鬼の住む町にて

隅田 天美

序章 あるタクシー運転手の話


 日浦和義ひうらかずよしは、普通のタクシー運転手である。

 元々は、別の場所で農家をしていたが大手工場建設に伴い、長年住み慣れた我が家を捨てた。

 同時期、妻の浮気が発覚。

 子供は辛うじて結婚していた。

 結果、五十代で気楽な独身になった。

『星ノ宮タクシー』に就職できたのは、その直後だ。

 運がよかった。

 さらなる幸運で、顧客もついた。

平野平ひらのだいら』なる老人である。

 平野山、という山の頂上付近に住んでいる。

 周囲にはバス停もコンビニもない。

 かくしゃくとした老人で杖が無くても普通に歩けるがバス停まで最低十分坂を下り、日に数本しかないバスに乗るというのは辛い。

 彼は多弁ではないが面白い話をしてくれる。

 なんでも、『郷土歴史研究家』として星ノ宮を研究する第一人者なのだそうだ。

 他にも道場を運営し、星ノ宮を知り尽くしていると言っていい。

 それを抜きにしても、老人との会話は楽しい。

 日常の些細なことや街の噂話などだ。

 とりとめもない会話。

 また、この老人は帰り際に『チップ』と言って百円を渡す。

 タクシーは個々の売り上げが成績や給料になるから、ありがたい。

『お客を乗せて目的地に運ぶ』というより『気のいい爺さんとドライブをする』。

 日浦にとって、平野平との時間はとても楽しく有意義な時間になった。


 その日。

 日浦は午前中の仕事を終えて、街外れのコンビニに向かい適当に飯を買い、食べ、少々寝ようとしていた。

 そこに無線が入った。

『日浦さん、お客様のご指名です』

 せっかく睡魔が来たところだ。

 無線機を取り返事をする。

「誰です?」

『平野平さんです』

「あのお爺さんか……じゃあ、家は……」

『いえ、【星ノ宮パルテノン】です』

「星ノ宮パルテノン? 俺、あそこらへん苦手なんだよなぁ……了解、迎えます」


 先輩運転手が言っていた。

『星ノ宮という街は独特の街だ』

 胎児のように本州から『豊原大橋』で繋がった豊原県。

 交通の便がいい市街地や沿岸部は『電脳都市』と呼ばれるほどインフラ整備が進み、近未来な風景もある。

 だが、街から二十分もすれば田園風景が広がる田舎である。

 このアンバランスに闇が潜む。

 決して治安が悪いわけではない。

 むしろ、いいほうだろう。

 ただし、万能ではない。

 朝から夕方は会社勤めの会社員や遊ぶ学生、休みならファッションや観光目的の人々でとても楽しい街である。

 問題は、闇が深くなる夜だ。

 闇が深くなれば、欲望も深くなる。

『欲望ならば何でも揃う』

 その先輩運転手は研修の時に訥々と語った。

 愛、友情、金、性、酒、煙草……

 美しいものから違法なものまで何でもだ。

 その中で、警察などは見回りなどを強化しているが限界がある。

 そもそも、豊原県は海外のマフィアから麻薬や拳銃などを本州へ密輸する中継地点としての役割があった。

 その目で見たわけではないが、嘘か真か、ドライバー仲間の中には麻薬の取引現場を見たと言うものもいる。

『何があっても深入りはするな』

 先輩運転手は最後にそう言った。


【星ノ宮パルテノン】付近は現在、ヤクザの抗争の舞台になっている。

 元からヤクザと本州から来た新興暴力団が【星ノ宮パルテノン】の権利をめぐり、日々抗争をしている。

 実際、地元のニュースなどでは『流れ弾で通行人が負傷』などと出る。

 死者が出ないだけマシなのかもしれないが、利用者の多い繁華街の一角だけに緊張する。

 別の会社のドライバーに因縁をつけて金を巻き上げる者もいるようだ。

 派手な総合施設に、客はいた。

 タクシーを客の前に止める。

「忙しいのに悪いね」

『平野平』と言う老人は、いつものように茶色のシャツにグレーのズボンで待っていた。

 いつものように礼を言いながら車内に入る。

 入ったことを確認すると日浦は急いでギアチェンジをしてビルから遠のいた。

 注意していたつもりだが、いささか乱暴だったのか老人が少し前に屈む。

「すいませんね」

 ルームミラーで様子を見ていた日浦が平野平に謝罪した。

「いや、大丈夫……」

 赤信号でブレーキを踏む。

 タクシーの前を通り過ぎる人々の数人は分厚いコートやマフラーなどの防寒着で寒さをやり過ごしている。

「何しに行っていたんです? あそこ危険なんですよ」

 老人は意外そうな顔をした。

「そうなの?」

「暴力団の抗争ですよ……市民の死者は出ていませんが、かなりやばいらしいんですよ」

「ふうん、そうだったんだ」

「何しに行っていたんです?」

「万年筆を買っていた」

「……は?」

「使いすぎて壊れたから買い換えたんだよ」

「そんなの、近くの文具店で買えるでしょ?」

「極端なんだよ。安いが使い心地の悪い奴と、使い心地はいいが高いもの……あそこなら万年筆の専門店が入っていて比較安価でいいものがあるんだよ」

「大変ですね」

「まあ、売れない郷土史家だから贅沢は言えないけどな……」

 日浦は笑いそうになった。

 信号が青になりタクシーを進ませる。

「とりあえず、家に」

「分かりました」

 そこに、着信音が響いた。

「失礼」

 老人は鞄から携帯電話を出す。

「はい、平野平……ご苦労様です、はい、終わっております……あと、二、三日は……はいはい……よろしくお願いします」

 通話が終わると老人は疲れたように背もたれに身を投げ出した。

「あー……このスマフォなり携帯電話ってのは、どうしてこうも無粋なのかね?」

 日浦は軽く笑う。

「確かに無粋ですよね」

 再び携帯電話が鳴った。

「ハイ……ああ、綾子さん……あ、いや、こっちの問題だから……あー、はいはい。お安い御用。少し時間はかかるけどいいかね? じゃあ、待っていて」

 老人は通話を終えると再び疲れたようになった。

「大丈夫ですか?」

「あー、大丈夫……俺の息子の元嫁さんが遊びに来ていてな、唐揚げを作ることになった。悪いが、最寄で肉を売っている場所はないか?」

「だったら、この近くにスーパーがありますね……しかし、自分の息子の元嫁さんに料理を作るなんて気前がいいですね」

「そうでもないさ。根が貧乏性でね、せっかくできた縁を切らせたくないのさ」


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