第63話 従者の一日
ジム・ヘンダーソンの朝は早い。
「シャ! ハッ!」
広大な敷地を誇るシャルメルの王都での借家。朝日も昇り切らぬ早朝に、その裏庭で汗を流すジムの姿があった。
「相変わらず精が出るわね、ジム」
「起こしてしまいましたか、申し訳ございませんお嬢様」
2階の寝室から顔を出したシャルメルに、体から湯気を曇らせているジムは謝罪する。
「今更、貴方の鍛錬で目が覚めたりはしないわ。今日はたまたまです」
普段と違い気さくな物言いは、2人の親密な関係を示している。幼いころから兄妹の様に育てられた二人の距離は正しく家族のそれだった。
「とは言えお嬢様、みだりに寝間着で異性の前に姿を晒すべきではございません」
シャルメルは「おや?」と自分の姿を確かめる。なるほど確かに今の彼女の姿は薄いネグリジェ一枚、ジムが苦言を呈するのも仕方がない。
言うべきことはキッチリと、そこは執事長に言いつけられている。肯定するだけが従者の役割ではないのだ。
「けど今更では無くて、ひとたび冒険に出てしまえば、寝間着姿どころか寝顔までみられちゃうわ」
「それとこれとは話が別です」
取り付く間もなく、一刀両断。主であるシャルメルに悪い虫を付かせる訳にはいかない、それも彼の大事な使命の一つだ。
悪い虫と言えば、最近よく行動を共にする召喚魔術科一年のアデムだ、まぁ彼は厳密には悪い虫と言う訳ではない、自らが定めた目標に向け邁進する少年だ。その実力も確かなもの、昨日の模擬戦では自分から勝利をもぎ取ったのを始め、戦場での動き、判断力は目を見張るものがる、正しそれがお嬢様にふさわしいかどうかは話が別、残念な事だが、辺境の農家の息子と、お嬢様とでは悲しい程に身分の違いがあるのだ。
「まったく、硬いわねジムは」
「お嬢様が柔らかすぎるだけです」
お互いやれやれと肩をすくめ、そして二人同時に微笑んだ。
「折角早起きしたのだから、
「勿論ですお嬢様」
窓を閉め、寝室に戻るシャルメルをジムは静かに見送った。
「じっ、ジム先輩! これ受け取ってください!」
そう言ってジムにプレゼントを押し付けた下級生は、キャーキャーと嬌声を上げながら友達の所へ走り去ってゆく。
「あら、またプレゼント、相変わらずモテるわね、貴方は」
「物珍しがっているだけですよ」
ジムはそう言って苦笑いしながらプレゼントをかばんに仕舞う。
容姿端麗、成績優秀、品行方正、正しく絵に描いたような騎士。それが彼だった。ミクシロン家のご令嬢として高嶺の花過ぎる、彼の主とは異なり、彼にアプローチを掛けてくる異性は非常に多かった。夏休み明けの今の時期などは順番待ちが出来る程である。
「どうなの? ピンとくる子はいなかったの?」
「御戯れはおよし下さいお嬢様」
彼の主も思春期のど真ん中、色恋沙汰には人並みに興味がおありで、モテモテの従者をからかいつつも、自慢に思っていた。
「まっ待て違う! わざとじゃないんだ!!」
「問答無用! 待ちなさい! アデムーー!!」
「待ってください2人ともーー!」
シャルメル主従がそんなひと時を過ごしていると、遠くで聞きおぼえのある声が響いて来る。
「おやおや、相変わらず仲が良いですね」
「そうですね、お嬢様」
アデムが気づいているかは定かでないが、あのチェルシーと言う少女が、彼に好意を抱いているのは、一目瞭然と言った所だろう。
チェルシーとアデムなら身分のつり合いも取れる、召喚術と言う共通の目標もある。申し分ないカップルになるのではないか?
それともアプリコットと言う少女だろうか、彼女も一応貴族ではあるが、辺境の小領主、シャルメルよりは、遥かに背負っている重責は軽い。
などと益体も無い事を考えてしまうのは、お嬢様に毒され過ぎなのだろうか。彼が自嘲気味に首を振ると、主であるシャルメルの横顔が目に入る。彼女の視線の先にはシルバーウルフに追い回されるアデムの姿があった。だが、注視すべき点はそこではない、彼女の憂いを込めた視線であった。
「お嬢様」
「なっ、何かしらジム?」
彼女は慌てて、ジムに視線を戻す。
「そろそろ、執務の時間でございます」
彼女は学生の身であるが、ミクシロン家の名代として王都に来ていると言う面もある。勿論、他の家人も王都に居はするが、令嬢である彼女だけが出来る事も沢山ある。なので、自由に出来る時間はそれほどある訳ではない。
「そう……そうですね」
彼女はもう一度騒ぎの方へと振り返り、顔を戻した時には、何時もの自信に満ち溢れた表情に戻っていた。
彼女が、アデムに好意を抱いているのは分かっている。だがそれは友愛としての好意だ、恋慕の思いであってはならない。その事はシャルメル自身が何よりも良く知っている筈だ。
この世界では、身分の差は絶対。その様な事を進言などはしたくは無かった。
彼女の思いが今まで自分の周りに居ないタイプであると言う、物珍しさからくる興味に留まらなくなったら。もし、万が一、本気の恋慕になったら、その時、彼女は……。
ジムは考える事を中止する。自分はシャルメルの従者、ミクシロン家の従者である前に、シャルメルの従者だ、彼女の事を第一に考えて動く、それだけでいい。
シャルメルの、ミクシロン家令嬢としての主な役割は社交界にあるが、勿論書類仕事もそれなりにある。
「お嬢様、お茶などは如何でしょうか」
「ふぅ、いいタイミングよジム」
シャルメルは、はしたなくも背伸びをしながら、入室して来たジムにそう言った。
「お嬢様」
「いいじゃない、ここには貴方しかいないんだから」
やれやれである、気を許してくれるのは嬉しいが、気がたるみ過ぎなのは頂けない。とは言え、昼は学業、夜は仕事では気が詰まってしまうのも仕方がない。
ジムは眉根を寄せつつも、執務机にお茶のセットを運んだ。
「所でジム、この手紙を見たかしら?」
「見る訳がないでしょう、お嬢様」
少し困惑したような、あるいは何か悪戯を思いついたような表情でぺらぺらと手紙を揺らす主に、ジムは呆れながら返事をする。主宛の手紙を勝手に覗くような権限を彼は持っていない。
だが、それが誰からの手紙なのかは分かる。
「ネザーラント卿からのお手紙ですか?」
アレックス・フォン・ネザーラント。反国王派の重鎮の、供廻りの1人。取るに足らない、履いて捨てるほどいる俗物の1人。これが祖父ゲルベルトなら内容を見ずにそのまま捨てられてもおかしくはないだろう。
ミクシロン家は国王派の筆頭とも言える貴族だ、そんなところに手紙を送る事さえ本来は憚れることなのだが。
「そう、あの風見鶏」
そう言ってシャルメルは、ジムへと手紙を差し出した。
「夜会のお知らせですか」
それを一瞥したジムは、訝がりながらそう呟く。
「そう、おかしなことにね。けどもっとおかしな事がその案内状には書かれているの」
シャルメルの白くて細い指が指し示した部位にはこう書かれてあった。
『当日はゲストとして、アリア様を御招きしております』
「これは……十中八九罠ではないでしょうか」
「まぁそう思うわよね。どこかで
壁に耳ありとはよく言ったもの、ましてや彼の様な風見鶏が生き残っていく為には情報は何よりも重い価値を持つだろう。
「けど、そのアリアさんが活躍していたのは高々20年前の話よ、本人が来るのはブラフかもしれないけど、話位は聞き出せるかもしれないわ」
「御爺様には拒否されちゃったし」と彼女は言う。安全策を取るならば、この話をダシに彼女の祖父から話を引き出すのが最善だろう。だが、虎穴に入らずんば虎子を得ず。反国王派の動向を探る意味でも、この話に乗ってみるのも面白い。
シャルメルはそう言って不敵な笑みを浮かべたのだった。
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