第50話 おぞましき本性

 『昇格試合』は、サイラス達3人の負傷も考慮して二週間後と決まった。といっても私のやる事は変わらない。事前にサイラスに言われていた通り、ただひたすらに戦いの勘を取り戻すための実戦訓練に時を費やした。


 その間サイラスは、自身の怪我を押して何やら忙しく奔走している様子で、私の所には一度も訪れなかった。しかし私は彼を信じているので特に何かを疑う事もしない。私は今、私に出来る事を精一杯やるまでだ。


 ただサイラスの代わりという訳でもないだろうが、一度だけジェラールが私の元を訪ねてきた。彼以外の【グラディエーター】闘士達やデービス兄弟などは、私の戦闘訓練に何だかんだと付き合ってくれていたが、ジェラールだけは今まで一度も訪れる事は無かったので少し意外だった。




「ジェラール……あの会食以来ですね。顔を見せてくれて嬉しく思います。今日はどうされたのですか?」


「…………」


 私が挨拶しても、ジェラールは何も言わずに私の顔を見てくるだけだった。


「ジェラール?」


「……昨日、サイラスの奴が俺の家に訪ねてきて、とある計画・・・・・を打ち明けられた」


「……え?」


 とある計画? それは時期的に言っても、以前にサイラスが仄めかしていた『計画』の事だろうか。 だが何故ジェラールに?


「俺だけではない。あの会食に参加した連中を始め、お前と関わりのある者達の元を軒並み回っているようだ」


 疑問が顔に出ていたのか、そんな風に補足してくるジェラール。しかし私はそれを聞いて増々訳が分からなくなる。最近サイラスが忙しくしているのはその為か? ジェラールだけでなく、他の闘士達の元にまで……


「……気にはなるだろうが、サイラスがまだお前に打ち明けていないなら、俺の口から明かす訳には行かん」


「…………」


「だがこれだけは言える。お前は間違いなくサイラスに愛されている」


「……!」


「今あいつが自身の傷を押して駆けずり回っているのは、全てその『計画』の下準備・・・の為だ。即ちお前の命を救う為のな……」



 そこでジェラールは再び私の顔を……目をじっと見つめてきた。



「ジェ、ジェラール……?」


「俺は正直迷っている……。だから今日ここに来たのは、その判断・・・・を下す為だ」


「…………」


「カサンドラよ……。お前はどうなんだ? お前はサイラスの事をどう思っている?」


「……え?」


「お前が祖国を滅ぼしたシグルドへの復讐の為に玉砕覚悟で戦っていた事は知っている。そして……今はその決意が揺らぎ、死を恐れているという事もな」


「……ッ!」


「別にそれ自体はいい。それは人間として当然の感情だ。だが……もしその為に・・・・サイラスの好意に付け込み、自分が生き延びる為の都合の良い駒として利用している……。そんな感情が無いと言い切れるのか? 奴の好意を一方的に受け取るのが当然……言い換えれば奉仕・・されて当然と思ってはいないか?」


「な……!」


 私は一瞬何を言われたのか解らず唖然としたが、意味が理解できるにつれて猛烈な怒りが沸き上がってきた。


「何を馬鹿な……! 私もサイラスを愛しています! そして一度だって彼の好意を『奉仕』だなどと思った事はありません! いつか必ずこの恩に報いる……そう常に心に誓っています!」


 私の怒りの感情を受けても、ジェラールは冷徹な表情を崩さず、視線も逸らさなかった。


「では、例え何があってもサイラスを信じ、奴を愛し続けると誓えるか?」


「誓えますっ!」


 私は間髪を入れず怒鳴るように答えていた。そして激情のままにジェラールを睨み付ける。ジェラールもまた私の中に偽りの心がないか見透かそうとするように私をねめつけてくる。


 睨み合っていた時間は、実際には5秒程度だったろうか。やがてジェラールがふっと肩の力を抜いて視線を外した。


「ふ……なるほど。お前の心は良く解った。ならば俺の判断も付いた。……この俺もお前達に協力する事を約束してやる。感謝するがいい」


「え……あ、ありがとう、ございます……?」


 私は訳が解らないままに、呆けたような声を上げてしまった。何が彼をそう決断させたのだろう。だがジェラールは多くを語る事無く、薄く笑いながら話題を変えてしまった。


「さて……俺の用事はここまでだが、折角来たんだ。俺もお前の鍛錬とやらに付き合ってやろう。他の奴等は皆やっているようだしな」


「あ……は、はい……。そういう事であれば……お願いします」


 最初にも言っていたが、私から聞いても恐らく彼は詳細な話はしてくれないだろう。私も今改めてサイラスを信じると誓った事もあり、それ以上追及する事は無く気持ちを切り替えた。


 私が今自分とサイラスの為に出来る事は、とにかく鍛錬を積む事だけだ。そう思いながら、私は訓練場でジェラール相手にその日も実戦訓練を開始するのだった……



****



 そして……いよいよその日・・・がやってきた。


 いつもの露出度の高い試合用の『鎧』に身を包み、剣と盾を持った私は、実に約2か月ぶりとなるアリーナへの通路を歩いていた。


 恐怖や緊張が無いと言えば嘘になる。しかし今の私に出来る事はサイラスの『計画』を信じて、ただ生き延びる事に全力を尽くす事だけだ。


 しかしアリーナへ向かう私の前に複数の人影が立ち塞がる。それは……



「うふふふ……遂にこの時が来たわね、雌豚? 私も随分辛抱強くなったものだわ」


「……!」


 何人かの衛兵を引き連れたクリームヒルトであった。


「くふふ、そんな下品な格好で、下種な男達の目を楽しませて……。場末の酒場の給仕女と何も変わる所がないじゃないの!」


「…………」


 私は愚かな女の愚かな繰り言には一切耳を貸さずに、その脇を通り過ぎようとする。今はこんな下らない人間に呵々ずらっている余裕は無い。


「……ッ! この……雌豚が! どうあがいたってお前の死は避けられないのよ! 泣き叫びなさい! 私に泣いて赦しを乞いなさい!」


 私は無視してひたすら進み続ける。後ろから馬鹿女の金切り声が響いてくる。


「そんな取りすましていられるのも今の内よ……! 試合に無様に負けたお前が、恐怖に目を見開きながら処刑される様を笑いながら見下してやるわ! 精々無様に踊る事ね……!」


 小物の虚言など、今の私の心にさざなみ一つ起こす事はなかった。容姿だけが取り柄の低能な女が、ヒールの高い靴で石床に地団太踏む耳障りな音を背にして通路を通り抜け、アリーナの門の前へと辿り着いた。 



 ふぅ……と、一息吐く。いよいよ、ここからが本番・・だ。


 サイラス達が何を目論んでいるのかは、結局今まで明かされる事は無かった。だが構わない。私はとにかく目の前の試合を生き延びる事に全力を尽くすまでだ。後はサイラスを信じるだけだ。




『さあさあさあ、お集りの紳士淑女の皆様!! 大変長らくお待たせいたしました! 今日は歴史に残る一戦になるに違いないぞ!? それでは選手入場です! 赤の門からは、あの地獄のロイヤルランブルより約2か月ぶりの試合復帰! 皆が待ち望んでいた『あの』奇跡の女戦士が再び帰ってきたぁ!! 絶壁なる高さを誇る壁を乗り越え、無事に昇格を果たす事が出来るのか!? 【隷姫】カサンドラ・エレシエルだぁぁぁぁぁっ!!!』



 ――ワアァァァァァァァッ!!!!



 大歓声と共に私の目の前の門がゆっくりと開いていく。私は大きく息を吐くと、意を決してアリーナへと歩み出た。


 私の姿を認めて更に大きくなる歓声。2か月ぶりという事もあって、好色な視線に肌が粟立つのを感じる。しかしそんな事で怯んではいられない。


 我慢しながらアリーナの中央に進み出ていく。主賓席を見上げると、今日はシグルドの姿があった。そしてその隣で私を憎々し気に睨み付けている女の姿も。どうやらあの後急いで主賓席まで駆け戻ったらしい。全くご苦労な事だ。



 さあ、次はいよいよ対戦相手の登場だ。


 誰だろう? ラウロか? ハオランか? それとも……よもやサイラス自身だろうか……? サイラスと本気で戦わねばならないという事を考えただけで胸に痛みが走る。


 彼は……試合となれば、容赦なく私を殺すのだろうか? サイラスの長剣が私の胸を刺し貫く光景が頭の中に過る。


「……ッ」


 私は頭を振った。馬鹿な事を考えるな。サイラスからはこの試合、勝つ事は考えずにとにかく生き延びる事だけを最優先するようにと言われている。


 他の事を考えて動揺していては、生き延びる事さえ難しくなる。私は再度気を引き締めた。



『さあ、そして青の門からは『昇格試合』の相手……今回の処刑人・・・の登場だっ!! 剛勇無槍! あらゆる相手を貫く炎の槍を前に、カサンドラは果たして生き延びる事が出来るのか!? 【豪炎槍】のラウロ・メンドゥーサだぁぁぁぁぁっ!!!』



 再びの大歓声と共に姿を現したのは……2メートルある褐色の巨躯を重装鎧で包み、その肩には巨大な十文字槍を担いだ猛々しき戦士、ラウロであった。


 私はそんな場合ではないと知りつつ、ホッと安堵の息を吐いてしまった。サイラスでは無かった……。それだけでも私の心理的な負担は段違いであった。


 だが……それと生き延びられるかどうかとは全く別の話だ。私の脳裏に、先日の特別試合でのラウロの化け物じみた身体能力と槍捌きが思い浮かんでいた。


 あれが、今度は私一人に向けられるのだ。そしてそれを生き延びなければならない……。ゴクッと喉が鳴る。



「へへへ……まさか、あんたがここまで勝ち上がってくるなんて、想像すらしてなかったぜ。だがお陰で俺は、滅多に味わえない楽しい時間・・・・・を過ごす事が出来る」



 中央まで歩み寄ってきたラウロは、私を見下ろしながら話しかけてくる。その台詞に顔を見上げた私は目を瞠った。


 ラウロの浅黒い野性的な顔は、残忍な喜悦に歪んでいたのだ。


「へ、へ……あのサイラスの家での特訓時、何度我慢しきれずに殺しちまおうと思ったか数えきれねぇくらいだったぜ。あそこで我慢しといて良かったぜ。この晴れの舞台で……散々に甚振いたぶってから犯しぬいて殺してやるよ。あの皇女様の覚えも目出度くなって一石二鳥って奴だなぁ? サイラスやハオランの奴でもなく、俺にこの機会を与えてくれた事に感謝感激だぜ」


「……ッ!」


 私は全身、肌が総毛立った。明らかに本心から言っている。これが……この男の本性か! サイラスの家での特訓の時、殺されかけたと思ったのは私の気のせいでは無かったのだ!


 陽気で磊落な仮面に隠された、残忍な剣闘士の本性……

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