第57話 ラヴァーズ・タッグ
ここ一年程の間に見慣れた部屋、見慣れた回廊。だが今は全く違った景色に見える。私の
そんな見慣れない場所を走るのは私とサイラスの2人。
「サイラス……無理に私に付き合ってもらう事は……」
本人は致命傷ではないと言っていたが、彼がラウロに負わされた傷はそれなりに深い。最低限の応急処置しかしていない状態なのだ。どうしても心配になってしまう。
「カサンドラ……心配を掛けてしまって済まない。でも私自身がこうしたいんだ。シグルドの元に辿り着くまでにも何があるか解らない。せめて露払いくらいはさせてくれ」
少し青白い顔で気丈に笑うサイラス。私は胸が締め付けられた。
「サイラス、ありがとうございます……。でも決して無理はしないで下さい」
「ああ、約束するよ」
話している間にも走り続けていた私達は、回廊を抜けて広いスペースに出た。ここは……剣闘士達の控室、『ブラッドワークス』だ。
そして、そこには私達を待ち受けている者がいた。
「サイラス……ドコヘ行クツモリダ?」
「……!」
拙い
部屋の中央に1人の男が佇んでいた。独特の衣装に丸く刈り込んだ髪。堀の浅めな顔立ち。両手には
「ハオラン……君か」
サイラスの苦い響き。そこにいたのは、サイラスやラウロと並ぶ【ヒーロー】ランクの一角、
【流水輪】のソン・ハオランであった!
その周囲には……急所を切り裂かれて絶命している何人もの暴徒――連合軍の兵士達の死体が折り重なっていた。その武器や服に夥しい返り血を撥ねさせながら、穏やかとさえ言える表情で佇むその姿に、私は非常に無気味な物を感じて気圧された。
「ハオラン。私達が争う理由はない。黙ってそこを通してくれないか?」
サイラスの言葉にハオランはゆっくりとかぶりを振る。
「オ前達ノ目的ハシグルド様ダロウ? ナラバ通ス訳ニハ行カン。アノオ方ニハ、私ノヨウナ流レ者ヲココマデ取リ立テテ貰ッタ恩ガアル。我ガ民族ハ一度受ケタ恩モ恨ミモ全テ……
「……交渉の余地は無しか。カサンドラ……ここは私が引き受ける。君はシグルドの元へ急ぐんだ」
サイラスが青白い顔のまま剣を構えてそう言うのを、私は激しく首を横に振って拒絶した。
「……ッ! サイラス……それは聞けません。今のあなたは重傷を負っている。あなたを死地に置いて自分だけ進む気はありません。共に戦います!」
「カ、カサンドラ……」
私は問答無用とばかりに剣と盾を構える。サイラスを見殺しにするくらいならば、シグルドを取り逃がす事になっても構わない。ここは絶対に譲る気はなかった。
「サイラスモオ前モ、ドチラモ通ス気ハナイ。同ジ事ダ」
ハオランがゆっくりと圏輪を構える。それを戦闘開始の合図代わりに、私は一気呵成に飛び出す。今のサイラスに極力無理をさせたくない。可能なら私一人で倒すくらいの心構えで斬りかかる。
「ふっ!」
最も躱されにくい胴体部分の正中線を狙って剣を突き出す。ハオランは回避動作を取らず、代わりに圏輪を持つ腕がゆっくりとさえ言える速度で流れるように動き――
(え……!?)
気付いたら私の剣は
「く……!」
私は咄嗟に左手の盾で殴りつける。
「……ッ!?」
やはり盾も勝手に逸れて、私はハオランの前に両手を大きく広げた無防備な姿を晒してしまう。ハオランが私の喉元に向かって圏輪を滑るように動かす。
「……っ!!」
殺られるっ!! と、思わず身体を硬直させて目を瞑ってしまう。
「カサンドラッ!」
そこにサイラスの声と剣振音。金属が打ち合わされる音と共に、ハオランが後ろに飛び退く気配。目を開くと、剣を突き出したサイラスの姿。
「サ、サイラス……!」
どうやら喉を切り裂かれる寸前、サイラスが割り込んでくれた事で助かったようだ。
「カサンドラ。ハオランは受け流しからの反撃に長けている。無闇に攻撃するのは文字通りの自殺行為だ」
「……!」
そうだった。以前マティアスからもそう言われた事を思い出した。あの円形の形状の武器を巧みに操る事で、直線的な斬撃を全て受け流して逸らしてしまうのだ。攻撃と防御を兼ねた恐ろしい武器と技術。だとすると迂闊に攻める事が出来ない。
「……とはいえ、余り悠長にしている時間もないな」
確かにシグルドを追っている身としては、ここでハオランとずっと睨み合っている訳には行かない。と、サイラスが耳打ちしてきた。
「カサンドラ、正直君が共に戦ってくれて助かるよ。一対一ではハオランに勝つ事は難しいが、君と2人でならやりようはあるかも知れない」
「え……?」
「さっき言った事と矛盾するけど、君はとにかくハオランに攻め掛かってくれ。……私を信じて欲しい」
「……! は、はい!」
何だか解らないが、サイラスが信じてくれというなら私に否はない。再び武器を構えた私は、気合と共にハオランに突撃する。
「……愚カナ。学習能力トイウ物ガ無イヨウダナ」
ハオランは私を嘲笑うように圏輪を構えて迎え撃つ。私は嘲弄には構わずに全力で斬りかかる。
上段からの斬り下ろし。私の剣はハオランの圏輪に接触した瞬間横に逸らされて、何もない場所に振り下ろされる。だが今度はそれを予期していた私は大きく体勢を崩す事なく踏み止まり、左手の盾を面で薙ぎ払うように叩きつける。
面での打撃なら……と思っての攻撃だったが、ハオランは圏輪を盾に接触させた瞬間に、手首を回転させるような動きだけで私のシールドバッシュをも受け流してしまった。驚異的な技術だ。
「……ッ」
両手の武器を受け流された私は再びハオランの前に、無防備にその身体を晒す事になってしまう。しかし今度は私の中に怖れはなかった。
「死ネ」
一方の圏輪の刃が私の剥き出しの脇腹に迫る。当たれば勿論致命傷だ。だが……
「――ふっ!!」
「……!」
ハオランが私に斬り付けた瞬間を狙って、サイラスの一閃突きが繰り出される。私などとは比較にならない程の鋭い突きに、ハオランが初めて顔を引き攣らせる。
「ギッ……!」
「く、浅かったか……!」
寸での所で飛び退ったハオランだが、その胸部を大きく切り裂かれて血が噴き出す。だが仕留め損なったのは確かだ。あの体勢からサイラスの渾身の一撃を躱すとは、腐っても【ヒーロー】ランクか。
「カサンドラ!」
「……! はいっ!」
私は畳み掛けるように攻勢に出る。ハオランに態勢を立て直す暇を与えてはならない。
「贵杀ッ!」
余裕の無くなったハオランは母国語で激しながら、それでも私の攻撃を再び受け流すべく圏輪を構える。傷を負いながらもその動きに衰えはなく、私は剣と盾での全力攻撃を三度受け流されて隙を作ってしまう。ハオランは隙だらけの私に向かって圏輪を動かし――
「むんっ!!」
――そこに再びサイラスの一撃。だが……
「愚蠢ッ!!」
「……!」
自分が攻撃をする瞬間は相手の攻撃も受け流せない。それを突いたサイラスの作戦だったが、今度はハオランもそれを読んでいた。私への攻撃動作はハオランのフェイントだった。
即座に圏輪を戻したハオランは、サイラスの一撃を受け流す事に成功する。全力で吶喊していたサイラスの体勢が大きく崩れる。
「就这样是结束ッ!」
サイラスに向かって圏輪を滑らせるハオラン。だがそれは今度は
「ふっ!!」
「痛ッ……!?」
私の突き出した剣がハオランの肩口を抉る。心臓を狙ったつもりだったが、寸前で身を躱された……!
「小姑娘ッ!!」
怒り狂ったハオランが、無事な方の腕で圏輪を私に叩きつけようとしてくる。そしてそれは今度は
特別試合でのゴブリン戦や周囲に倒れている兵士達からも解るように、並みの敵であれば例え複数が相手でも遅れを取るようなハオランでは無かっただろうが、手負いとはいえ同格の【ヒーロー】たるサイラスと、曲がりなりにも【グラディエーター】たる私を同時に相手取った事が彼の不運だった。
「はぁっ!!」
「……啧夷夷夷ッ!!」
躱せない事を悟ったハオランが苦し紛れに圏輪を薙ぎ払う。サイラスの一閃突きは今度こそ狙い過たず、ハオランの心臓を刺し貫いた!
だが同時に……ハオランの圏輪もまたサイラスの胸を大きく斬り裂いていた!
「ぐふっ……!」
「サ、サイラス!? サイラスーーー!!」
心臓を貫かれたハオランは物も言わずに即死した。だが私の意識は、血を吐きながら崩れ落ちるサイラスのみに向けられていた。
「ふ、ふ……私とした事が、最後の最後で下手を打ってしまったな……。ラウロといい、やはり『同格』はすんなりとは勝たせてくれないようだ……」
「サ、サイラス!? しっかりして下さい、サイラス!!」
私がその身体を抱き起すと、サイラスは苦し気に息を吐きながら笑った。
「ふふ……だが、何とか君を無傷で通す事には成功したな……」
「サイラス……!」
私の目から涙が溢れそうになる。だがサイラスは意外な程の力強さで私の手を握った。
「行くんだ、カサンドラ! 君にはここで立ち止まっている暇はないはずだ!」
「……!」
「私なら大丈夫だ……。これでも【ヒーロー】ランクの剣闘士なんだ。流石にもう動けないが、死にはしない……。いや、君の為にも石に噛り付いてでも生き延びてみせるさ……!」
「サ、サイラス……」
不安に震える私を安心させるように、彼は気丈に笑う。
「だから……君は何も心配せずに、目の前の……君が為すべき事に集中するんだ」
「……サイラス! わ、解りました。でも、約束して下さい。絶対に死なないって……!」
「ふふ、ああ……約束だ。絶対に生き延びてみせる。私を信じてくれ」
「……ッ!」
彼は常にこの言葉で私を安心させ……そして有言実行してきた。ならば今回も彼を信じるまでだ。
私はサイラスをそっと壁にもたれさせると、涙を拭いて剣と盾を手に立ち上がった。
「だから、君も約束して欲しい……。必ず……
「……はい! 約束します! だからサイラスも……私を信じて下さい」
「……! ふふ、信じるよ。……さあ、行ってらっしゃい」
「はい……行ってきますっ!!」
そして私はサイラスに見送られながら、自らの運命を切り開く最後の戦いへと赴くのであった……
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