4-7 勝ちたい、と願った

「こんのおおおおおおおお!」


 初めてだ。勇者様が俺より前に立つどころか、斬りかかっているのは。

 今、彼女は、それほどまでに怒っているのだろう。

 剣を腕で受け止めたオルベリアが、僅かに眉根を寄せる。


「この! この! この!」


 子供のチャンバラよりもひどい剣術。だが、その一撃一撃には多大な魔力が籠められている。普通ならば、痛い、では済まない。

 いける! と信じて、魔法を唱えた。


「下がってください! 《サンド・ストーム》!」


 砂をオルベリアの顔目掛けて飛ばす。一瞬でも片腕を封じられればと思っていたが、オルベリアは防ぎすらしない。油断していたのだろうか? 砂粒は彼女の顔へ直撃した。


「チャンスね!」


 勇者様が剣を振る。何度も、何度も振る。

 オルベリアは受け止めることもせず、身じろぎもしていなかった。

 ……なにかがおかしい。不思議に思っていると、オルベリアが口を開いた。


「まさか勇者って、こんなものなのぉ?」

「っ!?」


 振り下ろされた剣を、オルベリアは平然と掴む。目潰しにも効果は無く、その体にも傷一つ無かった。


「いいえ、違うわねぇ。ウィズヴィースの力を一部とはいえ取り込んだワタシが、予想より強くなってしまったいたんだわぁ」


 自分が強くなりすぎた、と普通ならば戯言だと笑い飛ばすような事実。こちらが唖然としているとオルベリアは、本当に申し訳なさそうに、深く頭を下げた。


「あなたたちの攻撃では、ワタシの体に傷一つつけられないのぉ。ごめんなさい、同情するわぁ」


 その言葉には、ただ哀れみだけが籠められていた。

 何一つ打つ手は無い。ただ蹂躙されるだけである。それが、可哀想・・・だと。


「ラックス、さん」

「……はい」


 勇者様の声は震えている。逃げるのならば、これが最後の機会だろう。

 己が身を盾にしてでも、と考えていたのだが、彼女は強く言った。


「わたしは、どうしてもあいつに勝ちたい・・・・


 何一つ通じぬ状況で、絶望だけが押し寄せてくる中で、勇者様は”勝ちたい”と口にした。

 手は残されているのだろうか。どんな手でもいい。彼女の願いを、俺は叶えたい。


 ここまでの旅を振り返る。使えるものはなんでも使う。なんでもだ。

 答えを探している最中、動きを止めていたオルベリアが両手を掲げた。


「《アクア・ロール》」


 彼女の周囲に四本の水柱が立ち、それが回転を始める。


「さっきの水竜巻が四本……!?」

「一本しか出せなかった。でも四本出せるようになった。あぁ、ワタシはこんなに強く、美しくなったのねぇ」


 恍惚とした表情、自信に満ちた言葉。

 己の名を冠した魔法アクア・ロールは、さらなる進化を遂げていた。

 一本でも対処しきれなかったのに四本。汗が止まらない。

 水竜巻はぐにゃりと竜のように曲がり、その先端をこちらへ向けた。


「勇者様」

「はぁ……はぁ……なに?」


 勇者様は目を見開き、息も荒い。

 逆に俺は、なぜか心が落ち着ている。恐怖でおかしくなかったのかもしれない。

 まぁ取り乱すよりはいいかもしれないと思い、短く告げる。


「一つ、策が有ります。とっておきのやつです」

「もしかして、にーげ」

「最低一本、運が良ければ二本は防ぎます。勇者様は残り二本を掻い潜り、オルベリアへ触れてください。あの特異能力を直接使えば、オルベリアを殺せずとも弱体化できるかもしれませ――逃げ?」

「えぇ、分かったわ。それでいきましょう」

「あの、今」

「タイミングは?」


 どうやら逃げると思われていたようだが、勝ちたいとまで言われて、逃げる提案はできない。

 剣を鞘に納め、盾を構える。腰につけていたものを、盾の後ろに隠した。


「――今ですよ!」

「――了解!」


 自分が前を走り、そのすぐ後ろへ勇者様が続く。通じぬ剣に意味は無い。この盾と体で受け止め、道を作る。


「もう少し、頭が良いと思っていたわぁ。《アクア・ロール》」


 オルベリアが手を前に翳し、四本の竜を模した水竜巻が迫りくる。……どうやら、第一段階は成功したようだ。この体で受け止められるなど思っていない。それは、最後の手段だ。

 盾を退け、空いた手を前に出す。握り締めているのはマジックバッグ。俺は、あの時に助かった理由であろうマジックバックと、勇者様の全力を信じて、それを解放した。


「――《フレイム・バースト》!」


 暴走していた、と思っていた。だが人間は、持っている以上の力は出せない。

 なら、あれこそが今現在の、勇者様の全力だとしたら? 魔族を打倒しうる力だと、信じる価値はあった。

 白い光が伸び、水竜巻へとぶつかる。……そしてそのまま、三本を貫いた。


「「え!?」」


 想定以上の威力に唖然としたが、良い結果が出たのならば文句は無い。

 残るは一本。これの対処も考えてあったため、マジックバッグを前に出す。

 水竜巻は予想通り、マジックバッグの中へ吸い込まれた。


「なっ、その鞄はなんなの!?」

「それはこっちが聞きたいところだ!」


 いや、本当になんなのこの鞄。神様が作ったと言っても信じるよ? ……だが、それを考えるのは後だ。今はまず、この最初で最後の機会を活かしてもらわなければならない。

 俺の横を抜け、勇者様が駆ける。手を伸ばす先には、無防備なオルベリア。


 届け、届け……届け!


「と、ど、い、てえええええええええ!」


 勇者様の手が、オルベリアへと触れる。後は、あの特異能力でオルベリアを弱らせてくれれば、俺たちにも勝機が出るはずだ。

 一瞬の静寂。まるで時が止まったかのように感じる。


 最初に動いたのは、オルベリアだった。


「……邪魔よぉ! 《アクア・ロール》!」


 彼女が腕を振る。何度も、何度も腕を振る。……しかし、魔法が発動することは無かった。

 恐らくだがあの力は、オルベリアの魔法を封じたのだ。


 ――勝機。


 俺は剣を抜き、駆け出した。


「オルベリアアアアアアアアア!」

「ニンゲンガアアアアアアアア!」


 終わりだ、と剣を振り下ろす。迎え撃つように、オルベリアが拳を振った。


『避けろ!』


 妖精さんの警告を聞き、横へ転がる。カランと音がして目を向けると、そこには折れた剣先が落ちていた。

 オルベリアの体には……傷一つ無い。魔法は封じたが、頑強な肉体に変化は無かった。


「そん、な」

「は、はは、アハハハハハハハハハハハハ! 焦ったわぁ、こんなに焦ったのは久しぶりよぉ!」


 勇者様が崩れ落ち、オルベリアが嗤う。

 俺は折れた剣をオルベリアに投げつけた後、盾で体当たりをした。


「無駄よぉ」

「勇者様! 逃げてください!」

「で、でも」

「逃がすとでも――」

「《アクア・ロール》!」


 マジックバッグを前に出し、《アクア・ロール》を発動させる。頼む、死んでくれ! もうこれ以上、俺にはなに一つ手が無い!


 しかし、祈りは届かない。だからこそ人は祈り、絶望するのだ。

 自分の魔法だからか、水魔法への耐性が高いのか。オルベリアは濡れた髪を掻き上げ、薄く笑った。


ワタシの体・・・・・に傷一つつけられないと、まだ理解できていないみたいねぇ!」


 ……なぜだろう。妙に頭が冴え渡っているからか、彼女の言葉に違和感を覚えた。


「逃げて!」

『逃げよ!』


 二人は逃げろと、当たり前のことを口にしている。


「そろそろ終わりよぉ。左目は、ワタシがもらうわぁ!」


 俺の左目を抉り出そうと、オルベリアが手を伸ばす。

 ――だがそれよりも早く、無意識に左手を伸ばしていた。

 触れたのは、オルベリアの右目。魔王ウィズヴィースの紫の瞳。


 ワタシの体、とオルベリアは言った。……では、この右目は?

 ただ触れただけだ。しかし、その右目が零れ落ちる。自左腕を伝って転がり、トンッと跳ね……そこへあるべきだと、自分の右目に納まった。

 暗かった視界が開け、前と同じように目が見える。理解ができず呆然としていると、オルベリアが叫んだ。


「いや、なにこれ。見えない。なにも、なにも見えない! いや、嫌、イヤアアアアアアアアアアアアア!」


 頭を抱えて叫んでいるオルベリア。

 自分の右目、その少し下辺りを撫でていると、腕が掴まれた。


「逃げましょう!」

「は、はい」

「逃がさない、絶対に逃がさない! 返して、ワタシの右目を返してぇ! 逃がしてたまるかあああああああああ……がふっ」


 おかしな声だったと、足を止めて目を向ける。

 そこには、胸から手が生えている……いや、心臓を抉り出されているオルベリアの姿があった。


「なぁに、これぇ」

「――まさか、本当にうまくやってくれるとは思いませんでしたよ」


 背中から、心臓を握った手を引き抜く。頭に角がある青い肌をした男は、死んだはずの魔族は、目を見開いたままオルベリアの心臓を見ていた。

 前に倒れ、口から紫の血を吐き出し、胸からはさらに大量の血を溢れさせているオルベリアが叫ぶ。


「ベーヴェ。ベーヴェ=ウィズヴィース! 我々が恩情を与えてやったにも関わらず、ワタシを謀ったのねぇ!」


 ベーヴェは笑いながら答える。


「そりゃそうでしょ。魔力のほとんどを奪われ、放逐されたんですよ? 元魔貴族でありながら、そんな屈辱に耐えられます?」

「おのれええええええええええええ!」

「うるさいですよ」


 平然とベーヴェはオルベリアの頭を踏み潰す。それから握っていた彼女の心臓を、パクリと食べた。

 彼は一度舌なめずりをし、口を開く。


「中級魔族くらいまでは魔力が戻りましたかね。まぁオルベリア程度を食らっても、こんなもんですか。さて――」


 ベーヴェはこちらの前まで歩き、足を止める。

 そして敵意を感じさせない柔和な笑顔で、


「右目を抉らせてもらってもいいですか?」


 と言った。

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