第2話

朝起きてテレビを付けた。日曜日なので平日のようにニュース番組は少ない。今日が全て最期で見納め。そう思うと全てが愛おしく思えてきた。このテレビも一人暮らしを始める時に買った。当時は最新式のサイズ、性能だったが今では中の下ぐらいにまで価値が下がってしまった。壊れることもなく俺と一緒に約8年近く過ごしてくれた。思わず「ありがとう」と感謝の言葉が口に出た。

テレビだけでなく、電子レンジ、洗濯機…家電製品は全て俺と生活を共にして歩んでくれた。こんな俺に文句の一つも言わず。

しばらく物想いに耽っていたが家にいても仕方ない。身支度をして俺は外に出ることにした。テレビは10時を示している。昔なら今では終わってしまった長寿番組が始まる時間である。俺も小さい頃からずっと見ていた。ただ、時代の流れには逆らえない。昔なら驚かれたようなことが今では携帯一つで検索でき誰も驚かなくなった。それどころか逆に非難されるようにすらなった。生放送で電話をして、明日の出演を依頼する。よくよく考えれば分かることだが、まず仕事をしている人間が明日空いてますか?と言われ空いてる方が確率が低い。それに電話に出てくれる保証もない。当たり前のことである。勿論、番組の企画であり昔から続いてきた暗黙の了解である。それをヤラセ、嘘と非難が起きた。そう言われれば身も蓋ない。勿論、他の番組にもある。その結果、テレビが面白くないとテレビ離れが進んだ。俺はテレビは別世界の話…一種のショーと捉えている。あくまで視聴者を楽しませる為のものだ。そこに現実を持ち込んではいけない。非現実の世界に現実を持ち込めば矛盾が起き、非現実は排除されるのみである。それに科学の進歩が後押しをした面もある。ファミリーコンピュータ、通称ファミコン。いわゆるゲームブームの火付け役となった商品だ。ファミコンの登場を境にゲーム業界は進歩を遂げていく。ゲームソフトを買う為に徹夜で並んだり、そのソフトを恐喝して奪う。という犯罪が起きる程の社会現象にまで発展した。そしてどんどんゲームのリアリティーが増しグラフィックが綺麗になり、これがゲーム?と思うほどバーチャル化していった。その結果、一部でゲームと現実の区別が付かない人間すら現れた。ゲームオーバーになり「死」を迎えても「リセット」すれば人は復活する。現実ではあり得ないことであり、誰もが常識に思っていること…その区別さえ付かなくなり、傷害、殺人事件にすら発展したケースもある。言い換えれば、それ程、科学は進歩しゲームは身近な存在になったのであろう。

俺も携帯ゲームはたまにする。だが所詮、ゲームはゲームである。ゲームの中でお金持ちになったところで現実は変わらない。寧ろ、虚しさが残るだけだ。それを感じて以来、俺はゲームにのめり込みことはなくなった。少し現実逃避してゲームの世界にでものめり込んでいればもしかした…こんなことにはなってなかったのかな…分からないが。ほんの少しだけ後悔した。もう今日一日。後悔なんてしてる暇はない。計画も何もないが、全財産の1万円を握りしめ、俺は家を出た。

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