剣闘王女伝 ~全てを失った王女は、どん底から這い上がり英雄に復讐を誓う

ビジョン

序章 地獄への誘い

プロローグ 私の日常

 空はどんよりとした曇り空が続いている。日光が遮られる薄暗い天気と、じめついた高い湿度はそれだけで人々の心を暗くする要因となる。しかしその場所・・・・には、そんな陰鬱な空気を纏めて吹き飛ばしてしまうような異様な熱気が漂っていた。


 巨大な円形の建造物。中はすり鉢状で、中心部は平面であり、外側に行くに従って高くなっていく段差状になっていた。その段差の部分には、この熱気の原因となっている異常な興奮に包まれた人々の姿があった。


 彼等は……観客・・だ。これから中央の円形となった平面部分で行われる凄惨なショー・・・・・・を心待ちにしているのである。彼等の顔は皆一様に興奮と……そして残忍な悦びに彩られていた。勿論個人個人で細かな違いはあるが、少なくともから見れば、皆同じ一塊の悪趣味な群衆に過ぎなかった。



『お集まり頂きました紳士、淑女の皆様! 大変長らくお待たせしました! これより本日のメインイベントを開始します! 青の門から登場しますのは、この英雄都市フォラビアが生んだ奇跡、無敗の戦乙女、【隷姫】カサンドラ・エレシエルだぁーーー!!』



 ――ワアアァァァァァァッ!!



 この闘技場・・・中に響き渡るようなアナウンスで、の名前が呼ばれる。それと同時にまるで空気どころか地面すら振動するのではないかと錯覚するような大歓声が沸き起こる。どうやら時間のようだ。


 私は控室を出て、早鐘のように脈打つ心臓を自覚しながら少しでも気持ちを落ち着けようと深呼吸を繰り返しながら長めの廊下の先、『外』へと続く格子状になった門の前に立つ。いつまで経っても慣れる事はなさそうだ。それも当然だ。常に負ければ・・・・死、或いは死よりも悲惨な運命が待っている。慣れる事など出来るはずがない。


 格子状の門が上にスライドしていき、完全に開け放たれる。私は大きく息を吐くと意を決して『外』へと踏み出す。此処から先は生きるか死ぬかだ。



 ――ワアアァァァァァァッ!!



 私の姿を見た観客達が再び熱狂する。期待の視線、好色な視線、憧憬に満ちた視線、憎悪の視線……様々な視線が一斉に私を貫いた。


 命のやり取りには未だに慣れないが、幸いこういう視線を集める事には慣れた。円形になったアリーナの中央まで進み出る。私の視線の先は観客達ではなく、私が出てきたのと反対側にある赤い色で装飾された格子門に固定されている。正確にはその格子の向こう・・・にいるであろう人物にだ。


 私の試合では必ず私が先にアリーナに出される。先入りは無駄に精神的な緊張を強いられるのでたまには後入りにして欲しいのだが、主催者側にはあえなく却下された。



『さあ、続きましてはこの美しき戦乙女の相手を務める、処刑人・・・の登場だ! 赤の門からは2年前のノイマール戦役で敵対するガンドリオ軍の兵士を50人以上は斬り殺したと言われている【傭兵戦士】ロゲール・アイスラーだぁっ!!』



 ――ウオォォォォォッ!!



 私の時とは種類の異なる大歓声が上がる。赤い格子門が上にスライドし、奥から1人の男がのっそりと進み出てくる。傭兵戦士という異名が示す通り、身体の要所を覆う板金鎧と頭をすっぽりと包む兜。鎧の下には厚手の革のインナーを着込んでおり防御力はかなり高そうだ。


 全く、羨ましい・・・・限りだ。


 近付いてきて私の前に立った男――ロゲールは目算で2メートルくらいはありそうな大男だ。縦も横も大きい。体重も150キロはあるだろう。対して私の方はと言うと、身長は女性にしては高い方だと思うが、それでも170センチ丁度くらいだ。体重は……まあ想像に任せる。程良く鍛えられた均整の取れた身体とだけ言っておこう。


 つまり目の前の大男と比べたら、それこそ大人と子供くらいの体格差があるという事だ。加えて装備も違う。ロゲールの方は戦場でも使われる大剣と板金鎧兜で今すぐ戦場にでも行けそうな出で立ちだが、私の方は僅かに要所を覆うだけの面積の小さい金属鎧に、インナーを着用する事も許されず剥き出しの生肌を惜しげもなく晒している。更に兜を被る事も認められず、豊かな金髪を風に靡かせ素顔を晒している。


 使用する武器も右手のグラディウスと左手の小盾のみ。替える事は許されていないから対策も立て放題だ。


 余りにも不利な条件。そしてこれは……初めての事では無かった。アリーナの中央で向き合って私の姿を見下したロゲールが鼻で嗤うのが解った。


「ふん、何が【隷姫】だ。馬鹿馬鹿しい! どうせ今までは八百長だったんだろう? だが、残念だなぁ? 俺にはそんな八百長の誘いは無かった。つまりお前の『奇跡』とやらはここで打ち止めって訳だ」


 打ち止めかどうかはすぐに解る。そしてこの男は勘違いしているようだが、私の今までの「試合」に八百長などただの一度も無かった。そしてこのような事を言ってくる男もこいつが初めてでは無かった。


「お目出度いわね。八百長の誘いが無かったという事は、つまりあなたにはその必要も無かったからだって思わないのかしら?」


 私は痛烈な皮肉を返してやる。案の定兜の奥で男の感情が憤怒に染まるのが解った。


「このアマ、良い度胸だ……! 剣闘士は男の世界なんだよ! 女がしゃしゃり出てきやがって、すぐに後悔させてやるぜ!」


 「しゃしゃり出た」のは決して私の本意では無かったのだが、それを今言っても始まらないだろう。剣闘士が男の世界だというのは事実だからだ。私はこの大陸で唯一・・の女剣闘士。だからこそ、その希少価値に観衆は群がる。


 それは解っていたが、私はどうしても生き延びなければならなかった。ここで死ぬ事は出来ない。だからやる事はいつもと同じだ。即ち……生き延びる為に全力を尽くすのだ。




『両者、構え! …………特別試合、始めぇぇっ!!!』



 開幕の合図と同時にロゲールの大剣が唸りを上げて横殴りに迫る。戦場で活躍したというのは嘘ではないのだろう。威力・速度共に申し分ない。だが……


「ふっ!!」


 私は剣の軌道を先読みし、その剣先に盾を下から殴り付けるようにぶち当てる。どれ程の重量、膂力で振るわれた武器もその先端までには力は行き渡っていない。ただ慣性に従って動いているだけだ。冷静に見極めれば私の振るった小盾でも軌道をずらす事は可能だ。


 上にずれた剣の軌道の下を掻い潜ってロゲールに迫る。


「……!」

 まさか非力な女に攻撃を逸らされるとは思っていなかったロゲールがたたらを踏んだ。格好のチャンスだ。私は躊躇わずにグラディウスを突き出す。


「ちぃ……!」


 ロゲールは咄嗟に腕を上げてガードする。ロゲールの籠手が奴の喉元を狙った私の一撃を辛うじて逸らす。ロゲールが後方へ跳ぶ。今度は唐竹割りに大剣を振り下ろしてくるが、半身を逸らして躱す。


 身を躱しつつ牽制の斬撃を突き込む。ロゲールが更に距離を取ろうとするので、そうはさせじと密着していく。双方の武器から考えて距離を離すのは愚策だ。逆に密着の距離であればこちらが有利だ。


「くそがっ!」


 ロゲールが前蹴りを放って私を突き放そうとしてくる。だが私はその動きも読んでいた。大剣で両手が塞がった奴が咄嗟に繰り出せる攻撃は限られている。


「シュッ!!」

「ぎぇ!」


 蹴りつけてきた足をカウンター気味に剣で切り裂いてやると、ロゲールは情けない悲鳴を上げた。


「あら、どうしたの、タフガイさん? 八百長が無ければ私の奇跡は打ち止めじゃなかったのかしら?」


「こ、こ、このアマ……! 調子に乗りやがって。もう遊びは終わりだ! ぶっ殺してやるっ!」


 憤怒に燃えたぎったロゲールが大剣を水平に構えながら突っ込んでくる。だが足を負傷した事でその動きは精彩を欠いていた。


 私は慌てる事なく大きく身を屈めると、自分から前に飛び込んだ。まさか私が逃げずにむしろ飛び込んでくるとは予想していなかったらしく、ロゲールが一瞬硬直する。その一瞬で充分だった。


 奴の足元に飛び込んだ私は前転しつつ、すれ違いざまに軸足を斬り付けた。


「ぎゃああっ!」


 ロゲールが足を押さえて転げ回る。勝負は付いた。


「うう……! こ、こんな馬鹿な事が……!」


 呻くロゲールに近付く。すると……



「があぁぁぁぁっ!!」



 獣のような唸り声を上げてロゲールが大剣を振りかぶってくる。やられた振りをしてこちらが油断した所に襲いかかる姑息な作戦だ。だが……それも予測していた。


「ふっ!!」


 ロゲールの突き出してきた剣を躱しつつ、振り抜かれたその手を剣で斬り裂いた。


「ぎぃぃっ! い、痛えぇぇっ!!」


 今度こそ演技ではなく悶え苦しむロゲールに私は冷静に剣を突きつける。



「ひっ! お、おい、待て。最初に言った事は取り消す! お、俺が悪かったよ。た、頼む! 許してくれっ!」


 ロゲールが最初の勢いはどこへやら卑屈な声で命乞いをしてくる。立場が逆だったら、果たしてこの男は自分を助けただろうか。いや、きっと散々辱めを与えた上で、最後には殺していたに決まっている。


 私は観客を……そして主賓席にいるある男・・・の顔を見上げる。観客達も、そしてその男も立てた親指を下に向ける仕草をした。判定は下った。そして今の私はそれを覆す訳には行かないのだ。


「お、おい、やめ――」


 最後まで聞かずに私は迷いを断ち切るように、ロゲールの喉元に突きつけていた剣を一気に押し込む。肉を貫く感触。飛び散った血の一部が私の鎧やむき出しの肌に撥ねた。


 ロゲールの目が信じられない物を見るように見開かれ……そして色を失っていった。私が剣を引き抜くとその身体がドサッと横倒しになる。



『お、おおぉーー!! 決着、決着だぁっ!! 無敗の戦乙女、【隷姫】カサンドラ、常勝無敗の記録を更新だぁーー!! 皇女を殺害しかけた大罪人は、今日も「処刑」を免れたぁ!!』



 ――ワアアァァァァァァッ!!!



 観客の熱狂。流れる血と人が殺される様子に興奮する者、賭け金を失って怒号を上げる者、逆に賭けに勝って喜び浮かれる者、単純に私の勝利に歓声を上げる者……


 様々な感情が渦巻く阿鼻叫喚が一塊の音の渦となって、その場に響き渡っていた。これが今の私の日常。私の生きる場所。だが私は石に齧り付いてでも生き延びなければならなかった。



 私の視線が一点に向けられる。主賓席から私を傲慢に見下ろすその男……。


 このフォラビア大闘技場のオーナーにして【グランドチャンピオン】、泥沼の大戦を終わらせ大陸に平和と安定をもたらした救国の英雄、そして……私の家族と愛する人を理不尽に奪った男。



 【邪龍殺しドラゴンスレイヤー】シグルド・フォーゲルをこの手で殺すまでは……!



 その日、その瞬間を夢見て、今日も私はヤツに挑戦する権利を持つ【チャンピオン】に登り詰める為に戦い続けるのであった…………

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