃ」

 視界がピンホール二つ。そこから、

 特撮ヒーローの変身ポーズを完璧な角度で決めたスーザちゃんが。

「お面私物?」

「ベルトも持っていますわ」

 鎖を引っ張られてジャングルに侵入する。

 樹の上を棲みかとする野生動物の遠吠えが聞こえそうな。

 熱帯の匂い。じっとりと湿気。

 巨大な緑の葉が生い茂る。乱反射する光が眩しい。

 天井の高いカフェテリア。

「どうぞ?こちらに」乱暴に脚で椅子を引いたスーザちゃんに。

 無理矢理座らされ。足首にまたも手錠を。

 椅子と一心同体。「僕って凶悪犯罪者か何か?」

「課長のお遣いの方ですね」長い髪の特大の胸部の人が言った。「事情が事情ですから特例を設けました。はじめまして。イブンシェルタ代表の我孫アビスイナです」

 僕の狭い視界に飛び込んできたのがそれであり、

 別に特大の胸部を凝視しているわけではなくて。「二度目ましてどうも。お会いできて光栄です。部下の徒村アダムラです。課長とは面識が?」

「イワタ様は? 一緒ではないのですか」代表は僕の質問を無視してスーザちゃんに尋ねる。

「あら。あなたもご存じないとしますと」

「どうされたのですか? まさかご病気にでも?」

「ママが罹るのは恋の病くらいのものですわ」スーザちゃんが僕の隣に椅子を運んできて腰掛ける。「トロピカルな陽気で大変結構ですわね。その手のミックスジュースでも戴けますかしら」

「お遣いの方は?」

「いえ、僕は」女性の前では変身解除できないし。

「ハルドさん。お願いできる?」代表が、

 これまた更なる巨大な胸部の人を呼びつける。

 メガネをかけた、緩くウェーブのかかった髪型の。

 落ち着いた雰囲気の人。「わかりました」

 第一回侵入時はこの人に追い出された。ことを思い出す。

「まったくムダさんという方は。どこを見ていますの?」

「スーザちゃんの鼻」

 向かって右手にカウンタがあり、そこで飲食物を提供するシステムのようだった。

 てきぱきとグラスに液体を注ぐハルドさんとやら見学会は早々にお開きとなった。

「行方不明の少女をお捜しとのことでしたね」代表が言う。

「はい。有谷霜子アリタニソウコさんというんですが」

「それは先ほどもそちらの二代目に申し上げました通り」

「いない、と」有谷霜子という名の少女は。「存在しないとそういうことですか」

「もし存在していたとしても誰にも会わせるわけにいかない。そういう意味です」

「代表は有谷ソウコさんをご存じなの?」スーザちゃんが援護してくれる。

「どのような意味ですか」

「有谷ソウコさんの本名は何と仰るの?」

 ハルドさんがトロピカルなグラスを運んでくる。

 ついついちらちら見ていたら、

 スーザちゃんに足を踏まれた。鋭い踵で。

「痛いよ」

「ワニではございません?」

「いるの?」

「いません」代表が言う。

「あら残念」スーザちゃんがずるずるとトロピカルジュースをすする音が聞こえる。「美味ですわね。ドラゴンフルーツのシャーベットなどありましたらもっとよろしいのに」

「ハルドさん」代表が呼びつける。

「いいんですよ?そんな気を遣わなくて」二代目だからって。

「ムダさんが気を揉むことではありませんわ」

「小児性愛歯科医有谷長名オサナは死にましたか」代表が言う。「そのことでいらっしゃったのではありませんか? 行方不明というのは後付けで」

 ハルドさんがドラゴンフルーツのシャーベットを運んでくる。

 あったのか。無理難題だと思ったのだが。

「よく知ってますね」有谷歯科医が死んだことを。「夕方のニュースでやるはずなんですが」

「まあひどい。誘導尋問ですわね」スーザちゃんは、凍った果肉をスプーンでほじくり返す。

「自爆だよ」わざとだろう。「有谷霜子さんはご存命ですか?」

「ここがどのような施設なのか知っていらっしゃるようですから細かいところは省きますが」代表はハルドさんに眼を遣って。

 ハルドさんがカウンタからいなくなる。

「ソウコさんは有谷長名の被害者です。ですからあまり」

「有谷霜子さんの捜索願を出したのは」ああ、そうか。

 父親が娘の捜索願を出したのは。

 そうゆうことだったのか。

「どうしてご存じなんですか? 有谷歯科医が死んだことを」

 だったら僕は、捜し当てなくて正解だったのか。

 そもそも手遅れだったのか。

「ソウコさんではありません」

「らしいですわよ。その点はご安心なさって?」スーザちゃんが、スプーンを代表に向ける。ロックオン。「樫武カシムイルナさんと申しますのよ。いまのところの犯人は。何か思い当ったことがございますでしょう?」

 誘導尋問はどっちだ。

「有谷霜子さんはどこにいますか?」

「ムダさん? わたくしが質問していますでしょう?」

 課長が推理したなら、有谷歯科医殺害は樫武射月で確定だ。

 そんなことより行方不明の有谷霜子を保護するのが最優先であり、

 それこそが僕がここに押し入った最大の理由で。

「え、樫武さんがやったんじゃないの?」

「ですからあなたはムダさんなのですわ。被害者ならば動機はございますでしょう?」

「ソウコさんは被害者です。ここを調べたいのでしたらイワタ様と課長の両方をお連れになってください。いいですよハルドさん」代表が立ち上がる。「出口までお送りして」

 ハルドさんが戻ってくる。席を外したのは、

 話を聞かないためではなかったらしい。

「代表」スーザちゃんが僕の足の拘束を解きながら言う。「あなたごときにママの代わりなど務まりませんわよ」

「イワタ様によろしくお伝えください」そう言って、

 代表は僕のお面の穴をのぞきこむ。

「課長にも、くれぐれもよろしくと」

「課長はここを出入りできる権限を持っていますね?」男子禁制なのに。

「部下の方は今回限りです。お帰りください」

 代表の指示の下、

 お面と手錠着用のままハルドさんに羽交い締めの刑で強制退去となった。嬉しいやら捜査失敗やら。

 スーザちゃんには吐くほど睨まれたけど。


      2


 どうも課長の手の平の上で踊っている気がしてならない。

 電話口では思うように追及できそうになかったので、直接。と思って事務所に戻ろうとしたのだが、

 スーザちゃんがお腹がすいたとごねるので。と理由をかこつけて、

 僕もほどほどに空腹を感じていなくなくもなかったので、道すがら寂れた定食屋に入った。

 ちまちまと時刻を確認する癖がいけない。

 14時を回ろうかというところ。

 ぎりぎりランチタイムには間に合うのかどうなのか。移動時間含めて対イブンシェルタに二時間も費やしてしまった。

 舌が肥えていそうなスーザちゃんのことだから、非難轟々雨霰な不平不満を予想していたが、特に何もなかった。黙って車を降りて僕に付き添った。

 それが真夏の夜の墓地さながらに不気味で居心地が悪かったが、お腹が空きすぎて腹に入るものならなんでもよかった。

 というよりは、物珍しかった。の可能性が高い。

「お狭いですわね」スーザちゃんがきょろきょろと店内見分を終えてから言う。メニューを手にとって。「おうどんがいいですわ。冷たいほうの」

「いいの?」こんな庶民な店で。僕が連れてきてなんだけど。

 てゆうか冷たいうどん?

「決断力のない方ですわね。時短のためこちらにしたのでしょう? お見通しですわ、ムダさんの考えそうなことなど」

 店はテーブルが五つ。椅子がそれぞれに四つずつ。

 単純計算で定員二十名だが、昼と夕の中間という妙な時刻のせいなのか地理的に穴場なのか知る人ぞ知る隠れた名店なのか単にリピータを受け付けない衝撃的な味なのか、一見さんの僕にはわかるはずもないが。

 僕ら以外に客がいない。

「食べましたら戻られますの?」スーザちゃんはケータイをいじっている。「わたくしも、そろそろお仕事の準備をしたいですし」

「会うとか言ってたね」依頼主の人と。

「ええ。どこぞのムダさんによって日を改めることになってしまいましたけれど」

「あ、うん。ごめん」

「謝るのならば依頼主の方になさってくださいな?」

 椅子の背もたれが、真後ろの椅子と背中合わせに密着している。片方の人が椅子を引いたら、後ろの人はお腹と背中がくっついてしまう。

 天井近くの棚のテレビでは、黒々と日焼けした高校球児たちがぎらぎらの太陽の下、だらだら汗だくで白球を追いかけている。

 そういえば今日が開会式だった。

「生きてると思う?」有谷霜子。

「捜索願を出されましたご本人が死亡した場合どうなりますの?」

「どうなるんだろうね」それも含めて今後の方針を課長に問いたださないと。「いろいろありがとう。またなんかあったら。ないことを願うけど」

「ではもうムダさんご所望の潜入捜査は必要ありませんわね」スーザちゃんが箸を置いて手を合わせる。「ご馳走様でしたわ。本日の迷惑料諸々はここの会計でよしとしますわね」

「え、経費で落ちるかなあ」

「何をむだむだと小さいことを仰っていますの? ですからあなたはムダさんなのですわ」スーザちゃんが席を立つ。

「あ、ちょっと」よかった。

 思い出して。

「これ、課長から。誕生日なんだって?」

「まあ、相変わらずすることがえげつないといいましょうか。ムダさんを介してなのが魂胆見え見えと申しましょうか」スーザちゃんが手にとって耳の傍で振る。「わたくし、時給より低い金品は受け取らないことにしていますのよ」

「ちなみにいくらなの?」

「課長さまよりお高いですのよ? わたくしを労働させるということは」

 射精産業云々が頭をよぎる。

 かき消す。「開けてみる?」

「どうせ大した物ではありませんわ」といいつつスーザちゃんは浮かれた手付きでリボンを解く。「まあ、これは」

 鍵だった。車のではなさそうだが。

「なんなの?」どこからどう見てもふつーの鍵。

 それが刺さる鍵穴に価値があるのならわかるが。

「ふふふ。課長さまもお人がお悪いですわ。そうならばそうと」スーザちゃんは、鍵を両手でだいじそうに握り締めて頬ずりする。「うれしいですわ。うれしくてよ、ムダさん」

「よかったね」鍵だけど。「欲しかったものなんだ?」鍵が?

「ええ、最高のお誕生日プレゼントですわ。ありがとうございますとお伝えくださいな」

「うん」鍵だよ?「でも自分で言ったほうが」鍵コレクタ?とか?

 超有名高級ブランドがデザインした世界に数店しか存在しない貴重な鍵なのか?

 でも、鍵は鍵だ。

 鍵には鍵以上の価値はない。

「嫌ですわ。ご自分でお渡しにならないような姑息な課長さまに直接申し上げるお礼の言葉はございません」スーザちゃんは鍵をケータイのストラップにした。「ムダさんにはその価値がおわかりになりませんのよ」

 鍵なんだけどなあ。「喜んでもらえたなら課長も」ポケットのケータイが震える。

 課長からだった。

「ちょっとごめん」

 噂をすれば。タイミングが絶妙すぎて怖いが。

「いまどこだい?」

「GPSがあるのでは?」

「そういう意味じゃないさ」課長は、僕の平々凡々な切り返しが予想できていたようで。「イブンシェルタの近くに学校があるだろう。箱入りお嬢さん私立。そこの美術教諭が殺された」

「いつです」か、と訊こうとしてやめる。

 課長がほくそ笑んでいるのが見える。

「入れ違いで通報があったんでしょう? それで僕に連絡するのが面倒で、どうせ僕から抗議の電話がいくだろうからそのときに話題を逸らすために用意してたんだけど、いっこうに僕が報告の電話を寄越さないもんだからつまらなくなってこうして手遅れのお電話をいただけたと」

「さすがムダくんは違うなあ。その通り。でも手遅れじゃないよ。正式な出動要請だ。一課のおっさんたちが数を振りかざしたところで敷地にも入れやしない」

「どういうことですか? 通報があったんじゃ」

「スーザちゃんはいるかい?」

「男子禁制なんですね?」箱入りお嬢さん私立。「ですが人が殺されているのに」

「これを機に女性捜査官の必須性を思い知ればいい。私らがやっていることは無駄じゃないさ。じゃ、任した」

「あ、ちょっと」切られた。

 課長の推理を聞いておきたかったが。

 スーザちゃんもケータイを耳に当てていた。「ええ、はい。ごめんなさい? お仕事までには戻れるつもりですけれど」僕の眼球をがん見しながら。「そうですわね。ケーキはあなた方で召し上がって? お料理も。せっかく用意してもらいましたのに。ええ、本当にごめんなさいね。もっと美味しいものを戴くことにしましたから」

「ねえ、接待交際費で落ちるかなあ」

 少なくとも課長の納涼費よりはまともな出費だが、

 スーザちゃんはいい顔をしなかった。

 悪い顔だった。凶悪という意味。


      3


 私立文葦ブンイ学園。中学なのか高校なのか。中高一貫なのか。

 イブンシェルタの眼と鼻の先にそれはあった。

 さきほどはイブンシェルタに釘付けで特に気にも留めなかったが、徒歩で行き来できる。関連施設だと疑わんばかりに。

「関連施設ですわよ?」スーザちゃんが日傘をくるくる回しながら言う。「ママが理事長をしていましたもの」

「スーザちゃんのママて何者?」

 課長と実験的事業を立ち上げて。

 性犯罪被害少女の支援団体を作り。

 箱入りお嬢さん私立の理事長まで。

 手広く多岐にわたっているように思えるが、そのすべてが。

 女性のため。

 という一本の目的に集約される。

 しかしながら、一週間前から行方知れずだとか。

 課長は知っているのだろうか。捜したりしないのだろうか。

 高いブロック塀がどこまでも延びている。箱入りお嬢さんを、外部のあらゆる有害現象から護るためにしては物々しい。

 正門は固く閉ざされており、

 そこにパンダと覆面が堂々と違法駐車し、制服と私服が入れろ入れませんの不毛な押し問答を繰り広げていた。

「只今到着しました。ええと、その」

 怒号や悪態や暴力行為の一つや二つ覚悟していたが。

 す、と道が拓けた。

 なぜか結婚式のあれを想像してしまった。両サイドから親族やら友だちやら知り合いやらに祝福されて。

 どさくさにまぎれてスーザちゃんに腕を組まれていたからかもしれない。「え、なに?これ」

「皆さま、どうもお疲れ様ですわ」スーザちゃんは上品に微笑んで優雅に手を振る。「あとはどうか、メンバを一新しリスタートいたしましたこの対策課にお任せくださいましな。結果はのちほど課長を通しましてご報告させて戴きたいと思いますのよ」

 一同は一様に不服そうな眼差しで僕らを見つめていた。

 怒号も悪態も暴力行為もなかったのは、正式な出動要請云々ではなく。スーザちゃんのウグイス嬢ばりの美声アナウンスにいろいろを殺がれたからだろう。

 門の向こうにいた白衣の女性が、

 僕の顔とスーザちゃんの顔を二度見して。「選挙が近いのか」

「かもしれないですね」課長あたりの。「ご協力感謝します。対策課の徒村です」なるほど。そう略せばいいのか。

 対策課。

 悪くない。簡潔で言いやすい。

 問題は、何を対策しているのかわからないということだけ。

「校医の瀬勿関セナセキだ」セミロングの癖っ毛。

 シャープなデザインのメガネのお陰でクールな印象が際立つ。

「熱射病、熱中症に注意するように。待機なんだろ?」

 僕らの両サイドの一課連中が、瀬勿関先生目掛けて一斉に敬礼した。若干鼻の下を伸ばして。

 なんだ。そうゆうことか。

 民間委託。

 先生はこちら側だ。

「君が呼ばれた本当の理由をわかってないな」瀬勿関先生はパネル操作で門のロックを解除する。

「被疑者の年齢ですか」

「及第点」

 レンガ敷きの道を途中で逸れて職員用玄関から入る。来客用のスリッパを探したが、土足でいいとのことだった。

 廊下の壁にあった構内案内図によれば、

 建物は3階建て。

 ロの字型で、中庭に花壇や噴水がある。

「美術室」瀬勿関先生が指を差す。「現在位置」職員玄関。「ここから3階に上がる」

 美術室は職員玄関から最も遠い位置、対角線上にあった。

「遺体はそこで?」美術教諭。「診られたんですか?」校医だと言っていた。「死因は? 死後どれくらい」

 瀬勿関先生は踊り場で振り返る。「二代目は?」

 ボタンを一切留めていない白衣は、

 移動で生じる微風で翻り、タイトなミニスカートから太もも、ふくらはぎ、足首、深紅のヒールまでを一望できた。

 しげしげと見詰めていてもいけないので。

「あれ?」僕も振り返る。「スーザちゃん?」手すりから乗り出して階段を見下ろしたけど、

 たぶん手遅れ。

「すみません。勝手なことはしないと思いますが」しそうだなあ。

「悪いが死体には指一本触れていない」

「ええっと、法医学か何かの?」

「解剖には違いない。但し」瀬勿関先生は自分の頭をつつく。「こっちのな」

 廊下の突き当たりに美術室と銘打たれたプレートが見えた。戸は開け放たれており、立ち入り禁止的な処置はなされていない。その隣は美術研究室。

 ドアには羽太籠牟、とあった。美術教諭の名だろう。難読。

 美術室は特有のあの匂いに満ちていた。

 腐敗臭でなくてほっとするが、異様な薄暗さがあり、二辺が窓なのに採光には役立っていないようだった。

 強力な西日が注ぎ込みつつある。

 15時15分。

 椅子が円状に並べられて。

 ぜんぶで7つ。

 7つすべての視線を一身に集める中心には、

 座っている。遺体は全裸だった。

 絵のモデルをしている最中に静かに息を引き取った。

 かのようにも見えたが、正面に回って全否定する。

 色取り取りの絵の具で彩色された。顔から何から。

 さながら人間キャンバスだった。

 呪術的というよりは、芸術的で。

 遺体を冒涜する意味で描いたのではなく、描かれた対象がたまたま遺体の前面だった、が近い気がする。

 彩色を施した画材が見当たらない。筆もパレットも絵の具も。

 これをやった人間が片付けたのだろう。

「何か質問は?」瀬勿関先生が遺体の真後ろの席に腰掛ける。

「被疑者に会わせてください」

「これに興味はないのか」被害者である美術教諭。もしくは遺体損壊の意義。

「先生のご専門ではないかと」

 死因はおそらく絞殺。

 首にそうゆう痕があった。凶器は床に。

 ネクタイ。

「死んでから脱がしたのか。脱いだあと死んだのか」瀬勿関先生が脚を組む。

 ついでに身を乗り出したので、水色のシャツの隙間から谷間とピンクのレースがちら、と。

 遺体を見ざるを得ない。あまり得意ではないのだが。

「衣類が見当たりませんね」

「美術部の顧問だ。部員は七名いたが、夏休み開始直前一名を除き皆退部した。六名同時に。残った者が」瀬勿関先生が出入り口を見遣る。「どこ行ってた。待っていろと」

 少女が立っていた。

 ショートボブの。快活そうな印象。

 その後ろからスーザちゃんが。「おトイレで会いましたのよ」

「本当にトイレか?」瀬勿関先生が少女に近寄る。

 半袖のシャツ。短いスカート。

 それが制服だとしたら、

 足りない。リボンか或いは。

「ケーサツの人?」少女は僕を見て指をさす。

 床面。

「拾って」

「君のなんだ?」

 ネクタイ。

 少女は僕の手から受け取ってしゅるしゅると締める。「先生。わたし帰るね。羽太ハダ先生もこんなんなっちゃったし。四時から面談入ってるし」

「君が殺したの?」羽太先生。

「天罰が下ったんだよ。わたしだけ辞めさせてくんなかったから」

「辞めたかったんだ? でも、辞めさせてくれなかったから」

 殺した。

「天罰だから」少女はスーザちゃんに言う。「わかってくれるよね? 男はわたしたちを搾取するんだって」

「ひとつ、伺いますわ」スーザちゃんは静かに言う。「今日中に何人の男が死にますの?」

 僕らは、日付変更までにあと二回出動することになる。

 18時。

 ○○市役所の女子トイレ内個室にて、同市職員の遺体を発見。体内より致死量の毒物を検出。下半身を露出した姿で洋式の便器に座らされ、膝にはビデオカメラが置かれていた。録画状態で。

 21時。

 ○○テレビ局の楽屋にて、某番組プロデューサの遺体を発見。後頭部に硬いもので何度も殴られた痕。うつ伏せで倒れた全身の上に、彼が手がけた人気アイドルグループのCDがばら撒かれていた。ケースから出された状態で。

 両者に共通する点はいまのところ二つ。

 遺体発見現場が、内側からカギがかけられた状態、いわゆる密室になっていたことと、

 殺された両者は、

 男だということ。


      EVEn2


 Q.加見野圭代(カミノケガワ)を憎んでいますか

「わかってることを聞かないで」

 ※少女2 部屋を出て行こうとする

 Q.あなたが加見野圭代を殺した

「せめて疑問形で聞いたら?」

 Q.あなたが殺したんですね

「あたしだったらもっと酷い殺し方をしたでしょうね。たとえばぎたぎたに切り刻むだとか。切り落とすとかね」

 Q.何を切り落とすんですか

「わかってることばっか聞かないでってゆってるでしょ」

 Q.残念ながら切り落とされていませんでした

「だったらあたしじゃないんじゃない? ねえ、もういいでしょ」

 ※少女2 しきりに時刻を気にしている

 Q.これから何か約束でも

「そんなのも言わなきゃなんないわけ?」

 Q.教えてください

「言ったら行かせてよね。わかってる? 面談よ。されるほうじゃないわよ。するほうなの。待たせてるんだから」

 Q.面談とは

「あなたが女になってからアポ取り直すのね」

 ※少女2 長い脚でテーブルを蹴る

「あたしらを搾取するあんたら男なんか全員死ねばいいのよ。当然の天罰だわ。あいつね、デビューさせてくれるってゆって大ボラ吹いたのよ。あたし抜きでCDなんか出しやがって」

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