第35話 水の都ネッチア

 潮の香る港町、それが水の都ネッチアだ。海を挟んだ向こうには、友好国である商業国家モノート連邦が存在し、独自の文化を築いていると言う。


「はー、凄いわね海って」


 初めて海を見るチェルシーの言葉に、アプリコットがこくこくと頷いている。彼女も箱入り娘だ、海を見るのは初めてだろう。


 港には巨大な船が何艘も泊まり、次の出航に備えて、船員たちが忙しそうに作業をしている。ウミネコもミャーミャーと忙しそうに鳴いており、露天商の人たちも元気に声を張り上げている。兎に角街中が活気にあふれていた。


「カトレアは来た事があるの?」


 遠くを見つめているカトレアさんに、アプリコットがそう尋ねる。


「いえお嬢様。私も山奥育ちの身でして、海は初めてでございます」

「そうなの、おそろいだね」


 彼女はそう言って嬉しそうに笑った。


「さて、何をしましょうか」


 一通り海を堪能したのか、チェルシーが腰に手を当てそう言った。荷物はホテルに置いてあるので気ままな散策を思うようにできる。

 ここは地元である俺が案内したいところだが、俺が知ってるのは冒険者ギルドと教会の場所位だ。


「そうね、先ずは教会に行って道中の安全をお祈りしておくのがいいかもね」


「なんせトラブルメーカーとの旅なんだし」と余計なひと言を付け加え、チェルシーはそう言った。

 俺程度でトラブルメーカー呼ばわりだと、とてもじゃないが神父様とは付き合っていけないぞと思いつつも。俺は教会への道を案内する。


「あの坂の上だよ」


 この街では、教会は迷える子羊だけでなく、海上の船も導く役目を負っており。小高い丘の上に立ち灯台も併設されている。


「ふあー、王都の教会とは違った趣があるわね」


 王都の教会は贅を凝らした荘厳な建物、と言った感じだが、この街の教会はもう少しアットホームで落ち着いた、それでいて活気あふれるものだ。

 参道の両脇には露天商が元気な声をあげているのは港と同じ、立派な観光資源となっている。


 しかし、賑わい溢れると言うのは良い事ばかりではない。


「おっとごめ「お前こそごめんだね」」


 俺はチェルシーにぶつかりそうになった少年の肩を掴む。


「チェルシー気を付けろよ、この街にはスリが多い」


 人が多くなると、どうしてもこういう族は蔓延ってくる。


「なんだよ! 離せよテメェ!」


 ジタバタと暴れる小僧にどうしたものかと思っていると。


「あれ? 良くみりゃお前、スプーキーじゃねえか、お前まだ足を洗ってなかったのか」

「離せよっ、てっなんだアデムの兄貴じゃねぇか。道理で」

「どうかなされたんですか」


 騒ぎを聞きつき、主従仲良く露店を眺めていたアプリコットたちが駆け寄ってくる。


「いやぁちょっとな」


 どうしたもんかと思いつつ、俺はスリ小僧の肩を強めに握りしめておいた。





「まぁ今回は事前に止められたと言うことで勘弁してやるわよ」


 ふくれっ面のチェルシーは、そう言いながら矛を収めてくれた。


「へへっ、ありがとな。チェルシー姉ちゃん」


 スプーキーは悪びれずにそう言う。まったく懲りない奴だ。


「そうだ、ちょうどよかったスプーキー、よかったら観光案内してくれないか?知っての通り俺はこの街の鉄火場には詳しいが、一般人に喜ばれる場所は良く知らないんだ」


 神父様の付き添いでここに来る場所は、ギルドか教会、あとは酒場位だ。金が無いのでぶらついても面白くないし、基本的に神父様にべったりだった。


 えっ? 何? 正気? と言った目で俺たちを見つめてくるチェルシーはほって置いて、俺はスプーキーに案内を頼む。スリを生業としているこいつは誰よりもこの街を知っていると言っても過言ではない。


「へへ、そんな事位喜んで」


 スプーキーはそう言って両手を差し出してくる。


「……それは何の真似だ?」

「いやだなぁ旦那、そんな事言わなくても分かってるくせに」

「馬鹿野郎、スリの現行犯を見逃してやるってんだ。ただ働きに決まってるだろ」

「まぁまぁアデムさん。はいスプーキー君」


 アプリコットはそう言って幾つかの銀貨を渡す。うーむ、貧乏領主の娘とは言っていたが、そこは庶民とは感覚が違うようだ、勿体無い。


「うっひょー、ありがとうアプリコット姉ちゃん。流石胸が大きい子は懐もデカイね」


 立て板に水とばかりに、発揮されるセクハラ発言にアプリコットは羞恥に顔を染め、カトレアさんが怒りに顔を染める。


「おい馬鹿やめろ。そんな下らない事を言ってるようなら契約を打ち切るぞ」


 俺はスプーキーの首根っこを掴みつつそう言った。俺なら冗談で済ませられるがカトレアさんの顔がマジだ。超おっかない。


「おっとこいつは済まないね、口が悪いのは生来の事だ、勘弁してくれよ姉ちゃん」


 カトレアさんの殺気に気付いたのか、スプーキーは素早く平謝りする。

 こうして、スプーキーによる水の都ネッチア案内が始まった。





 大鐘楼を備える宮殿、天蓋の付いた壮麗な橋、網の目の様に張り巡らされた運河、王都のものに勝るとも劣らない煌びやかな劇場、活気あふれる市場など、俺たちは様々な観光地をスリの小僧と共に散策した。


「はー、本当に水面の様に煌びやかな街ですね」


 彼方此方歩き回った小休憩として、露店で勝った甘味を味わいながらベンチに腰掛けるアプリコットが感嘆の言葉をそう漏らした。


「へへ、そうだろ! この街は世界一だぜ」


 スプーキーは我がことの様に嬉しそうにそう言った。その時だ。


「おう、スプーキー、お前いい商売してるじゃねぇか」


 どんな街にも光と影はある。突如投げかけられただみ声に、アプリコットはその事を思い知るのであった。

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