第31話 仮面の裏

 フォラビアで開かれていた『市』が終了し、行商に来ていた商人達は思い思いに過ごした後、また新たな商談や商売の為に三々五々と散っていく。


 次の『市』に備えて新しい商品の買い付けに奔走する者、掘り出し物を求めて田舎や未開拓の地に分け入っていく者。特定の拠点を持たずに行商をして旅する者……。目的は様々だ。


 彼――オーエンもまたそんな商人達に紛れるようにして・・・・・・・・、フォラビアを後にしていた。



(……しかし驚いたな。まさか本当にあのネックレス・・・・・・・が売れるなんて……。それに、ふっかけてもいいとは言われていたが、アレに金貨100枚ポンと出す奴がいた事にも驚きだ)



 オーエンは『市』の広場で、ケルピーのネックレスを売った美男美女のカップルを思い起こしていた。


 男の方はフォラビアの住民なら誰でも知っている有名人だ。たった3人しかいない【ヒーロー】ランクの剣闘士の1人にして『フォラビア四天王』の一角、【烈風剣】のサイラス・マクドゥーガルだ。まずこの有名人が彼女・・とまるで恋人同士のように歩いていた事自体が驚きであった。


 そして問題の『彼女』……。最近フォラビアにおいて急激に知名度を上げている、新進気鋭の剣闘士。【隷姫】カサンドラ・エレシエル。女の剣闘士というだけでもレア物だが、それに加えてあの絶世の美貌。更に亡国の王女という話題性……。


 それが男顔負けの強さで次々と勝ち進み、遂には上級剣闘士である【グラディエーター】にまで昇格してしまったというのだから堪らない。


 最近ではフォラビアのみならず周辺都市や帝都ガレノスにおいてさえ、市井の人々の間で話題に上る程になりつつあった。



 内通者・・・からの情報でカサンドラが『市』に出掛ける事を知ったオーエンは、兼ねてからとある人物・・・・・に「個人的に」頼まれていた依頼を果たす絶好の機会だと考え、『市』にあのケルピーのネックレスを展示して待っていたのだった。


 関係ない人間が興味を示す事もあったが、金貨200枚だと言ってやると全員すごすごと退散していった。そして件のカサンドラが姿を現し、あろうことか本当にあのネックレスに並みならぬ興味を示したのだ。


 そして彼女がそれに興味を持っている事を察して、金貨100枚を惜しげもなく支払ったサイラス……。



(ふーむ……。こいつぁ俺の勘だが……何やらちょっと、ドロドロしたモンを感じるな。あの御仁……兄妹・・だなんて言ってたが、本当にそれだけなのかねぇ……。へへ、ありのままを報告したらどんな反応するのか……それによって俺の勘が当たってるかどうかが解るな)



 若干下世話な想像を膨らませながら、オーエンは拠点・・へと帰りついていた。



****



 レイオット公国の公王の居城。その奥にある公王の執務室。そこでオーエンは、公王バージルともう1人の人物・・・・・・・に対して報告を行っていた。


「……以上が現在のフォラビアの様子です。シグルドの威光は流石って所で『市』も大盛況。街を巡回する衛兵隊の質もかなり高いようですね。腕利きの剣闘士達が集まる尚武の街っていう影響もあるようです」


 オーエンはレイオット公国に所属する密偵であった。元々ロマリオン、エレシエルの両国を中心に行商人として巡り歩き、各地の情報を収集し公王の元へ届ける任に就いていた。


 小国家にとっては特に両大国の最新の情報を一早く入手する事が生命線であったので、オーエンのような密偵は他にもおり、皆それぞれの得意分野で情報収集に励んでいた。恐らく他の小国家群にも似たような密偵は存在している事だろう。


 オーエンはその「表の顔」を利用し、今回は特にフォラビアを重点的に調査するようバージルに命じられ、『市』の開催に合わせて行商人として潜入していたのだ。



 報告を聞いたバージルが顎鬚を撫でながら唸る。


「ふぅむ……やはり正面からの急襲は厳しそうだな。大戦が終わった事で気が抜けて軍隊も緩んでいるかと期待したが、そう甘くはないか」


 もう1人の人物……フードと仮面で顔を隠したエレシエル王家の生き残り、『コーネリアス王子』が頷いた。


「ああ……他の都市では徐々に気の弛みや規律の乱れが出始めているようだが、フォラビアにはその気配もない。忌々しいが、そこは彼の言う通りシグルドの威光が大きいのであろうな」


 コーネリアスはかぶりを振る。


「だがそれは元々あれば儲け物という程度の話。一筋縄では行かぬ事は最初から織り込み済みだ」


「ふむ、確かにな。どの道、シグルドという最強の『個』が標的となると……」


「ああ、従来の国家同士、軍隊同士の戦略や戦術の類いは意味を為さん。だからこその搦手・・だ」


 そもそも実質的に大陸の支配者となっているロマリオン相手に、ただ小国家群が手を結んで挙兵したとしても、圧倒的な戦力差で叩き潰されて終わりだ。ましてやロマリオンにあのシグルドも加わっているとなれば、例えどのような戦術を用いたとしても小国家側に勝ち目は絶対に無い。


 そのようなまともな・・・・やり方では駄目なのだ。


「ふむ……お主がラストーンのアリウス殿下に任せている件か……。上手く行きそうなのか?」


「ああ、彼は彼でお抱えの密偵達を使って、上手く拡散・・させているようだ。もう間もなく結果が出る事だろう」


 それを聞いてバージルが嘆息した。


「全く……仮にも国家を背負う我等が、このような山賊紛い・・・・のやり方をせねばならぬとは嘆かわしい……。いや、お主の言う所の『搦手』であったな」


「国家を背負っているからこそだ。失敗もましてや敗北も絶対に許されんのだから。それに首尾よくシグルドを倒せたとして、その後のロマリオンへの対応を考えれば、これが最善手なのは間違いない」


「解っておる。だからこそこうして反対もせずに進めておるのではないか」


「ならば覚悟を決める事だ。どの道もう後戻りは出来ん。……シグルドの、そしてロマリオンの『泣き所・・・』を押さえる」


 そう宣言するコーネリアスの仮面から覗く双眸は、暗い情念の炎が燃えているかのようであった。



****



 『コーネリアス』が現在、私室として与えられている部屋。バージルの執務室から辞したコーネリアスとオーエンの2人は、この私室に場所を移していた。


「さて、オーエンよ。私の個人的な依頼の件で報告があるそうだな?」


「ええ、そりゃもう。ご依頼の件……完遂・・したとご報告差し上げますぜ」


「……! 完遂だと? それはつまり……」


 思わずといった風に椅子から身を乗り出すコーネリアス。これまで常に超然として冷静さを崩す事がなかった人物の明らかな動揺。オーエンは内心でほくそ笑んだ。


「ええ……ご依頼の品、確かにお渡し致しました」


「そ、それで……彼女・・は何か言っていたか? いや、どんな様子だった!?」


 オーエンの内心など知る由もないコーネリアスは、これまでの泰然さが嘘のように報告の続きをせっついた。


「私の見た所……彼女はあのネックレスを見て、目を見開いて非常に驚いていた風でしたね。それから何かを思い出すような感じで固まって、目に涙を浮かべていたようでした」


「……! そうか……そうなのだな……」


 それを聞いたコーネリアスは、詰めていた息を吐き出して椅子にもたれ掛かった。その声には隠しようもない安堵と……それに抑えきれない喜びの感情が僅かに漏れ出ているように、オーエンには感じられた。


 オーエンは内心で笑みを深くした。彼は長年密偵として働く中で、相手の声音からだけでもその内心の感情をある程度読み取れる術を身に着けていた。



(こりゃ、ひょっとするとひょっとするかな? ……さぁて、この報告の肝はここからですぜ、『お兄様』?)



「で、お預かりした・・・・・・ネックレスですが……金貨100枚でお買い上げになられました」


「な……!?」


 ギョッとした様子でオーエンを見やるコーネリアス。彼の期待通りの反応だ。


「金貨100枚だと!? 馬鹿な……彼女はあくまでシグルドの奴隷という立場のはず。あのシグルドが、彼女の為にそんな大金を出すはずがない! まさか……彼女を囲ってでもいるのか!?」


「いえいえ、お金を出したのはシグルドじゃありませんよ。彼女は……別の男性・・・・と一緒に、2人・・で『市』を回っていたんです。その男性が払ったんですよ」



「…………何だと?」



 その瞬間、室内の温度が僅かに下がったようにオーエンは錯覚した。



「……今のは私の聞き間違いか? 済まないがもう一回言ってもらえるか?」



 殺気すら伴うような圧力がオーエンに圧し掛かる。オーエンは背筋を寒くしながらも、自分の勘が当たっていた事をほぼ確信した。


「いえ……間違いではありません。その男性はフォラビアの【ヒーロー】ランクの剣闘士、サイラス・マクドゥーガル。剣技凄絶、眉目秀麗で女性人気の非常に高い剣闘士で、今までに抱いた女は星の数程とも噂される、そっち・・・の意味でも有名な――」



 ――バキッ!!



 鈍い音が鳴り響き、オーエンは報告を中断する。見ればコーネリアスが腰掛けていた椅子の、肘掛けの先端が折れていた。折れた先はコーネリアスの手の中にあった。


 肘掛けは木製のはずだが、一体瞬間的にどれ程の握力が発揮されたのか……


「……殿下?」


「……それで、その『サイラス』とかいう軟派男が、あのネックレスの代金を支払ったと……?」


 どうにか爆発しそうになる感情を抑え込んでいるという体のコーネリアスの様子に、オーエンは内心下世話な好奇心を隠しきれなかった。



(へへへ、こりゃ想像以上だな。お次はもっとデカいの行くぜ、『お兄様』?)


「ええ、大金貨10枚をポンッと……。そしたらサイラスはそのネックレスを彼女に着けさせて欲しいと願い出て、それを聞いた彼女が自分のうなじを露出させて、そこにサイラスが手ずからあのネックレスを彼女に着け――」




 ――ドガァンッ!!!




 物凄い音に、オーエンはビクッとして再び話を中断せざるを得なかった。


 コーネリアスがサイドテーブルに自分の拳を打ち付けていた。テーブルには縦に亀裂が走っていた。一体どれだけの力で殴ったというのか。


「で、殿下……」


「出ていけ……」

「え?」


「もう報告は充分だ! さっさと出ていけっ!!」


「うおっと!? 了解しました、退散致しますよ。またご贔屓に」


「失せろっ!」


 空の杯を投げつけられ、オーエンは慌てて部屋を辞した。



 依頼をこなしたというのに労いすらなく追い立てられたのは業腹だが、オーエンの方も自身の好奇心を満たす為に必要以上に煽った自覚があるのでそこはまあ良しとしておく。


(へへ、しかし……こりゃ、随分と面白い事になりそうだぜ。あんたも罪作りな女ですなぁ、カサンドラ王女殿下?)


 『連合軍』の中でバージルを除けば唯一、事の真相・・・・を見抜いたオーエンだが、勿論誰かに話すような真似はしない。戦争の行く末とはまた異なる……これは彼だけの楽しみであった。






「…………」


 部屋は酷い有様であった。彼が怒りに任せて暴れ狂った結果だ。だがそんな惨状が気にならないくらい、彼の心は荒れていた。



「カサンドラ……何故だ? 何故、はそんな男と……!」



 彼はゆっくりとフードを下ろし、仮面を外した。素顔を晒したその表情は、醜いとさえ言える隠しようもない嫉妬・・に歪んでいた。


「いや……駄目だ。駄目だ! あり得ない! そんな事があってはならない! 絶対にだっ!」


 ひとしきり激情を吐き散らした男は乱れた息を整えると、それまでの狂乱が嘘のようにスッと冷静な……見ようによっては冷酷とも取れる表情に変化した。



「ふふふ……カサンドラ。君はその男に騙されているんだ。ああ、可哀想なカサンドラ……。待っていてくれ。もう少しだ。もう少しで君をその下らない男の元から救い出してあげられる。そして私達2人でエレシエル王国を復興させよう。約束だ……」



 その双眸に更なる暗い情念を燃やした男は、荒れ果てた部屋の中で1人、いつまでも陰気に笑い続けるのであった…………

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