4-5 勇者の策は成功した
下がりたい、だが下がれない。後ろに勇者様がいることもあるが、なによりも、背中を見せればどうなるかが分かる。脳裏に「死」という文字が浮かび上がっていた。
小細工が通じる相手ではない。全力を賭しても逃げられるかどうか……。
迂闊だったことは認める。だが兵として、悲鳴を聞きながら逃げるわけには――ん? 室内を見回して、あることに気付く。
この部屋にはオルベリアしかいない。
では、先ほどの悲鳴の主は?
まさか、とすぐに思い至り、歯軋りをした。
「殺したのか……っ!」
「とてもいい顔をしているけど、まだ誰も殺してないわよぉ?」
「なら屋敷の人たちはどうした!」
「地下室に監禁しているわぁ。後、人払いの呪を刻んだので、あなたたち以外は近づけなかった、ということよぉ」
「へぇー、そんなこともできるのねぇ」
感心している場合じゃないですよ、勇者様。
前に説明した通り、こいつは魔族の中でもトップクラスの実力者。魔貴族が一人、オルベリア=アクアロール。我々の太刀打ちできる相手ではない。
心の中でそう考え、勇者様へウインクで告げる。彼女もウインクを返してくれた。以心伝心だ。
勇者様は薄く笑みを浮かべ、一歩前へ出る。どうやら策があるようだ。
「あなた、オルベリア=アクアロールって言ったわね」
「あら、人の名前を知っておきながら自分のことは名乗らないのぉ? 恥ずかしい彼女で、彼氏も大変ねぇ」
「えっ」
「それにしても、あれだけ熱烈にワタシがアプローチしたのに……ひどいじゃない、ラックスちゃぁん」
目ん玉繰り抜くぞクソ野郎、という発言がアプローチだと言うのならば、そういうことになるだろう。俺の常識の中では脅迫でしかないが、頭のおかしい女のなかでは、アプローチなのかもしれない。
しかし、今はなにも言わない。勇者様の策に頼ってみたいと――。
「ちょっと待って?」
「あら、命乞いかしらぁ?」
勇者様が首を横に振る。
油断なく、隙を窺っているのだろう。その目は、炎が灯っているように、爛々と輝いて見えた。
「わたしとラックスさんは仲間だから! そういう勘違いはやめてくれる!?」
俺は目を瞬かせた。
別に否定するつもりはない。だが、そんな話をしている状況だろうか?
そして、どうやらオルベリアも同じ考えだったのだろう。軽口に反応したことに驚き、唖然としていた。
「え、っと。そこは大事なところだったかしらぁ?」
「大事に決まってるでしょ! 自分が同じ立場だったらどう思うか! ちゃんと考えてみてくれるかしら!?」
「……」
オルベリアは顎に手を当て考え出す。
しばしの静寂の後、彼女は口を開いた。
「確かに煽ろうとして言ったけれど、そこまで大事なところだったかしら?」
「もう一度考えてくれる? ……そうね。今度は、嫌いな同僚と一緒にいるところを見た敵が、お前ら付き合ってんだろ!? と言って来た状況を想像してもらえる?」
「俺のこと嫌いだったんですか!?」
「嫌いじゃないわよ!? 例えだから! 例え!」
ふぅ、危うく倒れるところだった。そうか、例えならばしょうがない。
しかし、少しへこみつつも、考え込んでいるオルベリアから目を離さない。いつ動いても対処できるよう身構えていた。
ふむ、と頷いたオルベリアがこちらを見る。……いや、正しくは勇者様を見た。
彼女はほんの僅かばかりに頭を下げる。
「ごめんなさい。悪かったわぁ」
「分かってくれたならいいわ。わたしも少し言い過ぎたところがあるからね」
二人は和解を遂げた。
……だからどうしたという感じではあるが、お互い通じ合ったかのように頷いている。この状況がもう理解できない。
勇者様はパンッと手を叩き、オルベリアへ言った。
「ちょっと妙な空気になっちゃったわね、ごめんなさい。……そうね、ここは一つ仕切り直しにしましょう」
「えぇ、悪くないアイディアだわぁ」
「なら、あそこの木は見える? 町の外にある、一本だけ立っているやつよ」
「見えるわぁ」
「一時間後、あそこへ行くわ。そして、さも初めて会ったかのように振る舞う、というのはどう? もちろん、ラックスさんとは再会した、という形になるわね」
「えぇ、分かったわぁ」
オルベリアは立ち上が――ろうとして、腰を浮かせたままの状態で止まった。
「それ、なにかおかしい気が」
「《アクア・ミスト》! 逃げるわよ! ラックスさん!」
「りょ、了解いたしました!」
「ま、待ちなさい!」
どうやらこれは全て勇者様の策略だったらしい。彼女は《アクア・ミスト》で後方に霧を出し続けながら逃げる。前は開けているが、後ろは濃霧だ。
どうにか階段まで行ければ、と思っていたのだが、勇者様は俺の腕を掴んで止め、窓を開く。そして躊躇わず、俺を突き落とした。
「っ!?」
声を出しかけたが、ギリギリで耐える。俺たちが飛び降りた後、窓ガラスが割れて飛び散り、壁も吹き飛んだ。オルベリアが魔法で吹き飛ばしたのだろう。
後一歩遅ければ、と思っている場合ではない。三階からどう着地すればと考えていたが、勇者様が魔法を唱えた。
「《ウインド・クッション》!」
地面へ激突するはずだったが、透明ななにかに遮られ、ポヨンと体が跳ねる。そして両足で着地した。
どうやら勇者様は、先のことまで考えられていたようだ。
体勢を立て直し勇者様が聞く。
「詰所に逃げればいいわね!?」
「はい! ミサキお嬢様は詰所へ逃げてください! まだ気付かれていないはずです!」
「オッケーよ!」
勇者様が壁へ向かって走り出し、俺は屋敷の裏口を開いて中へ戻る。すぐに扉が開かれ、勇者様も入って来た。
「なにしてんの!?」
「こっちのセリフですよ! 自分は屋敷の人を助け出さねばなりません! ミサキお嬢様は助けを呼んでください!」
「助けなら呼んであるわよ! 今は逃げるべきでしょ!?」
どうやったのかは分からないが、助けは呼んであるらしい。
俺は少し悩んだ後、作戦を変更することにした。
「オルベリアの狙いは俺です。屋敷から離れて引き付けますから、地下室に閉じ込められている人を逃がしてもらえますか?」
最善の策だと思ったのだが、勇者様はとてつもない溜息を吐いた。
「……はぁぁぁぁぁぁぁぁ。どうせ説得するだけ無駄ね。分かったわ、そうしましょう」
では、と移動しようとしたのだが止められる。振り向くと、鼻先に指を突き付けられた。
「必ず生き残ること。いい? 約束よ?」
「もちろ――」
「絶対だからね! 分かった?」
真剣な表情に、言葉を詰まらせる。俺も軽く返事をするのではなく、真剣に頷いた。
そして駆け出そうとしたのだが、こちらも一つ聞きたいことを思い出す。
「そういえば、さっきの例えですが……」
「嘘に決まってるでしょ!? 恋愛感情は無いけれど、嫌いな人と旅をするわけないじゃない……」
「勇者様……」
正直、その言葉だけで感動していた。俺は紛れもなく彼女の仲間である。
しかし、だ。聞きたくもない声が耳に入った。
「勇者?」
俺はなんと迂闊で愚かなのだろうか。
声の先へ目を向けると、そこには、いつの間にか追いついたオルベリアの姿があった。
「今、勇者と――」
「うるせぇ左目を抉って耳まで腐ったんじゃないのか? 頭おかしいこと言ってる暇があったら、犬のケツでも舐めてろクソ女!」
オルベリアの額に青筋が浮かぶ。こいつはキレやすいので、すでに先ほどの話題は頭から飛んでいるだろう。
しかし、別の人も反応した。
「ラックスさん!? その口調なに!?」
「い、いえ、あの……兵士長に教わった、相手を煽る方法の一つです」
「兵士長さんって碌なことを教えてないわね!?」
「素晴らしい人なんですよ!? 奥さんも超美人ですし! 尻に敷かれていますけど!」
言い争うフリをしながら――半分くらいは本気だが――勇者様へ目で扉を示す。彼女は小さく頷いた。
「コ――」
「では、後程」
「えぇ、また後で!」
勇者様が扉を抜け、俺は裏口からまた外へ出る。
「コロオオオオオオオオオオオオオオス!」
同時に、先ほどまでいた部屋と、その上部分が吹き飛んだ。
一瞬で全身がびしょ濡れになり、見上げながら唾を飲み込む。
目の前には髪を振り乱し、怒り狂った魔貴族。
そして――空まで伸びる水竜巻があった。
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