魔王失格
この道がどんなに険しくとも、
私たちの旅が果てしなくても、
どうか不安にならないで。
私たちは出逢い、そして別れをくりかえし、
胸、熱くたぎらせ、
未来へと歩き出す。
これは最初の第一歩。
後にしてきた風をのみ思い出に変えて、
ときには見失っても、
あなたは探し続け、
また出逢い、やがて見つける。
それは愛よりも恋よりも、
深く根差した確かな心の旅路――。
「マオ、まって」
馬車の中で、イヴァンが声をかけた。
どこかでむせび泣くような声が聞こえる。
「風の音でしょう」
「いや、ちがうよ。風の音はかぜのおと。いっしょにきこえてくる、この声……かなしい、胸に痛い歌だ」
「痛い歌……?」
マオは苛立ちにざわつく胸をしっかと抑えた。
ふり返ってはならない。マオは苦笑い。今はそんな悠長なことをしている時ではない。
魔王は、昔の根城に住み着いたという魔王の情報を待っていた。
ラッドとパーチだけでは心もとない。が、火ネズミを使って都中を探っても、いい話は聞けそうにない。
もとより、魔王同士は戦わない。力の大きい方が力の弱い方を凌駕し、城を乗っ取る。……これはある程度予想できたことであり、城を開けてもぬけの殻にした、マオに責任があるのだ。
「聞こえてくる。きこえてくるよ……マオ、ばしゃをとめて!」
ほとんど悲鳴のごとき勇者の言葉に、マオは無表情で馬車を止めさせる。
「扉を、開けて」
かけがねを外すと、外から御者が開けてくれた。勇者イヴァンは裸足で駆けた。
あの丘で、誰かが泣いている。あの丘の上で、かなしい歌が、聞こえてくる!
イヴァンは走った。走って、そして。
「!」
そこには、土が大きくもられ、小さい背中が天へと向けて、歌を歌っていた。
「……」
イヴァンはかける言葉を知らなかった。
なんと、悲しそうな声。そんな声で歌うなんて……ああ、この娘は。大切なものを失って、悲しんでいる。たった独りで、こんな丘の上で。ああ。
「ボクはどうしたらいい?」
ふいにそう問うていた。
「……」
少女は振り返った。やわらかそうな金髪が揺れる。緑の目をした――真白な被毛の亜人。
「キミは、にんげん? それとも、まもの?」
尋ねると、少女はしくしくと、身も世もなく、しくしくと泣き始めた。
「魔物だったなら……こんなに悲しくはない。人間だったなら、だれも恨んだりしない……私のかあさんは、人間に殺されたんだ!」
「ふうん」
他に言葉も見つからないし、ただそのように答えたら、少女は一層激しく泣きじゃくり始めた。
「とにかく、ここはさむいから、ボクのおうちへおいでよ」
「いや! いやいや。いやよ! 人間なんて……人間なん、て……信じられない!」
この言葉にイヴァンの思考は止まった。どうすればいいのか、わからない。
「ひとは、ひとをころすものだよ。まものはまものを、ころすだろう? いきのびるために」
「そんなこと言ってえ! じゃ、じゃあ、亜人はどうしたらいいの? 生まれも貧しくて、わるいことなんてしてないのに。生きているだけなのに!」
イヴァンは丸く盛った土の山を見つめた。
「にんげんに、ころされたんだね? どうして、そんなことに……ボクがおやくにんにいってあげる」
だから、おいで。勇者は言葉を重ねる。
「いや!」
激しい拒絶だった。
耳は大きくとがり、瞳は瞳孔が開いていた。その涙さえなかったら、美しい、と形容してもさしつかえなかったろう。
近づくと、彼女の尾がぴしゃりと二人の間を隔てて、地面を打った。
「私は亜人だから、人間の汚いところも見てきた。さんざん。かあさんはそんな人間でも、一生懸命生きているのだからと許してきた。それがその挙句の果てよ!」
なんと牙まで剥いて言う。
「かあさんは殺された! 魔獣より汚いやりかたで! そうよ。私、仇をうってやる。いつか、必ず……」
「いつかって、いつ?」
ふっと、口にした言葉に、少女が泣きやむ。イヴァンは一歩、彼女に近づいた。
「いま、やらないと。そんなことしたって――なんになる。やったりやりかえされたり、きりがないじゃないかって、かんがえて、かんがえて、キミはそのやいばをおろすだろう。だから、いまなんだよ!」
じり、と少女がうつむきながら、後ずさった。勇者はまた一歩、近づく。その心に迫るように。
「キミのその、おもいを、ボクに、くれ」
少女はかぶりを振った。脅えていた。
「この、くらい道のりを、歩いていくための、明るいほのお……ボクのココロに、くべてくれ。ボクが、キミのおかあさまのかたきを、とる」
瞬間、イヴァンはぐしゃりと顔をゆがめた。きっと彼のそんな
「かわいそうに。おきのどくに――キミの知る人間は、そんなことも言ってはくれなかったんだね。キミは――かわいそうなんだよ。いま、ここでボクにすがってないても、ゆるされるくらいに……」
イヴァンの目から、透明なしずくがいくつもいくつも流れた。
「ボクにはおかあさまはいない。そのかわり、周囲にめぐまれて、なに不自由なく暮らしてきた。だから、わかるんだよ。うしなったもの、欠けたるもののおおきさを」
ささやくように、イヴァン、くり返す。
「どうしてこんなことが起こるんだ……なぜ、あいするひとを失わなくちゃいけない? この先どんなにうれしいことがおこっても、それを知ってくれるひとは、もういないんだ。さびしいよね。くるしいよね……」
「なに、わかったような事言ってんのよ!」
「わかるんだよ」
イヴァンはそれ以上、説明をしなかった。自分が、神獣の棲み処におき捨てられた事実を。
「なんであんたが! 人間が、こんなことで……わたしなんかのために泣くのよお!」
うわーんと声をあげて泣いて、結局、亜人はイヴァンの館へ連れてこられることになった。
「亜人ですか……神の獣の亜種ですね」
マオが一目見てそういうと、亜人はふん、と横をむいた。
「亜人、名は?」
彼女は応えなかった。
やはりか。名前がわからなければ、その行動を縛りつける命令も効きづらい。
館に入れるのは気が進まないが、イヴァンの客ではしかたがあるまい。
ゆっくり、ゆっくりと彼女をいざない、腰を落ちつけるように客室でソファを勧める。
と、そのとき、前触れもなく扉が外から開いた。
「やほー! やっほー! イーヴァ、おつとめ終わったのー?」
「リリスちゃん!」
「やっだー! イーヴァ、おっきくなったねえ!」
派手な金髪をなびかせて、リリスはきちんと扉をくぐってやってきた。
なんだか今日は機嫌がいいようだ――魔王が思ったとき、リリスがかん高い声をあげた!
「ええっ! なに、その真白なふわっふわの娘!」
「リリスちゃん、知ってるの?」
あったりまえよう! とリリスは頷いた。
「プシュケーさまのところの守り人でしょ? うわあ! 初めて見たッ。名前はなんてーの?」
一気に距離を詰めようとするリリス。亜人はうつむいたきり。
「リリスちゃん……ちょっと」
イヴァンがリリスを隣の部屋につれていく。聞こえているが。
「ええ! いったいわね。なによう!」
「ボクちょっと、ちがうきがする……」
「ええ? 白くてふわふわの被毛の耳尻尾つきなんて、森の守護者の他、いないじゃない!」
「いいから、ボクにまかせてみて」
「う? うん……」
なんだろうか? なにか胸に炎のようなものが見える。あの娘――亜人。
魔王はしばらく様子をみることにした。
イヴァンが隣の部屋から出てきた。
「やあ、しつれいをしたね。ボクのなまえはイヴァン。おともだちはイーヴァってよぶんだ。ここらへん一帯を、領土にもつ、領主のむすこだよ」
「ふん、親の七光りか」
「そうかもね。ハーブティーを淹れよう。ぼく、とくいなんだ」
やさしく微笑むと、イヴァンは庭に出てハーブを摘んできた。
「よわっているこのこに、ちからをわけてあげてね」
そう言って、大きなガラスのポットに刻んだハーブを入れ、マオが用意したお湯を注ぎ入れた。
「おいしくできますように」
目をつぶって、そういうと、じっとポットを見ている。葉を蒸らす作業を終えて、イヴァンは温めておいたカップに、そうっとそれを注いだ。
「よかったら、どうぞ」
亜人の少女はちらりとカップを見やったが、すぐにそっぽをむく。
イヴァンは黙ってその様子を静観していた。
「さ、マオも、リリスちゃんも、どうぞ」
「いっただきまーす。おお、イーヴァのお手製ハーブティー! 久々~~」
「ご相伴にあずかります」
そのまま、テラスの白い丸テーブルに、カップを持って移動し、座って、和やかにティータイムをすごした。
亜人の少女は、一瞬、ちらっとそちらを見たが、やがてイヴァンにだけ聞こえるように、そっと、
「……プッシー」
「え? キミ……」
「だから、プッシー!」
そういうと、彼女――プッシーはすっかり冷めたハーブティーのカップをとり、一気にあけた。
「まず!」
「ごめん。淹れなおすよ、プッシーちゃん」
「……ただのプッシーでいい」
イヴァンはにこりとし、
「じゃあ、プッシー。おともだちになろう?」
「別に……そんなつもりじゃ……」
「ふふ。そう?」
「そうよ!」
またプッシーはよそをむいた。ただ、その背中からは、孤独の影が少しだけ和らいでいた。
客間のベッドから、白い脚がすっと抜き出される。
すっすっと、そのまま廊下を通り抜け、子供部屋に忍び込む。
今は夜。暗い闇の中を、迷わず歩いてこられる。その嗅覚は、犬並みだった。
イヴァンの寝ているベッドの脇に立った。
プッシーの手はぶるぶると震えた。その中に握られているのは短剣。
――今この手に勇者の命を握っているのは私!
「勇者よ、よかったね。愛する人たちに囲まれて、何も知らずに逝けるんだ」
悪いのは私? いいえ。全ての責任はあの方がとってくれる。必ずそうしてくれるって……あの方が言ったんだ。だから、私は、勇者の命をとる!
「やめるんだ、プッシー」
「なっ!」
名を呼ばれたことでいくらか動揺したらしい。プッシーは身を凝らせ、逃げることも叶わず、そこにいた。
バッ、とイヴァンのシーツがまくり上げられる。そこに金髪のリリスが。
強烈な回し蹴り。
ちゃりーん、と、硬い音を立てて短剣が床に落ちた。
「なるほど。新しい魔王とは、光の眷属すら、その手に転がすものらしい」
ロウソクの火が、魔法で灯される。ゆらゆらと、なにやら左右に揺れる灯りがある。その中に、魔王の印章のある短剣が映え、さっさと回収されてマオの手元に。彼はそれを見て舌打ちした。
「な! わ、私は……ッ」
「その姿、鏡で見るがいい」
パッと、プッシーの目の前にかざされた丸い鏡。
「え!? なぜ、私……」
そこには白い姿が闇より黒く染められていく、プッシーの姿が映っていた。
「いやあああ!」
『『はい、そこまで!』』
カンテラを持ったパーチとラッドが、部屋の隅から現れた。
イヴァンがベッドから起き上がって、
「んう? なに? なんか、あったの?」
寝とぼけた。
「イーヴァを刺そうとしたのよ。なんで? なんでよ! あんた、白い神獣の仲間じゃないの!?」
「だれがそんなことを、一言でも言った!?」
「――許さない!」
リリスは渾身の力で、亜人にアタック!
しかし、亜人の脚力はリリスを上回り、飛び退ると同時に大きな爪痕を残した。リリスはあえなく負傷し、よろよろとバルコニーへ後退させられる! 危うく落っこちそう。
イヴァンが駆け寄り、その手をつかむ。
「手を……離して。私なら、大丈夫だから」
「こういう、ときの、リリスの、だいじょうぶは……だいじょうぶじゃない!」
「この下は水辺よ。離して!」
「はなすくらいなら、ボクも、いっしょに……」
「馬鹿……じゃあ、一緒に死ぬ?」
そんなのできないでしょう? 馬鹿げてる。
思ったのに、その瞬間、イヴァンはぐっと身を乗り出し、
「はなさないよ」
と、宙に身を躍らせた。
魔王の魔法がなければ、二人は死んでいたはずだ。いや――イヴァンだけは違ったかもしれない。胸にかけられた勇者の証が、光り、全身を包みこんでいた。
魔王が空中で二人を拾い上げ、平らな地面に横たえたときも、まだ光っていた。その命を護るかのように。
――神々よ、あなたがたは遅いのだ、いつも。
一階の居間にて。
「わ――私は、最初から、友達になる気はないと、言った……」
「知ってる」
イヴァンの後ろで、うんうん、とラッドとパーチが頷いている。
「雇われたのか?」
尋問する気まんまんの魔王。その手には短剣。突きつけられて、プッシーは、
「言うもんか!」
唇を噛む。
リリスが疲れた顔で、その姿を見下ろして、同情的に言った。
「馬鹿みたい。どうせ利用されてるだけなのにさ」
「あの方は! 責任は自分がとるって言った! 人間なんかと違ってね! すべての責任を、自分がとるって。そのために生まれたって、言ってた……」
マオが咳ばらいをした。
「どうでもいいが、あの方というのが、あの男なら、それは信用しない方がいい。遊ばれただけだ」
「ふん! どんなに私を説き伏せようったって、無駄だ! 私は最初から、勇者の命を狙うためにここに来たんだ」
「連れてこられた、だろう」
「マオ、やめて」
イヴァンが止めた。
「おかあさんがころされたっていうのも、ウソなの?」
プッシーは奥歯を噛んで、苦々しく言った。
「……そうよ!」
「……ボクには、そうはみえなかった。キミのかなしいうたは、ほんものだった……その、なみだも」
「くっ!」
マオがラッドに何事かささやかれている。
「坊ちゃま。あの丘の上にはなにも埋められてはおりませんでした――フェイクでしょう。坊ちゃまを信用させるために、土を盛り上げておいたに違いありません――と、ラッドが申しております」
マオが眉をひそめて告げた。
つくづく人間らしい表情をつくるようになったものだ。
マオは、我ながらそう思った。
「どうして、どうやって私をハメたの? 気配もなく、においもしなかった!」
『昼間のハーブティーですよ』
『あれ、飲むと感覚器官が鈍くなって、ゆったりしちゃうんですよねー』
ラッドとパーチがにこやかに言った。――なるほど、ゆったりしている。
「けど、でも、私にはそんなもの……」
『こういうことじゃあないでしょうか?』
『プッシー殿は、本気じゃあなかった』
『本気で、イヴァン坊ちゃまを刺す気じゃあ、なかった』
『もっと言えば――だれかに、止めてほしかった』
『だから、無意識に、気持ちが鈍り――』
『我々の手の内に落ちた――と』
『まあ、我々の、憶測にすぎませんがね』
「――……!」
プッシーは、たとえようもなく、悲しい顔をして、マオにタックルしていた。そしてマオの手から短剣を奪うと、窓ガラスを割って庭に飛び出した。
『なにを――』
「まあ、まて。本物は、ここだ」
『え』
マオが短剣をそっとだし、使用人を押しとどめた。
「そう、私は神獣なんて高尚なもんじゃない。私は、私の親は魔獣。私はたまたま白く生まれついただけ」
言うと、プッシーは天上の月を見上げ、吠えた。
「私に、力があったら。みんな死なずにすんだのに。私が、もっと強ければ、あのお方の役に立てたのに――」
そういうと、プッシーは短剣を胸に突き立て、水辺に倒れこんで沈んでいった。
「だめだ! プッシー!」
『坊ちゃま! 何をなさるのです!』
「プッシーを、たすけなきゃ!」
『なっ。あれは、刺客ですよ?』
「あんな目をしたひとを、ほうってはおけないよ――」
マオはハッと息をのんだ。
今、初めてイヴァンの中に勇者の焔を見た。
「イヴァン、坊ちゃま……!」
やはり、勇者は、勇者だったのだ――。
「私が参ります!」
魔王は、庭に引いた池の水をかき、白く、ぐんにゃりした体を抱きとめた。正直、その柔らかさに驚いた。この体のどこが魔獣なのだろう? こんなに華奢で、どうやって勇者を討とうとしたのだろう?
パーチとラッドが、急いで庭先に出てきた。その腕にシーツを持って、プッシーと魔王の体を包みこむ。
びしょ濡れになりながら、魔王は思ったことを口にした。
「これはなにかの間違いかも、しれませんね。今さらですが」
なんの作為もなく、魔王は言った。イヴァンはうつらうつらしている。
「プッシーは、ほんとうにわるいこじゃ、ないよ」
「私もそう思う!」
リリスが、力づけるようにそう言った。プッシーに襲われた傷はもう、マオの施術で癒えかけていた。
プッシーはしたたかに水をのんで、意識を失っていた。
「あわれな」
マオがつぶやいた。
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