第51話 野獣の暴威

「卑しいケダモノめ……。絶対にお前の思い通りになどならないわ!」


「おーおー、威勢が良いねぇ! 増々楽しめそうだ」


 私の精一杯の威嚇も奴を悦ばせる事にしかならない。屈辱に歯噛みした。




『それでは両者準備は良いか!? 試合……開始ぃぃぃっ!!!』




 アナウンスの開始の合図。私は剣と盾を構えて迎撃態勢を取る。リハビリと実戦訓練のお陰で既に体調は万全だ。戦いの勘も取り戻してある。


「……?」


 だが意外にもラウロはすぐには動かなかった。てっきり開始直後に槍が飛んでくると思っていたが。だがラウロは開始の合図が鳴ったというのに、相変わらず顎に手をやって好色な視線を私の身体に這わせていた。


「たまんねぇな、ホント……。お前みたいなエロい女を好き放題できるとか、どんなご褒美だよって話だよな」


「……!!」


 その下卑た視線が私の腕や太もも、お腹など剥き出しの部分に注がれると、その部分が腐り落ちるかのような嫌悪感を覚え、胸がむかつき鳥肌が立った。


 こいつ……! どこまで下郎なのだ。それにもう試合は始まっているというのに、人を舐め腐るのにも程がある。


 私とて【グラディエーター】ランクとして恥じない実力は身に着けているという自負がある。女だからという理由で相手を舐め切った態度を取るなら、それが原因で足元を掬われるのだと教えてやる! 後悔した時にはもう手遅れだ!


 激情を力に変えて、こちらから攻勢に出る。


「ふっ!!」


 奴がいつ反撃してきてもいいように油断なく盾を構えながら、剣を引き絞り突進する。奴の武器は槍だ。突くにせよ薙ぎ払うにせよ、予備動作が大きくなりがちでかつ軌道も複雑ではない。上手くタイミングを見極めて盾を当てる事が出来れば、隙を作る事も出来るはずだ。



 ――その瞬間、風を感じた。



「え…………きゃあああっ!!」



 そして盾に恐ろしい程の衝撃が加わり、何が起きたのかも解らない内に私の身体は遥か後方に吹き飛ばされていた。


 一瞬の空中遊泳を体験した後――


「ぎゃうっ!!」


 背中から勢いよく地面に叩きつけられていた。最初に吹っ飛ばされた時の衝撃が凄すぎて受け身を取る事さえ出来なかった。


「ぐ……あ……」


 地面に叩きつけられた衝撃で身体が痺れる。一体……何が起きた? 頭だけを起こすと、霞む視界の先にラウロが十文字槍を突き出した姿勢でいるのが見えた。


 まさか……先の衝撃はラウロの一撃によるものだったのか? 油断なく構えていたというのに、その一撃を私は殆ど認識さえ出来なかった。その事実に戦慄した。



「ふへへ……いい眺めだぜ。その辺の女じゃ味わえん体験だな」

「……!」



 ラウロは無様に地面に伸びる私の姿にまた下卑た視線を這わせながら、ニヤニヤと笑い顎を擦る。激しい屈辱と汚辱を感じたが、身体の痺れから中々起き上がる事が出来なかった。


「ほれほれ、頑張れ頑張れ。待っててやるから、もっと大胆に身体をくねらせていいぞ?」


「く……そ……!」


 起き上がろうともがく私の奮闘を見物しながら、ラウロが嘲笑う。四苦八苦の末どうにか立ち上がる事に成功した私だが、足がガクガクとふらついているのを自覚していた。たった一撃。しかも盾の上からだというのにコレだ。


 しかもラウロは私が倒れている間一切追撃してこなかった。追撃されていたらその瞬間終わっていただろう。遊ばれている事を実感して唇を噛み締める。


「ほぉーぅ、よく立ったなぁ? それで? その後はどうするんだ?」

「くっ……」


 剣と大きく凹んだ盾を握り締めて歯噛みする。油断しているようでラウロには全く隙が無い。どこからどのように攻めたとしても、またあの神速の槍の餌食になるだけだろう。


 手を出しあぐねて踏み込めない私の姿に、ラウロの口の端が吊り上がる。


「何だ、来ねぇのか? じゃあ仕方ない。……こっちから行くか」

「……ッ!」


 私が身構えた時にはラウロがゾッとするような速さで踏み込んできた。その巨体と速度が生み出す迫力は尋常ではなく、私の足は地面に縫い付けられたように動かなくなった。私に出来たのは防衛本能から盾を身体の前に翳す事だけで――



「――ああぁぁぁっ!!」



 再び身体がバラバラに引き裂かれるかのような衝撃が私を襲い、私は無様な悲鳴を上げてまた吹っ飛ばされた。


「がはっ……! う、うぅ……」


 再び肺から全ての空気を絞り出される感触を味わい、私は地面に転がった。


「へ、へ……おら、今度は時間制限・・・・ありだぜ?」

「……ッ!?」


 ラウロが槍を振りかぶった姿勢でゆっくりと歩いてくる。


「俺がそこに着く前に立てなかったら……解ってるな?」

「……!」


 つまりは死、もしくは……


「くぅ……!」


 大いに焦った私は、痺れる身体と揺れる視界に鞭打って必死に立ち上がる。



「ふぅ……! ふぅ……! はぁ……!!」



 何とか立ち上がったが、脚の引き攣りは先程よりも大きくなっていた。ダメージと疲労は深刻だ。だというのに目の前には既にラウロの巨体が――


「おー、良く出来ました。んじゃ、ご褒美だ」

「……ぁっ!!」


 巨大な十文字槍が横薙ぎに振るわれた。私は必死の思いで身を屈めると、奇跡的にこの薙ぎ払いを回避する事が出来た。千載一遇のチャンスだ!


 私は身を屈めたままの姿勢でラウロに向かって飛び出した。奴は槍を薙ぎ払った直後なので引き戻すのは間に合わない。その前に私の剣が――


「――ッ!?」


 ラウロの脚が消えた、と思った瞬間には、腹に途轍もなく重い衝撃を感じて私は身体を前に折り曲げたような姿勢で、三度吹き飛ばされていた。そのまま今度はうつ伏せに倒れ込む。


「がは……げふぅ……!!」


 腹の中を小さな悪魔が暴れまわっているかのような苦痛と衝撃に私はえずき、嘔吐していた。そこでようやくラウロの前蹴りが私の腹にヒットしたのだと理解できた。


「あらら……吐いちまったか。たく、無駄に躱して抵抗しやがるから……。ま、血まみれの女を犯すよりはいいか」


 ラウロが忌々し気に愚痴を言っている。そこに『対戦相手』を負かしたという感情は無い。奴にとってこれはただの『娯楽』なのだと思い知らされた。その事実が私の心を打ちのめした。


「う……うぅぅ……!」


 私は苦痛だけでなく、屈辱と悔しさの為に涙を零した。全く歯が立たない……。文字通り子供扱い。年端も行かぬ幼児が成人男性に一生懸命挑みかかっているようなものだ。


 数多くの地獄の試合を潜り抜け、弛まぬ鍛錬を重ね続けてきた……。しかしそれはこの卑劣な野獣相手に何ら意味は無く、容易く蹂躙される程度のものでしかなかったのだ。


「お? 何だ、もう折れちまった・・・・・・のか? ま、所詮は女って事だな。ちっと詰まらんが、それじゃもう一つの・・・・・楽しみと行きましょうかね?」


「……ッ!!」


 もう一つの楽しみ……。それが何を意味するかは嫌という程解っている。本能的な恐怖から身を遠ざけようとするが、身体を苛む苦痛がその動きを鈍くする。


「へへへ、おら! 逃げんなよ!?」

「あぅ……!」


 ラウロが素早く私の剣を遠くに蹴り飛ばし、私の身体を押さえつけてその上に圧し掛かってくる。私の脳裏にオークやゴルロフに同じように圧し掛かられた時の記憶が過る。


 ラウロは恐怖に硬直した私の手を軽々と押さえつけ、股を割り開く。これから何が起きるのかを期待・・して、観客達が一斉に興奮した雄叫びを上げる。中には悲鳴を上げている観客達もいるようだったが、興奮の叫びに比べるとその数は少なかった。


 主賓席では今頃クリームヒルトが勝ち誇ったような目で、私の苦境を嘲笑っている事だろう。私の目から新たな涙が溢れてくる。


「あ……あぁ……お、お願い……やめて……」


 気付くとそんな懇願が漏れていた。剣闘士としてこれまで戦ってきた誇りが全て無に帰す、弱く無力な女の懇願だ。そして勿論それでやめてくれるような紳士的な相手ではない。むしろ増々獣を興奮させただけであった。


「く、へへ……いいねぇ、その顔! その声! 完全に勃っちまったぜ。前戯なんてかったりぃモンは無しだ。一気にぶち込んでやるぜ」


 興奮に顔を赤くしたラウロがいよいよ腰のベルトに手を掛ける。



「あ……い、いやぁ……。た、助けて……助けてぇ……サイラス!!」



 絶望の余り真っ暗になる視界の中に、目の前の卑しい野獣ではなく、愛しい恋人の顔が浮かび上がる。


「ははは! 助けなんか来る訳ねぇだろ! お前は今から俺に犯られるんだよ! だが安心しな。終わったら・・・・・すぐに殺してやるから、何も感じる事無くあの世に旅立てるぜ?」


「い、いやあぁぁぁぁぁっ!!!」


 自分の口から絶望の悲鳴が迸る。それを聞いた野獣の哄笑。そして観客達の歓声。


 私は最早これまでと自分の舌を噛み切ろうとした。シグルドの呪いは既に解かれている。自殺する事は可能なはずだった。こんなケダモノの思い通りになるくらいなら……!



 私がそう決意した瞬間だった。




 ダンッ!!! と軽やかな音を立てて、アリーナと観客席を隔てる壁の上から一つの影が舞った。




「あっ……!!」


 そう叫んだのは誰だったか。観客達が唖然としている間にアリーナに降り立った影は、まるで疾風と見紛う速さで私達のいる場所まで到達。私に圧し掛かっているラウロに対して、抜き身で持っていた長剣・・を薙ぎ払った!


「うおぉっ!?」


 私との『戦い』では常に余裕綽々だったラウロが本気で焦ったような声と共に、慌てて私の上から飛び退く。


「え……あ……?」


「ふぅ……間一髪だったな。自殺なんてさせないよ、カサンドラ。言っただろう? 私を信じてくれ、と」


「あ……サ、サイラス・・・・……?」


 幻を見ているのかと思った。しかしラウロが飛び退いた以上、断じて幻ではなかった。私とラウロの間に立って、私を庇うように立ちはだかるその人物は、紛れもなく私が無意識に助けを求めた愛しい恋人、【烈風剣】のサイラス・マクドゥーガルその人であった!!

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