雑語り

中田祐三

詩を書くきっかけについて

 詩を書くきっかけは何だったろうか? 


 思い出せない。 いや正確に言えばいくつかは答えられるのだが、その一つ一つは些細なことばかりで、そのどれもが決定的だったとは言えないのだ。


 ただ最初に書いた詩だけは覚えている。


 もしかしたらそれもまた些細な理由の一つであるかもしれない。 

 

 けれどそれが出来たからこそ、いやいやそれら全てが理由となって大きな核となって詩を創り続けるということになったのかも。


 初めて詩を書いた場所は新宿歌舞伎町にあるレンタルルームだった。


 その日、私は疲れ果てていた。 


 肉体的にではなく、精神的にだ。 もっといえばそのもっと前からだったのだが。


 ただ家に居れば自分がどんどん削られていくことに気づいていた私は当て所もなく新宿に居て、そしてこれまた何の理由も無く、目に付いたレンタルルームに入ったのだ。


 何をするでもなく、ただへばりつくように匂う煙草の香りがする椅子に座り、ボンヤリと天井を見上げる。


 そしていつのまにか私はうたた寝をしていた。


 そして夢を見た。


 どこか田舎の山村、もしかしたら現代ではなく、もっと古い時代かもしれない。


 季節は夏のようで、いまだ苗すら出ていないガランドウの畑の横、そこの農道は潤いの一遍も無く乾燥しきっていて、足元には砂煙が舞っている。


 どうやら私は旅人のようで、そして死に掛けていたようだ。 


 足がまるで棒のように曲がらなくなり、前のめりにバタリと倒れた私の上に、巻き上げられた砂がフワリと全身に落ちる。


 私はそこで行き倒れた。 ボロボロのかやぶきの屋根の家と何も無い畑の間に拵えられた農道に。


 身体は動かない。 


 どうして? などという疑問は湧かなかった。 


 ああ、私は死んだのだなということだけは不思議に確信できた。


 そしてそんな死臭を嗅ぎつけてきたのだろうか?


三匹の野犬が私の身体を取り囲む。


 そしてそのうちの一匹が私の足に噛み付いた。 


 バキリという音を立てて私の足が私から離れた。 そしてそれはあっという間にその野犬の口で咀嚼されて腹の中へと入ってしまった。


 すぐにまた別の野犬が私の今度は左腕に食いつく。 そして同じように私の身体から左腕を奪い、そして同じようにまた自身の腹へと収めてしまった。


 もう一匹は慎重で、鼻先で突っつくように私の身体を嗅いでいたが、やっと確信が取れたようで腹に牙を突き立てる。


 腹から腸が出て。 胃が出て。 肝臓も。 


 私を構成する肉体がどんどん部品売りのように切り取られていく。


 その時分にもなると、腐敗が進んできたようで、骨からトロリと糸を引くように肉は簡単に剥がれ落ちて、そしてそれらを綺麗に野犬たちが食べていく。


 やがて主な内臓を食べきった野犬たちは、私が私であるということを理解するためにもっとも必要な部位と思われる頭へと矛先を変えた。


 さすがに頭蓋骨を噛み割ることには苦戦していたようだが、何かの拍子にそこから木々が裂けるような音を立てて割れてしまった。


 開いた穴から入ってくる風で頭がスースーする。


 その穴から野犬たちは私自身である脳みそをときにはかぶりつき、時には舐め取るように奪い取っていくのだが、それでも私は私であることを知っていて、ただ頭が空っぽになっていくのを感じていた。


 やがて私であった物はかつての姿を完全に失い、ただの骨と肉の塊へと成り果てていく。


 その横でまた同じように私であったはずのものは一片のクソと成り果てて腐敗臭とは違う悪臭を醸し出して置いてあった。


 それでも私は私だった。 それが私だと私は気づいている。 知っているのだ。


 いつのまにか野犬は消えていた。 


そこにあるのはかつて私であった残骸だけだった。


 それも長い風雨にされされて、いつの間にか姿を消していた。 


 あとにはボロボロの乾拭き屋根の家と畑、そして農道だけがある。


 何も変わらない景色だけがそこにあった。


 それでも私はそれを見ていた。 いつの間にかそれを俯瞰する視点で見ていて、何も感じることはなかった。


 ただふと、私はいつ本当に死んだのだろう? という疑問だけがそこにはあった。


 そこで目が覚めた。 


 視界はヤニで薄黄色い天井と、しぶとく残る煙草の香りだけ。


 私は当たり前のようにそこに居たのだ。


 なんという夢をみたのだろう。 こんなにも現実的で、おかしくて、薄気味悪いと思われるような夢を見たのは初めてだ。


 ただ不思議に気分は高揚していた。


 ああ…これなら書けるかもしれない。 


いやこんな貴重な夢をみたのだから書かなければ勿体無いと久しく忘れていた衝動が湧き上がってくる。


 しかし私はそれを書き上げることは出来なかった。


 情景描写はリアルに浮かび上がるが、それを紡ぐための文章が出てこないのだ。


 物語として書こうとキーボードに手を置けばそれはフワリと霧散して消えていってしまう。


 まるで蜃気楼のように、見えてはいるのに触れられず、また近づくこともできない。


 私は見た夢を紡いで物語ることは諦めた。 


しかしどうにも諦めきれない。 


 私はそれをを諦めて、詩(うた)にした。


 霧散するそれを出来る範囲で慎重につまみあげ、ボロボロの土塊のような詩想を優しく、慎重に、ただ慎重に配置していき、それらが瓦解する寸前まで形づくることにただ腐心し続けた。


 そしてそれは出来た。


 一つの詩(うた)として。


 ただ一片の詩として。 


かろうじて形にすることが出来たのだ。


 題名は「野晒死(のざらし)」


 気づけば短くない時間がたち、店の外に出る。


眠らない街はやはりいつものように騒がしい。


 ふと顔をあげるとあの夢の中のような空気、そして夕日が空を染め上げていた。

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