第三章 死線の先へ
第32話 【グラディエーター】変幻自在
数日後、臨時の『休館日』を挟んだ翌日に、私の【グラディエーター】となって初試合の日がやってきた。
私に考える時間を与える為か、あれからサイラスが私の元を訪れる事はなく、実際考える時間は充分にあった。そして私の結論は…………まだ出ていなかった。
だって仕方がない事ではないか。シグルドへの復讐は私にとって命題とも言える宿業。しかしサイラスに対する想いもまた本物なのだ。どちらかを選ぶ事など……私には出来ない。出来ないのだ。
『紳士淑女の皆様! お持たせ致しました! 今日は【グラディエーター】へと昇格した新進気鋭の女剣闘士の試合を観戦できる特別な日だ!
――ワアアアァァァァァァァァァッ!!!!!
私がアリーナに進み出ると、先のシグルドの試合ほどではないが、それでも凄まじい熱狂。以前は怒号だったり、好色混じりの卑猥な歓声が殆どを占めていた。勿論今でもそれらは存在する。だが着実に、純粋に私の試合に熱狂する――サイラス曰く、私のファン――観客の割合が増えてきていた。
先程のアナウンスの内容もこそばゆい事ながら、随分私に対して好意的な内容になっていた。
――私を取り巻く環境が変化しつつあった。それはサイラスに限った事ではなかった。
自分が徐々にこの都市に受け入れられつつある――言い換えれば、染まりつつある……。その変化を実感しない訳には行かなかった。
ここが私の新しい居場所……。その思いが日に日に増してきているのだ。
『さあ、続きましては
青の門より【流星】のヨーン・アグレルだぁぁぁっ!!!』
再びの大歓声と共に向かいの門から1人の男が現れる。茶色い短髪の30前後くらいの男だ。引き締まった体躯を革鎧に包んでいるが、何より注目すべきはその手に持つ武器だろう。
私の頭よりも大きい二つの鉄の塊……。それが長い鎖で連結されている。鎖は畳まれているので目測は難しいが2、3メートルくらいの長さはありそうだった。
以前にマティアスの講義で聞いた事のある武器だ。恐らくその異名の元になったと思われる、流星錘という武器だったはず。使いこなすのが難しすぎて普及する事は無かったが、一度熟練の域に到達すればその変幻自在の特性によって、どんな武器をも上回るポテンシャルを秘めているのだという。
【グラディエーター】ランクを維持している、そしてその【流星】という異名からしても、間違いなく目の前の男――ヨーンは、熟練の域に達していると見ていいだろう。
「……先の昇格試合は見事だった。女の相手は初めてだが……手加減は一切なしだ」
私の前まで進み出てきたヨーンが口を開く。寡黙な性格のようだ。
「あら、いいのかしら? 負けた時の言い訳が出来ないわよ、タフガイさん?」
試合前の儀式のような物だ。私は敢えて挑発的な口調で返す。ヨーンが微苦笑するように口の端を吊り上げる。
「ふ……要らぬ心配だ」
『さあ、それでは両者、指定の位置へ! 準備は良いか!? 【特別試合】……始めぇぇぇぇっ!!!』
開始の合図と同時に私は地面を蹴った。基本的に「後の先」を取るスタイルの私だが、このヨーン相手に「受け」に回るのは危険すぎると直感が告げていた。攻撃こそ最大の防御だ。
流星錘はどう見ても近接向きではない。逆に私の剣と小盾は接近戦でこそ、その真価を発揮する。ならばとにかく距離を詰めて奴に攻撃の暇を与えない事……それが最良の戦術だ。
「ふ……!」
だが勿論ヨーンの方も私がそう来る事は予期していたはずだ。というより他に戦術の取りようがないというのが正解だが。
私はヨーンが後方へ飛び退って距離を取ろうとすると予想して更なる加速に備えていたのだが、奴は何とその場で二つの錘を垂らしたまま、一歩も動かずにコマのようにその場で身体を高速旋回させた!
「な……!?」
ヨーンは鎖の中央の部分を折りたたんで遊びを無くしていたので、二つの重錘はヨーンの旋回に合わせて即座に加速し、猛烈な勢いで横殴りに私に襲い掛かってきた。
彼が後退すると予測して飛び出しかけていた私の身体はすぐには制動できない。
(まずっ……!)
咄嗟に盾を掲げて迫りくる重錘をガードした。……ガードしてしまった。他に方法が無かったとはいえ、盾越しに凄まじい衝撃を感じるのと私の後悔はほぼ同時だった。
「……ッぅ!!」
腕だけでなく身体全体が痺れるような衝撃と共に、私はガードした姿勢のまま大きく弾き飛ばされて地面に転がった。開始早々、観客席が総立ちになる。
「むんっ!」
ヨーンは身体の回転を止めると、視界の揺れなど全く感じていないかのように、卓越したバランス感覚で正確に倒れている私目掛けて、伸ばした重錘の一方を縦方向に旋回させつつ真上から叩きつけてきた。
「――!!」
考えるより前に生存本能から身体を横に転がせる。その直後に地面を打つ音と衝撃が伝播する。仰向けで顔を横に向けてゾッとした。さっきまで私の頭があった場所を重錘が打ち砕いていた。あんな物を喰らったら、私の頭は熟した果実を地面に落とした時のようになっていた事だろう。
慌てて身を起こそうとするが、その時にはヨーンがスイングさせたもう一方の重錘が恐ろしい勢いで、地面スレスレの軌道で私に迫っていた。
「くぅ……!」
またしても本能的な回避を強要される。半分身体を起こした姿勢のままで地面を蹴り出すようにして、強引に後方へ向かって飛び退る。そしてやはり間一髪のタイミングで、重錘が一瞬前まで私の身体があった場所を、唸りを上げて薙いで行った。
これで完全に距離を離されてしまった。私は痺れの残る身体に鞭打って立ち上がり剣と盾を構えるが、頬を冷や汗が伝うのを止められない。
この距離は相手の間合いだ。私には攻撃する手段がない。距離を詰めたいが、
あの巨大な二つの重錘が
ヨーンが流星錘を縦横無尽に振り回していた。先端の重錘が肉眼で見えない程に高速で振り回していながら、その長い鎖は一切絡まったりせずに、まるでヨーンの身体の一部であるかのように自在に蠢動していた。
単純に円盤のような軌道で回転させているならまだ見極めも出来るが、ヨーンは一見不規則に前後左右見境なく振り回している。彼を中心に重錘による一種の『フィールド』が形成されていた。
あの『フィールド』の中に割って入るのは自殺行為以外の何物でもない。その事実が私の足を縫い止めたのだ。結果……相手の間合いでその攻撃の「受け」に回る羽目になった。私が最も避けたかった最悪の状況だ。
「ふっ!!」
ヨーンの気合と共に、『フィールド』の中から突如一方の重錘が真っ直ぐ私に向かって飛んできた。
「……!」
タイミングが読みづらいものの、直線的な軌道であれば躱すのはそこまで難しくない。飛んできた重錘を身を捻るようにして躱す……が、その直後に重錘が恐ろしい勢いで引き戻され、今度はもう一方の重錘が私の足元を狙って楕円を描く軌道で迫る。
「く……!」
飛び退って躱す。そこへ間髪を入れずもう一方の重錘が再び、横殴りに迫って来る。が、その半径は随分大きい。このままだと重錘は私のいる位置よりずっと後ろを通過する事になる……と、そこで気付いた。
重錘は
「……ッ!」
気付いた時にはもう遅かった。屈み込む間もなく、鎖の部分が咄嗟に掲げた私の盾と接触する。それ自体は大した衝撃ではない。だが当然先端に巨大な重錘を備えた鎖は、盾に接触した瞬間に
「がふっ……!!」
重錘は
衝撃に押されるようにお腹からうつ伏せに地面に倒れ込むと、観客席が再び総立ちに沸く。
アナウンスが言っていた、回避や防御を無効化する変幻自在の攻めという言葉が思い出された。重錘だけではない。それを連結する鎖の部分にも警戒しなくてはならない。
痛みと衝撃でえずくが、当然ヨーンは追撃を待ってはくれない。私は苦痛を堪えて強引に横に転がるようにして身体を起こす。同時にさっきまで私が倒れていた場所に重錘の一撃が叩きつけられていた。
「ぬぅ……!」
ヨーンが唸りながら引き戻した重錘を振り回す。飛び込もうとしていた私は再び足を止めざるを得ない。あれだ。あの重錘を何とかしない限りヨーンに近付く事さえ出来ずに、一方的に攻撃を受け続ける事になる。
考えろ。流星錘は厄介な武器だが決して無敵な訳では無い。もし無敵ならヨーンは今頃【ヒーロー】どころか【チャンピオン】にすらなっていただろう。
【ヒーロー】の壁を越えられない理由があるはずなのだ。思い出せ。マティアスは流星錘が普及しなかった理由を、取り扱いの難しさの他にも何か言ってなかったか?
私が必死に記憶を手繰り寄せている間にも、ヨーンの新たな攻撃が飛んでくる。打つ手が見い出せずに更に後方に飛び退って回避する。
悔しいが一旦距離を取って対策を立てねばならない。そう思って距離を離すと、図らずも周囲を俯瞰出来る状態となった。そして、そこで初めて
あちこちに流星錘が暴れまわった破壊跡が散らばっていた。倒れた私に対する追撃で重錘を上から叩きつけた時に出来た破壊跡……。その位置関係を見て気付いた。
――ヨーンは試合開始からほぼ一歩も
「――――!!」
それを見て取った瞬間まるで天啓のように、マティアスが言っていた流星錘の弱点を思い出した。
私は地面を蹴って猛然と走り出した。ただしヨーンに向かってではない。ヨーンと一定の距離を保ちつつ、その背後に円を描くような軌道で回り込む。
「……!」
私の意図を悟ったヨーンの顔が歪む。慌てて方向転換しようとするが、長い鎖で重錘を振り回しながらの方向転換は容易ではない。
それでもそこは【グラディエーター】ランクの剣闘士。振り回しの勢いを緩める事無く器用に後ろに向きを変えるが、その時には既に私はその又背後……つまり私が元いた位置に再び回り込んでいた。
「ちぃ……!」
ヨーンは舌打ちしながらも、私の姿を見失うまいと必死に方向転換を繰り返す。
流星錘の弱点。一つは勿論障害物の多い狭い場所では使えないという事。そしてもう一つ……
狭い場所が駄目なら、このアリーナのように広い場所なら良いかと言うと、確かに流星錘を思う存分振り回せるが、相手もその広さを有効利用して縦横無尽に動き回られると途端に捕捉する事が困難になってしまうのだ。
剣や槍など取り回しの軽い武器なら簡単に捕捉できる相手も、重錘を振り回しながらではそうも行かない。かといって振り回しを止めれば、それは流星錘の絶対的な利点も殺す事になってしまう。
あちらを立てればこちらが立たず。結果流星錘という武器は、本当に一部のマニアックな武器愛好家しか使う者もおらずに廃れてしまったのだ。
勿論ヨーンも自身が扱う武器の弱点は熟知しているだろう。それに対する訓練も重ねている事が、その
だがそれが限界だ。格下相手なら充分なその身のこなしも、同格の剣闘士相手では分が悪い。
私もヨーンを攪乱する為に走り回る事になるが、幸い私の鎧は
これがもっとダメージが蓄積してからでは走り回る事さえ辛かっただろうが、そうなる前に敵の弱点に気付けた事が明暗を分けた。
「ぬうぅぅぅ!」
私の姿を追いきれなくなったヨーンが苛立たし気に唸りながら、遂に鎖の動きを止め、重錘を振り回すのを中断した。
勿論その危険性は充分に承知しているだろう。ほんの一瞬。私の姿を捉え、逃げられないような有利な位置取りを終えたら、即座に再び『フィールド』を形成するつもりだ。だが……
――その一瞬を待ち続けていた私にとっては、その「ほんの一瞬」で充分であった。
(今っ!!)
それまで円を描くように走行していた足を、90度向きを変えて一直線にヨーン目掛けて肉薄する。
「……!」
丁度その時ヨーンの真後ろの位置を取っていた事も、彼の反応を遅らせる要因となった。ヨーンが私の気配を察知して振り向いた時には既に……私の間合いだ!
慌てて後ろに飛び退ろうとするヨーンだが、当然それを許す気はない。切っ先が地面に掠る程の位置から、斜め上に向かって一直線に斬り上げる!
「……っぉ!」
ヨーンの革鎧を切り裂き、血がパッと噴き出る。ヨーンの顔が苦痛に歪む。飛び退ろうとしていた事が功を奏してか、今一つ入りが甘かったようだ。
そのまま強引に後方へ飛び退ったヨーンが重錘を振り回そうとするが、傷の為かその動きはぎこちない。私はヨーンに体勢を立て直す隙を与えずに、再度肉薄。
「っえぃっ!!」
気合一閃。今度は最初とは逆に上段から斜め下に向かって斬り下ろした。
「…………」
ヨーンの動きが止まる。一瞬の沈黙を経て、最初の傷と合わせて丁度X字に胴体を切り裂かれたヨーンが、ガクッとその場に崩れ落ちた。
勝負……あったっ!
――ワアアアァァァァァァァァッ!!
それまで息を詰めて見守っていた観客達から、堰を切ったような大歓声が湧き出る。私は激しく息を切らしながら主賓席を見上げる。
シグルドの判定は……横向き。ならば結論は決まっている。
私はゆっくりと剣を収めた。ヨーンが唖然として見上げてくる。
「……本気か? 俺はお前を殺そうとしていたんだぞ? 先の昇格試合でもそうだったが……それでは不公平だと思わないのか?」
「私は剣闘士であって殺人鬼じゃないわ。それだけは……私の譲れない一線なのよ」
「……!」
闘技場の空気に呑まれて、喜んで人を殺す……。そうなった時、私は完全に
トリッキーな武器を使いこなすヨーンは、そういった意味では人気の剣闘士なのだろう。剣を収めた私の姿に対するブーイングは思ったよりも少なかった。
今日もまた死闘を制した私は、形容しようのない昂揚感や充実感のような物に包まれながらアリーナを後にするのだった……
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